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日蓮大聖人・池田大作

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第八章 “生存の危機”と仏法…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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2  いつまでも鮮烈な「死」の光景
 ―― 飛行機事故で思い出しましたが、もう十数年前のことですが、取材でたいへんにお世話になった、ある新聞社の記者が、モスクワ郊外に墜落した飛行機に乗っていて亡くなったときは、私も愕然としました。一日中、白日夢のようであったことを強く記憶しています。
 木口 私は若いもので、そうした体験はありませんが、池田先生は事故死のようなものに直面されたことはありますか。
 池田 いくつかあります。それは戦後まもない昭和二十三、四年(一九四八、九年)のことと思いますが……。
 静岡の田舎道で、少年がバスにひかれて亡くなった。そこへ、父親でしょう……。真っ青な顔でとんできて、その子供の骸に、名前を呼びながら「なぜ死んじゃったんだ。なぜ死んじゃったんだ」と慟哭していた光景は、いまでも忘れることはできません。
 木口 そうですか。なんともいえない、かわいそうな姿ですね。
 ―― そうした記憶は、いつまでも鮮烈に残りますね。ほかにもありますか。
 池田 そうですね。小学生のころ、当時は、現在の東京・大田区の糀谷に住んでいました。
 学校の帰り道、いまの第一京浜国道で、鉄材をたくさん積んだトラックから、なにかのはずみでその鉄材がくずれ、乗っていた職人でしょう……。完全に挟まれてしまって、身動きできずに血だらけになっていたことがありました。
 その人が亡くなったかどうかは、わかりませんが、ともかく、そのときの恐ろしい場面は、いまでも脳裏に刻みつけられてしまっています。
 鋭敏な少年時代に、あまりそうした光景は見ないほうがいいと思います。
 木口 そうですか。そういうこともありましたか……。そのとき、死というものが、恐ろしいものと感じましたか。
 池田 強く感じました。死を、恐ろしい、怖いと思う気持ちが刻み込まれてしまいました。
 木口 まだありますか。このさい、自分の将来のためにも、いろいろとうかがっておきたいと思います。(笑い)
 池田 もう一つ、記憶にあります。これは戦前のことです。
 家の近くに、呑川という川があった。日曜日で、ハゼ釣りか、なにかの舟だったのでしょう。それに乗っていた一人が、なにかの拍子で川に落ちて、大騒ぎになった。大勢の人が、それを見に集まった。私もそのなかに入って、死体が揚がってくるのを見ました。
 二十五、六歳の青年でしょうか。着物姿であったことが、深く印象に残っております。
3  事故死はまさに「諸行無常」
 木口 そうですか。楽しみにしていた休日で、きっと朝は元気だったのでしょうが、しばらく後には、死という粛然たる姿になってしまうとは無常ですね。
 池田 大、小にかかわらず、このような事故死というものは、見るにしのびない。
 まさしく「諸行無常」という法理に、ピッタリの現実ですね。
 ―― このたびの大韓機事故で亡くなった方々のご遺族の悲しみは、言語に絶するものだと思います。
 池田 「老少不定は娑婆の習ひ会者定離えしゃじょうりは浮世のことはり」との御文に、私はたいへん感銘をうけます。
 これこそ人生であり、社会であり、最高の厳しさである。
 木口 まったく、そのとおりですね。
 ―― 戦後も、いろいろ大きな事故がありましたね。
 木星号の墜落(一九五二年四月九日、日本航空機が伊豆大島三原山に衝突。死者三十七名)、桜木町(五一年四月二十四日、根岸線桜木町駅で国電パンタグラフが発火、二両全半焼。死者百六名)や三河島(六二年五月三日、常磐線三河島駅で貨車が安全側線に突入脱線。そこへ下り国電が衝突脱線、さらに上り国電が衝突し脱線転覆。死者百六十名)や鶴見(六三年十一月九日、東海道本線鶴見―横浜間で下り貨車が脱線、そこへ上り電車が衝突脱線して下り電車側面に突っ込む。死者百六十一名)の電車事故、洞爺丸の沈没(五四年九月二十六日、台風のため青函連絡船「洞爺丸」が函館七重浜海岸沖で転覆。死者千百五十五名)等々、数えれば数かぎりありません。
 木口 交通事故などは、あまりにも日常的になってしまった。ですから、怖さの感覚が、だんだんと薄れてしまっている感もしますが、これは恐ろしいことですね。
 ―― 年間では、死者が昨年(一九八二年)でも、九千七十三人という数にのぼっています。
 日本でも事故死は、たいへんな数になりますが、世界に広げてみれば、異常な数と言わざるをえませんね。
 木口 そうした目に見える事故だけでなく、精神的な抑圧、人間の疎外感、虚脱感といった目に見えない現代病といったものが、私たちのまわりにはあまりにも多いと思います。
 現代ほど、人間が生きにくくなった時代はないのではないでしょうか。
 ―― 科学の進歩に反比例して、生命の危機というものが、高まってきたことは、たいへんな悲劇ですね。
4  戦争は「死」という危機の極限
 木口 たとえば、原子力の平和利用も、克服しなければならない多くの課題が残されています。この問題も、決して安易に考えてはならないと思います。
 池田 たしかに、現在は人間それ自体の危機の時代と、とらえることができるでしょう。
 木口 私もそう思います。
 ―― 戦争というものは、「死」という危機の極限のかたちですから、いちばん「死の力」がはっきり出てくるのではないでしょうか。
