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日蓮大聖人・池田大作

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第十一章 人間の「生と死」のドラマ  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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1  医の根本は医者と患者の信頼関係
 池田 屋嘉比さん、アメリカに行かれたようですが。
 屋嘉比 ええ、ミシガン大学医学部の視察と、研究の打ち合わせに、十日間ほど行ってきました。
 池田 アメリカは、心臓手術とか、ガンの研究とか、医学の分野においても第一人者なんでしょうね。
 屋嘉比 そう思います。アメリカは世界中から人材を集めています。また、研究にかける予算、時間も比較になりません。
 研究体制の面では、日本はまだかなわないと思います。
 池田 そうでしょうね。医学も日進月歩ですから、競争社会の最先端をいっているともいえるでしょう。
 屋嘉比 厳しいです。
 大学教授でも、いい論文をどんどん発表していかないと、解雇されてしまう場合も、ままあるようです。
 池田 そういえば、先日、アメリカの宇宙飛行士が、故障のため漂流している衛星の修理を、見事に成し遂げた、というニュースがあった。
 この飛行士も、もともとは外科のお医者さんだったそうですね。
 屋嘉比 ええ、フィッシャー博士ですね。私も医学者の一人としてうれしい話です。(笑い)
 池田 私はよくわかりませんが、スペースシャトルの船外に十時間も出て作業した。これはアメリカの新記録のようですね。
 ≪――志村(司会)≫ 小さなドライバーで、電気回路の細かい配線をやったり、お医者さんというのは、本当に勇気もあるし、手先が器用だ。(笑い)
 屋嘉比 いや、外科医は、沈着冷静な判断力、そして、すばやく適切な処置ができなければ、務まらないと思います。(笑い)
 池田 最近は、本当に小さな神経や、血管をつないだり、  脳の腫瘍を取り除いたり、まったく驚くべき技術  の進歩ですね。いったいどうやるんですか。  
 屋嘉比 数倍から数十倍の顕微鏡を使って手術をします。
 池田 そうでしょうね。
 屋嘉比 これをマイクロサージャリー(微小外科)といいます。
 しかし、いくら医療器具が発達しても、毛細血管や神経などの縫合手術は、医師の腕ひとつで決まります。
 池田 やはり、医学が進歩しても、治すのは人間であることに変わりはない……。
 屋嘉比 ですから外科医というのは、気分転換もうまいんです。
 ゴルフやったり、マージャンやったり、お酒を飲んだり(大笑い)。一面からいえば、やはり“医学は医術”です。
 池田 当然でしょう。
 ともかく医学は“理性の座”である。屋嘉比さん、どうでしょうか。
 屋嘉比 そう思います。
 池田 しかし、それは“人間の座”でもなければならないでしょう。
 屋嘉比 そのとおりです。
 池田 そうなると、結局は“生命の座”といってよいわけでしょう。
 屋嘉比 まったく、ご洞察のとおりです。
 ―― すると仏法では、医師についてなにか説かれておりますか。
 池田 医師とは断定できませんが、四条金吾という方が医術に通じておりました。そのことについてはあります。
 ―― 四条金吾は、武士の心得として、ある程度の医術の心得はあった。それを深めていったと考えてよろしいでしょうか。
 池田 私も深く研究したわけではありませんが、正しいと思う。
 そこで、大聖人が身延の沢で、健康を損なわれたとき、彼がその地を訪ね、真心からの治療をしたというのは有名な事実です。
 屋嘉比 当時は、仏教医学や漢方医学が伝わっていましたね。
 池田 いまみたいな西洋医学とは違う。また、大勢の医者がいたとはいえませんからね。
 当時は、いわゆる指導者の多くが、それなりのものを身につけていたことは考えられる。
 屋嘉比 そう思います。
 近代西洋医学は、日本では本格的には、幕末の長崎からといわれますからね。
 池田 その、信徒である四条金吾に送られたお手紙のなかに、このような言葉があります。
 「今度の命たすかり候はひとえに釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か
 つまり、四条金吾よ、あなたのなかに釈迦仏が入ったのであろうか。私をこのように慈愛深く治療してくださってありがとう、という意味でしょうね。
 ともかく、たいへんなお言葉です。
 屋嘉比 勉強になるお話です。医師の姿勢を示しておられる。
 本当に、患者から感謝されているという模範を、私は感じとれます。四条金吾は素晴らしい方ですね。  
 池田 また大聖人は、この四条金吾に対して、「死生をば・まかせまいらせて候」とまで言われております。
 屋嘉比 たいへんなことです。
