Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 宇宙―その不可思議な…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

前後
1  科学の進歩と人間の本然的な苦しみ
 ―― おかげさまで、多くの読者から、「たいへんに興味がある」「毎号、楽しみである」といったような投書が、ずいぶんまいります。
 木口 それは、うれしいことです。
 二十一世紀を志向していくうえに、天文学を少しでもおわかりいただければ、こんなうれしいことはありません。
 ―― ただむずかしいという意見も、ずいぶんありますが。(笑い)
 木口 それはそうだと、思いますね。
 池田 ずいぶんやさしく論じようと、これでも苦心しているのですが……。(笑い)
 ―― 天文学用語も、たしかにむずかしいと思いますが、仏法用語は、初めての人には、まったく理解しがたい点があるのも、やむをえないでしょうね。
 たとえば「仏」といっても、「如来」とか「世尊」とか、いいますからね。
 池田 そうですね。
 「仏」といっても、その意義のうえから多様な言い方があります。
 「如来」ともいいますし、「能忍」「世尊」「応供」「等正覚」というふうな名称もあります。
 木口 科学の世界では、元素や分子についても、名称は世界的に統一されていますね。(笑い)
 池田 仏法ではひとつの真理とか、経験とかについても、さまざまな次元からとらえていく。
 たとえば「一往・再往」というとらえ方。「総・別」というとらえ方。
 また「文上・文底」「当分・跨節」「文・義・意」「教相・観心」といったように、多次元、多様にとらえていかねばならない点がありますね。
 木口 なるほど、物質文明と精神文明とのとらえ方の相違が、その点をみてもわかるような気がします。
 ―― ところで、(一九八三年)六月十一日は、皆既日食ですね。
 木口 そうです。この日食は、南極や北極も含め世界各地でも見られますが、場所によっては観測がむずかしいようです。十一日の日食は、今世紀最大級といわれています。
 ―― ジャワ島あたりで観測するようですが……。
 木口 そのようです。おわかりとは思いますが、太陽と地球との間に月がきて、太陽光線をさえぎってしまうのが日食です。
 池田 行かれるのですか。
 木口 行けないでしょう。
 池田 日食というのは、古来、「凶兆」といわれますね。
 ―― そうですね。
 池田 人智がすすむにつれ、いわゆる昔の人々の通念と、現代の人々の通念とは大きく変わってきています。
 「知」の発展と科学の進歩は、人々の不安を転回させる作用があります。
 木口 そうですね。
 池田 昔は、自然の脅威に脅かされることが多かった。まえにも話しましたが、そこで風神、水神とか、火神というような神を想定し、天変や地夭を静めてもらうために、素朴な宗教的というか、信仰的といおうか、そのような「祈り」がなされたわけですね。
 しかし、いかに人智や科学が進歩しても、人間の本然的な苦しみ、宿業はどうしようもない。むしろ、ますます複雑、深刻化さえしてしまっている。そこに、高等宗教という普遍的かつ永遠性をもった生命観、宇宙観というものが必要になってくるわけです。
 その点に関して、どれだけ明快で高度な裏づけがあるかによって、宗教の浅深高低が分かれてくるといえます。
2  宇宙空間の色と風と温度
 ―― ところで、生と死について語っていただきたいのですが、そのまえに、宇宙の広さのなかで生物というものを考える場合、太陽系の範疇だけではムリのようです。まずわれわれの銀河系という、約十万光年という広がりをもち、輝いている星の世界についてうかがいたいと思います。そこで将来、この銀河系宇宙のなかを、人間が一生のうちに、往復できるようになるのかどうか。
 そのへんを語っていただくことも、おもしろいのではないかと思います。
 池田 大宇宙のかなたに、輝きまばたく星のなかには、その光がこの地球上まで届くのには、何十万年、何億年と想像をはるかに超える星もあるわけですね。
 われわれ人間の宇宙旅行の計画を、世界の科学者も実際に検討しているようですが、どうなんでしょう。
 仏法には「瞬間即永遠」「永遠即瞬間」として、大宇宙の時空を鋭く凝視していく法理があります。
 科学技術ではその何千万光年を、二十年、三十年という時間に短縮して、制覇していくことは可能なのでしょうか。
 木口 月世界に、有人飛行がなされている現状から考えましても、仏法の原理には、たいへん興味ぶかいものがありますね。
 ところで、科学の高度の進歩、ならびに計算上から割り出していきますと、銀河系の旅は一応は可能ですが……。現実に行くとなりますと、現段階では、ちょっと不可能ではないかと思いますが。
 池田 そうですか。せめて、太陽系内の惑星旅行が限度でしょうか。
 太陽系を離れた恒星間飛行は、ここ当分は、むずかしいということでしょうね。
 ところで、宇宙空間は何色なのですか。
 木口 多彩に変化するともいわれています。
 池田 地球から月までの中間ぐらいですと、何色ですか。
 木口 そうですね……たとえば、スペースシャトルに乗って地球外へ出たとすると……死んだような暗黒を背景に、白、赤、黄に輝く星々。
 細い三日月形の地球のへりが見えて、残りの部分は、巨大な鈍い赤色の地表が見えます。
 池田 さらに行きますと……。
 木口 まわりが漆黒のような天空と、群がる星々が見え、太陽が輝いています。
 池田 風はありますか。無風状態ですか。
 木口 宇宙空間には、いたるところに風の流れがあります。そのなかでは、太陽風が確認されています。
 理論的には、銀河風というものも提唱されています。
 池田 かりに外に出て、“空間”を吸い込んでみますと、空気よりもおいしいか、どうか。(笑い)
 木口 宇宙塵の濃さにもよると思いますが、大部分、ヘリウムと水素ですから、まったく無味無臭と考えられます。