 池田 そうです。戦争になれば、人間は、「勇気」や「愛情」をふだんと比べものにならないほど、強く出そうとするものです。
 しかしそれは、「生」のためではない。「死」との対決のためです。
 木口 なるほど。
 ―― まえに、仏法が生命のひとつの境界を描いた説話として、餓鬼道に堕ちた目連尊者の母親の話をうかがいました。
 飢える母親に水や食物を与えても、みな火になり、ますますそれが燃えさかる。
 餓鬼界の命が支配するところでは、人間本来の親子の情愛も、餓鬼界の生命に支配されてしまうという話には、深い示唆がありますね。
 池田 そうです。「勇気」は、人間本来の美徳を生き生きと、輝かせていくものでなければならない。
 また「愛情」も、美しく、さわやかに輝きわたらせていくものでなければならない。戦争の場合は、それが逆に、その「勇気」が人を殺す「勇気」に変わってしまう。
 その「愛情」が、国のため、妻子を守るためという殺戮への大義名分になってしまう。それでは、あまりにも痛ましい。悲劇の「勇気」と「愛情」と言わざるをえません。
 木口 そのとおりですね。そうした美徳も、時と場合によって、両面性がありますね。
 ―― この「勇気」や「愛情」は、本来、平和とか幸福のために発揮され、妻や子供のためにそそがれるべきものが、そうしたかたちになってしまうことは、たいへんに不幸です。
 木口 まえにも、自殺についてのお話がありましたが、戦争は、いわば「他死」ということですが、最近は、「自死」、自ら命を断っていくことが、急激に増えている感があります。
 これなど、どう考えても、なにかが狂っているとしかいいようがありませんね。
 ―― 一家心中などは、あとに残しては、かわいそうだからといって、いたいけな子供を道連れにすることがあまりにも多い。
 それが、せめてもの親の愛情だと、思い込んでいるのでしょうか。
 池田 この「悲惨」の二字を、この世から消していこうと努力することが、仏法者の使命です。
 希望に満ちた「生の力」は、すべてが「生」の「生命」へと合流していく。
 反対に、暗き「死」にとらわれた「生命」は、すべてのものが「死」に向かいゆく方向にと、合流してしまうようです。
 この内奥の「一念」を、深く堅固にたもちゆくことが、目に見えないようですが、じつは、人の一生を左右しゆく、最も大事なこととなるのではないでしょうか。
 そこにひとつの信仰の力というものが提示されると、私は思っております。
5  「貪、瞋、癡」にそめられた生命とは
 ―― なるほど。生きようとする力が強いかどうかですね。
 それにしても、最近は、安易に「死」を選ぶ傾向が目立ちますね。
 「死」を選ばせるような痛苦を感じるというのは、何が原因なのでしょうか。
 池田 戸田先生は、よく「幾多の生命流転の途上に、みな誤った生活が生命にそまって、一つのクセをもつことになる。そのクセをつくるもとが、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)等のもので、これによって種々にそめられた生命は、宇宙のリズムと調和しなくなって、生命力をしぼめていくのである。このしぼんだ生命は、宇宙の種々の事態に対応できなくて、生きること自体が苦しくなるので、すなわち、不幸なる現象を生ずるのである」というように指導されていました。
 木口 なるほど。だれもが、そうした生命のクセをもつ可能性がありますね。
 ―― いまお話のあった「貪」とは、どういうことですか。
 池田 一言にして言えば、「貪欲」といわれるように、エゴのかたまりといえるでしょう。それは、感謝の心がなく、どんなに恩をうけ、どんなに親切をうけても、常に憤懣ばかりもっている。そうした満ち足りた心を知らない人間の心の状態といえるでしょう。
 そこで、これを客観視してみれば、それらの状態の人々は飽くなき欲望の虜であり、仏法の目からみるならば、すべて餓鬼界の姿となっているわけです。
 木口 なるほど。厳しいですね。われわれ現代人は、たしかに、些細なことにも、憤懣が噴き上げてくる精神状態におかれつつありますね。(笑い)
 ―― 「瞋」とは、目をカッと見開くという文字ですね。
 池田 そうです。
 強い怒りに支配された地獄界の生命です。生命の奥底から突き上げてくる、自分ではどうしようもない怒りと苦しみの状態です。この人は、心を燃やしながら身を滅ぼし、地獄に堕ちるといわれます。
 私も、よくみかけてきました。(笑い)
 ―― 「癡」とは愚という意味ですが、物事の筋道がわからなくなってしまうことですか。
 池田 そのとおりです。
 仏法では、「癡は畜生」と断じますが、理性を失い、本能をそのままむきだしていく状態といえるでしょう。ですから、「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」と説かれています。
 木口 なるほど。仏法は、自殺という行為の生命状態を、深くとらえているのですね。
 たしかに、自殺が多いということは、それだけ、われわれの時代が生きづらく、息苦しくなっている、人間自身の躍動性がなくなってきているという、ひとつの証明ともいえますね。
6  現代が「五濁悪世」といわれるゆえん
 ―― 仏法では「貪・瞋・癡」を「三毒」といいますが、なぜ「毒」としたのでしょうか。
 池田 「法華経」に「毒気深入」と説かれています。
 この「毒」には、簡単に言えば、人間本来の善性が犯され、溶けて、腐敗してしまうという意義があります。
 病には身体の病もあるが、心にもまた、この三毒によって「三界の一切の煩悩を摂す」(「大乗義章」)と説かれているように心の病もあるのです。
 この毒は沈毒といい、「脳壊の甚しき」という、恐ろしいものなのです。
