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日蓮大聖人・池田大作

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第十二章 核の脅威と仏法の平…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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2  民間次元での平和への交流、行動を
 ―― 国連と創価学会が共催した「核の脅威展」は多大な反響を呼んだようですね。
 池田 ええ、青年たちの平和を希求する情熱と努力により、今までにニューヨーク、ジュネーブ、ウィーンそしてパリの四カ所で行われました。
 ―― 先日、ヨーロッパに出張した折、パリで会ったユネスコ関係者も、「予想以上の反響に驚いている」と言っておりました。
 木口 そうですか。
 被爆体験のない欧米の人たちにとっては、強烈なショックだったのでしょうね。
 ―― 相当なショックをうけたようです。
 木口 今年の三月には、日米合同の「平和」をテーマにした青年の集いが、アメリカのサンディエゴ市で開催されるようですね。
 池田 ええ、日本から約八百人の青年が参加することになっております。
 ―― たいへんなことですね。
 「核廃絶のための一千万人署名運動」といい、また国内四十四カ所で行われ、約百三十万人もの人が見た「反戦反核展」、さらに七十八冊にも及ぶ貴重な歴史の証言である反戦出版など、地道な活動がつづけられていますね。
 木口 戦争体験のシリーズは、すでに海外出版もされているようですね。
 池田 ええ、三冊だけ刊行されています。
 ―― 「平和行動展」も一月(一九八四年)に行われている栃木県で二十カ所目となり、百十万の人が見にきている。各地元の知事や学者、文化人も非常に感銘しておりますね。
 また創価学会には、戦争と平和に関する資料を収録、それを展示した平和記念館が、神奈川、大阪など五カ所にできている。これも、約六十万の内外からの来館者をみている。
 木口 難民支援活動や各種講演活動など考えると、まことに幅広いものです。
 ―― 名誉会長が提唱された民間次元での平和への交流、行動というものが、国の内外にわたり、着実に青年の手によって現実化されている感がしますね。
 池田 平和な世界を次の世代へと残すことが、私どもの重大なる責務であると、私は思っております。
 ―― まったく、そのとおりだと思います。
 それにしても、平和を語る指導者は多いが、行動する人は少なすぎる。
 以前、NHKのワシントン支局長、日高義樹氏の、核問題についての講演を聞いたことがあります。
 木口 ああ、そうですか。
 いわゆる一流のジャーナリストの話は、学者以上に実感と説得力をもつことがありますね。
 ―― 彼は、世界政治の中心地で十年以上もの特派員生活を送っています。
 そのなまなましい、かつ豊かな体験をとおして語っていました。
 「世界各国の指導者との会談を重ねる名誉会長のような平和行動、民間外交が現状打開のカギである」――と。
 池田 過大評価で恐縮です。(笑い)
 日高さんといえば、十数年前になりますか、一度、静岡で桜の満開のころ、花びらを肩にうけながら、ご夫妻とかわいらしい二人のお嬢さんにお会いしたときのことが、いまもって忘れられません。
 木口 そんなことがおありでしたか。
 日高さんのリポートは、第一線のジャーナリストが、肌身で感じた思いがにじみでていますね。
 池田 私も、ときどきテレビで拝見しています。
 たしかに鋭く、的を射ていますね。
 ―― イデオロギーだけ、民族主義だけ、そして政治的次元だけというのでもなく、自由に国境を越え、利害も打算もなく、ひたすら人類に平和と安定をとの願望を炎のごとく燃えたぎらせ、活躍しゆく指導者の出現を、多くの民衆は待ち望んでいますね。
 木口 同感です。まったくそういう時代に入りました。
 ―― また彼は「デモクラシーの進んだ国の知識階層は、必ずこうした指導者に注目し、称賛していくであろう」という意味のことを述べていました。
 池田 そのような多くの平和主義者が、各国から出てもらいたいものです。
 私は仏法者の信念として、かぎりなく世界の地の果てまで、人間の根源の苦悩である「貪・瞋・癡・慢・疑」「生老病死」の解決のために奔走していく決心です。
 ―― 政治次元の平和論も大切ですが、人間次元の平和論がなければ根無し草ですね。
 なぜならば、一個人の不幸を解決しゆく力と、その体験こそが、社会全体の不幸の淵源を解決せしめる奔流へと連なっていくからです。
 木口 まったく、そのとおりです。いくら人類の平和を叫んでも、立派な科学者、天文学者として尊敬されても、自分自身が宿業に流されたり、家庭不和などで苦しみ、悲しんでいてはなんにもならない。
 ―― そこで具体的には、地球よりも重い人間の生命を守るために、どうしても避けられないのが「核兵器廃絶」の問題になってくるわけです。
