Nichiren・Ikeda
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第四章 宇宙にE・Tは存在す…
「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)
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12 ますます深まる仏法への志向
―― キリスト教の国をバックにした布教、日本でも宗派は違いますが、そういう時代がありました。真の仏法の布教法が説かれている経典には、どんなものがありますか。
池田 そうですね。
たとえば、大乗経典である勝鬘経(十受章第二)には「仏法の話をするときは、摂受すべき人には摂受をもって行い、折伏すべき人であれば折伏せよ」と。
また、「法華経」の結経である「普賢経」という経典には、「折伏しようとするならば、大乗の教えをもってしなければならない」とあります。
また、中国の天台大師智顗が、仏法の真髄を全十巻にわたって究明した「法華玄義」には、「法華は折伏にして、権門の理を破す」という淘汰論を展開しております。
私どもは、そのとおり法門にもとづいてやっております。
―― 「折伏」を皮相的にとりますと、いかにも不寛容であるという見方が強いようですが。
池田 よくいわれますが、「折伏」とは、私どもがつくった言葉ではない。
釈尊が、また日蓮大聖人が仰せになった言葉であり、仏法者全体に言われた言葉なのです。それを、そのまま、正しく、本義に照らして叫び、行動しているのです。
「折伏」とは悪心を折り、善の心に伏せしめていくということです。低級な宗教、信仰では、生活的にも、文明、社会的にも、また生きる意義からも、弱者になってしまう。そこで低きをより高く、浅きをより深く――の仏法信仰によっての最高の人生、最高の人格、最高の社会観、世界観、宇宙観をもつべきであるという慈悲のうえからの論理なのです。つまり、最大の寛容に通ずるわけです。
木口 なるほどよくわかります。
―― よく釈尊の仏法は母の慈愛、末法における妙法の行動は、父の厳愛といわれていますね。
池田 そうです。ますます乱れ、ますます濁りきった世相をみたときに、弱々しい偽り親しんでいくような布教方途では、ずる賢くなった人々の心をうてない。
やはり確信に満ちた、八万法蔵の裏づけをもった極理である正法の布教にあたっては、強く、激しいようにみえるが、この方途しか末法の時代の救済方式は、ないのではないでしょうか。
木口 なるほど。
池田 学校の先生も、父親も、宗教家も、政治家もみんな尊敬されなくなってしまっている時代です。「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」という御文があります。
木口 そうですね。小学校や中学、高校でも、弱々しい教師が暴力をうけていると、なにかに書いてありましたね。
池田 青少年のさまざまな問題は、要するに、未来を志向しゆく、信ずるにたる依処がなくなったということでしょう。つまり、以前は教師は依処であり、宗教家も依処であった。また、医師も依処であった。
それが、近年になって、政治家も、教師も、宗教家も、裁判官まで、信用しないほど青少年の心が変わってしまった。
ですから、いまだ人間的にも社会的にも未成熟である人間が、そのゼネレーションのうえからみて、確固たる依処を与えないかぎり、一種の動物的な衝動に変わっていかざるをえないことは当然なことではないでしょうか。
木口 そのとおりですね。
―― それらを考えると、恐ろしいですね。
池田 多くの著名人たちが、それらの解決のために、さまざまに論議し、さまざまな方途を模索していますが……。それも大事ですが……。
私どもは、多くの抽象的議論よりも、一つ一つ、一日一日、具体的行動で、その解決への活動を、仏法を基盤として展開しているつもりです。
木口 よくわかりました。
―― 次は、星座の話、天文学の歴史などを中心に進めていただきたいと思いますが。
池田 意外に知られていない話が多いですね。
木口 そういたしましょう。