Nichiren・Ikeda
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第一章 「外なる宇宙」と「内…
「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)
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11 「宇宙的宗教感情」への願望
池田 それが二十世紀の、“世紀末”の時代としての特徴といえるでしょう。
十九世紀の世紀末は、とくに文明の中心としてみられていたヨーロッパで、「内なる心」を担っていたキリスト教が、ドイツの哲学者ニーチェなどによって「神の死」を宣告されたことは、よく知られていますね。
「神の死」とは、比喩的な言い方で、じつは、それまでのキリスト教神学や価値観の破産であったといえます。
しかし、キリスト教の世界観にしばられていた学問の世界、とりわけ科学は、神の呪縛を解かれるやいなや、目を見はらんばかりの進歩を遂げたわけです。
ところが、神の死の枕辺に「内なる心」を担う相続人がだれもいなかった。
―― なるほど。そうしますと、アインシュタインはそこに着目し、相続人のイメージを考えぬき、むしろ願望を込めて「宇宙的宗教感情」という言葉をつくりだしたのではないでしょうか。
池田 そうでしょう。
一般的にいって、すぐれた科学者は、同時にすぐれた思想家でもあった、ということがいえます。
仏法を究める機会のなかったアインシュタインは、科学者としての思索の果てに、抽象的で漠然とした言葉だったけれど、「宇宙的宗教感情」という、一種の祈りにも似た感情を訴えかけたのだと思います。
話は変わりますが、木口さん、地球は、いちおうまるいといえますね。多少、楕円形ともいわれますが……。
他の一千億個以上(銀河系だけで)もある星は、ぜんぶ同じようにまるくなっているのでしょうか。
木口 いや、そうとはいえません。円盤状に見える星もあります。四角く見えるものもあります。とくに生まれたての星には、いろいろな刺が見えます。これらは、すべて光の屈折の関係でしょうか……。
しかし大多数の星は、まるいといっていいのではないでしょうか。まるが、いちばん重力、つまり自分の重みを支えやすいからです。
池田 なるほど。仏法でも円融円満という言葉があり、これこそ、人格の最高の理想とされているわけですが。
木口 「ガウスの定理」というのがあります。これは、物理学者が、みな不思議な法則と言っていますが、ひとことで言えば、まるくなっているということで、まるのなかの、すべての重みがムダなく重力となって、他からの影響をうけにくい、という定理です。
池田 団結ですね。(爆笑)
定理とか法則とかいうものは、必ず理にかなっている。不合理はない。
仏法もまた道理であり、宇宙の大法則にのっとった生命の法を開き、展開されたものを「経」と言っております。