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日蓮大聖人・池田大作

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戦争体験  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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2  池田 私が戦争を心の底から憎むのは、非暴力と絶対平和主義をその根本理念の一つとする仏法の信奉者として当然といえば当然のことですが、もう一つ、なんといっても多感な青春時代を破壊された、悲惨な戦争の思い出が大きな原因になっています。
 私が生まれた一九二八年から、十七歳になった一九四五年まで、日本は戦争、動乱に明け暮れ、私の少年・青春時代は、あらゆる面で戦争と結びついていました。私は高等小学校を卒業すると同時に軍需工場で働き、戦時中の激しい労働で体をこわしてしまいました。四人の兄が出征し、長兄は二十六歳の若さでビルマで戦死しております。それが伝えられたのは戦死から二年も経ってからで、その時の母の悲しみに耐える姿は見るのもかわいそうなほどでした。
 また、戦争中に、わが家は強制疎開で取り壊され、引っ越し先の親類の家も、一九四五年五月の米軍機による東京大空襲で全焼。私の目の前ですべてが失われてしまいました。「明日からどうすればいいのか」と、子ども心にも、ぼう然と立ちすくんでいたのを覚えています。
 戦争の無残さが津波のようにわが家を襲い、すべてをめちゃめちゃにしてしまいました。何のための戦争なのかと、戦争の無意味さを思い知らされたものです。戦争の悲惨さ、残酷さがこの五体に刻まれ、その原体験から反戦平和へと向かっていったわけです。
 ログノフ総長も、その青年時代に、ナチス・ドイツがソ連を席捲し、二千万人もの犠牲者をだした、あの大祖国戦争(第二次世界大戦)の戦争体験がおありだと思います。
 第二次大戦におけるドイツ・ナチズムとの戦いにおいて、ソ連はじつに多くの尊い犠牲を強いられました。現在のソ連が、その尊い犠牲のうえにあがなわれていることを、実感として知ったのは、訪ソして以来でした。

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