 医者として、患者さんから信用され、信頼されるということは、医の根本です。
 ―― 私も、患者側の代表として、そう思いますね。(笑い)
 屋嘉比 それにしても、アメリカの医学生が卒業にあたって宣誓する、有名な“ヒポクラテスの誓い”があります。
 そのなかに、医者になるためには、まず、“病人の秘密は、絶対に他人には漏らさない”という言葉があります。
 池田 大切なことです。
 人格と教養の第一条件です。これは人生万般の道理です。
 心ない一言が、どれほど人を傷つけることか。上に立てば立つほど、絶対に心しなければならないことです。
 ―― いまは、そのような人が少なくなった。
 自分中心の風潮があまりにも強く、他人の不幸のおしゃべりが多すぎる。
 屋嘉比 かりに医者が、その人の病気を、軽々と外にしゃべることがあれば、まったく医師としては失格です。
 ―― 当然ですね。恐ろしいことです。
 池田 いや、宗教の世界にあっても同じです。その人のプライバシーは絶対に守るべきです。
 ―― これは、一般的にいわれていることですが、ある宗派の歴史において、人々が不信を抱くようになったひとつの原因に、聖職者のなかに、信者の懺悔、告白の内容を漏らすものがいた。ひどいのになると、第三者に伝え、利用しようとした、と聞いたことがあります。
 屋嘉比 権威主義の乱用は、どこの世界にもあるものです。
 ある著名な医学者が指摘していました。それは、“医師は強者の立場であり、患者は弱者の立場である。このことを医学にたずさわるものは、深く自覚しなくてはいけない”と……。
2  航空機事故の連鎖反応で思うこと
 ―― それにしても、この夏(一九八五年)、日航ジャンボ機の事故は、世界中の人々に衝撃をあたえましたね。
 池田 たいへんに痛ましいかぎりです。
 この事故のことを聞いたとき、私は、法華経「譬喩品」の一節を思い起こしました。
 それは、
 「今此の三界は 皆是れ我が有なり
 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり
 而も今此の処は 諸の患難多し
 唯我れ一人のみ 能く救護を為す」
 という経文です。
 屋嘉比 どういう意味でしょうか。
 池田 これは仏法上からみれば、文上においては、一切衆生は釈尊の子供である。
 文底から、現代でいえば、日蓮大聖人の子供である、と拝するのです。その意味において、信仰している、していないにかかわらず、すべての方々が尊い仏子である。
 ですから私は、信仰者の一人として、唱題、回向させていただきました。
 屋嘉比 じつは、私の親しい友人も乗っていたのです。知らせを受けて、二日間というものは、ほとんど眠れませんでした。本当に残念でなりません。
 ―― ああ、そうでしたか……。
 私も、一夜明けて、テレビが映し出すなまなましい現場の状況に、息をのむ思いでしたね。
 屋嘉比 一瞬にして、五百人以上もの人が亡くなるなんて、衝撃ですね。
 いったい、「生きる」ということの意味は何なのか。また、「死」とは何なのか……。
 あらためて考えずにはいられませんでしたね。
 池田 ある元機長が、「私はパイロットになったときから、常に“死”を考えた。普通の人の何十倍も“死”について考えている」と語っていた。
 本当に「死」というものが、こんどほど身近に感じられたことはない……と、多くの人が言っておりますね。
 ―― なんですか、ジャンボ機が事故を起こすのは、百万分の一以下の確率だそうです。
 池田 たしかにそのようです。しかし、これらの重大問題は、そのような統計や科学の次元だけではわりきれないものがある、と私は思います。
 要するに、世界で一年間に九億人もの人々が飛行機を使っている。こんな悲劇的な事故は絶対にあってはならないということです。
 屋嘉比 そういえば、ある人の遺書のなかに、「本当に今迄は 幸せな人生だったと 感謝している」という、胸を突く一節がありましたね。
 ―― そうでした。
 四人の生存者がいたことは、夢みたいだった。奇跡ですね。
 屋嘉比 生存者が女性と子供だけであったことは、なにか意味があるのでしょうか。
 ―― これはむずかしいですね。
 屋嘉比 なにかデータはありますか。
 ―― あえて申しあげれば、ある人が調べたひとつに、一九六六年から七一年までの五年間に、世界で起きた飛行機事故の資料があります。
 それによりますと、一人だけ生存者がいた事故が、六度もありました。
 池田 一人だけですか。
 ―― そうです。乗っていた人は、乗客、乗員合わせて、
 六六年フィリピンでの事故が、二十八人
 六七年コロンビア、十八人
 サウジアラビア、十七人
 六九年ベトナム、七十六人
 七〇年ペルー、百人
 七一年ペルー、九十二人
 となっています。
 屋嘉比 他の全員が亡くなるような大惨事で、なぜ、その一人だけが生き残れたか。考えれば考えるほど、不思議な気持ちになりますね。
