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日蓮大聖人・池田大作

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高度神経活動学説  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  池田 世界の医学・生理学史において、ソビエト医学の特筆すべき業績の一つに、パブロフ、ブイコフらによって形成されたネルヴィズムがあります。
 とくに、私は、パブロフの条件反射の理論と実験は、それまでの生理学を根底から変革する業績であり、その偉大な足跡は永遠に記録されるであろうと信じております。
 私は、有名な犬の唾液反射をはじめとする多くの実験によって示されたパブロフの条件反射学説の意義を次のようにとらえております。
 まず第一に、分析的医学に対する全体論的医学、総合的医学を確立したことです。
 第二に、パブロフは、たんなる動物の生理学ではなく、高次の精神活動を行う人間の生理学を究明した点です。
 第三に、彼は、それを生体と外界との相互作用として取り上げた点であり、ここに、偉大な条件反射の学説が成立したと思うのです。
 第四に、この条件反射は、大脳皮質を形成の場とし、神経系によって統一されていることを示した点であり、ここにネルヴィズムが確立された、といえましょう。
 第五に、光や音等の第一次信号系のほかに、言葉による刺激を第二次信号系と呼び、これによって、人間の高次の精神活動がいかにして形成されたかが、条件反射の立場から明瞭になったことです。
 パブロフのこのような独創性を引き継いでネルヴィズムを完成の域に達せしめたのが、ブイコフらの研究でありましょう。
 ネルヴィズムの立場からいえば、パブロフの実験が解明した学説は、人間の高次神経活動が大脳皮質の統合下にあるということですが、これに対して、ブイコフは自律神経系を含む生体の諸機能が大脳皮質によって統合されていることを示した点に特色があると思われます。
 とくに、自律神経系の支配下にある内臓器官が大脳皮質とも結合していることを証明した種々の実験は、皮質内臓病理学として医学に偉大な進展をもたらしました。これによって、多くの身体疾患、たとえば、高血圧、胃潰瘍、喘息等が、たんに臓器の疾患ではなく、大脳皮質からの条件反射によるものであることが示されたわけです。
2  こうして、パブロフとブイコフらによって形成されたネルヴィズムは、その後、アメリカで、行動主義心理学と結合し、行動療法という治療法を生みだしました。行動療法は心身療法のなかでも重要な位置を占めるにいたっていますが、典型的な行動療法の一つに、ウォルピーの系統的脱感作療法という方法があります。
 たとえば高所恐怖症の患者がいたとします。その患者は、高所においては、恐怖にとらわれ、目まい、動悸などの身体症状を示します。そこで、まず、患者をリラックスさせ、最初は二階あたりに慣れさせ、次に三階、四階とのぼって、最後には屋上でも恐怖を感じないようにしていくのです。
 この療法は、まったく、パブロフの条件反射の理論によっています。高所と恐怖という条件づけは、生後、なんらかの誤った経験が基になったものですから、この症状を治すには、少しずつ、誤った条件反射を崩していき、最後に解消してしまえばよいわけです。その方法が、系統的脱感作療法と呼ばれるものです。
 このように、条件反射理論はアメリカで一つの行動療法を生みだし、日本でも応用されていますが、ソビエトにおいて、ネルヴィズムは現在、どのような形で発展し、また実践面に役立てられているのでしょうか。
3  ログノフ I・P・パブロフが高次神経活動の研究を始めたのは十九世紀末から二十世紀初めのころでした。一八八三年、彼は初めてネルヴィズム理論を発表し、消化生理学分野の権威となり、その研究に対してノーベル賞を受賞しました。その後、パブロフは、当時としては、まったく未知の生理学分野すなわち大脳皮質の構造と機能の研究に着手しました。彼はこの研究の過程で唾液腺の働き、いわゆる「心理的唾液分泌」に出くわしました。実験に使った犬が食物を見ただけで唾液を分泌し始めたのです。パブロフ以前の学者はこれについて、「犬が考えているのだ」とか、「犬が感じているのだ」といった説明をしていたのですが、パブロフはそのような説明に満足しませんでした。彼は、動物に対して食事時に光信号を送るなど、さまざまな刺激を加えながら、動物の応答反射と、唾液と、分泌された胃液の量に基づいて、脳の働きを分析しました。