 池田 そのとおりだと思う。
 多くのノーベル賞学者や文化人による核廃絶運動があり、それなりの価値と影響力もあった。だが人間社会の業というか、目先の利害や目まぐるしい日常生活のなかに埋没してしまい、多くは、なんとなく忘れ去られるようになってしまう。要するに、だれかがやってくれるだろうという、あなたまかせがあまりにも多すぎる。
 木口 まったく、そのとおりです。
3  生命の“魔性”にせまる「原水禁宣言」
 ―― 「核」の悪魔性を鋭く喝破された戸田先生の講演は有名ですね。
 木口 「原水爆使用者は死刑に」という宣言ですね。
 池田 そうです。
 ―― たしかもう、二十六、七年前(一九五七年九月八日)のことだったでしょうか。
 横浜の三ツ沢競技場で、五万人もの青年たちのまえででしたね。
 池田 そのとおりです。
 この戸田先生の遺言は、私の脳裏から瞬時も離れたことはない。この遺言を、弟子たるものはなしゆけ、との恩師の言葉ですから。私はだれがなんと中傷・批判しようと、なにも恐れない。この道は人類にとって正しき道である、と信ずるからです。
 ―― 戸田先生は仏法者でありながら、なぜ「使用者は死刑に」と極言されたのでしょうか。
 池田 たしかに、強い表現であった。
 しかし、時が経つにつれ、私は深い意味があったと思われてきてならない。
 ―― なかには原爆が落ちたら、もう死刑にできないではないか、というふざけ半分の批判もありましたが。
 木口 広島に原爆を落とした操縦士でしたか、その後発狂していますね。
 ―― ええ、その操縦士の手記を、『潮』に独占掲載したことがあります。発狂した操縦士は爆撃機「エノラ・ゲイ」の操縦士ではなくて、その一時間前に飛びたった偵察機「B―ストレイト・フラッシュ」の操縦士クロード・イーザリーです。彼は精神異常をきたし、廃人のような姿で死んでいます。もう一人は、宗教の世界に入っています。
 池田 彼が生前残した『ヒロシマわが罪と罰』(筑摩書房刊)という、精神科医との有名な往復書簡があったね。ともかく、原爆を投下したという行為それ自体が、すでに死刑以上の地獄といってよい。
 木口 まったく、そのとおりです。
 池田 この恐るべき核兵器を使おうとすることは、生命の「魔性」の働き以外のなにものでもない。瞬間にして何十万、何百万の人類を焼き殺そうとする心の作用だからです。
 そこで戸田先生は、仏法が説いている「無明」とか「煩悩」に染まりきった生命を、こんどは「法性」とか「菩提」という一心に転じさせていかねばならないという意義、またそういう次元から、あえて「死刑にせよ」という言葉を使われたのでしょう。
 ―― なるほど。ちょうどその年は、有名な「ラッセル・アインシュタインの平和宣言」をうけ、パグウォッシュ会議の第一回大会が開かれていました。
 木口 そうでしたね。この会議は、世界の科学者が核兵器の全面使用禁止と、あらゆる地上の戦争の絶滅を願って、初めて開かれたものです。
 ―― 世界の知識人の力によって、平和を達成しなければならないと立ち上がったものでしたね。
 木口 ところがその願いとは裏腹に、核兵器はますます増大しつづけ、その後起こった戦争にも、決定的な歯止めとはなっていないようです。
 ―― 当時、欧米の国々では、「核」への関心がまだまだ低かったころでしたね。
 池田 ですからこの会議も、その時点においての意義はあったと思う。
 しかし、人類的な規模の大民衆運動とならなかったことは本当に残念です。
 木口 私もそう思います。
 ―― このパグウォッシュ会議から二カ月後、戸田先生は、次代を担う青年、若人に「きょうの声明を継いで、全世界にこの意味を徹底させてもらいたい」と切々と訴えられたわけですね。
4  憲法第九条の精神は民衆の願い
 木口 それは、平和運動というものが、一部の階層だけではなく、むしろ幅広い民衆レベルで受けとめられることの重要性と、その時期到来を、そのときすでに見抜かれていた、とみてよいのでしょうか。
 池田 当然、そうみてけっこうです。
 ともかく、人間一人一人の生命、心の中に「平和の砦」をつくるべきである。つまり、一個人の生命のうちには、悪業をなしゆく面もある。反対に菩薩のように、人々のために貢献しようとする一心もある。
 戸田先生の宣言は、その人間生命に巣くう悪業、すなわち魔性を打ち破っていきたい、いかねばならないという強き訴えでありました。
 ―― なるほど。
 池田 その人類平和への旗を高く掲げ、「平和」を叫びきっていく民衆の陣列が拡大されればされるほど、平和は近く戦争は遠のく。
 この千波万波をつくりゆく以外に人類の完全勝利はない、と戸田先生は鋭く洞察されていたにちがいありません。
 ―― なるほど。まだ終戦後十二、三年のころでしたね。日本では、まだまだ物心ともに貧しかった。ですから、こうした高次元の平和運動への主張を受けいれるには、ほど遠い感があった。むしろ売名的な感じにさえ、受けとられかねない時代でした。戸田先生の先見性は、たいへん素晴らしいと思いますね。