 ただ星間のガス雲には、いろいろな有機分子がありますから、その味がするかもしれません。もちろん、実際に味わった人はまだいませんが……。(笑い)
 池田 「地球は青く、非常に美しい」と、宇宙飛行士の叫びがありましたが……。
 温度はどうでしょうか。
 木口 宇宙空間によってさまざまですが、やはり、太陽から離れるにつれ、寒くなっていくと思います。
 池田 そこで、この全宇宙で、どれほどの生命誕生の確率があるのかについては、どうですか。
 木口 宇宙空間では、ゼロに近い確率ですが、地球のような条件の惑星は数多く存在し、そこに生命が誕生していると、多くの学者が推定しています。
 池田 そうですか。
 すると、地球のような文明の存在も想定できるわけですね。
3  地球よりも重い一個の生命
 ―― ところで、映画の「E・T」のようなことは考えられますか。
 木口 いや、それは考えられないと思います。地球に降りてきて、子供と接触するというのは、やはり映画のなかの話でしょう。
 ―― E・Tは、「地球外の」という英語の頭文字ですね。映画は、アメリカの地球外知性探査(SETI=セチ)をふまえたSFでしょうか。
 木口 そうだと思います。
 池田 そういうものは、フィクションで、現実にはないでしょう。
 ただ人々が未知の山にあこがれ、コロンブスの発見やマルコ・ポーロの冒険にあこがれるように、現代のような、人間が圧迫感を感じさせられる環境にあっては、宇宙に目を向けようとするのは当然でしょう。
 こうした、宇宙的あこがれに近いものは別として、仏法では、大宇宙のなかに数えきれないほど生命の世界が存在していることを前提に説いています。
 木口 それは、たいへんに重大なことですね。科学者としては、まことに興味がありますし、ゆっくりとうかがいたいものです。
 ―― 最近「母なる宇宙」といわれながら、この万物の故郷である宇宙までもが、将来は戦場になるのではないか、という不安が高まっていますが。
 木口 ですから、宇宙をより深く、生命的に認識する必要を、研究者としても痛感しますね。
 ―― 「生命空間」としてのとらえ方を、もっと重視する必要がある、ということではないでしょうか。
 池田 そうですね。
 宇宙を舞台にした戦争など、絶対にあってはならない。
 映画か漫画のSFの分野だけでけっこうだね。(笑い)
 ―― 仏法は生命尊重であり、宇宙尊重の教えですからね。
 池田 地球の重さよりも重い一個の生命……。
 私は、この生命の法を完璧に説き明かした仏法を、理論的にも実践面でも認識し、より深化させていくこと以外に、地球も宇宙もより平和に守り抜く道はないと訴えていかねばならないと思っております。
 木口 すると、宇宙空間も含めた、より高次元の「平和論」の確立が必至になった時代背景とみてよいわけですね。
4  宇宙はどれほど広大無辺か
 ―― そこで、まず宇宙の広さですが、どれほど広大無辺か、実感をもてるように、ちょっと工夫してみました。
 いま、私たちが話している言葉を活字にし、印刷するとしますと、話の切れ目に「ヽ」という点がうたれます。
 この「ヽ」を、地球の大きさにしておきたいと思います。
 池田 直径、約〇・五ミリ。(笑い)
 他の天体を考える目安になりますね。木口さん、早速ですが(笑い)、いちばん近い月まででは、どうなりますか。
 木口 ……そうですね。『潮』のページをめくる人さし指の太さぐらいでしょうか。約十五ミリほどになりますかね。
 池田 すると、太陽までは……。
 木口 ほぼ六メートルですから、大型ハイヤーほどの長さでしょうか――。
 ―― 太陽系の外で輝く、最も私たちに近い恒星までですと……。
 木口 新幹線で東京から京都までが約五百キロですから、その三倍ぐらいの長さになりますかね。
 ―― そうしますと、ここから本論になりますが、わが太陽系が属する銀河系の中心まで、地球から、つまり、この「ヽ」ですが(笑い)、どれくらいの距離になりますか。
 木口 そうですね……。天の川の中心までの距離は、太陽までの距離の約二十億倍もありますから、それは、まったく私たちの実感から離れた距離になってしまいます。
 池田 具体的には、この「ヽ」の地球から見ると、千二百万キロかなたに、天の川の中心が輝きわたっているわけですね。
 先日、新潟で、メンバーの激励のあいまに、ふと芭蕉の、
 「荒海や佐渡によこたふ天河」
 という句を思い出しました。
 ―― 芭蕉という人は、宇宙、人間の事象や万物を、自己の内省的なものへと深めていった、日本独特の芸術家ですね。いま、俳句が爆発的ブームですが……。
 池田 そうですね、芭蕉は宇宙の時空を、心のうちにとらえようとしたのでしょう。最近の俳句ブームも、自己と向かいあった対象をよみこむ詩心によって、自分の心地を確認しておきたい、という思いの反映ともみられます。
 木口 現代はあまりにも、うつろいやすい軽薄さにかこまれた生活環境になっていますからね。
 ―― 詩心で思い出しましたが、かつて名誉会長の『詩集・青年の譜』(読売新聞社刊)を読まれた井上靖さんが、とくに「宇宙」と「母」の詩は「いわゆる詩人がつくれる詩ではない」と、感銘をもらされていたことがあります。
 木口 『四季の雁書』でしたか、あのなかにも池田先生の詩のことを書いてありましたね。
 ―― ええ。同じような趣旨になると思いますが……。
 詩人でもある井上さんが、名誉会長の詩魂を、
 「広大な天空と、人間の営みの深い意味を、瞬時に、自己の胸中に包みこんでおられる」
 と、評したのを覚えています。
 名誉会長が受けられた「桂冠詩人」の称号を、最大に称えられていました。
 池田 それはそれは恐縮です。
 ともあれ、私どもは限られた人生であるがゆえに、お互いにいかに激務であっても、朝霧のごとき、さわやかな詩心をもちあう余裕を大切にしたいものですね。
 いくら低次元の雑音があっても、私は、一生涯、光風霽月の心で生きたいと思っています。
 仏法にも、わが胸中の奥に「九識心王真如の都」が内在する、と説かれているのです。