 卓越した生理学者であり、解剖学者であったパブロフは犬の大脳皮質のさまざまな部分――視覚、聴覚、触覚領域――に刺激を与え、視覚器官、聴覚器官、触覚器官に連結した大脳領域がどのようにして「条件反射」――初めて彼が学問に取り入れた概念――の形成に加わるかを結論づけました。条件反射とは大脳や生活器官が生活活動の過程で受容した、重要な刺激に反応する性質です。条件反射はつねに条件信号と補強手段――それは生活体にとってきわめて重要な、食物とか痛み、人間にとっては言語とか状況も含まれる刺激――をもっています。パブロフは条件反射に基づいて大脳の働きの基本法則を定義づけました。
 パブロフが条件反射の領域で研究を進めていた同じ時期に、アメリカで行動主義者(ビヘヴィオリスト)なる新しい生理学派が現れました。
 あなたは質問のなかで同学派の代表的人物について言及されています。しかし行動主義者は、パブロフの方法に類似した刺激・反応研究法を用いて動物や人間の反応の複雑性と速度を判定しましたが、大脳皮質内で起こる生理学的プロセスの核心にふれることはできませんでした。パブロフが何よりもまず重視したのは問題の生理学的側面でしたが、行動主義者の場合は心理学的側面だったのです。
 パブロフの学説の主要命題を要約して組み立てた場合、次のような諸点を抜き出すことができましょう。
4  第一に、動物と人間のいずれにおいても大脳の総合的働きの基礎となる無条件反射と条件反射の学説が構築されたこと。生物は成熟すればするほど、その条件反射や熟練度が増え、知識も増えるのです。時間が経過するにつれてできあがった関係の結果、変化する環境条件に対する生活体のより良い順応性が生まれます。パブロフは、条件反射の形成はなによりもまず大脳皮質に特有のものと考えました。多くの学者は、条件反射は大脳の低次の原初的な働きであると主張しましたし、今も主張しています。すなわち、大脳の高次の働きは条件反射によっては説明することができないかのように言っています。しかしそうではありません。条件反射そのものにさまざまな度合いの複雑性があるだけに、それに基づいてさまざまな抽象的な概念が生じるからです。条件反射のなかには未来を予見する要素も秘められているのです。
 第二に、パブロフは条件反射の発生と消滅の法則性を定義づけ、分析器官――感覚器官によって外界を分析し、映像をつくりだす神経器官――の概念を導入しました。彼は大脳皮質における興奮過程と抑制過程の相関性を解明し、発表しました。
 第三に、パブロフと彼の学派は高次神経活動を人間に適用した学説を完成しました。パブロフ自身は、動物実験をしましたが、その実験で得られた大脳活動の法則性についての結論を人間に移し替えることについてはたいへん慎重でした。しかし周知のように、パブロフは入院患者を観察しましたが、彼の弟子たちは直接、健康人を対象にして時間が経過するにつれて発生する関係を究明する方法を開発しました。この方法によってパブロフは人間の第二の言語信号系についての理論をつくりあげ、睡眠や催眠、そして神経異常、ノイローゼをもたらす高次神経機能の障害を解明する理論を完成しました。
5  パブロフの弟子ブイコフは、人間や動物の条件反射が感覚器官に対してだけでなく、内臓器官――胃、膀胱、心膜等――の刺激に対してもつくりだされることを立証しました。このことは中枢神経系統の研究に大きく寄与しました。すなわち、大脳の側から内臓器官、たとえば心臓の働きを自由にコントロールする問題が提起されたのです。以前は、内臓器官をコントロールできるのは自律神経系統であると考えられていました。
 その後の研究によって催眠状態の時に起こる不思議な現象が解明されました。たとえば、心理治療中、実際は手に氷をのせているにもかかわらず、精神科医が「あなたの手に熱いものを当ててある」というと、その手の血管が広がる現象を引き起こすのです。結果として、大脳皮質は内臓器官の働きを調整するという結論が出されました。
 大脳の調整力は、現在広く用いられている自生的トレーニング組織を分析するさいにも認められます。すなわち、大脳の指令によって筋肉が弛緩し、心臓の鼓動が遅くなり、血圧が低下するのです。
 ソ連の生理学と医学においてネルヴィズム理論はパブロフの先輩にあたる生理学者セチェーノフの研究に端を発しています。ロシアの優れた医師ボトキンはこの理論を臨床治療に用いて、さらに発展させました。I・P・パブロフは、「ネルヴィズム」を実践化するうえでの理論的基礎づけをし、たとえば次のように書いています。「ネルヴィズムとは、神経系統の作用を人体のできるだけ多くの活動に広げようとする生理学的学説と解すべきである」