 木口 まったくそうでしょうね。当時、私はまだ少年でしたが、いつも食べ物がなく、ひもじい思いをしていたことを、いまでも鮮明に覚えています。
 ―― 最近読んだ本に『日本の生き方と平和問題』(岩波書店編集部編、岩波書店刊)というのがあります。いかに民衆レベルの平和運動を構築していくか、というテーマで興味ぶかい内容でした。
 憲法第九条の精神の普遍化についても論じられていました。
 池田 そうですか。
 どうも最近は、多忙のためか、読書の時間がなくなってしまい、まことに残念です。
 戸田先生が、亡くなる直前に、たしか半月ぐらい前のことだったと思いますが、「きょうは、なにを読んだか」と、とつぜん聞かれたときは驚きました。
 またいつも、「若い君たちがドンドン本を読んで、私に教えてくれよ」とおっしゃっていたことが忘れられません。
 いま私も、その先生の年齢になってしまいましたが。(笑い)
 木口 そうでしたか……。
 池田 ともあれ、戦争放棄の願いは、すでに世界の民衆の心の中に深く根ざしたといっていいでしょう。
 民衆のなかに根ざしたからには、こんどはその戦争を放棄し、平和を永遠たらしめるための幹を育て、枝を繁らせ、果を実らせていかなければならない。
 ―― まったく、そのとおりですね。
 池田 不思議にも、世界唯一の被爆国であるという事実とあいまって、日本国の憲法の第九条に恒久平和の精神がうたわれているということは、世界の多くの人々は知らないかもしれない。
 だが平和への日本の使命は、いやまして重いということを、われわれ国民は強く自覚すべきであると思っております。
 木口 まったく同感です。
 日本が世界から信頼される、平和国家の道を歩めるかどうかの重大な分岐点に、われわれは立っていると思いますね。
 池田 さらに深い次元で言えば、私は仏法者ですから、日蓮大聖人が日本に御生誕なされたということも、まことに甚深の意義があると思っております。
 ―― さきほどの本のなかでも、科学者の豊田利幸氏が核と平和の問題についても「最後は人間の問題である」と語っているのが印象的でした。
 池田 そうですか。
 そうすると、私どもが数十年来、一貫して主張してきたことと一致してくるわけですね。
5  人工衛星のすぐれた性能
 ―― さきほど赤外線天文衛星のお話が出ましたが、この地球の周りには、いくつもの人工衛星が飛び回っているようですね。
 木口 ええ、正確にはわかりませんが、約三千といわれています。機能を停止したものを含めると一万ちかくになるそうです。
 ―― そんなにあるのですか。
 木口 たとえば、テレビの天気予報などでおなじみの静止気象衛星「ひまわり」は、赤道上に打ち上げられ、東に向かって二十四時間で地球とともに一回転します。
 ―― 人工衛星は、たいへんすぐれた性能をもつようになりましたね。
 木口 そうです。偵察衛星といわれるものは、地上の三百メートル四方ぐらいの場所を映像に撮影できるそうです。さらに詳しく見たいと思う場合は、その部分を、その三十倍に拡大して見ることができるそうです。
 ―― そうしますと、たとえば銀座を歩いている人の姿も、見られるわけですか。(笑い)
 木口 銀座四丁目の信号を待ちながら、タバコを吸っている人の姿を、クローズアップして見ることができるほどの精度だそうです。(笑い)
 池田 すごいものだ。驚きです。そうしますと、宇宙に打ち上げられた、それらの望遠鏡を地球に向けると、地上のすみずみまで手にとるようにわかるようになったわけですね。
 木口 赤外線やX線を使っての地球の地下資源探査も行われています。
 池田 そういえば、エジプトの伝説に出てくる“幻の川”の跡が、スペースシャトル「コロンビア」の撮影した写真から、初めて発見されましたね。
 木口 ええ、新聞にも報道されたことがありました。
 ―― ナイル西部砂漠の下に、数十万年前の川の跡が実際に残っていた、という驚くべき発見でしたね。
 池田 高いところから、確かな鋭い目で見れば、すべてのことがわかるということに通じますね。(笑い)
 木口 こうした赤外線やX線などを使った望遠鏡を乗せた人工衛星が打ち上げられ、宇宙も地球で観測するよりも何万倍もの広がりをもって解明されています。
 池田 たしかガリレオが自ら望遠鏡をつくり天体を観測してから、ほぼ四百年ですかね。よくここまできたと思いますね。
 科学の進歩は、まことに偉大だ。こうした人類の英知が、人類を滅ぼすために使われるようなことがあっては絶対にならない。
 木口 そのとおりです。
 心ある科学者が、最も危惧するところです。
 ―― 名誉会長と会談されたカー博士も、宇宙船がオーストラリアの上空にさしかかったとき、山火事を発見したそうです。
 木口 ええ、地上に連絡したところ、山奥のことだったので、まだ発見されていなかったそうです。それで、たいへんに感謝されたそうです。
 ―― ところで、日本で初めて望遠鏡をのぞいた人は、織田信長だそうですね。
 池田 そう聞いたことがあります。いまから四百年ぐらい前(一五七四年)、たしか三百キロ四方を一目で見られる遠眼鏡を献上された、という記録が残っているようですね。