 これは病原菌のように、今世の生命を破壊していくだけではなく、妙法に縁しないかぎり、三世にわたると説かれています。
 木口 なるほど。苦しみから逃れようと思って自殺しても、そこで苦しみが断たれるわけではない、ということになりますね。
 池田 そのとおりです。釈尊自身が、末法という時代をさして、「五濁悪世」と断定しています。
 現代社会は、そのとおり三毒強盛の生命の汚れ、濁りの社会となってきてしまった。
 木口 その「五濁」とは、どのような状態をいうのでしょうか。
 池田 これは、ぜんぶ「法華経」に説かれる言葉です。簡単に、わかりやすく申し上げれば、
 「劫濁」とは、時代の濁り、
 「衆生濁」は、人間社会の濁り、
 「煩悩濁」は、人間の本能的な迷い、
 「見濁」は、思想の濁り、
 「命濁」は、生命それ自体の濁り、
 ということです。
 ―― なるほど。それを広げて言えば、公害の濁り、日本もアメリカもゴミ処理に困っている濁りがある。
 池田 大聖人は「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」とおっしゃっておられる。つまり人間の善も悪も、また法性(悟り)も無明(迷い)も、その根本の本体を「元品」と名づけ、一つであると説かれているのです。
 また、元品というものは「悪縁に遇えば迷と成り善縁に遇えば悟と成る」とも説かれています。
 ―― すると人間には、性善、性悪がともにそなわっており、「縁」によって善にも悪にもあらわれる。どちらかだけであるということはないわけですね。
 池田 そのとおりです。
 木口 最も、自然な考え方であり道理だと思います。
 池田 そこで、末法は「三毒」が基本となって、人の心を支配している。ゆえに当然、生命が濁り汚れている、ということになります。
 ―― そうしますと「五濁」のなかでも、最も重要なのは、「命濁」というとらえ方になりますか。
 池田 そうかもしれないが、依正不二の原理で、やはり他の四つの濁りと「命濁」は連動されていくでしょう。
 ―― 当然、関連性となるでしょうね。
 池田 そこに、釈尊も、天台大師も、末法においては、日蓮大聖人も、この元品の、人間生命のもつ不幸の根源である「無明」を冥伏させ、また断ずることが、一切の善性を湧現させ、幸福と社会の安穏をもたらしゆく法であると、お説きになっているのです。
 木口 なるほど。私ども天文学者は、宇宙の広がりばかりを追っていましたが、たしかに、自分自身の内なる宇宙、一念とも、一心とも、元品ともいうようですが、その自分自身の奥の奥に光を当てられてきたような気がいたします。
 池田 これ以外に、いかに有形のものが繁栄し、進歩しても、永遠にわたる人間それ自体の真実かつ最高の生き方はない。また、正しい方軌にのっとった生き方はない。幸せへの蘇生もない。
 ―― 現代は、多忙すぎて、静かにその一点を見つめようとするいとまがないように思いますが。
 池田 いや、そういえばそうかもしれませんが、真実の生死観を確立することは、すべて自分自身のためです。また、永遠の平和社会を志向するならば、まず、この一点を凝視することから始めるのが道理ではないでしょうか。
 いくら忙しいからといっても、一生は「光陰矢のごとし」で、何をなしたかもわからないで、一瞬のうちに終わってしまうことも考えなければならないでしょう。
7  人間の「寿命」とはどういうことか
 木口 「生」から「死」の間を一般的に寿命といいます。宇宙のありとあらゆる恒星も惑星も寿命というものがあります。
 いわゆる人間の「寿命」とは、どういうことなのでしょうか。
 池田 「寿命」という文字の意味は、ふつう「寿」とは、文字の上の「●」が、髪の長い老人の姿を表し、下の「寸」の部分が曲がった足を表している。
 また、「ノ」と、一筋長く引き延ばしているのは、命が長く延びることを願っているとも、いわれております。
 ―― 各種の辞典を見ても、そのように出ております。
 池田 そこで、仏法では三界六道というこの世界に生まれきたありとあらゆる生命が、それぞれ、その命の量が一定であると説き、これを「寿量」ともいっております。
 ―― すると、「法華経」「寿量品」の「寿量」という意味は、どういうことになるのでしょうか。
 池田 それは、端的に言うならば、「永遠の生命」ということであり、また、三世にわたる生命ということです。
 これは、人寿の次元からもとらえられますが、とくにこの「寿量品」は、仏寿が三世永遠にわたることを明かされたものです。
 木口 なるほど。人寿、仏寿となると、天体でいえば、惑星は“惑寿”、恒星は“恒寿”となりますかね。(笑い)
 池田 そこで、それぞれの人が、もちきたっている宿業により、もはや寿命が定まっていることを「定業」といいます。
 ―― すると、定業とか、運命とか、宿業とかいう言葉は、同じような内容をもっていると考えていいでしょうか。
 池田 多少のニュアンスの違いはあるかもしれないが、だいたいは、同義ともとれますね。
 ただ宿業のほうが、定業よりも広い意味をもっています。
 木口 天文学でも、定業とか宿業とか考えざるをえないものがあります。
 池田 しかし、そのきまった寿命でも、なんらかの悪縁によって、病気になったりして、それよりも早く亡くなってしまうこともある。
 また逆に、仏法では妙法によって寿命を延ばすこともできるという、まことに深い法理があり、偉大な力があるのです。
 ―― なるほど。「定業」ですか。寿量の「量」から考えると、なにか運命的なものをはかる計算器のようなものがあるのでしょうかね。
 生物の一生というのは、「ゼンマイ時計のネジが、徐々に戻り、止まったときが死だ」と言った人がいます。いまは、電池が切れたらということでしょうが。(笑い)