 私は、いくら非難されても、人を恨んだことはありません。
 ところで、天の川銀河の隣組、アンドロメダ星雲までですと、どのくらいの距離になるものですか。
 木口さん、計算はたいへんでしょうが、専門家ですから……。(笑い)
5  お隣の銀河系へは百九十万光年の旅
 木口 この星雲は、地球の北半球からしか見えませんが、そこまでの距離ですと、データ表を見ると約百九十万光年ですから、さきほどでてきた天の川の中心までの距離の約六十倍です。
 ―― 私たちの天の川銀河には、どのくらいの数の星がありますか。英語でも「ミルクの道」というほど、無数の星の集まりですね。
 木口 これは、千億個から二千億個はありますから、もう無量といっていいと思いますが。
 池田 「無量」ですね。なにかで読みましたが、地球上に住む生まれたばかりの赤ちゃんから、おじいさん、おばあさんまで、全人類一人あたり、もれなく「太陽系を三十個」ずつ配ることができるほどの星の数とか……。
 いや、いりませんという人もいると思いますが。(爆笑)
 まさに無窮の宇宙ですね、まさしく地球は点にすぎない。
 木口 これは、あとで検討するテーマですが、この銀河系内だけでも、文明社会が存在する可能性のある星が一千万個もある、と推算した学者もいます。
 池田 人間の一生は、百年にも満たない。
 ところが、お隣の銀河系に行くのにも、地球時間で百九十万光年の旅となるようですね。それでは行きたくても行けませんが……。
 しかし、宇宙時間になると、もっと短くなるわけですね。
6  浦島太郎の物語とウラシマ効果
 木口 そうです。まえに池田先生が言われた「ウラシマ効果」です。
 ―― 浦島太郎の物語では、竜宮城の三年間が、現世の七百年間にあたるという説があるようです。
 計算の根拠は、よくわかりませんが……。
 池田 木口さん、アインシュタインの「相対性理論」では、計算できますか。
 木口 いいえ、とてもできません。(笑い)
 池田 この説話は、『日本書紀』や『万葉集』にもでてきますし、不老長生を願う庶民の心が生んだ物語です。
 ―― 書物によっては、竜宮が蓬莱山となったり、昴や畢宿という星の化身した童子が登場する話になったりもしています。
 木口 そうですか。おもしろいですね。
 池田 アジアの各地にも似たような説話がありますから、古代に、日本にも伝来してきたのでしょう。
 「光日房御書」という御文には、光日房という尼さんから寄せられた手紙の返事に、「うらしま浦島が子のはこなれや・あけてくやしきものかな」と、その思いを表現されています。
 昔から日本人に、たいへんなじまれた説話であるということは、いつの時代にも、人々に変わらぬロマンの虹を架けわたしてきた、ということですね。
 ―― 江戸時代には、近松門左衛門が『うらしま年代記』を書いていますし、明治には、坪内逍遥が『新曲浦島』、幸田露伴が『新浦島』、森鴎外は『たまくしげふたりうらしま』を残しています。よく読まれたようです。
 木口 いまの子供たちに、浦島太郎の話をしましても、みんな「ウソー」ですね。(笑い)
 池田 現代っ子には、浦島伝説よりも「ウラシマ効果」の、宇宙的時間のほうがうける。(笑い)
 木口さん、この宇宙的時間をわかりやすく解説すると、どうなりますか。
 木口 簡単に言いますと、アインシュタインが、ガリレオの相対性原理やニュートンの力学をふまえ、発展させたものです。つまり、われわれの銀河には一定の物理法則があります。他の銀河でも、まったく同じ物理法則が成り立ちます。しかし、二つの銀河の間には、ひずみがあるので、互いに他の銀河を見た場合、まったく異なる法則が成り立っているかのようにみえます。
 このみかけ上、異なる法則を、もし時間や空間を測る目盛りを付け替えれば同じ法則だと考えることができる、またその目盛りの付け替え方を一定の法則から計算できることをアインシュタインはみつけたのです。
 池田 ひとことで言えば、私たちが経験している時間や空間についての認識も、たとえば宇宙空間の、他の天体に対して考えたときに違ったものになってくる、ということですね。
 木口 そのとおりです。この宇宙空間は、いたるところに、ゆがみやひずみができています。
 地球の周りも、大きくゆがんでいます。そこに重力場ができて、引力の働きが起こるとしたのが、ニュートンです。
7  宇宙空間のゆがみと時間の変化
 池田 ニュートンの偉大さは、「リンゴは落ちる。しかし天空の星は、なぜ落ちないのだろう」と考えたことです。
 先年、トインビー博士と対談した折、ケンブリッジ大学を訪問しました。
 その折、大学関係者の方からキャンパス近くの公園にご案内をうけ、ここでニュートンがリンゴの落ちるのを見て、思索したのだとうかがいました。
 仏法では、そのような偉大な法則を発見した人物を「縁覚」「独覚」の働きといいます。
 木口 なるほど。この宇宙空間が、ゆがんでいる状態をいちばんよく知るには、光の性質で確認することができます。
 ―― そうですね。光は直進しますが、太陽の後ろに隠れて、見えるはずのない星が見えますね。
 木口 ええ、そうです。星が太陽の後ろに隠れ、また出てくるのですが、この隠れている時間がニュートンの力学によって計算した時間よりも短いのです。
 池田 それは、星の光が空間のゆがみにそって、カーブを描きながら地球まで届いている、ということになりますか。
 木口 そのとおりです。宇宙空間が、ゆがんでいる証拠になります。
 空間がゆがんでいますと、物理的な時間の流れも変わってしまいます。
 アインシュタインは、この大宇宙のなかで空間は、いたるところでゆがんだり、ひずみをもっているので、時間の流れも、種々に変化していることを理論的に明らかにしました。
 池田 そうしますと、宇宙空間のゆがみやひずみが大きくなればなるだけ、それだけ時間は遅れる。
 木口 そうなります。
