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青少年と人格形成  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  池田 青少年の教育において最も大事なことは、その人格形成をいかに正しくリードし助けていくかということであると考えます。ところが、現代においては、この人格形成という問題は等閑視され、もっぱら知識や技能の授受が重視される傾向があります。
 創価学会初代会長の牧口常三郎先生は、長年、小学校校長を歴任された人ですが、その実践経験を基盤に、教育哲学、教育理論を打ち立てられました。牧口先生は、青少年の正しい人格形成のために根本となるものとして、価値論を訴えられました。いわゆる真善美の価値観に対して、利善美の価値観を立てられたことは、その独創性を示すものといってよいでしょう。
 また、もう一つ、牧口先生が提唱された独創的教育理論として「半日学校制度」があります。これは、半日、教室で勉強し、残る半日は社会にあって労働に従事するという方式で、このことによって青少年は現実に根ざした物の考え方を身につけることができるし、学問、知識を正しく使いこなす方法を自分のものにすることができるというものです。
 ログノフ 人格の形成に対して労働が及ぼす影響は大きいとのあなたの考えに同意します。社会が所有する一切のものは労働の所産です。もし富や権威や社会的地位といったものが労働なしで得られるとすれば、人間の正しい労働観を育てることは不可能な問題になってしまうでしょう。
 若者がしばしば労働は人間の内的な欲求であり、才能を発揮する手段であることを理解せず、たんに富や権威や地位を得るための手段にすぎないと考えている点を指摘する必要があります。
 池田 人間は、知識の授受に終始すると、とくに青少年の場合、受け身的な傾向になりやすいものです。また、思想、哲学についても、抽象的観念に走ってしまいがちです。労働に従事しつつ学ぶことは、そうした弊害を防ぐことになるでしょう。また、古い世代と新しい世代との断絶も、その極端な隔絶は防がれるにちがいありません。
2  ログノフ ソビエト国家はつねに若い世代の教育問題を重視しています。たとえば、今日、最も重要な国家的課題になっているのは、普通教育制度(初等・中等教育)の改革です。それはなによりもまず、教育と生活、実地経験との結びつきを強めることを狙いとしていますが、これらの課題は全国的な一連の総合施策によって解決されましょう。労働教育がこれまでより原則的に高いレベルに引き上げられます。それらの施策によって労働教育には大企業や勤労集団が参加します。同時にまた、教育課程が強化されます。生徒たちはさらに高度の知識を習得し、それを実習の過程で活用する術を学び、社会の発展法則に関する基礎知識をしっかりもたなければなりません。
 普通教育制学校の改革についての文書に盛られた方針は大学生に対しても直接的な関連をもっています。大学生と、より年少の世代である小中学生との、より緊密な交流形態が導入されます。すなわち、それは小中学生に対する大学生の指導、援助であり、夜間制、通信制によって物理学、数学、経済学、新聞学を教える学校を大学に付属して設置することであり、また小中学生のためのオリンピック競技の実施等です。
 以上述べてきたすべての教育形態は、過去に優れた学者や教育者、国家活動家を輩出して、ソビエト社会の発展に大きく貢献したモスクワ大学の学生の教育問題を解決するのを助けることになりましょう。
3  池田 成人して年月が経ち、円熟味をもった人が少年たちの教育にたずさわることも大切ですが、それと同時に、今、成人しつつある青年がそうした少年たちにふれることもきわめて重要です。
 少年たちはそれによって、さまざまな面で、自分がどう進むべきかの示唆を汲み取ることができるでしょう。
 ログノフ 私たちはここで各世代間の関係の問題、青年とその教育の問題に到達しました。人類の未来は彼ら若者の教育問題をいかに解決するかに大きくかかっています。なぜなら、四十年、五十年のちに社会を指導し、社会の発展を決定づけるのは、今生まれている人たちだからです。ですから、若者がそうした活動にそなえて訓練され、社会がもつ肯定的、進歩的伝統を継承し、さらに発展させる能力をもつことがとくに重要なのです。
 青年の教育について語る場合、忘れてならないのは、人はまさに青年時代に、彼にとって重要かつ複雑な問題、すなわち、職業の選択、家庭づくり、社会的地位の形成等に関連した問題を解決しなければならないということです。さらに、彼の世界観が形成されるのもまさにこの年齢なのです。
 反面、人格形成期の青年は実生活との結びつきがまだ十分でなく、彼を取り巻く世界についての理解もしばしば抽象的なものです。若者は、生活の複雑さや矛盾性をまだ哲学的に把握することができません。他方、青年は、社会における理想や価値といったものと、それらがいかに実現されるかということとの違いに敏感に反応するすばらしい資質をそなえています。
