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日蓮大聖人・池田大作

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自己抑制の基盤  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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4  池田 死後の因果応報が現在の生きている人間にとって不明であることから、それが、この世での賞罰よりも本質的に重大な影響を人間の行為に対して与えうるとは期待しがたいと言われるお気持ちは、よく理解できます。
 かつて、死後の因果応報の考え方は、日本でもヨーロッパでも、人々の悪行を戒める力をもっていましたが、近代以後は、影響力を大幅に失いました。人々が仏教やキリスト教の死後への戒めを受けつけなくなった原因は、現実の人生や社会において、これらの宗教信仰の効果が見られないことによります。私の信ずる日蓮大聖人の教えでは、死後のことは不明であっても、現在の人生において現れる効果によって、死後の応報についても信じなさいと説いており、現実のうえでの証拠を重んじています。
 それはともかく、ログノフ総長が今、言われた社会的不死という考え方は、それなりに意味があることは認めます。しかし、社会が与える評価は、時代によって移り変わります。文学や芸術、学術上の業績に対する評価は、それほど大きく変動することはないでしょうが、政治的、外交的業績についての評価は、百八十度変わってしまうことも少なくありません。また、優れた業績であっても、他人に奪われたり、認められないまま、埋もれてしまうこともあります。
 概して、その人が成し遂げたものが“不死”を約束するという考え方は、人々に仕事への励みを与えはしますが、人々を苦悩から救うことはできませんし、むしろ、大部分の人には絶望感を与えることになるでしょう。やはり、生命自体の永遠性の問題、そのうえでの因果応報観と、ログノフ総長の言われる社会的不死ということとは、まったく別の問題であると言わざるを得ません。

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