 木口 生物学者のなかには、あらかじめ定められた寿命があるのではないか、と研究している人もいますね。
 ―― ドイツのハイルブラウンなどですね。彼は、動物のなかで最も大きい象と、逆に小さなハツカネズミの心臓の収縮を、実験で比べています。
 両者の一生のうちの収縮数が、象が七十歳として十・二億回、ハツカネズミが三・五歳として十一・一億回と、非常に数字が近くなっていると報告しています。
 木口 あらかじめ潜在する生命エネルギーが定まっているのではないか、ということですね。
 ―― この研究は、『サイエンス』というアメリカの権威ある科学誌にも紹介されたことがあります。
 池田 まことに、寿命ばかりは、はかりがたしですが、おもしろい研究ですね。
8  風習にみる日本人の「死生観」
 ―― ところで、先日、今年(一九八三年)の百歳以上の全国長寿者の番付が発表されましたが、やはり、だれからも祝福される慶事ですね。
 池田 そうですね。
 たいへん、うるわしい姿です。また、よく生き抜かれたものと感嘆します。立派なものです。
 沖縄などでは、元旦の朝早く、女性や子供が、長寿者の家を訪ね、挨拶するという風習が、長くつづいていたと聞いたことがあります。
 ―― 私も最近、同じような話を聞きました。また、社会的に功労があった人が亡くなると、皇室から供物が届けられることがあります。
 その人が、あるていど、長寿をまっとうして亡くなった場合、紅白の重ね餅が届けられるそうです。
 木口 普通、お葬式では考えられないことですね。
 ―― これは、皇室というものが、古来、伝統文化の中心でしたから、長寿を祝うという、昔からのしきたりが残っているのかもしれませんね。
 木口 いずれにしても、人は、長寿で楽しく、豊かに充実しきった人生を送りたいものですね。
 池田 ともかく、人間として寿命をまっとうし、自然死できることが、だれしもの願いでしょう。そのためにどうするか、ということが、当然のことながら、大きい課題となってくるわけです。
 ―― 先日、読者の方から、人が死んだとき、いろいろな言い方をする。一般的には、「死去」「死亡」「永眠」などといいますが、ほかにも言い方があるのでしょうか、この点を名誉会長にうかがってほしい、という要望がありましたが。
 木口 おもしろい質問ですね。
 池田 それについては、ある古文書に、仏の死を「涅槃」といい、天子の場合は、「崩御」、諸侯は「薨」、智人は「遷化」あるいは「逝去」、将軍には「他界」と記されています。
 ―― なるほど。すると、一般の人に対しては、やはり「死去」「死亡」「永眠」ということでしょうか。
 池田 そうですね。その古文書では、平人については「死」ともいい、「遠行」とも載っています。
 ―― すると、牛や馬などの動物が死んだ場合は、なんというのですか。(笑い)
 池田 それは、「斃」といわれている。そこで、もし人が不義を行えば、牛馬と同じであるゆえに「多く不義を行えば必ず自ら斃る」ということも記されています。
 木口 なるほど。そうでしたか。そうした深い意味合いがあるものとは知りませんでした。
 ―― 日本語の場合、なぜ、こうした多くの「死」の表現があるのでしょうか。
 池田 おもしろい質問ですね。英語では、だいたい「death」で表現していますね。それは、中国文化や思想の影響が、たぶんにあると思いますが、ともかく、日本人独特の感受性による死生観が、反映したとみるべきでしょうか。
 ―― 善し悪しは別としまして、針や筆のようなものでさえ供養するという習俗が残っている例は、外国では少ないですね。
 池田 日本人が、まことに繊細な感受性をもってきたことは事実である。現代は、どうだかわからなくなってきましたが。(笑い)
 そうした民族が、「死」という、人間にとって究極的かつ最大の課題を、単純にひとつの言葉で言い表すことは、できなかったのであろうと、私はみています。
 木口 なるほど。なるほど。
 池田 そこで、「死」という文字ですが……。これは、「歹」(ばらばらの骨の意)と「匕」(人が倒れて死ぬこと)を意味し、二つ合わせて「人の命が尽き果てる」となります。
9  「死」は古来からの最大の恐怖
 ―― なるほど、よくわかります。
 それと、一方には、死後の生命を表現する言葉として、一般に「魂」とか「魄」とかいうことがあります。
 つくりは「鬼」ですが、これは、どう考えたらいいのでしょうか。
 池田 「鬼」という文字は、もともと死者の形相をそのままかたどった、といわれています。
 木口 なるほど、よくみると、たしかに死の苦痛を象形しているようですね。
 池田 ですから、「死」という実感が文字に表れてきたのでしょうか。
 多くの人が、臨終の苦しみをもって亡くなってきた。その人間の、どうしようもない苦悶の表情というものを、表そうとしたのではないでしょうか。
 ―― そうですね。その死の姿というものを見て、肉親や友人までが、悲惨な形相に変わっていってしまうことも、依正不二の一つの姿でしょうか。
 池田 そのとおりです。無残な死に接した場合、その肉親の方々の深い苦しみ、悲しみの姿は、本当に見るにしのびない。
 ですから、一般に「死」というものは、古来から、最大の恐怖であったとされているわけです。
 ―― さまざまな、土俗信仰も「死」に対する恐れから起こっていますね。
 池田 そうです。苦しんで死んだ「怨霊」には、祟りがあるという考え方ですね。
 木口 若死にしたり、不慮の死を遂げたような場合、「若宮」としてまつる風習の地方もあるということを聞いたことがあります。
 ―― また、非業の死や恨みをのんで死んだ場合、「怨霊信仰」というのもありますね。