 ―― ガリレオが木星の衛星、月の山と谷、太陽の黒点などを発見する数十年前のことのようです。もちろん、天体を観測するものではなかったようですが、望遠鏡のはしりみたいなものですかね。(笑い)
 池田 まあ当時は、相当の貴重品だったのでしょうね。外国の元首への格好の献上品でもあったわけです。たしか徳川家康にも贈られた、という記録があるようですね。
 ―― そういえば、江戸時代のおもしろい逸話があります。ある日、殿様が天守閣から遠眼鏡をのぞいていた。すると城を指さしながら、コソコソと話しこんでいる二人の男の姿が見えた。その殿様は、思わず遠眼鏡に耳をあてた。(笑い)
6  「核エネルギー」の仕組み
 ―― こうした笑い話のような時代から、科学は長足の進歩を遂げ、ついに星の研究から「核エネルギー」を発見したわけですね。
 木口 そのとおりです。人類が初めて原子炉の実験(一九四二年)を行い、この力を手にしてから、はや四十二年がたっています。
 池田 この宇宙の力の発見は、知ると知らざるとにかかわらず、人々に多大なる影響を及ぼしている。
 だが「核エネルギー」という言葉がもたらすイメージは、莫大な破壊力をもっています。と同時に、むずかしい科学の世界のものということになってしまう。
 ―― なるほど。たしかにそうです。
 池田 ですから、こうしたことも、人々が「核」という問題に積極的に取り組もうとする意欲が出てこない遠因の一つになっているのではないでしょうか。
 ―― そのとおりだと思います。なにか自分たちには、いかんともしがたい問題という感じがありますね。木口さん、ぜひ一度、わかりやすく教えてください。(笑い)
 木口 簡単に言いますと、この宇宙に存在するあらゆる物質は、「原子」というまことに小さなものから成立しています。しかも、この原子には「核」があり、その周りを、それに見合った数の電子が回っています。
 ―― そうしますと、太陽の周りを、いくつもの惑星が回っている太陽系のようなものですね。
 それにしても、原子のような小さなもののなかに、太陽系のようなものがあるというのもまあ不思議ですね。(笑い)
 木口 本当に不思議なのです。この万年筆にしろ、灰皿にしろ、すべてこの無数の原子がきちんと並んで集合しているのです。
 ―― そうすると、われわれの身体も、数えきれないほどの小さな原子が集まっているわけですか。
 ますます不思議だ。(笑い)
 木口 しかも、原子の大部分は空間で、実際には“空っぽ”だといってもよいものです。たとえば、私たち自身を原子の核の大きさとしますと、電子は十キロ向こうにいることになります。
 ―― するとわれわれの身体は、ほとんど“空っぽ”ということになりますね。(笑い)
 木口 ですから私は、仏法で説く五陰が“仮和合”ということがわかるような気がしますね。
 ―― なるほど。そう考えざるをえませんね。
 池田 われわれの身体にも数えきれないほどの原子の核があり、その周りを電子が回っている。いわば、太陽系の集合体のようなものである。まさに、宇宙の縮図そのままとみてよいでしょうね。
 木口 そのとおりです。しかもこの原子の核も、一つの宇宙をつくっており、それは、「陽子」や「中性子」といった素粒子からできています。この「陽子」と「中性子」を強い力でひきつけ集めているのが、「核力」というものです。
 これは、この宇宙を支配する四つの力の一つです。宇宙のあらゆる物質は、ニュートンの「重力」、マックスウェル(英国スコットランドの数学者、物理学者)の「電磁気力」、フェルミ(イタリアの物理学者。史上最初の原子炉を建設)の「弱い力」、そして湯川博士の発見した「核力」という四つの力の支配をうけています。
 ―― なるほど。
 木口 この四つのなかで最も強く、原子の核をつくっているのが、この「核力」の働きです。
 池田 なるほど。この力が、原子爆弾のもとの力となるわけですか。
7  核爆弾の原理とその恐るべき魔性
 木口 そのとおりです。十七世紀までの最大の発見は、ニュートンの万有引力の法則でした。この核力の発見は、二十世紀の物理学の勝利といわれています。
 ―― なるほど。そうですか。
 木口 二十世紀になって、宇宙の力についての解明が進み、また同時に湯川博士などにより、原子核や素粒子という極小の世界のもつ莫大なエネルギーが発見され、時間・空間の性質が明らかにされることによって、いままで思いもよらなかったエネルギー源があることが、次々とはっきりしてきました。
 池田 簡単に言うと、この新たな発見は、アインシュタインの相対性理論と量子論に集約される、といってよろしいのですか。
 木口 ええ、その二つが、あらゆる宇宙の事象にあてはまることが実験により証明されました。
 池田 リンゴが落ちることによって発見されたニュートンの理論ですと、私たちもなんとなく理解できる気もしますが、アインシュタインの理論は、われわれの感覚ではとてもとらえきれない。(笑い)
 木口 まったく、おっしゃるとおりです。アインシュタインは、目で見ることのできる物質の中に、目では見えない膨大なエネルギーの存在を明らかにしたわけですから。