 池田 七一年のペルーの事故は、アンデス山中でしたね。助かったのは女の子だったのではないでしょうか。
 ―― ええ、まだ十七歳だったと思います。彼女は、事故現場からたった一人脱け出し、九日間もアマゾンの密林の中を歩きつづけたそうです。いや、驚きましたね。
 屋嘉比 たしかに女性のほうが、生きぬく力が強い気もしますからね。(笑い)
 ―― ですが、この六度の事故では、女性が多く助かったという結果にはなっていません。
 女性は、身体が柔らかいこともあるようですが、それだけではやはり納得できない……。
 屋嘉比 そうですね。飛行機のどこにすわったか、といったような、さまざまな要因もありますからね。
 池田 いや、これは科学でも、医学でも、どうしようもない。深い深い、因果律のうえからみる以外ないのでしょうね。
 ―― ある記者から聞いたのですが、今回の事故で、十二歳の少女を発見した消防団の一人は、「生きている……」と言ったまま、ヒゲだらけの顔を涙でくしゃくしゃにして、呆然と立ちすくんでいたようですね。
 池田 生死の際に立ち会って、なにか言葉にならない激情がこみあげてきたのでしょう。
 屋嘉比 私も、危篤状態の患者さんが、突然、蘇生したとき、うち震えるような感動を経験したことがあります。
 池田 ああ、そうでしょうね。わかります。
 ―― たしかに私も、そう思います。
 「生きている」というこの事実ほど、不思議なことはない。ふだんはそれを忘れている……。
 池田 御書の一節にも、「人命の停らざることは山水にも過ぎたり今日存すと雖も明日保ち難し」とありますからね。
 限りあるこの一生を、私は、また私たちは、悔いることなき、最高に価値ある日々をおくりたいものです。
 屋嘉比 本当にそう思います。
 池田 その意味から、ゲーテの、「生の歓びは大きいけれども、自覚ある生の歓びはさらに大きい」(『西東詩集』)という言葉は、たいへんに含蓄があると、私は思ってきた。
 屋嘉比 示唆に富んだ言葉です。私も大好きです。
 ―― こうした大事故がおこると、また同じような事故がおこる。
 今回も、十日前の八月二日、アメリカのダラス空港で、百二十九人の犠牲者が出た。
 また十日後の二十二日、イギリスのマンチェスター空港で、五十四人の方が亡くなっています。必ずといっていいほどの連鎖反応がありますね。
 屋嘉比 まったくそうです。科学で説明できるものも多少あるが、その根本的原因は、科学の次元をはるかに超えている。
 池田 「災害は忘れたころにやって来る」と言ったのは、物理学者の寺田寅彦でしたか。
 彼の場合は、「科学的宿命論」とまで言っておりましたね。
 ―― 寺田寅彦のエッセーがまた、ブームを呼んでおりますが……。
 池田 彼は文学者としても著名ですが、「人間がけがをしたり、遺失物をしたり、病気が亢進したり、あるいは飛行機がおちたり汽車が衝突したりする『悪日』や『さんりんぼう』も、現在の科学から見れば、単なる迷信であっても、未来のいつかの科学ではそれが立派に『説明』されることにならないとも限らない」(『寺田寅彦随筆集』岩波文庫)とも言っておりますね。
 屋嘉比 科学者として、直観的に、なにかしら科学の力だけではどうしようもない、人間の不可思議な因縁というようなものを感じていたのでしょうかね。しかし、わかる気がします。
 池田 それにつけても御書のなかに、「人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」という御文があります。
 まったく現実は、この御文のとおりと思います。それをどのように生き、どのように納得しながら生きぬいていくか。そこにも信仰のひとつの深い意義があると、私は思っております。
 屋嘉比 人生と生命の根本的課題であり、これは医学以前の、大前提となる問題です。
 ―― そこまで深くとらえている人は少ない。あまりにも日常が繁多で、なにかに追われながら、私は四十代になってしまった。(笑い)
3  仏法では「死」をどうとらえるか
 屋嘉比 そこで人の死というものは、仏法ではいろいろと説かれていると思いますが、どうでしょうか。
 池田 千差万別です。
 ただ、「命已に一念にすぎざれば」と御文にあるように、そのもっている「一念」の姿勢が、どういう方向になっているかが、重大な問題となるのです。
 たとえ仏法を持っても、若くして病気で亡くなる場合もある。また、事故などで亡くなる場合もある。
 しかし、「大苦逼迫し……、身受は有るも心受は無し」、また、「唯能く身を壊りて心を壊る能わず」という経文もある。
 これは小乗、大乗、共通したとらえ方になっております。
 さまざまな解釈がありますが、結論して、妙法という絶待妙からみたならば、それなりの感じがわかるような気がします。
 屋嘉比 ああ、なるほど。そうですか。初めてうかがいました。
 池田 その「唯能く」云々とは、釈尊が最後に説いたといわれる「涅槃経」にあります。
 この「涅槃経」には「転重軽受」という法門が説かれております。
 屋嘉比 「転重軽受」というのは……。