 歴史的に有名なのは、菅原道真(平安初期の学者、政治家。北野天満宮に学問の神としてまつられる)とか、平将門(平安中期の武将。神田明神などにまつられる)、佐倉宗吾(江戸時代前期、百姓一揆の指導者として妻子とともに処刑された義民。宗吾神社などがある)などですね。
 木口 「死」に対する恐怖や無知を利用して、念仏などが広まったといわれていますね。
 池田 そのとおりですね。この世は、苦しみばかりの穢土である。念仏さえ称えれば、極楽往生できると聞いた人々が、こぞって自殺した――という、まことに狂ったとしかいいようのない、不幸な史実もありましたね。
 木口 いまでも、われわれのまわりには、相当の教養ある人でも、「仏滅」や「友引」にこだわるのを見聞きします。そうした「死」に対する恐怖感や、無知から抜けきっていませんね。
 池田 そのようですね。こうした習わしは、古代の「陰陽道」から派生し、通俗化したものでしょうが、裏づけのない迷信であり、根拠のない俗信という人もいますね。
 ―― 「仏滅」というのも、もともとは「物滅」という文字だったが、「物」よりも「仏」のほうが尊く、庶民のうけがいいということから、いつしか変わってしまった。まったく根拠のないことだという学者もいます。
 木口 なるほど。そうでしょうね。
 ―― 極端な「友引」の信じ方に、岡山県のある地方では、兄が死ぬと、弟を呼びにくるといって、日ごろの呼び名を変えるという風習が、いまでも残っているそうです。
 池田 そうですか。「死」に対する恐怖や観念ほど、根強く人々の心を暗闇にしばりつづけてきたものはない。
 木口 まったく、そのとおりだと思います。陰陽道にしても、いまから千数百年前の平安時代に流行したものですが、それが迷信化してしまっている。
 池田 そうですね。もちろん、古い観念だから問題だというのではない。
 古くとも、いまもなお人々の生活の知恵として、生き生きと生きつづけ、価値あらしめているものも少なくないわけです。
 だが時代が移り、文明が進歩し、政治や経済の体制が百八十度転換しても、なかなかこの「死」についての考え方だけは、古代の観念が意識の底に深く、重く沈殿してしまっていると言わざるをえない。
 ―― そのとおりですね。民俗学者のなかには、「常世」とか「他界」を信じる古代の宇宙観の影響だという人もおります。
10  現代人は「死」を避けている
 木口 天文学上からみましても、昔の宇宙観には、その時代なりの宇宙観がありました。
 それが、説話や民間伝承として残るのであれば、現代のロマンということで結構でしょう。だが「死」という、人間にとっての最大の出来事を、いまなお無意味な風習とからみあわせて考えることは、ちょっとどうかと思いますね。
 池田 どうやら、現代人は「死」というものを、真正面から見すえることを避けてしまっている。
 その理由は、さまざまあるでしょうが……。
 深く「生死」を考えていくならば、これは万人が避けて通るわけにはいかない、絶対的な道である。
 そこに大光明の道を見いだすことが、どうしても必要となってくるわけです。
 木口 そうですね。天文学者たりとも人間です。政治家、経済人もすべて人間です。人間には、必ず「死」がある。この「死」という問題の解明ができれば、本当に幸せであろうと思います。
 池田 そのとおりです。「死」を避けるということは、死の本当の姿が、怖いということかもしれない。たとえば、地獄の苦しみで死ぬかもしれないということが、無意識のうちに、自分自身の生命に記憶されているのでしょうかね。
 ―― そう思います。きょう(一九八三年九月十五日)は敬老の日で、テレビで中曽根(康弘)首相が、会田雄次氏(京大名誉教授)らと、これにちなんで語っておりました。
 老後を楽しく過ごすにはどうしたらよいか、という内容で、「死」という問題までは触れていなかったのですが、よく考えてみますと、われわれのまわりには、苦しんで死んでいった人ばかりがいるわけではない。悔いない人生を送り、静かに、楽に亡くなっていく人も多くあるわけです。
 池田 まったく、そのとおりです。ですから、静かに眠るがごとく死ぬことができる、という自信が、自分自身に対してもてれば、これほど幸せなことはない。
 たしかに、一般的にはさまざまな死の姿を見聞きして、死は恐ろしいものときめてしまっていることが、多いことは事実です。
 しかし、逆に死を安らかに迎えうることができる、ということも、これまた事実だということを知らねばならないでしょう。
 木口 たしかに、そのとおりですね。
 池田 そこで、その後者を確実ならしめる「大法」を持つことは、人生において、最も大事なこととなってくるのではないでしょうか。
 ―― なるほど。そのとおりだと思います。
 池田 そうした、さっぱりした、さわやかな死生観をもてることは、毀誉褒貶の、利害や打算にしばられた人生からは想像もつかない、幸せな人生といえるでしょう。
 木口 そのとおりですね。もし、そのような人生観をもつことができれば、素晴らしいことですね。
 池田 「死」は、だれびとも避けることはできない。教会の神父であろうと、いわゆる宗教家であろうと、またいかなる階層の人であっても、あすは、わが身のこととなるわけです。
 だが、ふだんから多忙のためか、それを実感することは、なかなかむずかしいようですが、ただひとつ言えることは、真剣に生の根源を見つめていこうとする人には、その延長として「死」というものを看過することはできなくなってくるという事実です。
 ―― 数日前の「朝日新聞」の投書欄に、ある老人から自分は老人ホームに入っていて、いろんな人が慰安にきてくれる。だが「自分たちが最も恐れている死については、だれも教えてくれはしない」というような声が出ておりました。