 地球に比べますと、太陽の周囲の空間のほうが大きくゆがんでいますから、太陽のうえでの時間は、地球上での時間よりも短くなります。
 たとえば、地上から地球と太陽のうえの競技場で同時に行われている百メートル競走をみているとしましょう。同時に用意ドンでスタートしても、地球上の競技場ではゴールに着いているのに、太陽上の競技場ではまだ走っているということになります。
 ―― そうしますと、竜宮城は海の中というより、むしろ宇宙空間にあった、ということになりますね。(笑い)
8  ブラック・ホールでは時間は進まない
 池田 ブラック・ホールは、極端なゆがみやひずみの穴ですから、その中心では時空は存在しなくなる。
 つまり時計は、まったく進まないということになりますね。
 木口 理論的にはそのとおりです。恒星がつぶれて、どんどん凝縮していきますと、重力がますます強くなっていきます。このつぶれきった状態が、ブラック・ホールです。まえにも地獄の例でみましたように、その中心では、通常の物理法則は成立しなくなります。
 ―― 重力は空間のゆがみですから、ブラック・ホールの内部には、強力な重力場があるわけですね。
 木口 そうです。われわれ地球にいるものには、その向こうは決して見えないので地平線といいますが、あるものがそのブラック・ホールの地平線に近づくにつれて、地上にいるものからみれば時間の進み方が遅くなっていきます。
 地平線近くにいる人にとっては何分の一秒という一瞬の時でも、われわれにとっては、それは永遠といえるほど長い時間になってしまいます。
 池田 ブラック・ホールの内部に入ると、逃げ出すこともできない、まさに、「無間大城」です。
 御書に「十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず」と、説かれている。
 するとブラック・ホールは「虚空」の地獄界です。苦しみの時間は、永遠に等しい無間地獄になりますね。
 木口 ええ、そうです。ブラック・ホールの一瞬は地上からみれば無限の時間です。しかも、ブラック・ホールの地平線への近づき方によって時間の進み具合が異なるので、頭の上と足の先では時間の進み方が違う、ということになります。たとえば、赤ちゃんの頭が一瞬にして老化するが、足の先はそのままというようなことが起こります。
 これは、たいへんな地獄です。いったん落ちこんだら抜け出せないブラック・ホールは、宇宙の地獄といってもいいでしょう。実際、時間の進み具合の差がまわりとまったくちがうと、たいへんなストレスを感じますから。そこで感ずる時間は、あまりにも長いものになると思います。
 ―― ところで竜宮城で過ごした、束縛のない天界のような楽しい時間は、三年間であっても実際には、七百年たっていたという説話も、その意味をきちんと考えられるわけですね。
 こうした物語が、荒唐無稽な昔話にすぎなければ、千年以上も語り継がれることはないと思います。
 木口 時代を超えて、人間の心に、そうだと思わせるような真理が含まれているのではないでしょうか。
 池田 そうでしょう。
 楽しい時間というものは、早く去り、必ず壊されていく。人生もまた同じである。若さは永遠ではないし、形あるものは必ず滅びゆく。生あるものは必ず死を迎える。
 宇宙の森羅万象も、ことごとくそうです。
9  仏法は厳しき現実変革の論理
 ―― 最近の人工心臓の問題も、あらためて「死」を考えさせました。
 患者のクラークさんは、あらゆる神経的反応がなくなったのに、人工心臓だけがコチコチ動いていたそうです。
 木口 また身体の他の部分は老けていくのに、美容整形したところだけがそのままで困った、という話も聞きますが。(笑い)
 池田 「死」の問題は、科学や政治をはじめ、いかなる分野も、もう避けて通ることはできない時代に入ったと、私はみております。
 ―― 今後のテーマとしてよろしくお願いします。
 池田 わかりました。
 とにかく仏法は、生老病死、成住壊空の永遠の繰り返しを「諸行無常」「是生滅法」ととらえます。
 しかし、「無常」の現象にとらわれるのではなく、その奥にある常住不変の、生命の法則を説き明かしたのが仏法です。
 木口 変転きわまりのない無常の現実に執着する姿を、煩悩のとりこになっている、というわけでしょうか。
 池田 そうです。
 ただし仏法は、それもまた生命のありのままの発露ととらえます。
 ただ、そこからさらに、常住不変の法にめざめることによって、「煩悩即菩提」となるわけです。
 ―― その常住不変の法を明かすために、前提として「無常」を、ことさらに強調したのでしょうか。
 池田 そうです。
 仏法がなぜ「無常」を説くかの意味も究めず、「無常」の側面だけから「諦め」「虚無的」のイメージでとらえるのは、正しいとはいえません。
 実際には、仏法は厳しき現実社会を凝視し、そこから出発する現実変革の論理です。
 ―― よくわかりました。ところで、宇宙の研究開発は、その副産物として、新しい兵器体系を、どしどし生み出しはじめていますね。
10  科学の悪魔性を見抜く人間の知恵
 池田 星の研究に、なにかのヒントをえて、科学者が核兵器をつくったような話を聞いたことがありますが……。
 木口 事実です。核エネルギーとは、アメリカ物理学会の大御所、ワイツゼッカーが今年(一九八三年)核兵器に反対するアピールで述べたように宇宙のエネルギーです。それを人間が悪用しました。
 ―― そうですね。
 たとえば星が、強大な重力によって崩壊していき、ついに大爆発する過程を研究し、計算した科学者が、地球を破滅させる兵器をつくりだす理論を用意したともいわれていますね。
 木口 そのとおりです。宇宙の研究は、人間の運命を大転換する可能性があるといわれています。
 ―― 原水爆という巨大な破壊力の開発にタッチした人では、アメリカの理論物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーやエドワード・テラーがいます。
