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日蓮大聖人・池田大作

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第八章 “生存の危機”と仏法…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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14  「星下り」現象に科学的な裏づけ
 池田 そのとおりです。この不思議な現象については、九月二十一日の日付でしたためられたお手紙にも、「明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ」とあります。
 この依智・本間邸で起きた「星下り」についても、故広瀬秀雄博士の研究が残っております。
 博士は、御書のいまのくだりを見て、直観的に「これは、金星だ」と思ったと書いております。それから計算に入ったわけです。
 木口 そうですか。不可思議としかいいようがない現象ですが、これもまた、天文学的に考察されているわけですね。
 池田 そのとおりです。しかし、なぜその瞬間に、そのような現象が起きたかという本源的な意義は、天文学では当然のことながらわからない。
 これは、仏法上の次元になります。また、そう拝していかなければ、たんなる史実で終わってしまうでしょう。
 木口 そうですね。よくわかります。
 池田 まず、この日は、文永八年(一二七一年)九月十三日ですが、『年代対照便覧』では、一二七一年十月二十六日になります。
 博士は、この星というものを、金星にしぼって、この日の運行を、ドイツの天文学者・ショッホの表から逆推算していったわけです。
 ―― 私も、その資料を見ました。
 木口 そうですか。その「星表」というのは、私ども天文学者にとっては、主要な恒星の固有運動や、精密な位置から、他の天体の位置を決めていく、基準としているものです。
 池田 博士は、この金星の観測表のデータから計算してみると、この日の金星の状態は、マイナス四等級の明るさで、最大光輝に達している。
 つまり、一等星の百倍もの光を放っていたはずだ、と言っております。
 木口 なるほど。金星の最も明るい状態ですね。
 池田 つまり、この「星下り」があったという日は、金星が東方最大光輝で、宵の明星であったわけです。
 博士は、この日の日没は午後五時ごろであり、金星は日没後、約二・五時間だけ見える計算になるというのです。
 木口 なるほど。驚きです。
 池田 ですから、この夜の出来事については、博士は次のように推定するわけです。
 日暮れてまもなく、東の空は晴れ渡り、十三夜の月が出ていた。
 一方、西の空には、低いところに雲があって、金星はまったく見えていなかった。
 そして、大聖人が「自我偈」の読誦、月天への諌暁を終わるやいなや、雲間より突如として最大光輝の金星が、西方の梅の木のあたりに輝き出た。
 また「やがて即ち天かきくもりて」と御文にあるので、西方に雲がまもなく出始めたのであろうと。つまりこれは、短い間の出来事だったにちがいないと結論づけているわけです。
 木口 なるほど。
 池田 私ごとき者が、一資料をもってこの場の厳粛な、不可思議なる天文現象を論ずる資格はありませんが、ただひたすら、凡人として、いちおう納得いくような気持ちになる、という意味で述べたわけです。
 木口 広瀬博士はたいへんな追究をされた、大事な証言者となりますね。
 ―― 異論があるとしても、一つの歴史的現象のとらえ方としては意義が深いと思います。
 木口 そう思います。
 ―― それと、「星下り」と御文にはありますが、このことについて、いささか調べてもらいましたところ、金星には、「薄明弧」という現象があるそうですね。
 木口 ええ、金星の、円板状の輝きの周りには、薄く、光の環が見られることがあります。
 池田 そうですか。そうしますと、金星がとつじょ輝き出すとき、さきほどの野尻さんの老漁師の話にもあったように、飛びはねるようにあらわれる。
 そして、また金星が最大光輝に輝くところには、月影のような「金星影」を地面に、投じるということも考えられる。
 木口 よくお調べですね。
 それが星が下ったような現象として見られたということも、十分推測することができると思います。

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