 ―― なるほど。
 木口 アインシュタインの計算によると、物質のもつエネルギーとは、物質の質量に光の速さの二乗をかけたものに等しいということになります。
 ―― なるほど。なるほど。
 木口 これは、ほんのわずかな質量でも、それがエネルギーに変わったとき、膨大な力になるという宇宙の法則です。
 それまでの科学の世界では、物質の総量とエネルギーの総量は、それぞれ別々に永遠に変わらないと考えられていました。
 池田 なるほど。そうですか。
 木口 実際にアインシュタインの公式に数値を入れてみますと、質量一グラムはだいたい二十兆カロリーの熱量に匹敵します。つまり一グラムの物質があれば、百メートル立方の水を二十度温めることができるのです。
 ―― この原理から核爆弾ができたわけですか。
 木口 そのとおりです。ある核物質が他の核物質に変化するとき、働く核力の大きさが変わるので重量が変わります。反応前と後の重量の差が、放出されるエネルギーです。
 ところで、原子のなかで素粒子一個あたりについて、重量のいちばん軽いものが鉄です。この軽いものに向かって変化するとき、エネルギーが出ます。
 水素が鉄に変わっていく反応を「核融合」といい、「水爆」もこの原理からできます。ウランから鉄に近づいていく反応を「核分裂」といい、「原爆」の原理になります。
 ―― なるほど。
 木口 この物質を強力なエネルギーへと転換する核の反応は、この宇宙では、星の光のエネルギー源として知られております。地球上では、自然には起こらず、人間の操作によってのみ起こります。
 池田 広島に落ちた原爆は、わずか一グラムの質量から生まれるエネルギーと同じといわれていますね。
 たしかに人類は、このかけがえのない地球という「生命のオアシス」をも破壊してしまう、巨大な宇宙のエネルギーを手中にしたわけです。
 ゆえに人々は、平和に対し、無関心であってはならない。常に賢明でなければならないのです。
 ―― たしかに、そういう時代に入りました。現在、全世界に核弾頭は、五万個以上あるといわれます。その破壊力は、広島に投下されたものの百六十万倍にもあたるそうです。
 木口 恐るべきことです。
 池田 御書にも「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(「崇峻天皇御書」)とありますね。
 ―― こうした事態は、人類の業というか煩悩というか、これをつくった人類自身が、もはや手におえないところまできてしまった。
 木口 核兵器の魔性は、まるでガン細胞のように文明を破壊していく。
 気づいたときには、死の病にかかっているようなものです。
 ―― なかには、人間死ぬときは一緒というような、あきらめの姿も感じられますね。
 池田 平和の大切さや、平和の恩恵というものを人間は、ふだんは実感しにくいものです。
 同じように、核戦争という大きな不幸も、なかなか真剣に考えることができない。
 ―― そのとおりですね。なかには、広島も長崎もわずか十年たらずで復元した。だから、仮に核戦争があっても、また復元できるというような乱暴な議論もあります。
 木口 問題はそうした方法論、各論ではない。平和への各国間の話し合いであり、平和を願う民衆の声の結集ではないでしょうか。
8  人間のもつ「煩悩」とは
 ―― ところで、昔のオランダの哲学者の言葉に「平和とは戦争のないことではなく、美徳であり慈愛と確信、そして正義への性向である」というのがあります。
 木口 蘊蓄のある言葉ですね。
 池田 スピノザの有名な言葉だね。私も、たいへんに共感をおぼえる言葉です。
 いかに平和を唱え、行動しようとしても、その人自身の人間性を高めゆく確たる哲学性、思想性がなければ、永続性のあるものにはならない。
 木口 「慈愛」「正義」とは正反対の、人間のもつ欲望というか、煩悩というか、この避けがたい一点を無視しては、真実の自身の向上、社会の変革もありえなくなってしまう。
 ―― 大事な点です。ところで「煩悩」とは、どういうことをいうのでしょうか。
 池田 簡単に説明しますと、人間には「見思惑」、「塵沙惑」、「無明惑」という三惑がある、と仏法には説かれております。
 ―― なるほど。
 池田 「見思惑」とは、見惑、思惑のことです。見惑は、物事の道理に迷うことで、思惑は、生まれつき具わっている本能的迷いをいいます。これがいわゆる「貪」「瞋」「癡」「慢」「疑」というような煩悩の姿となって発現してくる。
 ―― そうしますと、煩悩という意味は、私たちの心身を煩わせ悩ませる、いろいろな精神作用の総称といっていいわけですか。
 池田 そういってよいでしょう。
 先天的にしろ、後天的にしろ、生命そのものがもつ働きであるがゆえに、消そうにも消せないわけです。
 木口 よくわかります。本当にどうしようもない。(笑い)
 ―― 「塵沙惑」とは、どういうことでしょうか。
 池田 これも簡単に言いますと、いまの見思惑は自身の内面における迷いである。
 ―― なるほど。