 池田 そうですか。その一言は千鈞の重みがありますね。
 木口 いまの世の中、死を語る人はいますが、それを解決してくれる人はいませんね。
 ―― こうした人々の不安に便乗した、無責任な商魂たくましい姿もありますね。いまの一般的宗教家といわれる人たちにも、「死」の企業化を考えたりしている連中がおりますが、じつは生死という問題を自分自身、解決できない。だから、平然とそうしたことができるのではないでしょうか。
11  金星の一年は“約二日”
 ―― ところで、明の明星、宵の明星として親しまれている金星が、十月一日(一九八三年)に、地球に最も近づき、昼間でも光っているのが見えるようです。
 木口 ええ、私たちからみて金星は、太陽、月についで明るい星です。
 太陽からの光を、地球の二倍も受けているので、それだけ光を多く反射します。また、地球に最も接近する惑星です。
 池田 昨年の春、ソ連のロケットが金星表面に軟着陸し、鉛も溶けるような高温下で、カラー写真の撮影に初めて成功しましたね。
 木口さん、金星の昼間は、どのくらい明るいのですか。
 木口 まだ、はっきりはわかりませんが、カラー写真を分析すると、冬のモスクワの曇り空の、お昼ごろの明るさだそうです。(笑い)
 池田 そうですか。だいたい想像できますが。(笑い)
 なぜ太陽の光を地球の倍もうけているのに、暗いのですか。
 木口 金星は厚い大気で覆われているからです。地球も、できたてのころは同じ状態でした。
 ―― その大気は、何でできているのですか。
 木口 大部分が、炭酸ガスと水蒸気です。
 ―― そうしますと、地球の炭酸ガスの場合は、どこにいったのですか。
 木口 ほとんど、岩石のなかに含まれてしまいました。
 ―― そうですか。それはどんな石にですか。
 木口 最も典型的な石は、石灰岩です。
 池田 大気のなかの水蒸気は、どこにいったのですか。
 木口 地球の表面が冷えるにしたがって、水になり、それが海になりました。
 そのとき同時に、大気中の炭酸ガスも海水に溶けこみ、だんだん沈殿して、それが積もって岩石になったわけです。
 ―― そうですか。なぜ金星には炭酸ガスが大量に残っているのですか。
 木口 いま申し上げたように、太陽からの光が強いために、その熱で、水蒸気は水素と酸素に分解されてしまいます。
 水素は軽いので、宇宙に逃げてしまい、大気中には酸素と炭酸ガスが残ったようです。ところが酸素のほうは、しだいに金星の地表に降りて、大地を赤茶けたように酸化させました。
 それで、いまのように炭酸ガスだけが残りました。
 池田 なるほど。
 太陽からうけた熱量によって、水ができるかどうかが決まってしまう。
 そして、水によって星の運命が決定されてしまう、ということですね。
 木口 そのとおりです。
 火星は、地球より太陽に遠いので、水は永久凍土になって、地表に閉じこめられたままになっています。
 ―― なるほど。「水」というのは生命発生と密接な関連性があるわけですね。
 木口 そのとおりです。
 池田 金星は、月と同じように、満ち欠けがありますね。
 木口 ええ、それについては、有名なエピソードがあります。
 ガリレオが、金星の満ち欠けを、自分でつくった望遠鏡で観測して、あの四面楚歌のなかでも彼は、一層、地動説に対する確信を深めたといわれています。
 ―― なるほど。そうですか。
 ところで、金星が地球に接近するときには、金星はいつも同じ面を地球に向けているそうですね。月は常に同じ面を地球に向けていますが、金星も同じような理由でそうなっているのですか。
 その理由は、何でしょうか。
 木口 月が片側しか見せないのは、ご存じのとおり地球の潮汐力のため、月の自転のエネルギーが散逸してしまったからです。
 ところが金星もまた、たいへん不思議なことに、太陽の影響と同時に地球の影響をうけているかもしれないと考えられているのです。
 池田 なるほど。地球が、金星の自転を、コントロールしている可能性があるということですね。
 木口 ええ、じつはこれがナゾなのです。
 ―― 金星の一年は、“約二日”しかないそうですね。
 木口 ええ、日の出から、次の日の出までを一日としますと、金星の自転周期と、公転周期がほぼ一致しているので、金星のカレンダーではそうなります。
 一日の長さということでいうと、金星の一日は、地球の約百十七日にあたります。
 池田 金星は地球よりゆっくり自転し、地球より小さな軌道をやや速く公転している、ということですね。
 木口 そのとおりです。
 池田 自転による一日も、公転による一年も、天体にはそれぞれの尺度がある、ということですね。
 ―― これは、おもしろいことですね。先日、イギリスの天文学者フレッド・ホイルの研究論文を調べてみましたら、彼の計算では、初期の地球は、一日、五時間で自転していたそうですね。
 木口 ええ、そうですね。
 現在は、約二十四時間ですから、五倍も回転が遅くなっているわけです。
 ―― そうしますと、現在の一日二十四時間のリズムが、最も生命生存に適しているような気がしますね。もし地球の初期にわれわれが生きていたら、あまりの忙しさに目が回ってしまう。(笑い)
 木口 他の天体をみても、土星の一日は十時間です。
 池田 時間や空間に対する感覚も、絶対的なものではない。結局、おのおののおかれた立場に相対的なものだということがよくわかりますね。
 ―― まったく不思議なことですね。
 池田 私もホイル博士の、月と地球の距離の計算を聞いたとき、たいへん興味ぶかく思いました。
 かつて、月はいまより三分の一も、地球に近かったそうですね。
 ところが、その後、だんだん遠のいてきている。