 池田 読んで字のごとくです。正法によって、過去からの重き罪業を転じ、今世においてその報いを軽く受けることができるという法理です。
 このことについて大聖人は、「先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」と明快におっしゃっておられるわけです。
 屋嘉比 いや、たしかに仏法は深いですね。「地獄の苦みぱつときへ」とまで断定されるとは、すごい仏法と思います。
 池田 つまり、仏の生命は「三身常住」である。私どもの生命も、これまた無始無終、永遠であると仏法は説いています。
 ですから、仮諦としてとらえられるこの身が、一時的に「苦」を感じても、この生命、すなわち「一念」が「四悪趣」の方向へ、方向へと下がっているのか。それとも「二乗」(声聞・縁覚)へ、さらに「菩薩」へ、そして「仏界」へと上昇しているかどうか。その傾向性が根本的な問題であるとみております。
 屋嘉比 根本的な「一念」の軌道がどうかを、説いているわけですね。
 池田 これは、仏は別として、修行中の弟子にはさまざまな死の姿がある。
 しかしこの場合も、経文には仏の「記別」が明快にあたえられていることからも、おわかりいただけると思います。
 ―― 飛行機でも、電車でも、車でも、必ず行く方向が定まっていますからね。(笑い)
 屋嘉比 目的地が、どの方向かということですね。
 池田 ひとつの例として、釈尊の場合、優秀な弟子であった目連は殺されている。
 ですが、この目連に、「多摩羅跋栴檀香仏」という仏の「記別」をあたえております。
 屋嘉比 まだおられますか。
 池田 蓮華比丘尼という女性は、提婆達多に殴られ、死に至ったといわれています。
 屋嘉比 ひどいですね。
 ―― 釈尊の晩年、釈迦族は、舎衛国の波瑠璃王によって、ほとんど全滅されておりますね。
 池田 これは、歴史的に有名な事実です。
 一説には、七万七千人もの人が殺されたと記述されております。
 屋嘉比 ああ、そんなこともあったのですか。
 ―― この点について、先日、先生がどこかで指導なされておりましたが。
 池田 いたしました。じつはこの悲惨きわまりない波瑠璃王の虐殺も、まことに他愛のないことが原因となっているんです。
 波瑠璃王の母親は、釈迦族の卑しい身分とされる下女であった。彼は、あるとき、釈迦族の人間からそのことを侮辱され、復讐を誓ったという。
 その復讐心のすさまじさは、側近に「王よ、釈迦族から受けた恥辱を忘れるな」と、一日三回、自分に向かって言わせつづけたほどであった、といわれております。
 まあ、現代では考えられない階級差別です。
 ―― 人間は利口そうにみえて、まったく愚か者であるという証拠です。
 人間のどろどろした怨念のすさまじいことを、語ってあまりある事実と思いますね。
 池田 彼の行った釈迦族の殺戮は、凄惨そのものだったようです。
 人々の足を地面に埋めて、逃げられないようにする。そこに、荒れ狂う象を放って、踏み殺させたともいわれている。
 その場面は御書にも、「血ながれて池をなせし」とあるほどですからね。
 そこでじつは、この事件の背景にはもう一人の人物がいたわけです。
 屋嘉比 だれでしょうか。
 池田 阿闍世王です。彼は当時、マガダ国をインド第一の強国にしたといわれる人物です。
 波瑠璃王は、その彼にそそのかされ、この殺戮にいたったともいわれている。
 ―― こうした事件には、いつの世でも、陰で糸を引く人間がいるもんですね。
 池田 この阿闍世王もまた、象に酒を飲ませ、それを放って、釈尊を殺そうとしたのは有名な史実です。この彼も、提婆達多にそそのかされ、父を獄死させてまで、王位についた。
 提婆達多は釈尊を亡きものにし、みずから「新仏」になろうとしたわけです。
 屋嘉比 すると、その提婆達多というのが、おおもとですか。(笑い)
 池田 そういわれています。
 余談になりますが、この提婆達多をまた調婆達多ともいい、略して「調達」といいます。どちらも音訳の名前です。
 この「調達」の「調」とは、「あざける」「からかう」、また「あざむく」という字義もある。また「達」は「さとい」である。
 ですから、本当によくぞ「調達」と訳したものだと、私は感心しております。(笑い)
 ―― たしかに本当の悪人というのは、言葉たくみに、人をだますのがうまいですからね(笑い)。最近も、そのとおりの人物が出ました。(笑い)
 池田 だが、この阿闍世王も、後に仏教に帰依しています。
 五十歳のとき、彼は全身に大悪瘡ができ、死にかかったが、釈尊のもとへ行き、助けられる。その後の彼は、仏滅後の第一回の経典結集を外護しております。
 当時は、まだ現在のような濁りきった時代ではなかったのでしょうね(笑い)。いまは、そういう人物はなかなかいませんが。(爆笑)
 屋嘉比 悲しいかな、人間は時代とともに邪智にたけていく。また、社会も濁っていくものですね。
