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日蓮大聖人・池田大作

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第十四章 仏法の眼・医学の眼  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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5  宗教は「生命」の病気を治す
 池田 屋嘉比さんに、もう少々うかがいたいのです。
 医師として、医療の最前線で心がけていることは何ですか。
 屋嘉比 いろいろありますが……、なんといっても、医師と患者の信頼関係という基本が大事だと思います。
 池田 そうでしょうね。私も今回の入院中、何人かの医師とお話ししましたが、本当に、いい医師というのはすぐわかるものです。
 屋嘉比 たとえば、ある循環器病の大家は、“急患の患者ならば若い医師でも、一定のパターンに従って治療すればよい。しかし、何年もの慢性の病気の人は、医師とのコミュニケーションが大切となる”と話されています。
 また、“私は、七十歳以上の老人でも「おじいさん」とか「おばあさん」と呼ばないようにしている。必ず「〇〇さん」と呼ぶ”とも話しておりました。
 なにげないことのなかに大事なことがあると、私は思いましたね。
 池田 大切なことです。よく“臨床のできる医師は人柄だ”と聞きますが、信仰の世界も同じです。
 ある意味で、医学は、身体の安全と完璧性を通し「心」の安定をもたらす。
 どちらかといえば、宗教は、「心」を通し、生きゆく力、そして肉体の安定をもたらす、ともいえるかもしれませんね。
 屋嘉比 その意味において、医学も患者に、生きる自信と希望をあたえていくことが使命です。
 ですから、医学を中心として人間をみるのではなく、人間を中心として医学をどうするか、という観点がたいへんに重要であると私は痛感しますね。
 池田 御文に、「たとえば七子の父母平等ならざるに非ず然も病者に於て心則ちひとえに重きが如し」という一節があります。
 これは、七人の子供がいれば親は皆平等に愛情をもって育てる。それであっても、病気がちであったり、不憫な子供ほど、親というものはかわいいものである。それほど親はありがたい。と同じように、仏の慈悲は広大無辺であることを譬えられたものなんです。
 次元は違うが、私どもも常にこの御文を身に体していかねばならないと――。
 ―― 感銘します。だからこそ、正法がこれほど広がったのだと思います。
 人の心は、氷のように固く閉ざされていても、真実と誠意には必ず開かれるものです。
 屋嘉比 ある経験豊かな先輩が、“医師は、患者がいるから医師たりうることを忘れてはならない。患者と共感できるところに、その人の病気も見えてくる”と語っていました……。
 どちらかというと、頭だけでやってきた若い私どもには、本当にいい勉強になります。(笑い)
 池田 もう一点うかがいたいのです。今後の医学は、どのような方向へ進むのでしょうか。
 屋嘉比 それは、池田先生がつねづね言われてきた「守りの医学から攻めの医学」をめざしていくべきと、私は思います。
 ―― 具体的には……。
 屋嘉比 “守り”というのは、現在ある病気を治したり、予防することです。
 “攻め”とは、現在ある健康をよりよい状態へともっていくことです。
 「未病に治す」というように、今後の医学はますます病気の予防へ、健康の増進へと力が注がれていくと思います。
 ―― ただ、どうでしょうか。肉体的な“病”は仮に減少したとしても、人生の悩み、精神的なストレスとは別問題でしょう。
 屋嘉比 おっしゃるとおりです。このストレスが現代人の病気におよぼす影響については、またあらためてお話ししたいと思いますが、多くの人々が指摘するように、現代ほど“人間の本性が求めてやまない生命の全き開花”が抑圧された時代もないと思いますね。
 ―― 目に見える身体の破壊も怖いが、この目に見えない人間の内面の破壊は、もっと恐ろしいものです。
 池田 仏法のひとつの時代観に、「減劫と申すは人の心の内に候」とありますが、まさにその姿そのままが、私どもの社会と感ずるのは、私一人ではないでしょう。
 屋嘉比 鋭い仏法の眼ですね。
 現代社会の最大の“病”は、人間の「心」の病といえるかもしれません。
 それにつけても、私はある医学者の、“ストレスを避けて、一生なにも有効な社会生活をせずに過ごして、病気を予防する人よりも、むしろ社会的に積極的な生活を送って、仮に病気になる場合があっても、そのほうがより有意義な人生を送ったといえるのではないか”という言葉を思い出しますね。
 これは誤解されては困りますが、「健康」というものが、たんに病気でないことではない。人生に積極的な価値をつくりだすことが、真の意味での「健康」であろう、というほどの意味と思います。
 池田 よくわかります。そうなるとこんどは、泥沼のような現実社会にあって、確固たる自分自身の人生観をいかに築きゆくか、ということになるでしょうね。ですから、その根本的な「法則」を知りえた私どもは幸せです。
 ご存じのように仏法は、人間の心身を煩わし、悩ませる諸々の精神作用の総称を「煩悩」ととらえます。現代語でいう“ストレス”があたえる心身の苦痛も、この「煩悩」の範疇といえると思いますね。
 言うならば、医学は「肉体」の病気を治す。宗教は「心」突きつめれば「生命」の病気を治す、といってよいでしょう。

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