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日蓮大聖人・池田大作

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人間における教育の意味  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  池田 前章で、私たちは、人間が善悪両面をもっていること、しかも、その類のない理性の発達によって、善悪いずれの方向へも振幅を示すことを論じ合いました。
 人間は、本来、善とも悪とも、一方的に決めつけられるものではありません。もちろん、性格の違いや知能の良否などは、生来的な個人差があるでしょう。しかし、自分のもっている特質や、成長の過程で身につけた知識や技能を善すなわち自他ともの幸せのために使っていくか、悪すなわち自他の苦しみをもたらす方向に使ってしまうかは、その場その場での判断と行動によるのであって、生まれながらの善人もいなければ、生まれながらの悪人もいないはずです。
 そうした現実の人生での行動において、悪におちいらないよう、善への道を選択できるよう、さまざまな判断の要因となる知識や物の考え方を、一人一人の成長過程において、どのようにして身につけさせていくか――ここに私は、人間における教育というものの最も根本的な意味があると考えています。
 いうなれば、人間はみずからに対して意思をもって律し、主体的に自分を導いていくべき存在であり、自分の人生はいかにあるべきかの目的意識をもち、人間とはいかにあるべきかという理想を描いて、自分で自分をリードしていくべき存在であるということです。そのための英知と力を培わせていくところに人間教育の本義があると思うのです。
2  ログノフ あなたは人生の方針がどのように形成されるかという重要な問題に言及されています。つまり、人間行為のなかで意思とか意識がどのような役割を果たしているかというテーマにふれておられます。そこで、この問題に対する私見を述べさせていただきます。
 意思や明確な目的意識といったものは人間営為における特別のカテゴリー(範疇)に属します。それは人間が個性を発揮して、家庭、学校、職場、総じて社会生活に積極的に参加する時、形成されます。
 人間の行動に対してその人の意思や意識がどのような影響力を与えるかについて論じる場合、人間は前もって、定められた道に従って進むだけだとか、あるいはその逆に、そうした既定の道をそれて進むのだというふうに一方的に決めてかかる場合が往々にしてありますが、それは正しくないと思います。私の考えでは、そもそも、あらかじめ定められた道などというものは存在しません。
 池田 そのとおりです。仏教では宿業、また他の宗教では運命などと呼んで、あらかじめ決められているようにいいがちですが、仏教でも、宿業として定まっているのは一部分についてであり、しかも、そうして定まっているものも知恵と努力によって変えられると教えています。変えうる力をもっているところに人間の尊さがあると説いているのです。
3  ログノフ 人が営む生活の諸条件によってその人の行為におけるいくつかの可能性が決まります。もちろん、ある極端な事例では人間が選択の自由を制約される場合がありますが、それは例外的な現象であって、一般的、典型的なものとはいえないでしょう。
 多くの場合、人間、階級、国家は二者択一的な選択権をもっています。そして、いずれの道を選ぶかという選択は、まさにそれぞれの意識とか意思、さらには理想といったものと直接結びついています。
 人間を取り巻く環境条件はその人間と無関係のものではなく、絶対不変なものでもありません。
 池田 仏法では、環境条件を依報といい、人間主体を正報といって、その両者の関係を“依正不二”と説いています。ごく簡単にいえば、「正報たる人間は環境によってつくられ規定される面もあるが、強い生命力と知恵によって逆に環境をつくりかえていける」ということです。
 ログノフ 先輩世代の営為の客観的諸条件が、一国に住む人々の生活だけでなく、人類全体の生活にかかわる情報伝達手段の急激な発達の時代には、そうした先輩世代の遺産がとりわけ顕著に現れます。
 戦争と平和、飢餓と貧困、環境汚染と天然資源やエネルギー資源の枯渇といった問題は、個々の国だけでなく、世界全体、さらには個々の人間にとってきわめて重要な問題になっています。
 ここでは、次の事柄を指摘するのが適切と思います。すなわち、社会はどの程度、人間に内在する可能性を引き出しうるか、また、人はおのれに課せられた課題を解決するさい、どの程度、自由が与えられるかによって社会の物質的および精神的な進歩発展が最終的に決まるということです。
 私たちは現在、二つの違った社会経済体制間の歴史的な競争の時代に生き、その競争に参加しています。私が確信するところでは、未来はすべての人間、そして個々の人間に対して、最適な生活条件、才能発揮のための好適な条件を最大限与えてくれる体制の側にあると思います。
4  池田 まさしくおっしゃるとおりであると私も思います。社会のために人間があるのではなく、人間のために社会があるのだという視点が見失われてはなりません。
 人間の幸福、すなわち最適の生活条件をととのえ、また個々人のもっている才能、力が存分に発揮できることに奉仕する社会であってこそ、その社会は人々の献身的寄与をかち得るでしょうし、各個人の力が社会の繁栄のために活かされていくことによって、ますます栄えるでしょう。
 ログノフ 人は、個々の心理的特性や教育水準、そして社会的所属に大きく依拠した複雑な価値体系に基づいて行動します。加えて、今日では、たんに、一個人、一国家にとってだけでなく、人類全体にとって重要な目標が前面に押し出されています。したがって、たんにこのような価値をめざしてたたかうだけでなく、それを実現するための客観条件をつくりだし、それらの価値が一定の社会制度になるよう努力すべきだと思います。
 各人の意識的な志向は一定の倫理基準の遵守のみに向けられるべきではありません。それは、社会的に見て自分の行為がどれほど意義をもち、その行為の結果が次代にどれほど役立つかに焦点をしぼったものでなければなりません。

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