 池田 そう思います。この阿闍世王について、大聖人は、「父を殺せども仏涅槃の時・法華経を聞いて阿鼻の大苦を免れき」とおっしゃっております。
 ―― たしかに仏法は、「三界は皆是れ我が有なり」ですね。
 敵も味方もないというのは、素晴らしいことと思います。
 池田 そう思います。仏法は大きいです。宇宙大です。
 屋嘉比 まだ、なにかそういう史実はありますか。
 池田 跋迦利という仏弟子は、重病に倒れ、最後は自殺したといわれます。
 屋嘉比 そういう人もいたのですか。
 池田 しかし、釈尊は、この跋迦利を温かく包みこんだといわれる。
 また、法華経において「記別」をあたえられている迦留陀夷という仏弟子は、バラモンの婦人のために殺され、馬糞の中に埋められたという記録もあります。
 ―― 智慧第一といわれた舎利弗は、どういう死に方をしておりますか。
 池田 病死のようです。
 ―― 釈尊より先に亡くなったといわれますが。
 池田 そのとおりです。
 屋嘉比 何の病気でしょうか。
 池田 『大智度論』では、「風熱病」であったとされている。ですから、結核ではないかといわれています。
 これまた、明快に仏の「記別」をあたえられているわけです。
4  仏における難の意義
 屋嘉比 すると、大聖人の仏法ではどうでしょうか……。  
 池田 熱原の農民であった神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄弟が刑死しております。
 屋嘉比 だれによって……。
 池田 これは、侍所の所司であった平頼綱によってです。つまり殉教です。
 屋嘉比 ほかにもございますか。
 池田 現在の千葉県鴨川市で、地頭の東条景信の一派の襲撃があった(小松原の法難)。そのときに、弟子の鏡忍房は即死しております。
 また、地元の領主であった工藤吉隆という青年も、瀕死の重傷を負い、それがもとで、まもなく亡くなっている。
 こうした難については、大聖人が、「其の外に弟子を殺され切られ追出・くわれう過料等かずをしらず」とおっしゃっておられるとおりです。
 屋嘉比 まだ、ございますか。
 池田 千葉県の天津小湊に住んでいた光日房の子供は、若くして横死したといわれております。そのような不幸な母親に対し、大聖人は、「霊山浄土へ参り合せ給わん事疑いなかるべし」とおっしゃっておられます。
 ですから御書のなかに、生命観のひとつとして、「浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり」という有名な御文がある。
 目に見えない根本の「一念」の方向性が、いかに大事であるか。そのための「法」と、勇気ある「信仰」がいかに必要であるかも、おわかりいただけると思います。
 ―― そうなると思います。
 池田 ともかく大聖人は、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」と仰せである。
 信仰の真髄は、そうでなければならない、と私は実感します。
 屋嘉比 共鳴できる御文です。
 医学でも科学でもどうしようもない因果律は、凡夫ではわからない……。
 ―― 謙虚な姿勢で、生命の実相を説き明かしておられる御書に、学ぶべきでしょう。
 池田 じつは先日、今回の日航機事故で、亡くなられた女性のご主人から、お手紙をいただきました。また昨日は、ご両親からいただきました……。
 肉親の方々が、それぞれ深い意味を感じとられながら、力強く立ち上がっておられる姿に、私は感動もし、安心もいたしました。
 屋嘉比 そういうこともあったのですか。やはり、人間の幸、不幸の深い実感は、外面的な姿だけではわからない。近親者の方々が、いちばんよくわかるものなんでしょうね。
 池田 つまり、生命は、「きびしきなり三千羅列なり」である。この厳たる因果律はまぬかれがたい。
 しかし、妙法の大力用によって、それぞれの宿命なり、宿業をば、転換、超克しゆくことのできるのが、じつに「本因妙」の仏法なんです。
 「本因妙」とは、わかりやすく言うと、今の瞬間から未来に向かって、力強いうねりで「仏界」への方向を決定づけていける法則と、私は思います。
 屋嘉比 きょうから明日へ、また未来へと前進できる仏法は素晴らしいと思います。
 池田 要するに、釈尊の仏法においてすら、さきほど申しあげたとおりである。
 いわんや、「この本尊を受持すれば、自然に彼の自行化他の因果の功徳を譲り与え」(「観心本尊抄文段」日寛上人文段集四八六㌻)とあるとおりですから、その一点の確信を、いかなることがあっても、失ってはならないと思う。
 つまり、末法の今日は、いわゆる釈尊時代のような、何世にもわたり修行していく仏法ではない。
 「受持即観心」といわれるとおり、これが正しい根本法則なのです。
 ですから、いわゆる「記別」はないし、必要もないわけです。
 大聖人の仏法を信行にわたり励んできた功徳は、広大であり、深遠です。
 そのうえに立って、もろもろの事象、現象を見ていくことが、根本的な納得となるのではないでしょうか。
