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日蓮大聖人・池田大作

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戦争と平和――あとがきに代えて  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
5  池田 日本も、絶対平和をめざし、一切の軍備の放棄をうたった憲法をもっています。ただし、それにもかかわらず、今では強力な軍事力をもつにいたっていることは、まことに残念です。ソビエトも、アメリカも平和をうたいながら強大な軍事力を擁しているのが現実であり、この現実と理想とのギャップをどう埋めるか、言い換えると現実を理想に、いかにして近づけていくかが、人類の命運を決めるといっても過言ではないでしょう。そして、このような問題を提起しているのは、私だけでなく、将来が今日の主要な問題の解決にかかっていることを承知している人類そのものなのです。
 ログノフ 残念なことに、この七十余年の歳月は、人類の歴史から見れば、短期間にすぎませんが、その期間わが国民は一度ならず、平和的な労働を断念し、武器を取らざるを得ませんでした。しかし、いずれの場合もそのことを私たちに強いたのは外部からの侵略だったのです。結局、侵略者は惨敗し、第二次世界大戦が終わった時には、彼らは全世界から名指しで戦争犯罪人と宣告され、厳正な罰から逃れることができませんでした。わが国民は勝利しましたが、だからといって勝利の祭壇に捧げなければならなかった無数の犠牲者を出したことを忘れることは、とてもできません。さらに、それから多くの歳月を経て、ソビエト国民を平和を脅かす者に見せかけようとする試みがなされているのです。このようななかで、どのように正義について語ることができましょうか。
 池田 そうですね、第二次世界大戦のあとは、まだ何かと言うことはできましたが、しかし、もし全面核戦争になった場合は、その何かを言うことすらできなくなるでしょう。核の炎で人類そのものが焼き払われてしまうのですから……。
 私は貴国を訪問した折にはクレムリンの城壁にある無名戦士の碑に、レニングラードではピスカリョフ墓地に詣で、花を捧げました。アメリカを訪問した時にはアーリントン墓地に献花しました。戦場に散った尊い生命の犠牲を決してムダにしてはならないとの祈りからです。
 これらの戦没者墓地では、今なお、季節の花を捧げる年老いた婦人の姿が見られます。おそらく戦争で失った夫や子を思い悲しみにひたっているのでしょう。この人たちの悲しみが、私には、私自身の悲しみとなってきます。
 だが、もし今度核戦争が起こった時は、もはや花を捧げる女性もいないでしょう。それを思うと、なんとしても戦争は絶対に起こしてはならないとの痛切な思いに駆られるのです。私たちの住む、どの国民にとってもかけがえのない、この美しい地球を大事にするためにも、です……。
 ログノフ 池田先生、核戦争の脅威を前にして、あなたが平和の理念の徹底した伝道者であるだけでなく、実践活動においてもそうした理念の実現のために積極的に戦われていることを、私たちはよく知っております。
 先生の生涯は人道主義の理念につらぬかれたすばらしい人生です。そしてそのことは、私たちの世代には先生に対する深い尊敬の念を呼び起こしますし、若い人たちには、そういう人を模範にしようという気持ちを湧き起こさせるでしょう。先生の高尚なご活動でのご成功を衷心から希望してやみません。なぜならば、この成功こそ平和のために行動する私たち一人一人の正義の勝利に他ならないからです。

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