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人間性の探求と文学  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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7  池田 まったく同感です。しかし、先にも述べましたが、残念なことに、私たち日本人にとって、革命前のロシアは、ちかしいものでしたが、革命後のロシアは、どちらかというと遠い存在であるという印象があります。革命後のロシア文学で日本に紹介されたのは、かろうじてショーロホフぐらいで、しかも、読者の数は、革命前のドストエフスキーやトルストイなどと比べものになりません。
 現実には、日本とソ連とは距離的にも近く、漁業問題や産業開発、また貿易関係、さらにいえば文化交流など、相互接触の機会は、きわめて多くなっているにもかかわらず、人間的理解がうすれていることは憂うべき事態です。私は、現代の世界がおかれている事態のなかで、それらに協力して立ち向かうべき同じ人間として、両国民の相互理解がもっと深められなければならないと考えています。
 ログノフ 総じて、人類は、諸民族の文化を近づける方向で発展しています。このことは疑う余地がありません。近年来、文化的統合のプロセスは、マスメディアの未曾有の発達、文化交流の活性化にともない、また人類全体の努力を結集せずしては解決不能な多くの緊急問題の発生によって、とみに早まっています。文化的統合のプロセスは、当然ながら、人々の接近、相互認識、同異の解明をうながさずにはおきません。このプロセスは長期にわたりますが、それでもすでに私たちの目の前で肯定的な結果を生んでいます。
 今日、日本も含めて多くの国で、かつての社会生活上の制約が弱まり、人間の行為を律する伝統的な倫理規範に、ある種の乱れが見受けられます。私が理解するかぎり、先生はこのプロセスが作家に対して、いや作家だけでなく、その他すべての文化活動家に対して、その創作にあたっていやおうなしに人間そのものを凝視し、したがって、人間精神の偉大なる宝庫に細心の目を向けさせるようになっていると言っておられるのですね。
 池田 そのとおりです。日本の伝統的文学は、どちらかといえば、現実の社会的・政治的問題に対して超然として、いうなれば個人の感傷の世界に沈潜する傾向が強かったといえます。それに対して第二次大戦後の文学は、現実の政治や社会の問題に目を向けていこうとする行き方を強めてきました。それは現実への無関心が軍国主義化を許してしまったという反省によります。大江氏や安部氏は、そうした戦後文学の動向をリードした旗手といってよいでしょう。
 ログノフ つねに人間そのものを配慮の中心に置いた文学は、現代の文化的プロセスにおいて重要な役割を果たすよう使命づけられているという点であなたと同感です。それに関連して、私は次のことを申し上げておきたいと思います。私の考えでは、ロシア・ソビエト文学は、それがおかれた地球的・史的特殊性ゆえに東洋と西洋のさまざまな文化的・人間主義的伝統を摂取することができたのであり、この事実そのものが、人類に対して解決を迫っているヒューマンな課題の達成に大きく寄与しています。私には、世界のさまざまな地域の人々を結びつけた往時のシルクロードのように、ロシア文学が、東西を精神的に結びつける一種の糸のように、また、今日さまざまな文化的伝統をもつ人々の人間主義的志向を結びつける堅固な橋、金の橋のように思えます。
 池田先生、先生とのこの対話は、そのような橋を懸ける作業へのささやかな貢献となるのを信じたいと思います。

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