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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙における知的生物の存在の可能性  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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2  ログノフ この問題はかなり範囲が広く、多面的ですが、それを研究解明することは人類にとってきわめて重要な意義をもっています。ご承知のように、人間は自分を直接取り巻いている環境や知覚の範囲内に決してとどまっていません。人間社会発展の黎明期においてさえ、未知の国や民族についての記録が活用されて大きな成果を上げました。知識欲はつねに社会のすべての発展段階における科学技術の進歩をうながしました。知識欲によって人間は環境やさまざまな共同体の枠内で、総じては、全人類的規模において自分が占める地位を知ることができたのです。地球上ではこの種の発展期はすでに完了しました。現段階において人間の知識が今後大きく拡大する可能性の一つは地球を取り巻く宇宙空間の研究と結びついています。
 ここでとりわけすべての人間の関心の的となっているのは、宇宙に生命体が存在するか否かを探る問題でしょう。現在、この問題は、地球上でのあらゆる生命体を把握するための実験やその生命体を環境に順応させる方法を考慮に入れた研究が進められています。たとえば、物理、化学、地質学において私たちが事実上頼ることができるのは現在の正確な知識だけです。そうだとすれば、地球上の生命の生成発展と関連のない宇宙生命を発見したとしますと、その生命およびその生存形態について本質的に新しい情報を得ることは十分可能でしょう。
 ここでまず申し上げておきたいのは、宇宙における生命の問題は、すぐれて世界観的、哲学的問題だということです。地球外の生命体の発見は、地球上の生命体が唯一のものではないことを明白に立証することになり、それは、また、地球は宇宙の中で例外的な存在だという考えや、「生命の創造」「人間の創造」といったさまざまな神話的伝承を根底からくつがえすことになります。同時に、そうした生命体と接触した時、かなり複雑な倫理上、実際上の問題がもちあがるでしょう。もしその生物がかなり高い発展水準にあり、私たちのなじめないような知識、概念を理解しうる知的水準に達している場合はなおさらです。
3  さらに、宇宙における生命の問題はきわめて重要な生物学的問題です。よく知られていますように、地球上のあらゆる生物の生成と全般的な進化の過程は、主要な構造の特徴づけと生化学的プロセスの統一をもたらしました。このことは、生物と無生物、つまり現存する生物と競争し得ない無生物との間の中間的な形態の保存ないし再現を現生物圏において不可能にしました。地球上の生命がいかに多様であろうと、だいたいにおいて生物学が科学として成り立つために特別重要な役割を果たしたのは、地球上の相対的に隔離された場所での生命の研究でした。しかもそれは一部の残存生物的形態がその場所に保存されたためだけでなく、他の場所にも存在し、長いあいだ独自に発達してきた生物がそこに存在したことにもよりました。
 しかしながら、地球の条件のもとでの隔離に完全なものはありません。顕微鏡的形態のものにとってはなおさらです。このことは地球外生命の研究がいかに重要かを物語っています。そうした研究は分子、細胞の水準での生命プロセスの原理を解明し、生物と無生物との違いを明確に判別し、地上生物の規則的な、もしかすると固有の特徴づけやプロセスを解明し、最終的に生命現象そのものを把握するうえできわめて大きな役割を果たすでしょう。
 そうした研究は生命の化学的基盤の特徴、生命形態の多様性や生物の細胞組成やその発達、再生の条件、形態の特徴、環境との交流、環境資源の利用、生命が環境に与える影響、各種生命間の相互関係の特徴、不活動状態での生存の限度、地球上生命との相互作用の特徴、さらには検疫問題等、そのような生命を利用することができるか、あるいはその生命から生産に必要な発酵系統を抽出することができるかといった問題も含めて、本質的に新しい知識を与えてくれるでしょう。
 それは、たとえば、人間に必要な生物学的機能をもった物質を生産するためや、地球には存在しない遺伝物質を遺伝工学の方法で地球生物に組み入れるため――それら物質の間に根本的な違いがない場合に限る――に利用できるかという問題も含んでいます。
