Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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注解  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

前後
12  注1
 Eddington,A.S.,1922,The Mathematical Theory of Relativity,Cambridge University Press。参照。
 注2
 Sandage,A.,1961,The Hubble Atlas of Galaxies,Carnegie Institute of Washington,Washington,D.C.。参照。
 注3
 ベル研究所のペンジアスとウィルソンが、初期の宇宙が“火の玉”のような状態であったことを宇宙電波の観測から確認した。
 注4
 鹿児島県内之浦に住む山下喜蔵氏の新聞のスクラップからの説明では、「前回(昭和三十九年)のシリーズで悪天候に泣いた(東大宇宙航空研究所の)玉木章夫実験主任と斎藤成文副主任は“なにかのタタリか”という実験班員の声を心配、長坪台地の住民が信心しているという“水神様”にお参りした。ホコラは実験場から約二キロも離れた海岸近くの谷間にある。……おサイ銭をあげて手を合わせたが、案内した住民たちは“大学の偉い先生がこんな神参りするなんて……”“宇宙科学の先端をゆく先生も神さまがたよりなのかなあ”と不審な表情。おぼれるものワラをも──のたとえどおり、科学の力でどうにもならぬ天候ゆえにだが、斎藤教授はいまでも“科学者も人の子、信心が第一だ。どんなに精巧な機械でも絶対の信頼をおけるものではない……”と、信心の効用を力説」とのこと。
 注5
 「大悪人は、一見忠義の人に似ている」「大詐欺師は、一見信義のある人に似ている」との意味で、王安石を弾劾した御史中丞呂誨の「弁姦論」のなかの言葉。
 注6
 ロケットが加速度gで運動しているときロケットの飛んだ距離lとロケット内の経過時間tの間には、距離lが大きいとき、t≒(c/g)loge(2gl/c2)の関係が成立する。ここでcは光の速度である。加速度をg=9.8m/秒二乗とすると=1.03/年となり、オリオン大星雲までの距離=1500年を入れるとt=8年、アンドロメダ大星雲までの距離一九〇万年を入れるとt=15年、となる。その間に地上ではl/cの時間がたっている。
 注7
 宇宙ができて以来(宇宙の年齢を二百億年とすると、六に0が十七個ついた秒数)、一秒に一回ずつ一立方ミリメートルの空間(宇宙の体積を立方ミリメートル単位であらわすと、二九に0を八十八個つけた大きさ)で、タンパク質合成を続けてきたとしても、意味のあるタンパク質は、一つもできない。
 注8
 タンパク質ができる方向で計算したデータによると、十兆光年ぐらい離れた大宇宙群が一兆個あり、そのおのおのが五百億年ほどかけ、ビッグバンを繰り返して、一兆個の大宇宙が、それを一兆の一億倍ほど繰り返したとき、やっと意味のあるタンパク質ができる。
 注9
 アメリカの宇宙科学者、モリソンとコッコーニ両博士がイギリスの『ネイチュア』に発表した、星間通信を論じた世界初の論文より。
 注10
 太陽の温度は約六〇〇〇K、そのスペクトルは黄緑にピークをもっている。恒星のスペクトルとしてはG2型に分類され、中間に位置している。
 注11
 NASAの木星探査機パイオニア、号に「宇宙人への手紙」を搭載した。
 注12
 『書経』に記されている日食があったのは、夏の仲庚五年十月十三日とされている。現在では、この年月から紀元前二一二八年にということになるが、紀元前二一五九年の日食という説もあり、この二説が推定されている。(『宇宙観史』日下実男著、東海大学出版会刊=参照)
 注13
 鉄隕石は地球の核(コア)に、石鉄隕石はコアとマントルの境界物質に、石質隕石はマントルあるいは地殻にそれぞれ相当すると考えられる。
 注14
 日寛上人は、「蓮祖義立の八相」の中で、「夫れ釈尊は、霊鷲山に於て、妙法を演説し、霊山の艮に当る跋提河の辺り沙羅林にして、入滅したまへり。聖人は身延山に於て、妙法を講誦し、延山の艮に当る田波河の辺り池上邑にして、寂に帰す。古今道同じく、応に所以有るべし」と、解釈されている。
 注15
 一八六〇年咸臨丸で幕府の遣米使節に随行してアメリカに赴いたのをはじめとして、三度にわたり欧米を視察し、近代思想の影響を受けた。
 注16
 一九七四年五月十八日聖教新聞社、一九七五年五月十九日フランスのマルロー氏宅で二回の対談を行う。芸術・文化論などをはじめ、多岐のテーマについて論じあう。この対談は、潮出版社刊『人間革命と人間の条件』に収録。

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