 木口 一九五三年のアメリカに対する忠誠審査聴聞会、いわゆるオッペンハイマー事件で、この二人は大きく対立しています。
 これは、たぶん科学者が科学の悪魔性に明らかに気づいた最初のできごとだったのではないでしょうか。
 池田 そこでいつも私は思うのですが、科学の悪魔性を見抜き、完璧な平和利用へ向けていく人間の知恵、それを無限に生み出していくのが、仏法であると。
 そこで、仏法を信仰する者の実際の行動は、生活に基盤をおいた、戦うヒューマニズムの立場といってよいでしょう。
 木口 よくわかりました。ただいま指摘されたことは、科学者の大きな課題でもあります。
 研究の成果が、戦争に使われるか、平和に役立つかは紙一重の差です。
 その延長として科学者のもつ心情、理念がまた重要になってきますね。
11   「ウラシマ効果」による宇宙の旅
 池田 さて、この宇宙での、時間の流れの変化についてですが、この時間の遅れを計算しながら、「ウラシマ効果」によって、宇宙大航海に出発してみたらおもしろいでしょう。(笑い)
 ―― 目的地は、地球から百九十万光年先にあるアンドロメダ星雲がいいと思いますが……。
 木口 私たちの隣組(笑い)ですし、そこまで旅をしますと、「ウラシマ効果」が歴然とします。
 ―― 実際に、科学者の間で宇宙大航海は理論としては、想定されているようです。往復に使われる宇宙船は、「恒星間ラムジェット」といわれていますが……。
 木口 ええ。飛びながら、宇宙空間の水素ガスを吸い込み燃料とします。
 星間空間では、一立方メートルに水素原子が、一個ぐらいしかないといわれていますから、それを集めながら飛ぶ宇宙船の構造は、たいへんなものになります。
 すでに、アメリカのR・W・バサード博士が試案を発表しています。
 池田 その宇宙船がスタートして、どんどんスピードを上げ、光の速度にどんどん近づいてきますと、船内の時間の進み方が、遅くなっていくわけでしょう。
 ところが、宇宙船に乗っている人には、その変化はわからない。
 宇宙船内の時間は延びても、地球上の時間は、そのままですから、「ウラシマ効果」が起きてくる。
 地上にいながらにして、「ウラシマ効果」の人もいますけれど。(笑い)
 ―― 井の中から星を見ているような政治家に多いようです。(笑い)
 木口 宇宙船の中では、私たちが地球上で感じている重力(九・八メートル毎秒二乗)が絶えず加速されますと、無重量状態にはなりません。
 地球上で生活する感覚でいることができます。
 ―― アインシュタインの特殊相対性理論では、宇宙船がいくらスピードアップしても、光より速くはならないことになっていますが。
 池田 そうですね……。
 宇宙旅行が長くなればなるほど、地球時間との差、特殊な時差がはっきりしてきますね。ですから、月のような近くの天体までですと、宇宙船は光速で行くわけにはいかない。
 そんな短い距離では、光のような速さまで加速をするヒマがありませんから……。(笑い)
 「ウラシマ効果」によれば、実際には、光より速い宇宙の旅ができることになりませんか。
 木口 光の旅より、つまり光が反射して返ってくるまでに地上で経過している時間の半分より、はるかに速い旅になります。
 アンドロメダ星雲の途中に、われわれの銀河系のなかのオリオン大星雲があります。
 この星雲からの星の輝きは、千五百年かかって地球に届いています。
 「ウラシマ効果」で計算してみますと、宇宙船は、なんと約八年ほどでオリオン大星雲に着いてしまいます。つまり、乗組員は八歳ほど年齢を加えるだけです。
 ―― 光がかかる時間の、百分の一以下になってしまうわけですね。
 木口 そうです。ですから、現在飛んでいるロケットでも、わずかな量ですが、この理論が実証されています。
12  仏法で説く「生命的時間」とは
 木口 さきほども話題になりましたが、「宇宙」という池田先生の詩(前出)には、この大虚の天空に満ちている法則を、じつに的確に、美しい言葉で表現されているのに驚きました。宇宙を生涯の研究テーマとして選んだ者として、ずいぶん教えられます。
 たとえば、こんな個所です。
 「因果の瞬間は倶時と映じて
  有限は無限をはらみ
  刹那は悠遠をいだく」
 このたった三行たらずの詩句に、宇宙のきわめて重大な法則を、ことごとく言い尽くしていると思います。
 ―― 私も「宇宙」を再読しまして、詩魂のひらめきは、仏法を究め実践を貫く立場からほとばしりでた「直観の英知」と感心しました。
 ところで、仏法の時間論は、どのように説かれているのでしょうか。
 池田 仏法での「時」は、「時刻」のような理論的な計算のレベルで割り出されたものではありません。
 生命的時間と、とらえていると思いますが。
 あくまでも、人間の「実感」にもとづいて、類まれなる「仏の知恵」がとらえきったものと思います。
 日蓮大聖人は「時」というものを、「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」とも説かれています。
 「過去」も「未来」も、瞬間の生命が感じることのできる、この「現在」の一瞬に集約されている、ということになりますか。
 三世についても、「過来」「如来」「未来」ともいっております。
 「如来」とは“如如として来たる”ともいい、万法のごとき諸法の体が、瞬間瞬間として、来たり去るという真理の姿を意味しております。
 この真理、実相を把握されたのが、「仏」ということになるのでしょう。
 「仏法」という場合の「法」という文字も、漢字の成り立ちからみると、「氵」偏は水をあらわしています。
 そこで、水が絶え間なく去る、停滞はない。水、つまり「氵」が来たり「去」るということが、「法」という文字の成立を意味している、ともいわれています。
13  永遠の生命も一瞬のなかに凝縮
 木口 よくわかりました。そうしますと、過去、未来と切り離された現在は存在しないし、現在の生のなかに、過去も未来も包含されている、こう理解してよろしいでしょうか。
 池田 端的に言えば、そうなります。
