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日蓮大聖人・池田大作

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伝統と近代化  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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2  ログノフ 文化、思想、社会生活における伝統と近代化の相関性という問題は、あなたが正しく指摘されているように、全人類文化を存続・発展させていくうえで重要であり、とりわけ興味深い問題です。あなたが、他ならぬロシア社会思想史にかかわる問題の側面に関心をおもちのようですので、若干、私見を述べさせていただきます。
 スラヴ派と西欧派の論争そのものは、あなたのご指摘のように、十九世紀の三〇―四〇年代のことです。しかし、それは、この種の問題の最初の論争ではなく、遠くは、十一世紀キエフ・ルーシ(ロシアの古名)国家の全盛期にまでさかのぼります。
 以下、伝統と近代化に直接、かかわりをもつ人々の名をあげてみましょう。それは、十五―十六世紀のマクシム・グレーク、十六世紀のイワン雷帝、十七世紀のユーリィ・クリジャーニチ、十八世紀のフェオファン・プロコボーヴィチ、改革者王ピョートル一世、モスクワ大学の創立者ミハイル・ロモノーソフ、アレクサンドル・ラジーシチェフ、十九世紀二〇年代のバーヴェル・ペステリなどでした。
 もし近代化を総じて社会的刷新と解するならば、この用語は当然すべてを包含するものであり、無限の意味合いをもちます。「近代化」なる概念はおそらく、具体的な歴史的文脈においては一定の社会的内容をもっていると思います。たとえば、十六世紀にイワン雷帝が遂行した近代化と、十九世紀初頭に革命家デカブリストのペステリがめざした近代化との間に違いがあることは明らです。あなたが使われた近代化という用語をスラヴ派と西欧派の論争に適用するかぎり、スラヴ派と西欧派はともにかなりひかえめな近代化論者であり、貴族・地主的な自由主義の色彩の濃い社会刷新の支持者であったといえます。したがって、彼らの間の論争は十九世紀前半という一定の社会的・歴史的枠組みをもったものでした。
 ところが、西ヨーロッパやアメリカで出版されているロシア文化史関係の文献ではスラヴ派と西欧派について、若干拡大された解釈が認められます。それは、そもそもスラヴ派と西欧派の年代的枠組みを二十世紀にまで広げ、そのうえ、革命的民主主義者まで西欧派に加えている点で、これは史実に合っていません。事実は、かつてのスラヴ派と西欧派はロシアにおける農奴制廃止をもたらした一八六一年改革の前後にはともに穏健な改良主義者として、一致して革命民主主義的傾向に反対したのです。
3  池田 スラヴ派と西欧派はいずれも穏健な改良主義者であって、これをソビエト革命を成し遂げた人々と同一視してはならないということですね。もちろん、社会主義思想の系譜のうえからは、そのとおりでしょう。
 ログノフ 革命的民主主義者は、革命的農民層のイデオローグとして農民革命を呼びかけながら、西欧派にも、スラヴ派にも反対して行動したのです。他のヨーロッパ諸国より遅れて資本主義の影響を体験した一八六〇年代のロシアでは革命的農民層の思想は、フランス大革命において革命的ブルジョアジー(資本家階級)の思想が演じた役割に近い役割を果たしました。
 その後、ロシアがすでに帝国主義期に入った二十世紀初頭に穏健派ならびに保守派のブルジョア・イデオローグは、当時明らかな時代錯誤と見られていたスラヴ派・西欧派的思想を復活させようとしてむなしい努力を試みました。ロシアの社会・政治体制を根本から変えないかぎり、「近代化」は考えもおよばないものとなりました。レーニンは、このことに関連して、一九一三年、「今のロシアではいかなる改革も不可能というのがさしあたっての情勢である」と書いています。