 木口 ええ、月はいまでも、一年に三センチずつ地球から遠ざかっています。
 遠い将来には、月が地球のそばからなくなってしまうことは、十分ありうるという天文学者もいるほどです。
 ―― そうしますと、地球上の物理現象も生態系も、一変してしまいますね。
 木口 そうです。ですから、池田先生が言われたように、私たちの時間や空間に対する感覚も、常に絶対的ではない、ということになります。
 ―― アメリカの雑誌で読んだのですが、なにかの変動で、急に、月が遠ざかっていくのを見て、類人猿は驚きのあまり、思わず立ち上がってしまった。これが原因で、それまで四つんばいだった人類の祖先が、いまのように、二本足で直立するようになった(笑い)、というようなことが書いてありました。
 すべてが、相対的というお話でいえば、オウムガイという、生物の祖先のような貝についての研究は、たいへん興味ぶかいものですね。
 木口 どんな貝ですか。
 ―― 化石で有名ですが、南太平洋にはまだ生き残っています。
 木口 なるほど。
 ―― この貝の殻の中にある気房を調べると、年輪のようになっています。成長係数は、一日一本ずつで、その跡が残るようになっています。その跡が三十本で、一カ月とほぼ同じ日数になります。
 ところが、この貝の古生代という、大昔の化石を調べてみますと、気房についている成長係数は、九本しかないのです。
 そこで、化石を時代順に調べていきますと、だんだん増えて、今日の状態になっていることがわかったわけです。
 木口 そうすると、大昔は、一カ月が九日だったという見方になるわけですね。
 池田 なるほど、たいへん興味ぶかい話ですね。
 ―― ええ、一年は百八日であった。現在は、その三倍半ですね。
 いま平均寿命が八十歳で、一年が三百六十五日ですから、そのころは、もし人類が生きていたら、平均寿命は、短かったことになりますね。
 木口 だいたい、二十五歳ぐらいになってしまうわけですね。
12  依智の「星下り」は金星だった
 ―― ところで、金星は、仏法上、大明星天といわれますね。
 池田 そうですね。普光天子とも呼ばれ、星の代表として、諸天善神の働きの一つとして象徴されています。また古くから「太白」といわれ、また「あかぼし」(明星)とも呼ばれていました。
 ―― この「太白」は、「大将軍」として、京都の祇園などの社にまつられていたようです。
 宮中には、いまでも、元旦に四方拝という式が伝わっていますが、北極星と天地四方を拝し、次に金星を拝するといわれているようです。
 木口 地方によっては、「とびあかりぼし」「かけあかりぼし」といわれますが、それほどの躍動感をうける星のようです。
 池田 そうですね。星の研究家、野尻抱影さんが、日本の各地での星の珍しい現象などを収集したなかで、明けの明星を、
 「この星は、午前三時ごろに、水平線から三間ぐらいに飛びだす」
 という千葉県勝浦の老漁師の話を、どこかで紹介していたということを聞いたことがあります。
 ―― 東京の八王子は、絹織物の産地でしたが、ここの古老が、金星は絹で透かしてみると、よく見えるので、子供のころ、みんなそうしてみたものだ、といっていた話をうかがったことがあります。
 木口 そうなんです。星の光の回折現象で、絹や鳥の羽根で透かすと、幾つにも見えることがあるんです。
 池田 おもしろい話ですね。これも、前に調べてもらったことがあるのですが、神田茂という方の労作といわれた『日本天文史料』を見ると、「星昼アラワル」という記述が、『続日本紀』(六国史の一つ。『日本書紀』の後まとめた編年体の史書)だけでも十カ所もあると述べられています。
 ―― そうですか。それだけ光が強いということですね。ところで、以前おこなった「竜の口の法難と“光り物”現象」についての考察は、たいへんな反響が寄せられております。
 この法難の翌日、大聖人が、依智(現在の神奈川県の厚木近辺)の本間邸の庭で、月に向かって経文を読誦し、諌暁された直後、大きな明星が降り下ったという不思議な天文現象がありましたね。
 木口 そうですか。それも、ぜひおうかがいしたいですね。
 池田 日蓮大聖人は、この「星下り」については「種種御振舞御書」、あるいは「四条金吾殿御返事」に、記されておりますね。
 木口 どのようなことが書かれているのですか。
 池田 まず御文を拝しますと、この出来事は「九月十三日の夜なれば月・大に・はれてありしに」とあります。これは十三夜の月でしょう。
 木口 なるほど。
13  「自我偈」とはどんな経文か
 池田 また、「夜中に大庭に立ち出でて月に向ひ奉りて・自我偈少少よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文のあらあら申して」とあります。
 つまり「妙法蓮華経如来寿量品第十六」の「自我偈」を月に向かって読まれた。
 木口 「自我偈」とは、どういう経文なのでしょうか。
 池田 前にも少々お話ししましたが、「寿量品」の「自我得仏来」という句から、「速成就仏身」という句にいたるまでの五百十字からなる「偈」のことです。
 木口 「偈」というのは、韻文ですね。
 池田 そのとおりです。仏法上、一往この「偈」とは、仏の徳、教理を賛嘆する詩ということになりましょうか。
 ―― 韻文を用いるのは、まえの長行(散文)で説いたものを、重ねて人々の心に響くように説いたという話を聞いたことがありますが。
 池田 もっと深い意味があるかもしれませんが、通途の仏法ではそういうことでしょうね。
 この自我偈とは、「始終自身なり」とあるように、「自」が初めの文字であり、「身」が終わりの文字で、初めと終わりの文字を合して「自身」となり、この偈全体が、仏の生命それ自体であると説かれているのです。