 池田 これに対し、塵沙惑とは他人を救おうとするときに生ずる煩悩といえます。
 木口 なるほど。一歩高度な悩みとなるわけですね。
 池田 それぞれ異なった性格、立場の人々を救うためには、この社会のありとあらゆることを知らねばならず、そのための無数の惑をいいます。
 さらに広げて言えば、いくら社会的に救済策、制度がつくられても、そこに慈悲の精神がなければ現実に救済されない人の数は塵沙のごとく、無量無数になってしまうという意味にもなります。
 木口 まことに鋭い観点ですね。
 ―― そうしますと「無明惑」とは、どういうことでしょうか。
 池田 無明とは、創造への生命発動を一切消滅させてしまう働きともいえます。
 ですから、人間生命が本来もつ生への力、無限の知恵や慈悲の行動が、完全に閉ざされている姿をいっております。
 御文には、こうした姿を「無明は明かなること無しと読むなり、我が心の有様を明かに覚らざるなり」と説かれております。
 ―― なるほど。
 池田 さらに、この無明惑は根本惑ともいい、見思惑、塵沙惑も、ここからすべて派生していくといわれております。
 そこで、大聖人は「末代濁世の心の貪欲・瞋恚しんに・愚癡のかしこさは・いかなる賢人・聖人も治めがたき事なり」とおっしゃっておられます。
 木口 まったく、そのとおりです。いかに高名な学者、哲学者でもいかんともしがたい。
9  妙法の力用で無明を転じて法性に
 池田 この人間の本性ともいうべき、どうしようもない「無明」が、即素晴らしき人間性の「法性」へと転換しうる現実的方途を示されたのが、日蓮大聖人の仏法といえるでしょう。
 木口 なるほど。たいへんな哲理ですね。
 ―― そうしますと、だれびともが妙法の力用によって、この無明をも法性に転じゆくことができるという意味ととってよろしいのでしょうか。
 池田 そうです。御文に、「妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり」と説かれています。
 木口 なるほど。
 池田 少々むずかしい論議になりますが、いわゆる大乗仏教では、人間のもつ煩悩というものを滅尽させる必要はないと説いています。むしろ煩悩を離れるということは、生命それ自体の否定につながるとまで説くわけです。
 木口 そうしますと、この悩み、苦しみ、悲しみの人間が、じつは尊極なる法性をもっているというわけですか。
 池田 そのとおりです。したがって、小乗仏教で説く、わが身の存在をも否定してしまう「灰身滅智」というような、非現実的な修行を厳しく否定するわけです。
 ―― 「灰身滅智」といえば、有名な仏法の説話に、釈尊と法論を戦わせた外道のジャイナ教の教主・大雄の話がありますね。
 池田 そうだね。釈尊は法論のはじめ、大雄の豊富な知識に圧倒されたかのようにみえた。しかし当然のことながら、釈尊が大雄の偏見を打ち破ったその瞬間、洞窟の中で対座していた大雄の身体は、とつぜん灰やチリのように崩れ、吹き込んだ一陣の風とともに消えてしまう。
 この故事は、自分の知識や智慧のみを頼り、自分の力だけで悟りを得ることができるという二乗、つまり知識人の限界を厳しく示した話です。
 ―― 自己の知識や知恵だけに頼っていては、最後は自身のなかで矛盾が生じ、自らを滅するしかないということですね。
 木口 なるほど。身につまされるような話ですね。(笑い)
10  「核兵器」は「第六天の魔王」の働き
 ―― 大乗仏教というのは、人間のもつ煩悩を否定しないわけですね。
 池田 そのとおりです。
 まえにも申し上げましたが、「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」という御文があります。
 この妙覚の位とは、簡潔に言いますと、仏の悟りの境地ともいえる。
 それであっても性悪、性善の両者がなお具わっている、と説いているわけです。
 木口 なるほど。仏法は平等ですね。(笑い)
 池田 この宇宙のあらゆる生命にも、この無明と法性が一体となって存在している。この無明と法性が、一小宇宙たる人間の善と悪の作用となりあらわれてくる。
 これが妙法を根幹としたとき、「梵天・帝釈」すなわち人間生命の存在を守りゆく働きとなるのです。
 ―― 「第六天の魔王」とはどういう意味でしょうか。
 池田 人間の悪なる働きの根源とでもいいましょうか。これは欲界の最頂に住し、精気を奪うことをもって自己の楽しみとするので、「奪命者」とも説かれています。
 この生命の根源的魔性こそが、一個の人間にあっては“生”への力を奪いとっていき、社会にあっては、多くの人々の“生”を奪っていくということになる。ですから「核兵器」は、仏法で説くこの「第六天の魔王」の働きといえるでしょう。
 木口 なるほど。
 ―― 大なり小なり私たちは、煩悩の塊であり、精神的、肉体的欲求を繰り返しています。
 おいしいものを食べたい、お金が欲しい、美しいものを見たい、楽をしたい……。これは人間だれしもの願いだと思いますが。
