Nichiren・Ikeda
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第十章 「生命」と「環境」を考える
「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)
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8 仏法根底に文化の創造
池田 その意義で、初座という儀式において、東天に向かって、これまた十界三千の国土世間である大宇宙の運行に、「法味」を送っていくというのは重大な意味があると、私は思っております。
屋嘉比 仏法は本当に一つひとつが明快であり、そのうえで深義が感じられますね。
池田 ですから、大宇宙に「南無妙法蓮華経」という「法味」をあたえゆく人々が多くなればなるほど、その力用は確実に広がり、大宇宙という「依報」と、題目を唱える人の「正報」が、確かになることでしょう。
これは、余談になりますが、明治時代の著名な人がよく話していたことがある。まことに素朴ななかにも含蓄のある話と、私は思ってきた。
それは、中国の東北地方には雷がなかった。日本人が入るようになってから、雷が見られるようになった、というのです。
―― それは私も聞いたことがあります。
偶然の一致か、なんらかの因果関係のなせるものか。それにしてもなにか心の奥に感ずるものがある話ですね。
池田 これはまた、アラスカに住むある日本人から聞いた話ですが、まだあまり人間がいなかったころのアラスカは、本当に人間が住めるような場所ではなかった。
ところが、人が多く住むようになってから、多少なりとも温度が上がってきた、といわれているというのです。
屋嘉比 人間は火を使うから、気温が上がるということもあるのでしょうが、私は、もっとなにか大きな、生命が生きようとするとき、自然もそれに応じていくものがある気がします。
池田 科学的にどうなるか、私にはわかりません。
ただ、なんとなく不思議なものを感ずるのです。
―― いや、東京でも、昔から比べると、雪なんかもたいへん少なくなっている。
屋嘉比 台風もほとんど来ませんね。
―― これも、ひとつの現象でしょうね。
屋嘉比 それはそれとして、仏法が、最も現実を厳しくふまえながら、人生と社会と、そして宇宙をも包みゆく広がりの法であることは、私には驚きです。
池田 ただ私は、信仰すればそれでよいというようなことは、まったく考えておりません。
その大仏法を根底に、即政治・経済の発展、また科学・技術の進歩、さらに文化の創造へと常に連動しゆくのが、私どもの運動の目的である。それがまた仏法の真髄であり、仏法たるゆえんなのです。
―― トインビー博士も、「一文明における宗教は、その文明の生気の源泉である」と述べておりますね。
池田 キリスト教でも、何世紀にもわたる人類的規模の実験がなされてきたと思う。
また近くは、マルクス主義も実験されてきた。
しかし、高度な科学文明が発達し、人類全体が絶滅か、共存共栄かが問われる時代は、日蓮大聖人の仏法が、これから何百年、何千年と実験、証明されゆく段階に入っていると、私は信じております。