 永遠の時間といえども、現在の、この瞬間のなかに融合しており一体になっているととらえるのが「永遠即瞬間」です。
 「過去」「現在」「未来」と立て分けるのも、流れる意識がつくりだすものですから、本質的には、「無分別」な存在なのです。
 木口 「物理学」でも、現在と未来、現在と過去はまったく対等ということから、すべての理論を出発させます。われわれは、これを「エネルギー不滅の原理」と呼んでいます。現在の物理学は、いまだ流れる意識を理論のなかに取り入れることができないので、「過去」「現在」「未来」を立て分けられないのです。
 ―― 「一念の心中の理」とは、どのような意味になりますか。
 池田 簡単に言いますと、私たちの意識や行動によって、時間の流れが生まれてくるということです。「一念の心中の理」とは、一往は私たちの「内なる宇宙」であり、再往は「外なる宇宙」の生命ととらえることができます。
 生命の理は本有常住で、不変の当体です。しかし生命活動によって、過去、現在、未来という現象をあらわすわけです。
 さらに、この生命と時間の関係を、「因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す」と説きます。
 木口 一般には、どんなささいな現象にも、原因と結果とは同時には起こりえませんが、「因果倶時」とは、どのような意味になるのでしょうか。
 池田 少々むずかしくなりますが、簡単に言いますと、たとえば、一瞬の一念といえども、永遠の広がりをもっており、また永遠の生命といえども、一瞬の一念のなかに凝縮して存在するという意味になります。
 また一切の原因と結果が、一瞬の一念のなかにそなわっているとも、とらえています。とくに妙法とは、「九界」の衆生が、そのまま九界を因として「仏界」にいたる力用をそなえている「不思議の一法」であるということになります。
 ―― この「妙法」という「不思議の一法」を軸に「久遠即末法」を考えますと、どのようになるのでしょうか。
 池田 ちょっと説明がむずかしくて……。(笑い)
 簡単に言えば、「久遠」とは、一往は、たいへんに久しく遠い昔ということです。
 「末法」とは現代をさします。「即」とは「そのまま」ということです。
 つまり、妙法を根本にしたとき、久遠がそのまま現在に出現するということです。
 この「久遠」については、時の無限性をあらわすために、「久遠劫」ともいわれています。
 それをまた、「法華経」の「迹門」「本門」とか「文上」「文底」などの立場から説く、非常に深い次元のとらえ方がありますが、専門的すぎますのでひかえさせていただきます。
 木口 なるほど、なるほど。
 池田 さて、まえにもちょっと出ましたが、大聖人の「御義口伝」の一節には、「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり」と説かれています。
 ―― ええ、そうでしたね。
14  「久遠即末法」の意味するもの
 池田 私ども現代人の観念では、「久遠」というと、どうしても時間の長短のうえ、または、空間論のうえで理解しようとします。そのために、なぜ久遠という長遠なる過去と現在とが「即」になるのかが、わからなくなるのではないでしょうか。ここは、ひとつ発想の転換をしてみましょう。
 この「久遠」という本来の意義は、いまの「御義口伝」の御文より明らかなように、時空論の次元をまず打ち破り、生命と宇宙の究極の真理といいますか、法といいますか、本源回帰の極理を指し示そうとしたところにあるのではないでしょうか。
 木口 なるほど。
 池田 したがって、「久遠即末法」とは、簡潔に言うならば、たんなる時間論だけをいっているのではないのです。われわれ生命の本有の妙理というか、宇宙のもつ、本然の妙理といいますか──。
 それがいま、この瞬間に具足され、またこの瞬間のなかにしか、その真実の実感はない。
 このへんからまた、いつか、もう少しわかりやすく、もう少し広げて、論じたいと思いますが。
 木口 わかりました。「久遠」というのは、長遠なる過去をあらわす言葉とだけ思っておりました。
 池田 そこで、仏法では、「久遠一念元初の妙法……」また、「因果一念の宗」ともいっている。
 したがって、久遠劫初も妙法、過去も妙法、いま、現在も妙法、そして、未来もまた妙法であり、妙理とは久遠劫初の法であり、「南無妙法蓮華経」であるということになります。
 因果一念の法ですから、過去、未来といっても、いまの一瞬、一瞬が最も大事になってくるわけです。
 ですから、久遠劫初の法たる南無妙法蓮華経を、末法という現代に生きるわれわれが、たとえその一分でも実感したときに「久遠即末法」となっているのです。
 したがってこの法理は、どこまでも信仰実践によってとらえるときに、初めて確かなものとなってくるのではないでしょうか。
 なお「久遠即末法」については、仏法では、人法論、本尊論など、もっと高次元の論議がありますが……。
 木口 なるほど。なかなか、深いとらえ方なのですね。
 ―― 宇宙時間の変化相である「ウラシマ効果」の法則を考えてみますと、宇宙船内の時間と地球の時間を比較した場合は、一瞬の「現在」のなかに「過去」も「未来」もそなわっていることになりますね。
 木口 そういえると思います。オリオン大星雲までで、地球時間の千五百年に比べると、わずか八年ですから、無限大の大宇宙へ向かえば向かうほど、地球の時間感覚との差が開いていきます。
 池田 十六年後に帰ってきたときは、地球ではすでに三千年たっていたということですから、宇宙船の十六年が地球の三千年を含んでいるわけですね。
 木口 そうですね。
 物理学の思索も、宇宙空間の無限の時空を実験場にしますと、法則や原理が、はっきりと目にみえてきます。
 池田 円融円満の極理は、厳然として存在します。
 アインシュタインの相対性原理は、よき知性の弦をして、宇宙の生命との見事な響音を奏でさせた、ということでしょう。