 池田 そのとおりです。「無明法性一体」ですから、そうした人間がもつさまざまな欲求・欲望を否定するわけではなく、それを人間らしい崇高な次元の欲望へと高めていく、これが「煩悩即菩提」であり、「無明即法性」という原理です。
 これを御文には、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」と説かれています。
 木口 なるほど。仏法はどこまでも深遠ですね。
 池田 ですから、妙法に照らされながら、個人にとっては人のため、社会のため、どう貢献しゆくかという煩悩を燃やす。
 社会にあって指導者は、どう人々を幸福と平和へと導いていくかという大煩悩を燃やしていく、という姿になってくるわけです。
 木口 なるほど。よくわかります。
 ―― 素晴らしい法理です。大いなる煩悩は、民衆救済への偉大なるエネルギーへと転換していくことになる。
 木口 凡智では、計り知れない仏法の卓越した生命観ですね。
 これこそ偉大なる「変革の原理」ですね。
 池田 ともあれ、道遠きようであるが、この一個の人間存在を確実に変革しゆく道こそが、確かなる平和への第一歩といってよいでしょう。
 木口 まったく、そのとおりだと思います。その意味で私は、生命尊厳、人間主義である仏法の「中道」のいき方に共感をおぼえますね。
11  地球破滅を回避する方途は仏法
 ―― 先日(一九八四年一月十四日)、名誉会長と対談したハーバード大学の平和と開発問題にたずさわるモンゴメリー教授も、「中道の拒否は“死せる平和運動”、賛成は“生きた平和運動”」と創価学会の平和運動を高く評価しておりましたね。
 池田 ええ、たいへんに楽しく有意義な語らいでした。
 教授は、ハーバード大学の政治学部長という立場にありながら、まことに謙虚で温厚な方でした。かつ学者らしい鋭い目をもっていた。
 私の数年来の友人である平和学者のペイジ・ハワイ大学教授も、ストックホルムの世界未来研究連合会に出発する寸前のようでしたが、一緒にこられました。
 ―― そのようですね。
 池田 ともあれ、政治や経済の革命もあった。産業や科学の革命もあった。だがその革命は、常に新たな別の問題をもたらしてきた。
 木口 まったく、そのとおりです。
 池田 ゆえに私は、人類に残された最後の革命は「精神革命」、さらに言えば「人間革命」にあると思っております。
 ―― まったく同感です。ペイジ教授も、「私はそれを、非暴力による革命と呼んでいる」と、名誉会長とまったく同じ志向性であると言っておりましたね。
 池田 ですから私どもは、この破滅の道を回避する方途は、人間原点に立った、すなわち仏法による運動以外にないと、常々訴えているわけです。
 木口 なるほど。
 池田 日蓮大聖人は、その具体的方法を、「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」とご教示されております。
 ―― 六識とは、どういうことなのでしょうか。
 池田 簡単に言いますと、人間が生きていくうえで意識される感覚や心の六つの働きのことです。
 「目、耳、鼻、舌」の四識、「身」の五識、さらには「意識」としての心の働きを含めての六識です。
 ―― なるほど。よくわかります。
 池田 この六識は、いわば日々の生活のなかで、家庭や、社会での人間の営みを創造せしめゆく働きとみてよいでしょう。
 ゆえに信仰は即生活でなければならない。深山幽谷に閉じこもっての仏道修行ではない。また一人だけの信仰もありえないと思います。
 木口 なるほど。
 そうすると一般には九識というのでしょうか、なにか「悟り」の境地に達することが仏道修行の目的のように思われていますが。
 池田 通途の仏教においては、そういうことになるでしょう。
 そのために歴劫修行といって、数世にもわたる長く厳しい修行を経て“法”の覚知があるとした。
 しかし、それだけにとどまるのでは、自己満足にすぎなくなってしまい、また厳しい現実社会の変革の論理にはなりません。
 ―― そのとおりです。宗教というのは観念の遊戯であってはいけませんね。
12  目ざめた人々の運動こそ平和への力
 池田 ですから、文底独一本門たる大聖人の仏法においては、この仏法自体が有する絶大な仏力・法力によって、ただただ「南無妙法蓮華経」を唱えることにより、因果倶時で、ただちに九識という尊極の生命に事実のうえで立脚することができる、と説かれているわけです。
 つまり「心地を九識にもち」とは、わが胸中の心の奥底に、「九識心王真如の都」たる南無妙法蓮華経を信受して、九識の生命に立脚することである。
 また「修行をば六識」とは、九識の生命を根幹として、こんどは六識の生活や社会に積極的に働きかける。
 人々に貢献し、平和な楽土を築くために行動する。さらに、多くの人々が安穏なる日々を送るための指標を与える。――つまり人間が安心して、豊かに暮らしていける社会の建設、いうなれば、仏国土をつくりあげゆくための布教や実践活動を、さすのだと思います。
 ―― なるほど。人間の個の確立というものの具体的姿は、あくまでも時代、社会のなかにおいてのみ発揮されるべきであるということになるわけですね。
