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日蓮大聖人・池田大作

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戦争と平和――あとがきに代えて  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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2  ログノフ 戦争は犯罪であり、すべての人々の悲しみです。ところで、現代において、戦争とは壊滅であり、全人類に対する死の宣告であることを理解しない人は、狂人か、きわめて浅薄な頭脳の持ち主といわざるを得ません。
 というのも、森羅万象、生きとし生けるもののすべてが、醜怪な核の雲の中で消え失せてしまうのですから。
 核兵器は恐るべき兵器です。この地上に、核兵器の“居場所”はあり得ません。ソビエト政府は再三それについて声明を出しました。
 この政府声明をお聞きにならなかった方々に、私はそれを繰り返しておきたいと思います。
 一九八六年一月十五日、ゴルバチョフ党書記長は声明を出し、そのなかで、今世紀末までに核のない世界を構築するプログラムについて説明しました。現実的な内容をもったこのプログラムは、今世紀末、すなわち二十一世紀の初めまでに、一切の種類の大量殺戮兵器の廃絶を訴えています。しかも、現に兵器庫に貯蔵されている核兵器はいうにおよばず、今のところみんなの注意を引かずにいるが、いちだんと大きな破壊力と手段をもったもので、ある国民の他の国民に対する優位を立証しようとあせる政治家の強欲を満たすために利用されうるかもしれない恐るべき兵器をもその対象にしているのです。
 一切の大量殺戮兵器の完全廃絶こそソ連外交の基本路線であり、その構想が第二十七回ソ連共産党大会(一九八六年二月二十五日~三月六日)の決定を基礎づけたのでした。最高レベルでのソ連共産党員のこの会議において、世界の、そしてその現在と将来に対する党の戦略が提起されました。国際安全をめざした全包括的システムに関する私たちの政綱は、あらゆる種類の大量殺戮兵器の全廃を筆頭にあげています。
 ゴルバチョフ書記長は、この建設的な政綱を重ねて世界に説明しています。ウラジオストクでも、レイキャビクでもそうでした。そしてそのつど取り上げた問題は、どの国、どの国民も明日への揺るぎない確信をもって安心して生きていけるような全面的安全保障システムをつくろうということでした。
 今年の二月十六日、モスクワで開かれた「核のない世界と人類生存のためのフォーラム」でゴルバチョフ書記長は、この問題についてのわが国の政策の本質を再確認し、ソ連の国際安全保障プログラムの主なる原則は、「他国民の安全を踏み台にして自国の安全を保障することはできない」という点にあることを強調しました。
3  この今日の核心的問題、全人類が憂慮している主要な問題の解決にブレーキをかけている勢力があることは残念なことです。しかし、私たちは一切の大量殺戮兵器をこの地上からなくして、世界中の人々が私たちの地球の明日に対して安心して暮らせるようにする決意とオプティミズム(楽観主義)にあふれています。そして、その言葉に対して全責任を負うつもりです。
 ご存じのようにソ連邦は、平和へのアピールだけに終始しているのではありません。具体的行動でそれを立証しています。それは、第一段階として軍拡競争の政策に終止符を打たせ、それを踏まえて地球上にはあるべきでない兵器を廃絶して人類の安全を図るプログラムの実行に一刻も早く着手するよう具体的に訴えているのです。あの非道な原爆投下から四十周年にあたって一切の核実験(核爆発)をソ連が凍結(モラトリアム)したのもそのためですし、「レイキャビク封書」(レイキャビクでのソ米頂上会談のさいソ連側の出した一括核軍縮提案)を開封して、そのなかから中距離ミサイルに関するソ連側提案を取り出して、その交渉に入るよう申し入れたのもその一つです。もし、ソ連のこの提案がしかるべき態度で検討された暁には、遅くとも三~四カ月後には、この種の攻撃用大量殺戮兵器の廃絶に取りかかることができるのです……。ソ連は今その回答を待っているところです。
4  池田 核兵器が廃絶されなくてはならないことについては、繰り返しますが、私たちも同じ意見です。創価学会はそのことを強く主張してまいりましたし、それは日本国民の希求に沿うものであります。
 私は、以前、国連軍縮特別総会を機に、当時のワルトハイム事務総長にあてて、この問題をめぐって私なりの提案をしましたが、そのなかで、「軍縮研究情報センター」を設置して、核兵器をはじめとする現代戦の恐ろしさを、より広範な民衆に啓蒙していくための研究、討議、広報に力を入れていくべきことを訴えました。人類にとって、これは最も大事な広報活動といえると信じます。
 ログノフ 平和擁護の問題で重要な役割を演じなければならないのが反戦キャンペーンであることはいうまでもありません。それは、戦争狂のヒステリーに仕える別のキャンペーンに対抗する重要な抑止要因になるはずです。
 著名なソ連の医学者E・チャーゾフ・アカデミー会員は論文「核戦争の防止を目ざす医師達」のなかで、医師たちの判断によれば、全面核戦争の結果、現在貯蔵されている核の五分の一が爆発しただけでも窒素酸化物の大気中への拡散によって、いわゆる硬成分紫外線から一切の生物を保護するオゾン層が徹底的に破壊されてしまい、さらに「北半球で全面的な核戦争が起きた場合、その放射性降下物は北半球の国々に拡散されるだけにとどまらない。少なくともその三分の一は南半球に浸透するだろう」と書いています。