 ―― 最終の目的地であるアンドロメダ星雲――隣の銀河系までは百九十万光年の距離ですが、「ウラシマ効果」ではどうなりますか。
 木口 いっきょに、十二万七千分の一に縮まりますので、わずか十五年です。
 池田 まさに「久遠即末法」「瞬間即永遠」の範疇といっていいでしょう。
 アンドロメダ星雲では、数千億個の星が、壮大な光の饗宴で迎えることでしょう。帰りも、十五年かかりますから、しばらく滞在します。(笑い)
 玉手箱を手に入れることができるかもしれません。(笑い)
 木口 この宇宙船が、地球に無事帰還したとき、出発以来の地球上での時間は、じつに三百八十万年もたっている計算になりますね。
 ―― 浦島太郎の玉手箱どころの騒ぎではない。(笑い)
 池田 痛快な話ですね。そうした計算になりますか。人類が、まだ滅びずにいたいものです。
 ―― 「猿の惑星」という映画では、地球から飛び立ち、果てしなき宇宙の旅をつづけ、ある星に着いた。
 その映画の結末ですが、その星こそ地球そのものであった……。おろかな人間が核戦争によって文明を破壊し、すでに滅びてしまっていた。
 池田 生存の道、平和の道をふさいではならないということです。
15  不可思議な生命発生の仕組み
 ―― 話題が変わりますが、昨年(一九八二年)の暮れ、「E・Tとどう交際するか」というテーマのことで、カール・セーガン博士に電話しました。
 電話口の博士は、関心のあるテーマだけれど、奥さんが近く出産の予定なので、と次のように言っていました。
 「私は、遠いはるかな宇宙から、たった一人で、孤独な旅をつづけてきた“宇宙の使者”を、敬意を込めて迎えてあげるため、アン(夫人)のそばを片時も離れるわけにはいかないのです」
 普通の人が口にすると、ちょっとキザになりますが……。(笑い)
 池田 なるほど、宇宙の生命の解明に、うれしい研究と思索をしていたのでしょう。(笑い)
 木口 宇宙を研究する科学者は、概してロマンチストです。(笑い)
 池田 宇宙に人間のような生命体は存在するか、ということを思索し究明していきますと、自然と“かけがえのない地球”“人間の尊厳”を考えざるをえなくなりますね。
 木口 生命とは何か、生命発生の仕組みを完全に知っている科学者は、人類史上まだ一人もいません。
 現代科学の最大の神秘でナゾになっていますので、科学のあらゆる分野は、今後、この一点に挑戦していくと思います。
 ―― 星間分子は、電波望遠鏡などで、ぞくぞく発見されていますね。
 木口 まず水酸基(OH)の発見が注目されました。もう一個水素がつけば、水になるからです。
 一九六八年、カリフォルニア大学のバークレー校のグループが、アンモニアの電磁波をとらえたときは、興奮しました。生命過程と重要な関連をもつ分子だからです。
 ―― 名誉会長が、バークレー校を公式訪問し、総長のアルバート・H・ボウカー博士と会談されたのは、その六年後ですね。
 池田 そうです。
 生命論を交わしました。
 ―― たしか、講演もされていますね。
 池田 ヤング総長(当時)のお招きをうけ、講演は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で行いました。
 木口 「ヒューマニティーの世紀」というテーマで、「二十一世紀への提言」をされましたね。
 私どもも、たいへんな関心をもって読み勉強しました。
 池田 そうですか。恐縮です。
 木口 最近、読み返してみましたが……十年ほどたっていますが、「提言」の内容は、ますます現実の課題として、一層、鮮明になっていると思います。
 ―― 現在の十年の時の流れは、以前の何十年にもあたりますから、たいがいの提言は古くなります。マスコミ的にも、顧みられるような提言は、そう多くありません。
 池田 仏法の立場は、無始無終ですから(笑い)。講演では、「仏法が説く生命観」を話しました。
 ―― UCLAのノーマン・ミラー博士も講演を聞いて、初めて「仏法の真髄に触れた」ともらしていたそうですが……。
 とくに、現代科学が直面する「生と死」、また仏法の「空」については、あらためて理解を深めたと言っていた、とも聞いていますが……。
 池田 ミラー博士とは、講演のあと懇談しました。
 いま木口さんから説明のあった、カリフォルニア大学が重要な星間分子を発見したという話題は、とくになかったと思います。
 ―― 星間分子の発見は、各国とも競争のようですが、これは、アメリカのベル電話研究所が開発した通信技術の装置のおかげで、急速に進んだそうですね。
 木口 そうです。エチルアルコールが発見されたとき、私たちが宇宙旅行に行くころ、これを集めて一パイ飲める、という冗談もでました。(笑い)
 現在、五十二ほど分子が発見されています。
 ―― 最近、一酸化炭素(CO)の波長が盛んに観測されているそうですね。
 木口 ええ。一酸化炭素がいちばん観測しやすいからです。
 この観測は、銀河全体の構造を解明します。また、巨大分子雲など、星の誕生を明らかにすることにもなります。
 赤外線や、先日、日本でも打ち上げたX線観測器を備えた人工衛星(一九八三年二月二十日、鹿児島県内之浦から打ち上げられた人工衛星「てんま」)などによって、宇宙塵の分布も、もっと詳しくわかるようになりました。
 池田 簡単な有機物が多数発見されても、生物との差が大きすぎるでしょう。
 セーガン博士でさえ、現在、考えられている宇宙の寿命では短すぎて、ウイルスのような、簡単な生命体が生じるために必要な分子の衝突の回数にも達しない、ということを認めていますね。
16  生命の発生はいかに稀有か
 ―― 今日、私たちの生活器具にも、広く応用されている半導体のなかのシリコンやゲルマニウムなどの原子が、宇宙空間でいくら衝突を繰り返しても、百億年どころか、一兆年たっても、トランジスタにはなれないのと同じくらい、生物の誕生はむずかしい、という学者もいます。
