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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 「生命」の永遠性とは  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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8  要請される「人類のための宗教」
 ── ところで、名誉会長は、多数の方々と会い、また激励をしておられますが、名誉会長の高齢者観はいかがですか。
 池田 いや困ったね。(笑い)
 私は昭和三年生まれで、「昭和三年会」というのをつくっています。
 その会合のとき、同じ年齢であっても個人差と、老化現象のあらわれ方にちがいがあるのを、目のあたりにします。そのときほど、お互いに、格差を考えさせられることはありませんね。(大爆笑)
 屋嘉比 そうですか。たしかに表面にあらわれる老化現象には、個人差があるように見えますが、それ以上に、精神的な面の老化のほうが、個人差がはなはだしいといえるでしょう。
 池田 老いのことは、目の輝きによって、あるていどの年齢になっても、より若く見えたり、若くとも、よりふけて見えたりすることは事実です。
 また、苦労しているから老いの印象が強いとか、苦労していないから若々しいとか、いちがいにはいえないと思う。それなりの人生の年輪を刻んできた人の顔は、なんともいえない頼もしさと、安心感を私たちにあたえてくれるものだ。
 そういった人々の、物事の本質を見抜く眼は、むしろ年とともに深まっていくものでしょう。
 このへんの自分の人生の来しかたを、みずからが考えなければならないと思います。
 ── それにしても、科学万博に、人間の老化を止める技術が展示されるのは、いつのことでしょうか。(笑い)
 屋嘉比 いや、その予測は、ちょっとむずかしいですよ。(笑い)
 池田 最先端の技術を利用することにより、老化遺伝子のナゾを解く研究をしている学者がいるとも聞いていますが、屋嘉比さん、どうなんでしょうか。
 屋嘉比 たしかにお話のとおりです。
 簡単に申しあげますと、「老化現象」というのは、本質的には細胞レベルの現象です。私たちの身体の細胞は、生まれてから約五十回ほどの限られた回数しか分裂できないという考え方や、生まれたときから老化をつかさどる遺伝子があるとする考え方などがあります。
 ある年齢になると、だれでも、この遺伝子が働き出し、(細胞が死滅してきて)老化がはじまるというわけです。
 池田 そうですか。具体的には、どういうことになりますか。
 屋嘉比 たとえば、動脈硬化やガンなどは、本質的には「老化」にともなう現象と考えられています。ですから、多くの医学者が、生命の本体であるDNA遺伝子に着目して研究しております。
 池田 そうしますと、遺伝子の性格や構造に光をあてている段階ですか。
 屋嘉比 たとえば、寿命の長い人の遺伝子の構造がどうなっているか、明らかにしようとしています。
 池田 それが、いま注目されている生命工学ですね。
 屋嘉比 たいへん熱の入っている分野です。
 学者によっては、老化遺伝子の発見に昼も夜もないほどです。
 池田 その老化遺伝子が見つかる可能性はあるのですか。
 屋嘉比 たいへんにおもしろい例があります。子嚢菌という菌では、その細胞中のミトコンドリアのDNAが、老化遺伝子と考えられています。ところが、突然変異によってできた、老化遺伝子のない菌は、限りなく増殖しつづけるようです。
 池田 すると、人間の老化遺伝子を見つけ、その働きを抑えることによって、すべての人間に長寿があたえられる可能性はあるのですか。
 屋嘉比 結果的には、まだわかりません。ただ、もし実現すれば、遺伝子操作の問題は、人間の運命打開のひとつになる可能性はあるわけです。
 池田 運命打開のひとつになればいいですね。
 屋嘉比 いまだ希望的観測です。ですから、私は価値ある人生を生きるうえで、科学とともに、人類のもうひとつの文化的財産である宗教の存在意義は大きいと思いますが。
 池田 よくわかります。イギリスのJ・モーレイという思想家は、すでに、「科学の次の仕事は、人類のための宗教を創造することにある」と言っていますからね。
 屋嘉比 含蓄ある言葉と思います。
 池田 私がこの仏法を知ってまもないころでしたが、あるとき、第六十五世日淳上人の論文を拝し、たいへんに感銘を深くしたことがあった。それは、多少表現は違っていたかもしれませんが、この「生命」という問題についていえば、「勿論科学の世界でない。経済の世界にもない。此は宗教の世界に於て初めて存在し得るところであります」という内容であったと思います。
 屋嘉比 なるほど。たしかに、「生命」「人類」「宇宙」といった根本的問題の解明は、上人のおっしゃるとおり、宗教的次元のことであると、私も一医学者として感ぜざるをえませんね。

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