Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十二章 現代語のルーツ「法華経」  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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8  最先端の学問を修学された大聖人
 ―― ところで、これもいつかおうかがいしたいと思っていたのですが、大聖人の御書には、いたる個所で、当時の学問上の文献を引用されていますが……。
 池田 大聖人が、当時の最先端の学問を修学されたことは、歴史的にも、よく知られるところです。
 また、御文にも、「鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に」と、そのご様子を述べておられる。
 ―― これは有名な史実ですね。当時は、いまのような印刷技術も発達していなかった。各地の寺院を訪ねて、古今の蔵書を閲覧する以外なかったわけでしょう。
 池田 当時の名刹・古刹といわれた寺院は、いまの大学のような役割を果たしておりましたからね。大聖人は、貴重な文献は、書写もされているようです。
 屋嘉比 どんな書物を読まれていたのでしょうか。
 池田 ひとつの例を申しあげると、佐渡の地で、「外典書の貞観政要すべて外典の物語八宗の相伝等此等がなくしては」とおっしゃっておられる。
 ―― 『貞観政要』は、当時の指導者が読んだ、中国の政治書であり、歴史書です。
 屋嘉比 ほかには具体的には、どんな……。
 池田 いま、思いつくものだけでも、御書に引用されているものでは、『孝経』『春秋左氏伝』『易経』『史記』などもありますね。
 屋嘉比 『史記』は読んだことがありますが、あとは馴染みのない書名ばかりです。(笑い)
 ―― いや、私も専門的な文献のように思います。
 屋嘉比 ほかにもございますか。
 池田 出典は明記されておりませんが、その文献をふまえておられると推察されるものをあげれば、たいへんな数になるでしょう。
 屋嘉比 たとえば……。
 池田 私がちょっと調べてもらっただけでも、『論語』『韓詩外伝』『文選』『尚書』『周礼』『礼記』『漢書』『後漢書』『唐書』『中記』『列子』『韓非子』『淮南子』『牟子』『神僊伝』『老子』『荘子』『晋書』『孔子家語』『礼記集説』『顔氏家訓』『荀子』『孫子』『管子』などがあります。
 まだまだあると思いますが、いま、全部は思い出せませんので、ご了承ください。(笑い)
 屋嘉比 壮観です。当時は、中国の文献が、いまでいう貴重な学問書だったのでしょうね。
 池田 そう思います。万般の哲学、道理、そして現実の社会の動向をいかに大聖人が重視されたか。そのひとつの証左と私は推察します。
 ―― 日寛上人の著作にも『徒然草』『水戸光圀』、また中国の『白楽天』などを引かれた個所がありますね。
 池田 「仏法は道理」です。秀でたものとは、不思議に相通ずるんです。
 それにつけても、私が青年時代に読んだ、第六十五世日淳上人の論文のなかに、たいへんに思索しなくてはならないお言葉があった。
 それは、「宗教が一切世間を対象とするといふのは生命そのものを対象とするが故である。(中略)『寿量品なくしては一切経徒事なるべし根なき草は久しからず』と仰せられしは、強ちに一切経のみに区切られたことではない。ありとあらゆる教法も学問も此のうちに包含さるべきである。世人は従来の偏見を捨て宗教を見なほす必要がある」(『日淳上人全集』上巻)という一節でした。
 これこそ、仏法の宗教観の真髄のうえからのお言葉と、私は思ってきた。
 屋嘉比 それこそいわゆる「宗教」と「学問」、また「宗教」と「科学」の明確なる位置づけのうえからも、仏法で説く「宗教」が“根本”という意義であるということが私にも納得できます。

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