 マルクス主義以前のロシア共同体の解釈についていえば、私たちにとって身近なのは、共同体における平和な勤労生活よりも家父長制・君主制を理想化したスラヴ派的見解ではなく、革命的民主主義者、なかんずくチェルヌィシェフスキーの見解です。他ならぬ彼こそ、農村共同体の勤労的、集団主義的、自然発生的な社会主義傾向を強調したのです。
 もちろん、ロシアが農村共同体を通して社会主義に移行するというチェルヌィシェフスキーの考えは空想的なものでした。しかし、資本主義の道を通らずに社会主義に発展していくという思想そのものは正しかったのです。その思想を科学的社会学の立場から提起したのは、周知のように、マルクス、エンゲルスであり、レーニンでした。十月社会主義大革命以後この思想は現実的に立証されました。多くの国と国民が資本主義的な発展段階を経ずに社会主義の建設に移行しました。
4  池田 私がスラヴ派と西欧派との論争に興味をもつもう一つの理由は、スラヴ派の論調に多くの欠陥はあるにしても、彼らが一様に、ロシア古来の農村共同体を称賛しているからです。善良で信仰心が厚く、裕福なロシアの農民像は、多くのロシアの作家が好んで取り上げたところでもありました。
 ある日本の識者は、こうしたロシアの伝統を指摘して「ロシア人は、看板にいつわりなく、平和を愛する民族である」と述べております。事実、現在のソ連を訪れ、親しく民衆に接したわが国の人々が等しく口にするのも、ロシアの人々の人の良さ、スラヴ的鷹揚さといったものです。ロシアのいい意味での伝統は、こうしたところにも生きているのではないかと思います。
 私の若い友人は、農村共同体を意味するロシア語のミールが、同時に平和を意味していることを教えてくれました。私はそこに、ロシア民族の伝統に根ざす、深い知恵を感じたものです。共同体意識が平和の基盤であることは、いうまでもありませんが、とくに世界平和実現のためには、人類全体の運命共同体意識が養われるかどうかがその鍵となるといえましょう。共同体意識と平和という意味を同時に含むロシア語のミールは、そのことを鋭くわれわれの前に提起しているようです。
 私もまた貴国ソビエトを何回か訪問し、さまざまな人々にふれて感じたのは、大地に根ざした逞しい生活意欲と、それゆえにこそ平和を愛する心です。
5  ログノフ ロシア語のミールについてのあなたの語源論的分析はきわめて興味深いといえましょう。事実、この言葉は、たとえば、英語のワールドおよびピースの概念をあわせもっています。十九世紀の一部の著者が叙述した農村共同体という現象はすでにだいぶ前から存在しませんが、ロシア語としては、人々の一定の共同性、なかんずく勤労上の共同性を意味するミールの概念が今なお生きつづけています。ロシア人は今もなお、「ミール的に、つまり、一緒に、共同して、集団的に作業しよう」という表現を使います。
 ロシア語にはミロエードという、もう一つおもしろい言葉もあります。この言葉の語源も同じくミールです。ミロエードとは、ミールつまり勤労者の共同体に敵意をもち、自分は労せず、他人の労働に寄食する人間のことなのです。勤労生活、共同生活を伝統的に尊ぶ風潮、前述のミロエードに対する嫌悪感は、今のソ連にもそのまま受け継がれただけでなく、新しい社会主義的内容を付け加えました。なぜならば、それは、人間の尊厳の判断基準は労働であるという私たちの社会の基本原則と合致するからです。
 ところで、あなたは訪ソの印象を簡単に特徴づけて、「私は貴国において人々の生活意欲を感じ取った」と書いておられますが、それは、私の理解するところ、労働と直接結びついていると思います。
 誠実に働く人間の印象、善良な勤労者の印象は、十九世紀ロシア文学の優れた作家にとってそうであったと同様、今日、ソ連の人々にとっても大切なものとして保持されています。新しい社会主義的内容を加えた善、労働、共同体の伝統は、ソ連の兄弟的諸民族の団結した家庭において神聖に保たれ、さらに発展をつづけています。

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