 ―― ところで、大聖人は、生命にもおよぶ大難に、何度もあわれましたが。
 池田 有名な「開目抄」のなかにも、「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」とおっしゃっておられます。
 屋嘉比 すると、大法難の連続のご様子だったわけですね。
 池田 そう思います。
 具体的には、四度の大難とは、
 一つには、松葉ケ谷の法難(草庵の襲撃)
 御年三十九歳(文応元年)
 二つには、伊豆流罪
 御年四十歳(弘長元年)
 ~御年四十二歳(弘長三年)
 三つには、小松原の法難(東条景信の襲撃)
 御年四十三歳(文永元年)
 四つには、竜の口の法難ならびに佐渡流罪
 御年五十歳(文永八年)
 ~御年五十三歳(文永十一年)
 となります。
 屋嘉比 ふつうの人間では耐えられない。
 いずれの時代でも、大先覚者というものは、必ず難や迫害の連続がみられる。
 これはどうしようもないのでしょうね。
5  池田 ここで仏法上大切なことは、法華経「勧持品」に「数数擯出せられ」とある。「数数」とは、二度流罪にあうという意義です。
 大聖人は、伊豆と佐渡の二度の流罪という迫害を受けられ、末法の御本仏として、この経文を身をもって読まれたという事実なんです。
 ―― 仏法上、こうした大迫害を受けられた方は、ほかにはおりませんね。
 池田 そう思います。大聖人は、「今までもきて候はふかしぎ不可思議なり」とまで仰せである。
 屋嘉比 「竜の口の法難」のことは『「仏法と宇宙」を語る』で詳しく語られており、それを読んで感銘をうけました。
 池田 「小松原の法難」ひとつみても、大聖人は重傷を受けていらっしゃる。
 屋嘉比 どういう難……。
 池田 後に、大聖人御自身が、このときの模様を、こう記されております。
 少々長くなりますが、「今年も十一月十一日安房の国・東条の松原と申す大路にして、申酉の時・数百人の念仏等にちかけられて候いて、日蓮は唯一人・十人ばかり・ものの要にふものは・わづかに三四人なり、あめごとし・たち太刀いなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のにて候、自身もられ打たれ結句にて候いし」とあります。
 屋嘉比 これは、明確なる歴史書ですね。
 大聖人のお怪我は、どんな具合だったのでしょうか。
 池田 定説としては、東条景信の太刀で、右の額に深手の傷を受けられたようです。
 そこで、その傷を治癒された後にも、四寸の傷痕が残るほどであったといわれております。
 屋嘉比 ああ、そうでしょうね。
 池田 そればかりか、左手を骨折されております。不思議なのは、かりに右手を骨折されておられたならば、数々の重大な御指南書をお残しになることができなかったわけです。
 屋嘉比 ましてや、一歩間違えば、命にかかわる重傷となりますね。
 池田 また、佐渡におられたときのご様子については、「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」との仰せからも、その状況が推察されます。
 ―― そうですね。
 池田 しかし、「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」という有名な「開目抄」の一節がある。
 これが、御本仏としての根本の御精神であったわけでしょう。
 屋嘉比 なるほど。
 池田 屋嘉比さんがおっしゃったとおり、歴史的にみても、それなりの変革や物事を成した人々には、迫害や難は必ずある。
 これは、人間世界の避けられない現実の姿といってよいでしょう。
 ―― キリスト教であっても、難と迫害の連続であった。キリストも殺されておりますね。
 池田 しかし、釈尊も天台も、難はあった。また大聖人の場合、大難の連続であられたが、結論は、殺されていない、ということに意義があることを申しあげておきます。
 屋嘉比 すると仏さまにとっての難とは、どういう意義があるのでしょうか。
 池田 仏法上、仏が出世の本懐を遂げるための、重大な契機になっているのです。
 屋嘉比 すると、釈尊の場合は……。
 池田 いま、申しあげたように、釈尊の晩年は、最愛の弟子の一人である目連が竹杖外道に殺されている。また、舎利弗の病死。さらに、一族同胞の虐殺等が相次いだ。
 七十歳を越え、老いた釈尊にとってはこれほどの悲劇はない。
 だがそうした難のなかにあって、七十二歳にして初めて、みずからの本懐たる「法華経二十八品」を説かれたともいわれております。
 屋嘉比 すると大聖人の場合は……。
 池田 熱原の法難を機縁として、「一閻浮提総与」の「大御本尊」を御図顕されておられる。
 ですから、よく世間では、難を忍んだから偉いといいますが、そうではないのです。
 一切衆生を救済せんとされんがために、難に耐えられ、「法」を説いてくださったという意義を知らねばならないのです。その大慈大悲をしのばねばならないでしょう。
