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家庭教育
「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)
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池田
人格形成という面では、家庭のもつ役割は、きわめて重要なものがあります。
人間の成長過程において、その人格の最も基本的なものは、四、五歳までの間に形成されるというのが、ほとんど異論の余地のない通説です。近年は、胎児の期間にその最も大事な基礎が形成されるとさえいわれ、いわゆる胎教の重要性が指摘されています。
それはともあれ、この人格形成の大切な時期を占めているのが、家庭生活です。ところが、その家庭が、潤いを失い、家庭の中核であるべき夫婦が不和であったり、別居を余儀なくされていたり、さらには離婚となり崩壊してしまう例も少なくありません。胎児は、言葉こそ理解できなくても、両親が争い合っている時など、激しい恐怖、不安に脅えるといいます。まして、生まれて成長するにつれて、言葉もわかるようになると、両親の争いを目にして、どんなに不安に襲われることでしょう。
両親が離婚した場合には、夫婦のどちらに引き取られるにせよ、父と信じ、母と頼っている人のどちらかを失うわけですから、幼心に受ける傷は、痛ましいかぎりです。
もちろん、離婚家庭にあっても、正常な家庭に育った子ども以上に、責任感も強く、円満な人格を形成する例も決して少なくありませんが、それであっても、子どもにとって両親の不和や離婚は大きな不幸です。
こうした、人格形成の場としての家庭の役割と、現代の先進社会における家庭崩壊の現象について、どのようにお考えでしょうか。
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ログノフ
近年来“結婚の危機”がしばしば語られるようになりました。人間の欲求は、その人に一体性と不変性の感情がある時、完全に充足されると考えてよいでしょう。その一体性、不変性の基盤になるのが、人間がその幼年期を過ごした家庭です。家や家庭は、ひなどりがいつもそこへ帰りたがる巣なのです。これは家庭和楽の条件においてのみ可能なのであって、それをつくりあげるのは夫婦間の和合です。自分の家に対する子どもの愛情はきわめて早い時期に芽ばえます。このような家庭を築くことは両親の大きな功績です。このことは、子どもたちがかなり早くから両親のもとから独立するようになった現代において特別の意味をもつと思います。つまり、結婚によって結ばれたカップルの親密な心のふれあい、精神的、肉体的な調和がかつてないほど重要になっているのです。
家庭が複雑な人間集団の一部であり、その構成員の幸福は、家庭が社会生活に喜んで参加して初めて完全なものとなることも忘れてはならないでしょう。現在、新しい形の家庭人の社会進出が形成されつつありますが、このような形態を発展強化させることは、人々の社会参加が自覚的であればあるほど、それだけ早くかつ効果的に進行します。
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池田
今日、家庭が崩壊の危機にあるというのは、一つには、社会のあまりにも急激な変化に家庭というものが対応しきれないでいるためであるとも考えられます。社会は、あらゆる意味で組織化され、以前は家庭の中でなされていたことが、社会組織によって行われるようになっています。すなわち、以前は裕福な家庭は教師を雇って、家庭内で子弟に教育を施したわけですが、近代社会では、子どもたちは、家庭から出て、学校で教育を受けます。幼児すら幼稚園へ通い、さらには嬰児さえ託児所に預けられるようになっています。
ログノフ
私は、家庭では夫婦が二人して家庭生活の内容、そしてその形態を決めていくべきであると思います。幼稚園の性格と役割も将来は本質的に変わるべきでしょう。私は、幼稚園が言葉の完全な意味で園、緑園に囲まれた空間だったころのことを今でも覚えています。当時は子どもたちがそこで過ごしたのは短い時間でした。
今では事情が根本的に変わりました。現在、わが国では四歳から六歳までの幼児の五〇パーセント以上が幼稚園で平均九~十時間過ごしています。言い換えますと、子どもたちは両親の勤務時間プラス通勤時間の間そこにいるのです。これらの時間中、幼稚園で子どもの世話をするのは“第二の両親”、幼児教育の専門家です。子どもたちは食事を一日四回とり、昼食後、午睡し、幼児教育の専門家が特別に作成した就学前教育カリキュラムによる遊戯と学習をとりまぜた教育を受けます。
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池田