 強調しておかなければならないのは、蓄積された核兵器のわずか一部でそうなるということです。
 今日では一〇〇パーセントの確率をもつ核兵器を使用した場合、それは人間文明の全面的自滅をもたらすことは明白です。ところが戦争狂の宣伝は相変わらずつづけられており、なにかと自己を弁明する道を探しているのです。彼ら戦争狂はこうした宣伝手段を使って何年にもわたっていわゆる“ソビエトの脅威”を人々に植えつけようとやっきになっています。私は“何年にも”という複数形を使いましたが、これは正しくありません。何十年という長きにわたってと言いなおす必要があるでしょう。なぜなら、こうしたキャンペーンは一九一七年、十月社会主義大革命によって私たちの国家が誕生したその瞬間から間断なくつづけられているのです。
 ソビエト国家は成立後、真っ先に平和に関する政令を出しました。それは偶然ではなく、かえって当然すぎるアクションだったのです。帝政政府が続行していた戦争に対する憎悪――それはロシアの農民大衆をも含めた人民大衆に革命的行動を活発にとらせるようになった主な原因の一つです――がいかに大きなものであったかを思い出していただければおわかりになることでしょう。平和、友好、協力の理念、レーニンの平和共存原則はわが国の対外政策の基本原則となりました。
 あなたがた日本人はお国の平和憲法を誇りにしていますが、それは正しいことです。ただ、私の知るかぎり、お国の憲法をめぐってすでに何年も絶え間ない争いが行われているようですが――。世界の反戦運動でその積極さを広く認められている日本の平和と正義のための闘士の皆さんが、その結束と信念をもって今後とも憲法改悪を唱える者に対抗していかれるであろうことを信じたいものです。私もまたわが国の平和志向性、ソ連の対外政策の平和的意図に対して当然、誇りを感じています。平和をめざす戦いはソ連においては国法の水準にまで引き上げられています。わが国の憲法第二十八条は「ソ連邦は一貫してレーニン的平和政策を実施し、諸民族の安全の強化および広範な国際協力を支持する」と規定しています。
5  池田 日本も、絶対平和をめざし、一切の軍備の放棄をうたった憲法をもっています。ただし、それにもかかわらず、今では強力な軍事力をもつにいたっていることは、まことに残念です。ソビエトも、アメリカも平和をうたいながら強大な軍事力を擁しているのが現実であり、この現実と理想とのギャップをどう埋めるか、言い換えると現実を理想に、いかにして近づけていくかが、人類の命運を決めるといっても過言ではないでしょう。そして、このような問題を提起しているのは、私だけでなく、将来が今日の主要な問題の解決にかかっていることを承知している人類そのものなのです。
 ログノフ 残念なことに、この七十余年の歳月は、人類の歴史から見れば、短期間にすぎませんが、その期間わが国民は一度ならず、平和的な労働を断念し、武器を取らざるを得ませんでした。しかし、いずれの場合もそのことを私たちに強いたのは外部からの侵略だったのです。結局、侵略者は惨敗し、第二次世界大戦が終わった時には、彼らは全世界から名指しで戦争犯罪人と宣告され、厳正な罰から逃れることができませんでした。わが国民は勝利しましたが、だからといって勝利の祭壇に捧げなければならなかった無数の犠牲者を出したことを忘れることは、とてもできません。さらに、それから多くの歳月を経て、ソビエト国民を平和を脅かす者に見せかけようとする試みがなされているのです。このようななかで、どのように正義について語ることができましょうか。
 池田 そうですね、第二次世界大戦のあとは、まだ何かと言うことはできましたが、しかし、もし全面核戦争になった場合は、その何かを言うことすらできなくなるでしょう。核の炎で人類そのものが焼き払われてしまうのですから……。
 私は貴国を訪問した折にはクレムリンの城壁にある無名戦士の碑に、レニングラードではピスカリョフ墓地に詣で、花を捧げました。アメリカを訪問した時にはアーリントン墓地に献花しました。戦場に散った尊い生命の犠牲を決してムダにしてはならないとの祈りからです。
 これらの戦没者墓地では、今なお、季節の花を捧げる年老いた婦人の姿が見られます。おそらく戦争で失った夫や子を思い悲しみにひたっているのでしょう。この人たちの悲しみが、私には、私自身の悲しみとなってきます。
 だが、もし今度核戦争が起こった時は、もはや花を捧げる女性もいないでしょう。それを思うと、なんとしても戦争は絶対に起こしてはならないとの痛切な思いに駆られるのです。私たちの住む、どの国民にとってもかけがえのない、この美しい地球を大事にするためにも、です……。
 ログノフ 池田先生、核戦争の脅威を前にして、あなたが平和の理念の徹底した伝道者であるだけでなく、実践活動においてもそうした理念の実現のために積極的に戦われていることを、私たちはよく知っております。
 先生の生涯は人道主義の理念につらぬかれたすばらしい人生です。そしてそのことは、私たちの世代には先生に対する深い尊敬の念を呼び起こしますし、若い人たちには、そういう人を模範にしようという気持ちを湧き起こさせるでしょう。先生の高尚なご活動でのご成功を衷心から希望してやみません。なぜならば、この成功こそ平和のために行動する私たち一人一人の正義の勝利に他ならないからです。

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