 ―― 有名な、「余は二十七年なり」とは、この事実をさしているわけですね。
 池田 そのとおりです。
 ですから、「大御本尊」の願主は、「弥四郎国重」とあるんです。
 屋嘉比 わかりました。
 池田 それにつけても、私が思いおこすお言葉があります。
 それは、私が青年時代に読んだ、第六十五世日淳上人の、「妙法の行者には災難がこないとか命が延びるとかもいひ得ない。(中略)信仰は活命である。善につけ悪につけ信仰にゐてこそ其の中に無限の意味を発見することができる」(『日淳上人全集』下巻)という一節です。
 つまり簡単に言えば、いくら妙法を信じていても、災難がないとはいえない。また、必ずしも命が延びるともいえない場合がある。
 ―― たしかに、私ども凡夫の眼では、また現象面だけでは、判断できないものもありますね。
 池田 要するに、信仰は、瞬間、瞬間を最大に生きゆくための活力であり、源泉であるという意味にもとれますね。
 ですから信心しぬいていくことが肝要であって、そのうえのさまざまな現象は、すべて深い意義があることを知らねばならない。
 それこそ、信心の真髄となりゆくとの御指南と、私には感じとれますね。
 屋嘉比 皮相的に論じがちな現世利益論を、さらに深い次元でとらえられておりますね。
6  仏法の根底は「因果論」
 池田 いわゆる“奇跡”ということは、仏法では説かれていない。
 その説く根底は、すべて「因果論」であり、「因果倶時論」なんです。
 屋嘉比 科学文明の世界にあって、いわゆる奇跡のみを唱える宗教は、どんどん取り残されて、バカにされるでしょう。
 池田 そのうえで戸田第二代会長は、経文を引用し、「信心をしている場合は、たとえ横死のような場合があっても、現世の少苦、軽苦である」とまで断言されていた。
 当時は、若い私どもにはなかなか理解しがたかったけれども、長い信仰のうえから、大勢の人の姿を見てきて、昨今、私はその深い意味がよくわかるようになってきました。
 ただ言えることは、鎌倉時代においても、正法を持った場合、その実証は当然明らかであった。
 そのひとつの例として、大聖人は、当時大流行した疫病について述べておられる。
 それは、「いかにとして候やらん彼等よりもすくなくやみ・すくなく死に候は不思議にをぼへ候」という御文です。
 ―― これは歴史的事実です。
 池田 それにつけても、いまは、これだけ多くの人々が妙法を持つようになった。
 なおかつ、全部が全部といってよいほど、真面目に信仰に励んできた人が守られてきたというのは、たいへんなことであると、私は思っております。
 ―― たしかに、そのとおりですね。
 屋嘉比 ともかく今回の日航機の大事故は、仕事柄、多くの「生」と「死」に立ち会う私にとっても、本当に考えさせられることが多くありました。
 池田 また、自分というものをみれば、あるときは疲れ、あるときは生きいきとしている。また、あるときは病気になり、死を感ずることもある。親友の死に、痛恨の思いにかられることもある。
 また、あるときは、子供が生まれ、飛び上がらんばかりに喜ぶ(笑い)。また、後輩の結婚式を見て喜ぶ。また今度は、親戚の訃報を聞いたりする。
 本当に、瞬間、瞬間が、「生」と「死」の変化の人生と思います。
 まさに人生は、凡夫であるわれわれが、常に「生と死」のドラマを演じゆく、宿命的な舞台といえますね。
 ―― そのとおりです。素晴らしい言葉です。
 池田 ところで、屋嘉比さん。こうした事故や、さまざまな偶然と思われる出来事にも、なんらかの法則を見いだそうと、一歩踏みこんで思索している学者はおりますか。
 屋嘉比 スイスの偉大な精神病理学者、カール・ユング博士は有名ですね。
 ―― ほかにはおりますか。
 屋嘉比 この問題を、ユングと共同執筆した、ノーベル物理学者のパウリ博士は、よく知られています。
 また、ドイツの哲学者のショーペンハウアーなどもおります。
 池田 これは古くは、ヒポクラテスも同じようなことを言っていた。最近では、亡くなった世界的ジャーナリストの、アーサー・ケストラーなんかも本を出しておりますね。
 屋嘉比 その他、ニューサイエンスの思潮で有名な、デヴィッド・ボームなども、こうした方面への研究にもふみだそうとしているようです。
 池田 具体的には、どんな研究ですか。ユングなどは、「意味のある偶然の一致」といった原理を提起しているようですが。
 屋嘉比 「共時性」の原理ともいいます。詳しくは略させていただきますが、偶然にしては、あまりにも意味深い偶然と考えざるをえない現象に出合うことがある。これらの偶然と思われる現象の間に、内的法則、連関性を見いだそうとしています。
 池田 博士の研究は、最近、ますます注目されているようですね。
 屋嘉比 そうです。すでに、十九世紀のショーペンハウアーは、違う人同士の運命の糸を、意外な形で結び合わせるものがあると考えた一人です。
 池田 するとユングなどは、哲学ではなく、心理学の立場から、それらを一歩進めた研究となっているわけですか。