 木口 私は、生物学は専門ではありませんので、詳しいことはわかりませんが、生命体を構成する一つのレベルにタンパク質があります。
 池田 タンパク質の働きを可能にするには、アミノ酸のクサリの順番が、正しく並んでいなければならないということですね。
 木口 そうです。わかりやすく言いますと、タンパク質を機能させるには、アミノ酸=二百ほどからなるクサリと、二十種のアミノ酸がきちんと並ばなければなりません。
 たとえば、このタンパク質のできる確率はの二百乗分の一です。
 ―― 1に0が二百個。これがの二百乗です。これは原稿用紙半分が0で埋まる数です。たとえば一億は1に0が八個、一兆は1に0が十二個にすぎません。これと比べると、いかに大きい数字であるかということがわかります。
 木口 計算の仕方を説明しますと、私も皆さんも頭が痛くなりますので……。(笑い)
 池田 結論を先に言いますと、生命をつくりだすタンパク質一個できあがるのも、たいへんむずかしい、ということですね。
 木口 そのとおりです。池田先生が、セーガン博士の話を紹介されましたが、宇宙ができて以来、一秒に一回ずつ一立方ミリの空間で、タンパク質合成をつづけてきたとしても、意味のあるタンパク質は一つもできません。
 ―― タンパク質ができる方向で計算したデータもありますが、これはビッグバン(大爆発)による宇宙の誕生から、宇宙の死を一兆の一千億倍以上も繰り返す計算で、頭は痛みを通り越して、しびれてきます。(爆笑)
 池田 そのタンパク質も、まだ生命を構成するほんの一因子にすぎない。
 膨大な数や計算に意味があるのではなく、生命の発生が、いかに稀有な事実かということを示していますね。
 しかも知的生物の出現、人間の誕生の確率になると、そのすべての条件を満たすことは、科学的推論の範疇をはるかに超えていると思いますが……。
 偶然か必然か、という議論もありますが、ただ不可思議としか、言いようがない。
17  宇宙の運行にみる「妙」の法則
 木口 たしかに、おっしゃるとおりです。たとえば、それは、私が研究している天体核物理学という学問の分野でもいえます。
 いちばんわかりやすい例では、地球と太陽の距離です。
 もし地球が太陽に、あと三千万キロ近くても遠くても、私たち人間を含めて、いまの生物は存在していません。生命を維持するため、最も重要な水が凍りもせず、蒸発もしない距離は、これ以外にないのです。
 池田 太陽と地球の距離が、一億五千万キロ。
 この近からず遠からずが、生命を生み、育む最適条件になっています。まことに「妙」であり「法」である。
 「妙」とは「真実である」とある。ちょっとむずかしくなりますが、劣悪という意味の「麁」を断絶することとも説かれています。人智の範疇では計算できないという意味です。
 この位置が変わると、太陽の光も熱も、生物にとっては、恩恵ではなくなってしまう。
 ―― 近づけば「焦熱地獄」、離れると「八寒地獄」。
 木口 地球上の生物は、親である太陽が、定常的に太陽エネルギーを与えてくれることに、すべて依存しています。
 この量が少しでも変わると、氷河期がやってきたり、乾期になってしまいます。
 もし大きな変化が起こったら、地球は大混乱ですけれど……。
 池田 また、一秒の、何千億分の一でも、地球の自転、太陽への公転にとつぜん狂いをおこすようなことがあれば、これまた大地震どころか、破滅でしょうね。
 ゆえに仏法では、東天に向かって宇宙の威光勢力を増長せしむる、という意味をはらんだ「天拝」の儀式があります。
 そこでは「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」といって、宇宙の運行が、正確に威光を発揮せしめていくように、という祈りがあります。
 ―― よくわかりました。ところで科学では、あらゆる法則が、きちんとバランスがとれ、なぜ地球にとって最適の状態を保っているかは、わからないわけですね。
 “現状”を計算することはできても……。
 木口 そうです。「われわれの宇宙の性質は不思議である」というコールダー博士の言葉に尽きてしまうことが、あまりにも多いのです。
 池田 いまの重力が少しでも変われば、人間は地球を飛び出してしまうでしょう。そんなことが起こると、太陽と地球の間の距離が変わってしまいますし、地球の空気がぜんぶ蒸発してしまうかもしれない。
 木口 「運動量の保存則」のおかげで、お金がひとりでにポケットから飛び出して月へ向かうこともない。
 ―― 貧乏は保存則を破る。(爆笑)
 池田 それは福運の問題ですけれど。(笑い)
 たとえば、「電荷の保存則」が狂うと、とにかく紙の原子でもバラバラになってしまう。
 木口 日常、目にする物質すべて電気の力で結びついていますので、とつぜん電気が生まれたり、消えたりしたら、たいへんなことになります。
 ―― 一万円札も使わないうちにコナゴナ。(笑い)
 池田 ところで、最初の問題、宇宙と生命、そして仏法における生命の法則についてですが、結論にもっていくには、もう少し話し合ってからになってしまいましたね。
 この次も、もう少しつづけて、本題の結論を出しませんか。
 木口 私もそうしたいと思います。
 ―― これまで宇宙空間の不思議な法則を、それぞれの立場から語っていただいたと思います。
 「不思議大好き」という流行語がありましたが、社会の底流にも、科学的な好奇心の高まりがうかがえます。
 木口 その意味からも、最も不思議な実在であるのが、生命ですね。
 池田 ところで、木口さん、要するに、銀河系に一千万個の地球のような星が推算されたということを、この対談の始まるときに、ちょっと話しておられたが……。
 木口 そのとおりです。明確にアメリカのドレイクという博士の方程式があります。
 ―― 次はそのへんから論じていただきたいと思います。仏法の立場、科学の進歩という両面から話を進めていただきたいと思います。

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