 地球外文明の発見やそれとの接触はさらに大きな意義をもつでしょう。もっともそこではそれなりの、かなり複雑な問題が生まれる可能性もあります。
4  以上述べてきた事柄から、宇宙生命の探求と発見がどんなに過大視してもしきれないほど重要な問題であることがわかります。地球外の生命を発見し、研究することは、基礎生物学および応用生物学のすべての領域に対し、またその他の人間活動の分野に対してもきわめて大きな影響を与えるでしょう。
 これに関連して、近年広く論議されている生態学の諸問題が自然科学のみならず人文科学分野にもおよぼす重大な影響について考える必要があります。ですが、それと同時に複雑な哲学上、科学上の問題が生じるでしょう。もっぱら応用的な問題にはもうふれることもなくなるでしょう。全人類はたんに応用的な問題に興味をもつだけではすまされません。それは、人類の直接的利害にかかわる問題となるかもしれないのです。とくに地球の条件においてそのような生命に接触する場合がそうです。そこではかなり広範囲の国際協力が必要となり、人類はこぞって問題の解決に乗りださなければなりません。
 宇宙における生命の問題はきわめて重大であり、たとえそうした生命が発見される可能性が少ないとしても、この問題には慎重に対応すべきであり、その保存、とくに太陽系における生命の保存について最大限厳しい措置をとらなければなりません。ここ数年間の研究によって、宇宙には有機物質がかなり広くいきわたっていることがわかりました。およそ百種の比較的単純な有機分子が容量から見てかなり集積した形で発見されています。また惑星や小さな天体において有機化合物の相当複雑なプロセスがあるのではないかというデータも入手されました。
 けれども、非常に複雑な有機物質の出現と、相互に合致した多量の生化学反応をそなえ、自分に似たものを再生しうるごく下等な生命体の発生との間の隔たりはきわめて大きいのです。そのプロセスは自然条件では数百万年を要し、実験室の条件においてそれをどのように再生したらいいかは、今のところまだわからないというのが実情です。にもかかわらず、私たちは地球における生命の発生をよりどころにして、宇宙には生命の出現とその一定水準までの発達を可能にする惑星系が相当多数存在すると予測することができます。
5  このように、宇宙における生命の探求は人間にとってかなり現実的な課題であったし、今もそうです。こうした研究は科学の進歩には限りがないことを示すものであり、新しいもの、未知のものを知りたいという人間の願望、地球に限らず、宇宙でも自分が占めるべき地位と役割を知りたいという人間の欲求を裏書きしています。同時にそれは地球上の生命がいかに重要かを強調しています。地球上の生命は宇宙において唯一であり理性と文明はユニーク(これにも例外はありうる)だとはいえませんが、私たちにとっては唯一無二のものであり、何物にも代えがたく貴重な価値なのです。
 仮に、私たちが観測する宇宙(観測可能部分の)に別の理性、別の文明が存在するとしても、その理性、文明がつくりだした自然に対する法則は、私たちのもっているものと同じであるにちがいないと思います。しかし、精神生活の形態まで合致しなければならないとは言いかねます。文学・芸術についてはいうまでもありません。この領域において多少なりとも明確な結論を出す十分な根拠が、私たちにはもともとないのです。そのうえ、これは歴史が示していることですが、それぞれの世紀に対する科学的推挙はそのかなりの部分が最終的なものではなく、再検討を加えられています。
 ですから、未認識の領域への幅広い補足は、ことさら慎重を期す必要があります。というのも、私たちが補足するものが将来、誤りであったということが判明することもありうるのですから、仏法でいう「慎むべきことは無知だが、さらに慎むべきは偽りの知識だ」は、ひときわ深遠な意味をもっていると思われます。
 今のところ、たんに仮説の域を出ない他の宇宙文明の精神世界への態度について、問題解決の試みとして、かくもかけ離れた補足に訴えることは、不可避的にともなう知識不足、そこに不可避的に介在する――しかし今のところ、みずからはそれに気づかない不正確さ――誤謬、真理との不一致からして、とくに危険です。ですから、私としては、別世界の知的生物の精神世界および文化の個々の側面についての予測をより実り多い形でなしうるのは、私たち学者ではなくて、たとえば、SF作家であると、このように考えます。

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