 ―― 素晴らしいことですね。法華経には文上、文底のとらえ方があるのでしょうが、じつに深遠な哲理が含まれている。
 池田 また、この自我偈について、「本有とことわりたる偈頌げじゅなり」とあります。この意義は、久遠劫初の仏の生命が三世永遠にわたるものなりとの道理を説き明かしたのが、この偈であるといえるのではないでしょうか。
 この根本の理、その究極の法は何かといえば、「南無妙法蓮華経」の一法であるとなるのです。
 木口 なるほど。
 池田 ですから、日蓮大聖人は「法華経」の文字を、「肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見・菩薩は種種の色と見・仏種・純熟せる人は仏と見奉る」とおっしゃっておられるわけです。
 ―― なるほど。よくわかりました。
 月に向かっての経文の読誦のあと、大聖人は「いかに月天いかに月天」と、宇宙の諸法諸力に対し、「法華経の行者」を守護するという「誓言のしるしをばとげさせ給うべし」と、強く諌暁されたわけですね。
 木口 この「誓言」とは、仏典のなかにあるのですか。
 池田 そうです。「法華経」の「安楽行品」に、「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」とあります。
 また「嘱累品」には、「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし」ともあります。
 木口 なるほど。
 ―― そうした諸天に対する諌暁が終わるやいなや、月光さえわたる夜空から、大きな明星が降り下り、庭の梅の木にかかったと記されていますね。
14  「星下り」現象に科学的な裏づけ
 池田 そのとおりです。この不思議な現象については、九月二十一日の日付でしたためられたお手紙にも、「明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ」とあります。
 この依智・本間邸で起きた「星下り」についても、故広瀬秀雄博士の研究が残っております。
 博士は、御書のいまのくだりを見て、直観的に「これは、金星だ」と思ったと書いております。それから計算に入ったわけです。
 木口 そうですか。不可思議としかいいようがない現象ですが、これもまた、天文学的に考察されているわけですね。
 池田 そのとおりです。しかし、なぜその瞬間に、そのような現象が起きたかという本源的な意義は、天文学では当然のことながらわからない。
 これは、仏法上の次元になります。また、そう拝していかなければ、たんなる史実で終わってしまうでしょう。
 木口 そうですね。よくわかります。
 池田 まず、この日は、文永八年(一二七一年)九月十三日ですが、『年代対照便覧』では、一二七一年十月二十六日になります。
 博士は、この星というものを、金星にしぼって、この日の運行を、ドイツの天文学者・ショッホの表から逆推算していったわけです。
 ―― 私も、その資料を見ました。
 木口 そうですか。その「星表」というのは、私ども天文学者にとっては、主要な恒星の固有運動や、精密な位置から、他の天体の位置を決めていく、基準としているものです。
 池田 博士は、この金星の観測表のデータから計算してみると、この日の金星の状態は、マイナス四等級の明るさで、最大光輝に達している。
 つまり、一等星の百倍もの光を放っていたはずだ、と言っております。
 木口 なるほど。金星の最も明るい状態ですね。
 池田 つまり、この「星下り」があったという日は、金星が東方最大光輝で、宵の明星であったわけです。
 博士は、この日の日没は午後五時ごろであり、金星は日没後、約二・五時間だけ見える計算になるというのです。
 木口 なるほど。驚きです。
 池田 ですから、この夜の出来事については、博士は次のように推定するわけです。
 日暮れてまもなく、東の空は晴れ渡り、十三夜の月が出ていた。
 一方、西の空には、低いところに雲があって、金星はまったく見えていなかった。
 そして、大聖人が「自我偈」の読誦、月天への諌暁を終わるやいなや、雲間より突如として最大光輝の金星が、西方の梅の木のあたりに輝き出た。
 また「やがて即ち天かきくもりて」と御文にあるので、西方に雲がまもなく出始めたのであろうと。つまりこれは、短い間の出来事だったにちがいないと結論づけているわけです。
 木口 なるほど。
 池田 私ごとき者が、一資料をもってこの場の厳粛な、不可思議なる天文現象を論ずる資格はありませんが、ただひたすら、凡人として、いちおう納得いくような気持ちになる、という意味で述べたわけです。
 木口 広瀬博士はたいへんな追究をされた、大事な証言者となりますね。
 ―― 異論があるとしても、一つの歴史的現象のとらえ方としては意義が深いと思います。
 木口 そう思います。
 ―― それと、「星下り」と御文にはありますが、このことについて、いささか調べてもらいましたところ、金星には、「薄明弧」という現象があるそうですね。
 木口 ええ、金星の、円板状の輝きの周りには、薄く、光の環が見られることがあります。
 池田 そうですか。そうしますと、金星がとつじょ輝き出すとき、さきほどの野尻さんの老漁師の話にもあったように、飛びはねるようにあらわれる。
 そして、また金星が最大光輝に輝くところには、月影のような「金星影」を地面に、投じるということも考えられる。
 木口 よくお調べですね。
 それが星が下ったような現象として見られたということも、十分推測することができると思います。

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