 池田 そのとおりです。ゆえに妙法は、行き詰まりの現代社会にあって、人々に無限の創造性をもたらす。そして、生き生きとした活力を与えゆく「蘇生の法」といわれるわけです。
 そしてその妙法を基調とした、目ざめた人々の運動こそ平和への確かなる力となり、波動となっていくと信じております。
 木口 自らが常に向上し、充実した生き方をするなかにこそ、真実の平和運動の軌跡がある……。
 ―― 汗水流して仕事に励む。子を育て家庭を守る。また勉学にいそしむ。その日常生活のなかで、人々に強靭なる「平和への意志」を広げゆくことは、決してムリがない。
 またそうでなければ、運動の永続性もなくなってしまう。
 木口 まったく同感です。平和運動の理想ですね。
 ―― 先日、ヨーロッパに長期滞在し、いちじ帰国した友人から、次のような話を聞きました。それは、彼が欧州国連本部のジャイパール氏に会ったときの話です。
 池田 そうですか。ジャイパール氏は、ジュネーブにいて国連事務次長を務めている人物ですね。
 ―― ええ。
 氏は、「これまでの反核・平和運動は、どうしても反権力・反政府運動のみに偏りがちだった」。
 木口 そうですね。
 ―― 「それに対し、創価学会の平和運動は人間生命尊厳の理念を根底に、幅広く民衆の覚醒をうながすという意味で、これまでの運動とはまったく違っており、私は心から共感をおぼえる」と述べていたそうです。
 木口 なるほど。よくみておりますね。
 ―― さらに「今後も、全面的に支援していきたい」と、熱っぽく語っていたそうです。
 木口 心ある人々は、人間に光をあてた運動に着目し、かつ確かなる希望を見いだしていますね。
 ―― 最後になってしまいましたが、木口さん、なぜ二月が「閏月」なのですか。
 木口 古代ローマの暦では、いまの三月が一年の始まりになっていました。当時の閏年というのは、一年の終わり、つまり二月の最終日に一日加えていたわけです。
 ―― ああ、そうですか。その習慣が、そのまま今日の暦にも引き継がれてきたわけですね。
 木口 そのようです。
 ―― 「閏」という文字は、ふだんあまり使われませんね。
 池田 そうですね。この文字には、なかなかおもしろいいわれがあるようだ。
 『大漢和』などをみると「告朔の礼、天子宗廟に居る。ただ閏月は門中に居る」(『説文』)という言葉から派生したとありますね。
 木口 昔は、王様は毎日宗廟へ行く習わしだったそうですね。
 池田 そうです。ところが、王様は閏月には門外に出歩くことをしなかった。文字どおり、門の中に王様がいた。(笑い)
 この字は、こうした意義から生まれたとされているようですが。
 ―― なぜ外に出なかったのでしょうか。
 木口 そのころ、中国で使われていたのは太陰暦ですね。この暦では、ひと月は二十九日か三十日になります。
 したがって、一年に十数日が余りました。そこで三年、あるいは五年、十九年という割合で閏月をおいて調節しました。
 池田 ですから閏月は、余分な月であったわけです。この月に亡くなっても、数年に一度しかこないので、この月に命日を定められなかった。
 だから王様も、宗廟に参る必要がなかった(笑い)、という説を聞いたことがありますが。
 木口 それにしても、いかにも“文字の国”らしい発想ですね。(笑い)
 ―― そのころの日本には、まだ正式な暦がなかったと思いますが。
 池田 そうですね。
 まえに調べてもらったのですが、中国の有名な『魏志倭人伝』(中国の史書、日本古代史に関する最古の資料)の裴松之の注に「その俗、正歳四時を知らず、ただ春耕秋収を記して年紀となすのみ」とあるように、倭人はこよみを持っておらず、ただ春耕、秋収をしるして、年紀となす、と記されています。
 ―― 暦という日本語は、もともと「日読」といい、日を数える――つまり、太陽が昇るのを数えるところから起こったそうですが。
 木口 ええ、それにしても、中国にはたいへんに進んだ暦が昔からあった。
 池田 そのようですね。この中国のすぐれた暦も、じつは仏教の影響が強く反映したようです。
 古代インド仏教の経典である「摩登伽経」「二十八宿経」「大集経」「宿曜経」などに記された考え方が、一つの基準となってできあがっています。
 木口 そうでしたか。そうした事実はあまり知られていませんね。
 ―― 古代インドにも、仏法の宇宙観の影響から、すぐれた暦の発達がみられたようですね。
 木口 なるほど。中国ではそれを応用し、八世紀ごろには、世界で最も進んだ暦を使っていたわけですね。
 ―― そのころ、仏教の宇宙観をふまえ、天体の運行をまとめた『大衍暦』というものもあったそうです。
 これは五十二巻にわたるもので、奈良時代に日本にも渡ってきたそうです。
 木口 ああそれは、世界の科学者がその見事な計算法に驚嘆した、というものではないでしょうか。
 たしかに仏法の宇宙観は、直観的なものであったかもしれませんが、不思議と現代科学と合致するところが、じつに多いですね。

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