6  ネルヴィズム理論の主要命題は、ネルヴィズムを棲息環境との不断の相互作用下にある諸器官の相関性を特徴とする統一的仕組みとして理解することにあります。ネルヴィズム理論はパブロフによって打ち立てられた高次神経活動の学説に完全かつ明確に具象化されています。パブロフと彼の弟子たちの研究から明らかなように、患者の神経・精神活動の状態は病気の発生ならびに経過に、そしてしばしば病気の帰趨にもきわめて大きな役割を演じます。
 臨床医学は次のことを教えています。すなわち、病気の構造を解明する前に、医師とくに精神科医は患者を理解しなければなりません。そのあとで患者による自己の病状の主観的な判断と真の病状とを区別する必要があります。医師は対話の過程で、ある場合は患者の注意を彼の病気からそらさせ、またある場合には病気に注意を集中させます。
7  あなたは行動療法によってさまざまな恐怖症――たとえば高所恐怖症――を治す問題にもふれられました。なかんずく、系統的脱感作療法について述べられています。病理的感覚を減らし、新しい知覚に切り替える方法は西側の医学で広く用いられています。ソ連には高次神経活動の学説に立脚した独自のネルヴィズム学派が存在します。それは療法においても、療法の説明においても行動学派とは異なっています。
 しかし多くの場合、二つの学派は恐怖症の治療といった点では互いに似通っています。ネルヴィズム学説によりますと、恐怖の克服とは、古い病理的な条件反射を鈍らせ、新しい条件反射――をつくりだすことです。ネルヴィズム学説は、人間にとって新しい活動領域における人間に必要な感覚をつくりだそうとする場合、ソ連の生理学者や医師によって広く実践されています。
 たとえば、宇宙で無重力の状態にある時、重い病気が起こり得ますが、それは、人間は重力感のもとに生きるよう慣らされてきたのに、宇宙にはそれがないため起こるのです。こうした病気をなくすため、宇宙飛行士は無重力状態に慣れ、内耳前庭器官から受け取る感覚を他の感覚器官によって代替するための特別訓練を受けます。ソ連の宇宙飛行士は数カ月間無重力の状態で宇宙に滞在しましたが、これは宇宙飛行士が大脳の機能関係を再編成し、無重力そのものを克服することによって可能となったのでした。こうしたことはガゼンコ・アカデミー会員を長とするソ連の生理学者、医師の大きな成果といえます。
 パブロフのネルヴィズム論はソ連医学の多くの分野、まず第一に、ノイローゼ、言語障害、麻酔剤中毒症、ヒステリー、恐怖症といった大脳の機能破壊と結びついた神経障害の治療に用いられています。ソ連の医学界では前述した大脳の機能障害の治療、広くみられる心身症の心理療法の進歩向上に大きな注意が払われています。
 専門家の結論によりますと、外来患者の三〇パーセントから四〇パーセントは、なによりもまず精神科医による治療を必要としています。なんらかの器官の働きが破壊されたように思い込み不快を感ずるという患者の訴えは、当該器官の衝動と大脳との異常な相互作用のため起こるのです。普通、不快感はストレス状態を背景として昂進します。
 心身症の療法がソ連と外国ではそれぞれ違った方法論的アプローチに依拠しているということに留意すべきでありましょう。
8  精神身体医学(心身医学)が高い水準に発達しているアメリカでは精神科医は精神分析を用いるにあたって、人間の心理・精神状態のフロイト的理解をよりどころにしています。そこでは患者の意識下の精神的体験、主として性的なものに基づいて病気の原因や性質が診断されます。
 ソ連の精神科医は病気の診断にさいして対談、患者を交えての病因および病気の特質の分析、情緒・ストレス的心理療法といった広範な手段を用いています。大脳の意識的活動範囲と無意識的な領域が並行してとらえられるのはいうまでもありません。しかし、ソ連の専門家はフロイト的思想傾向の精神分析医と違って、無意識行為を、人体の内外からの刺激によってもたらされ、意識領域に達しない行為として理解しています。
 その場合、病気の原因と性質は、夢や象徴の説明といった主観的方法によってではなく、患者が生活している社会環境の客観的な分析、患者の心理・精神状態、情緒・習慣の特質によって判定します。ソ連には専門化された精神療法研究室が約五百、大規模の精神療法センターが数カ所あり、さらに医科大学では精神科医の専門訓練がなされています。将来は心理療法はいっそう進歩し、改善されるでしょう。
 あなたはネルヴィズム論の理論的側面にふれておられます。