 青年を教育する課程で留意すべき点は、価値体系そのものだけではないと思います。重要なのはそうした価値を実現するための客観条件が存在するという事実に注目することです。さらに重要なのは、年長の世代と若い世代とが率直かつ誠実な関係を保つこと、年長の世代が若い世代に知識を授け、後者が複雑で矛盾の多い実生活を正しく把握するよう援助することです。
4  池田 その意味でも、働きながら学ぶこと、とくに労働をすることは、新旧世代を結びつける絶好の機会となるでしょう。
 現代の先進工業国において深刻な社会問題となっている青少年の犯罪も、こうした条件がととのえば、そのかなりの部分が防止されるのではないでしょうか。
 ログノフ 両世代が信頼に基づいた密接な接触を保ってこそ、年長の世代が蓄積した精神財を若い世代に首尾よく伝達し、そこから新しい伝統や理想をつくりだすことができるのです。こうした教育課程で年長世代に言行の不一致がありますと、それが若者に否定的に作用し、若者が現存の生活基準を拒否したり、時には犯罪に走ったりする結果になりかねません。
 私は、犯罪を生みだす重要な要因の一つに社会的諸条件の作用があると思います。それを理解することは、若者の間の犯罪の原因を究めるのに役立つでしょう。ある場合は、不正に対する反発が違法行為と結びつくこともあり得ますし、別の場合は、物質的富への欲望が関連していることもありうるでしょう。さらに第三の場合は、間違った教育への反発ないしその結果と結びつくこともあります。換言しますと、犯罪の分析にあたってとりわけ重要なのは、犯罪を生みだす社会環境、客観条件を解明することです。
 そして、社会的犯罪源を根絶することが、この問題の構造的な解決に役立つでしょう。
 青年犯罪の主観的原因についていえば、そのテーマそのものがきわめて重大です。この場合、考慮しなければならないのは、青年の社会的・思想的・心理的安定性が不十分なため、大人とは違った立場を社会に占めているという事実です。
5  池田 青少年の非行化現象は、日本の場合、その低年齢化と女子への広がり、あるいは家庭内暴力とつながった非行や不登校といった新しい傾向が増えつつあることが深刻な悩みをもたらしています。
 教育の普及にもかかわらず、なぜ子どもたちが非行に走るのか。その原因の一つに、子どもを見る大人の側の尺度の狭小さがあるように思われます。いわゆる学業成績の面から見るかぎり、決められた時間やスピードが要求される学校教育のなかでは、できる子とできない子が区別されます。しかし、学習能力は幅広い人間性の全体から考えれば一面でしかないし、もうすこし時間をかければ解答のできる子も少なくないことでしょう。結果よりもプロセス、そして何よりも一人一人の子どもの“学ぶ力”が向上し、自分のものとなりつつあるかどうかにこそ、教師の温かい目が注がれるべきでしょう。
 “できない”という一面をことさら大きくとらえて、結果的に人格全体に侮辱を加えているようなかかわり方の貧しさが、青少年の意識下にある乱暴な心や盗みへの衝動をいたずらに刺激している場合が少なくありません。非行や暴力は裏を返せば追い詰められた子どもたちの悲鳴であり、抗議の叫びだといってもよいでしょう。
 非行を子どもたちの責任として責めるだけでは問題は解決しません。表面的な言動の奥にある子どもたちの本当の気持ちを知っていこうと努めること、あるいは子どもたちの全体像をよくつかんでいこうとする努力が重ねられてこそ、非行への“危険信号”は未然にキャッチされることでしょう。
 とともに、社会全体に矛盾や悪がはびこっていることが、非行化を助長しているように思われてなりません。つまり、善悪の判断、人間として守るべきルールといったものが、あいまいになっていることです。端的にいうならば、教育の場で人間としての基本が教えられていない。人間は限りない強さを発揮する反面、物質的欲望や怠惰への誘惑に負けやすいという弱さももっています。この弱さを十分に鍛え、涵養していく厳しさが欠かせないと思います。
6  その点で思い起こされるのは「人並みにして一つの長所を!」と強調されていた牧口先生の言葉です。初等・中等教育の段階では、ことにそのことが大切だと思います。貴国でも、一人一人の全体的・調和的発達がめざされているようですが、教育においては、学力だけでなく、創造力、思考力、人への思いやり、ユーモアを解する心、困難を耐え忍ぶ力、はつらつたる健康美等々、人間としてだれもが身につけるべき人間性の土壌をこそ、まずもって豊かに耕すべきではないでしょうか。こうした普遍的な人間性の涵養を基盤にしてこそ、各人のもっている個性は、いちだんと強く、鮮やかさをいつまでも失わないものとなるでしょう。
 非行の防止は、対症療法的な消極的なものであってはならないでしょう。比喩的にいえば、たんに患部を治療するというのではなく、そうした病弊をも打ち破っていけるような、心身ともに健全な全的な発達、強化を図っていくことこそ肝要だと思います。そのためには、教師なり、親なりに確たる人間観が求められるでしょう。

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