 屋嘉比 そう思います。
 池田 私は、よくわかる気がします。
 じつは、このユングにしろ、またショーペンハウアーにしろ、東洋の仏教に、たいへんな関心をもっていた。
 ショーペンハウアーなどは、みずから“仏教徒”と言っていたほどですからね。これはまさに、“意味のある偶然の一致”と私は考えております。(大笑い)
 屋嘉比 こうした動きは、ひとつの時代の流れであることは間違いない、と私は思います。
7  「宗教」とは生命根本の教え
 屋嘉比 いつかうかがいたかったのですが、「宗教」という言葉は、いつごろから使われたのでしょうか。
 池田 よくわかりませんが、まあ一般的には、明治の初期とされております。
 屋嘉比 すると、英語の「リリジョン」(religion)を翻訳したことからでしょうか。
 池田 そうです。なにかの本で読んだ記憶がありますが、翻訳には、たいへん苦慮したようですね。
 屋嘉比 たとえば、どういう……。
 池田 当初、福沢諭吉などは、「宗旨」とか「宗門」と訳していたようです。
 屋嘉比 すると、だれが「宗教」としたのでしょうか。
 池田 のちに文部大臣になった森有礼が、明治六年に『明六雑誌』に書いた「宗教」という論文が初めてのようです。
 ―― その雑誌は、当時の啓蒙思想家の集まりであった明六社が出したものです。
 この明六社を中心に、洋行帰りの西周とか、中村敬宇とかいった論客が集まって、文明論を真剣に交わしたようです。
 池田 私は、中村敬宇はよく知っておりますが、西周はあまりよく知りません……。
 ―― 西周という人は、「哲学」とか、「主観」「客観」とか、「演繹」「帰納」といった用語をつくったことも知られています。
 池田 中村敬宇は、東洋哲学を探究した人です。
 幕末のころでしょうか、たしかイギリスに留学している。そして帰国してからは、当初、盛んに西欧思想を訴えはじめたのではないでしょうか。
 ―― そのとおりです。
 池田 しかし晩年は、たいへん「法華経」に魅了され、サンスクリットの勉強までやっているようですね。
 ―― それは『史談会速記録』に載っていると、なにかで読んだことがあります。
 この中村敬宇は、東大の教授になったときに、学生の試験答案を見ることが、いちばんの楽しみだったようです。これは、自分が教えた以外の答案があるか、ないかということを楽しみにしていたのでしょう。
 池田 その話は、有名ですね。なぜ私が知っているかというと、私の恩師、戸田第二代会長が、よくこの話を、試験のたびに言っておられたからです。
 屋嘉比 ユニークな先生ですね。
 池田 中村敬宇は、答案用紙に、自分の知らないことを書いていれば、点数をたくさんあげたということなんです。つまり、いわゆる権威でなくして、深い境涯と、子弟を思う慈愛からの発露なんでしょうね。  
 屋嘉比 ロマンがありますね(大笑い)。いまは、そのようにおもしろい教授には、なかなかお目にかかれませんね。(爆笑)
 ほかにまだだれか、そのようなエピソードはありますか、先生……。
 池田 そうですね。忘れ得ぬひとつのエピソードがあるんです。第五十九世堀日亨上人のことなのです。
 日亨上人は、たいへんな碩学であられた。第二代会長、戸田先生もたいへん尊敬され、日亨上人も、戸田先生を大事にしてくださった。
 ―― お二人が談笑なさっておられる場面も、たいへん懐かしい写真になっておりますね。
 池田 ある日、御書の監修をお願いするために、戸田先生とともに、私たちもお訪ねいたしました。
 当時、御隠尊で、伊豆の畑毛であったと思います。
 さまざまな懇談のときに、笑みを含められながら、「わしは、宗門のある教学試験のときに、百点満点のところ、百二十点をつけてあげたことがあるのじゃ」とおっしゃった。皆が大笑いをして、だれかが、その理由を尋ねた。
 上人は即座に、「その答案には、わしの知らないことを、しっかりと書いておったのじゃ」と答えられた。あのお言葉は、おもしろさのなかに、深い意味を思わせ、皆の心に残ったものです。
 屋嘉比 学者の一人として、傲慢さを叩かれ、はっとするお話です。
 ところで仏法では、「宗教」という言葉は、いつごろから使われたのでしょうか。
 池田 いや、これはもともと、仏法をさす言葉ともいわれております。
 屋嘉比 一般的にも、宗教というのはたくさんある。そのなかで、仏法を中心とした場合、宗教という言葉の意義づけは、どういうふうに解釈すればよろしいのでしょうか。
 池田 宗教の「宗」とは、「おおもと」「根本」という意味にとらえられています。
 ―― 原則として、辞典でもそうなっています。
 池田 ほかには、「尊」であるとか、「主」であるとか、さらには「要」であるとか、とらえています。
 屋嘉比 すると、人間の根本……。
 池田 そのとおりです。人間にとって、生命にとって、根本の教えということになります。

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