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日蓮大聖人・池田大作

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心に残る人々  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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2  池田 物理学と仏法と、立場こそ違いますが、師が大切であるということは、まったく同じです。私の場合、創価学会第二代会長の戸田城聖先生が最も大事な師です。十九歳から三十歳まで、戸田先生が亡くなられるまで薫陶を受けることができました。それはそれは厳しい、しかし鋭い、偉大な師でした。私の今日あるのは、すべて戸田先生のおかげであるといって過言ではありません。
 ログノフ 私は理論物理学と量子力学のゼミを受け持ちました。それはいわば私の主要な仕事でしたが、知識のうえで未知の分野を埋めたいという渇望が基本的に残りました。私は勉強をつづけました。私は理論物理学講座で一九五六年まで働きました。
 池田 一九五六年は、戸田先生が第二代会長に就任され、創価学会の本格的な発展が始まった年です。
 ログノフ その年にモスクワ郊外のドウブナ市に合同核研究所が設立され、その研究所の理論物理学研究室の室長にボゴリューボフ・アカデミー会員が選ばれました。彼は私を自分の次席として招きました。
 一九六三年、私は新たな任務を受けました。その時分、セルプホフ市近くのプロトヴィノ村には世界最大の加速装置(七〇G‐5VIギガエレクトロン・ボルト)が建設中で、そこの研究所長の職に推挙されたのです。
 当時、私の肩には新しい研究所を創設するという任務だけではなく、職・住・研究をあわせ行うことのできる新都市の建設という任務が負わされていました。こうしたさまざまな要求は生活そのものが私に提示したものですが、それは一面において私を豊かにしてくれました。もちろん、それは私にとって新しいものではあったのですが。ともあれ、生活は生活です。ですから、生活が要求するものはすべてなしとげなければなりません。しかもできるだけ早く成就しなければならないのです。ところで、この面でとりわけ私を助けてくれたのは、わが国の社会主義体制でした。
 それは、人々についての心遣い、社会についての配慮をまず第一に、必ず解決しなければならない一義的な課題として提起しましたし、今も提起しています。それが私の一切の活動を保障してくれたのは当然でした。
 池田 事業を推進し、成功させるために最も大切なことは団結です。日蓮大聖人はこれを「異体同心」と教えられています。異体とは、さまざまに特徴、技能をもった人々ということです。同心とは同じ目的観に立つことです。そして万人が心を一つにしていける目的観とは、人間尊重であり、社会をいかによくしていくかです。
 ログノフ 一九七四年以来今日まで、私はプロトヴィノ高エネルギー物理学研究所の指導にあたっています。一九七二年、私はアカデミー会員に叙せられました。
 池田 総長のご専門は素粒子物理学ですが、なぜ、これを選ばれたのですか。
 ログノフ 私の主要研究は場の量子理論と素粒子物理学に関係したものです。
 私が高エネルギー物理学を職業として選んだ理由は、前述しましたように、私がつねに興味をもっていたのは人間本性についての知識で最先端を行くもの、まだ未解決だが、すでに提起された問題でした。

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