 生物は種々の条件反射を獲得していくにつれて、しだいに外界に対する自由を得ていくというあなたのお考えに同感です。条件反射は高度に複雑化することが可能です。動物にとっては外的環境に適応するためのこのような器官で十分ですが、人間にとっては、人間を動物界から区別するもう一つの信号系、すなわち、普遍化、抽象化を内容とする特殊信号――パブロフによる――の刺激が必要です。このような信号が言葉なのです。人間の大脳の重要な機能である言語によって人間は創造力や個性を伸ばし、その結果、文化や科学技術の領域で大きな成果を上げることができたわけです。
 すでに古代ギリシャのヒポクラテスは四種の気質――胆汁質、多血質、粘液質、うつ気質――を定義づけ、体内の三つの液体――血液、胆汁、粘液――の相関性と質に応じて人間の気質の相違を説明しました。こうした定義づけに対する批判はさておいて、人間の振る舞いの特徴をさまざまな気質に従って正しくみてとったヒポクラテスの炯眼は十分に評価すべきでしょう。
9  パブロフは動物と人間の高次神経活動の個々の違いを重視しました。彼は神経系統の主な特質である神経プロセスの強度と平衡度、易動性を組み合わせて高次神経活動の型についての学説を打ち立てました。これらの特質は天性のものです。パブロフとその後継者は各種の条件反射の助けをかりて神経活動の四つの型を選びだしました。それら四つの型は、パブロフが考えていたように、四種の気質についてのヒポクラテスの記述と合致します。
 パブロフは人間の高次神経活動の一般的な類別のほかに、一次信号系と二次信号系との間のさまざまな相関性によって特徴づけられる特殊の型を類別しました。それは次のとおりです。
 ○芸術型∥この型の人間では、情緒的な思考傾向が強く、直接的な現実受容がはっきり現れます。
 ○思考型∥二次信号系――言語、抽象的な思考能力――が発達しています。
 ○中間型∥以上の二つの型の特徴がつり合っています――大半の人がこの型に属する。
 パブロフは型と性格を区別しました。性格は高次神経活動の先天的な特徴と後天的な特性が結合したものです。周知のように、性格の形成に対して大きな影響を与えるのは人間形成の場となる社会的条件です。このような人格形成の過程で後天的な型の社会的行為は多くの場合、先天的な型の高次神経活動を完全に蔽い隠してしまいますので、それを見きわめるのはきわめて困難です。換言すれば、ある人間がどの型の気質に属するかを判定するのは容易ではありません。
 人間の大脳、総じて人体は周囲の環境や状況に対する大きな順応力をそなえているという点に注意する必要があります。したがって、幼時期から子どもに一定の教育と習熟を体得させることがとりわけ重要なのです。先天的に神経系の弱い人が、強い神経系をもった人より大きな労働能力と生産性の持ち主である場合が往々にしてあるのは、このためです。
 現代の生活は、すでに早い時期から職業指導の問題が提起されるほど目まぐるしく動いています。こうした問題の解決を容易にするためには、人間の高次神経活動の天与の特性を知ることが必要です。たとえば、飛行士、空港管制員、オペレーターにとっては、優れた肉体的訓練、敏捷性、神経プロセスの均衡性が必要です。
10  学者は人間の大脳の個別的特質についての研究をつづけています。そのさい、大脳各部における神経プロセスの基本的特徴の解明に大きな注意がさかれます。この方面でソ連の学者、とりわけチェプロフとニェブィリーツィンは優れた成果を上げました。一例をあげれば、二人は、神経系の弱いうつ型人間は感覚的に鋭いという事実を突き止めました。このことは、ある気質の不足が別の気質の高い発達によって償われるという大脳の大きな能力を裏書きしています。
 ここでもう一人のソ連の優れた学者、精神科医で心理学者のベフテレフの名を思い出すべきでしょう。彼は生理学的、解剖学的、そして心理学的方法による大脳の総合的研究に基づいて性格を研究しました。彼は反射学の創始者といわれていますが、それは正しいと思います。
 神経プロセスの性格の研究は、あらゆる方向、あらゆる水準――分子、細胞、組織――において進められています。その結果、生理学者が確言しているように、すでに近い将来、個々の大脳部分、全体としてはすべての大脳皮質の働きの主要特徴を解明することが可能になると思います。
 一方、そのことによって、任意の活動に対する人間の能力が解明されるだけでなく、生活体の生理学的メカニズムの働きも完全に説明することが可能になるでしょう。

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