これまでの文明の進歩は、なるべく多くの人を社会的仕組みのなかに組み込むことによってなされてきました。
労働の場は家庭から役所や企業に移り、子どもの教育の場も家庭から学校に移りました。しかし、今日、先端的な技術革新は、あらゆる面でオートメーション化をもたらしつつあり、人間の労働を必要としなくなっていきつつあります。
ということは、人々が家庭で過ごす時間が増えるということです。この傾向が家庭のあり方にどんな変化をもたらすと考えられますか。
ログノフ
幼児が幼稚園にいる時間は四、五時間で、残りの時間は家で両親と過ごすといった光景を想像してみましょう。おそらく、それは家庭の強化、離婚数の減少、そして、これはきわめて重要なことですが、各世代間のより緊密で自然的な結びつきをもたらすでしょう。重ねてここで強調したいのは、健全なる家庭こそ人間の複雑な生活体系における重要な一環であるということです。だれが言ったかはっきりとは覚えていませんが、人間は、老人と子どもの二世代に取り巻かれて暮らす時、最も安定しており、幸せであるといわれます。私はこの言葉に完全に同感です。しかしながら、察するに、未来の理想的家庭は現代のいわゆる“核家族”とも、また生産基盤に立った過去の大家族とも違ったものであるべきだと思います。人道主義的理想、高い自覚水準――まさにこれこそ新しい型の大家族の基盤を築くことになるのです。同時に、このような家庭の核をなすものは、総じてどの家庭も同様、夫婦関係です。したがって必然的に、次のような結論が浮かんできます。つまり、健全な家庭は安定した夫婦関係の性格にかかっているということです。
5
池田
残念なことに今日、離婚にいたる家庭が増えています。夫婦が別れる場合にはさまざまな事情があるでしょうが、安易な結婚観によるものも少なくないと思います。恋愛し、やがて実際の結婚生活に入ると、互いの欠点が目立つようになる。本来、夫婦とは、互いの短所を補い合い、長所を伸ばし合っていく関係でなくてはならないと思うのですが、その努力をせず、互いに欠点ばかりを責め合うようになってしまう。また、互いが権利ばかりを主張し合い、権利と権利とがぶつかり合ってしまう。
男女平等ということにしましても、男性と女性の特質や役割を度外視して、双方ともに無理解、非協力を嘆くようになります。そこに、女性も自活できるという社会的条件が加われば、離婚という事態にともすればおちいりかねないのでしょう。
ログノフ
重要なのは、結婚生活に入った若い夫婦がお互いの欠点を言い合うのではなく、それらの除去に役立つ愛の雰囲気をつくりだすことなのです。そしてこのことは十分現実性をもっています。なぜなら、若い男女は結婚するにあたって幸福を願い、その可能性を信じています。ですから自分たちにとって大切な絆を固める形態を積極的に探し求めます。それは喜びと希望をいだかせます。
しかし、人生は一瞬たりとも立ち止まらず、人間は絶えず変化していきます。ですから、このことが夫婦のそれぞれに対して個人的な関係においても、また外部世界に対する彼らの対応においても新しい要因を提供します。変化は子どものいない家庭でも見られますが、それは、子どもが成人になりつつある家庭においてとりわけダイナミックな形をとります。娘や息子は成長し、両親である夫婦も変わっていきます。家庭は進化発展しています。それで母親と父親はすでに成人した子どもと並んで、同時に“第二の青春”を味わいます。私は、五十歳を超えた同僚や友人から、おじいさんやおばあさんの幸せな時期に入って“第三の青春”をも手にしたという話をよく耳にします。その場合でも最終的に解決された問題などないし、またあり得ません。夫婦関係や家庭関係の諸問題をすでに若い時期に解決したと考えている人たちは失敗を避けられないでしょう。つまり、人生は停滞を許さないのです。愛情、誠実な伴侶、気高い情緒感にあふれた共同生活をめざすたたかいは毎日、毎時つづけていかなければなりません。
新婚者は共同生活の第一歩から、一分たりとも自己啓発を止めてはならないことを心にとめるべきでしょう。
われわれが欲すると欲せざるとにかかわらず、人生は絶えず人々に対して新しい課題を提起しますし、まったく予期しない事態の前に立たせます。“人生はすべてがたたかい。やすらぎは夢に現れるのみ”――ロシアの詩人アレクサンドル・ブロークが謳ったこの言葉は驚くほど正しいと思います。優れた文学作品には、ひっそりとした淀みや静止の傾向に対して容赦ない態度をとることを示した実例が少なくありません。人生は、精力的で、時代の脈拍を感じ取り、それと歩調を合わせようと努める人々に対して好意的なのです。
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