Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第九章 「半健康人」時代に考える  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

前後
11  世界平和は民衆次元の交流で
 ―― 国家と国家の交流も、「開く義」ですね。(笑い)
 池田 そう言ってもいいでしょう。(笑い)
 たしか物理学者のボーアでしたか、「開かれた世界」すなわち、各国の人間と思想の交流こそ、核兵器の抑止に不可欠であると提唱しておりましたね。
 ―― つい最近(一九八五年六月)も、池田先生はデクエヤル国連事務総長と会見し、米ソ首脳会談が今日ほど要請されることはない、という意味のことを話されたようですが。
 池田 そのとおりです。事務総長は、ともかく米ソの首脳会談が先決であり、それ以外に、今日の世界的諸問題解決の糸口はない、と強調していた。
 私も、一貫してそれを主張してきた。
 ―― そのことは有名です。やっと実現の見通しがたちましたが、今後の進展を見守りたいですね。
 ともかく、二十数年間、先生は各国に行かれて、会談や講演で常に主張してこられたことは広く知られております。
 また民間団体として、強力に国連支持の活動をつづけられていますね。
 池田 いやいや、それはそれとして、もっと大切に思っているのは、各国の、民衆と民衆との交流が必要であるということです。
 これは『人間革命』にも、私ども日本人の体験のうえから書きましたが、日中戦争、太平洋戦争が勃発したのも、民衆と民衆との深い交流がなかったため、歯止めとなるものがなかった。ここに根本的原因があった。
 この苦い教訓を、広く世界に知らしめなければならない責務があると、私は思ってきた。
 その民衆次元の、長期的かつ強靭な友好は、文化の交流であり、教育の交流であると思います。
 これは、決して政治、経済を度外視するものではありません。
 ただ政治、経済のみでは、力の論理、利害の論理に走りすぎてしまうからです。
 屋嘉比 また、その交流の根底に拠って立つべき理念とか、哲学とか、宗教とかが、必要となってくることも道理でしょう。当然、その内容のいかんが前提であることは、言うまでもありませんが。
 池田 そういえますね。おうおうにして、売名になってしまったり、その場かぎりの短期的なもので終わってしまう場合があるからです。
 フランスのある思想家が、“平和とは、貪欲に対抗する力の道徳的勝利である”という意味のことを言っていたが、この問題は畢竟するに、人間へと帰着するでしょう。
 屋嘉比 たしかに、自然科学は未曾有の進歩を成し遂げた。しかし最近、常に思うことは、肝心要の人間の精神世界の進歩が、ますます追いついていかなくなっている。
 その意味においても、時代を先取りしたこの対談は、私にとっても、たいへん重要な勉強と経験だと思っております。ともかく現代は、この一点に悲劇がある。
 池田 私は、政治、経済、科学そのものの次元ではない。その拠って立つところの哲学、理念、宗教というものをもっているつもりです。
 結論して申しあげれば、この日蓮大聖人の仏法は、「末法万年尽未来際」「一閻浮提総与」となる、根本中の根本義を示しておられるからである。
 つまり、この太陽の仏法を根本とするならば、「末法万年」、さらに「閻浮提」、これは世界と訳しますが、世界の人々が、平和への強き連帯を広げていくことができることは間違いない。これこそ、歴史上かつてなかった、生命蘇生の大文化運動ととらえることができる、と思っております。
 ―― 新たなる大運動には、必ずといってよいくらい誤解や中傷、さらに迫害があるものです。
 それらを超克し、一切は歴史が証明するところでしょう。
 池田 そのとおり、そう信じております。

1
11