Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

西洋とキリスト教  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
1  西洋とキリスト教
 池田 さて、人類の宗教の段階をその発展にそって明らかにしてまいりましたので、こんどは、さらに近づいて西洋と東洋を対比して、それぞれに固有の条件や輪郭をとらえることが大事になります。西洋のそれについて、あなたのお考えをうかがえれば、と思います。
2  ユイグ 西洋の状況は、どのようなものであったか、また現在はどうかといいますと、最初の段階は自然に神聖性を付与した、原始的な諸宗教が支配していたことが知られています。それがなぜかは、十分に理解できます。人間の進歩の一つの段階に対応していたのです。それは、外界の攻撃に対してまだ不手際にしか防御できなかった先史時代に生み出されました。もう少し進展しますと、それまで支配者であった外界に対して、ただ防御することから、自然と妥協していくやり方がつづきます。それが農業です。
 自然はもはや、たんにその有害さを静めて好意をあてにしなければならない力の神秘な貯蔵所ではなくなりました。自然は一つの手段になり、種々の産物の巨大な貯蔵所となって、人間にとっては、それを自らにとって、より有利に利用できるものになるように、収穫をもたらさせるようにすることが肝心となったのです。
3  ですから、大ざっぱにいって、“異教パガニズム”といわれる原始的な諸宗教が、この段階に合致しているのは、まったく正常なことだったのです。パガニズムのパガヌスというのは農民ペイザンということで、それは自然を前にしての驚嘆と敬意と、ある種の畏れの混じった愛情とを表現した宗教なのです。これは、つねに存在しているものです。
 そこで神々によってあらわされている自然のさまざまな力は、それと協力関係を結んで労り合うことができる力です。ホメロスにみられるように、人間的な姿をとった神々は、全能ではありますが、祈りや儀式、供犠きょうぎに応えてくれる存在で、なだめることができるし、協調できる相手となってくれます。これらの初歩的な宗教は、当然のことながら、人びとが到達していた文明の段階をまさしく反映していたわけです。
 しかし、西洋では、やがて、もう一つの新しい立場があらわれました。それは「ユダヤ・キリスト教」という表現で一括できるものでしょうか。ユダヤ的立場は、根本的にキリスト教的立場と異なっています。それは、歴史的には後者は前者から派生したことを示すことができるにしても、そうなのです。
4  より古いほうのユダヤ教においては、神への尊敬の念に満ちた畏れというものがあり、人間はつねにその神のあらわす力の前におかれています。この神は怒りの神であり、恐るべき神です。それは、まさしく、農業の初期の段階に対応しており、農民は、その初歩的な農耕手段によっては、自然の力が手に負えないことを感じていたので、それと和解することが肝心だったのです。
 キリスト教は、本来のユダヤ的な旧約聖書によって想起される段階よりも、ずっと発展した段階をあらわしています。それは、ユダヤ教とは反対に“愛”を中心にしています。人間は異教の神々やイスラエルの神の前におけるような、人間を脅かし怒る力、したがって人間が手を尽くして静め、情け深くなってくれるようにしなければならない力の前にいるとは感じません。キリスト教によって、愛の関係が打ちたてられます。この関係は相互的なものです。なぜなら、宇宙の創造主である神は、その息子の仲介によって、人間の、もっと悪い苦しみを試し、それを分かちもとうとするほどに、人間に愛を示すからであり、そして、一方、人間はそれに、愛によって本質的にこたえなければならないからです。
5  ルネサンスの初め、美術が理知的になり、プラトンにならって、美のイデアが称賛されはじめていたころもまだ、そのような状態であったといえます。アッシジの聖フランシスが、キリスト教の愛を凝縮し、それを燃えあがらせたのも、そのころのことです。
 フランシスは神によって“自然”をたたえます。なぜなら、自然は神が創造したものであるからです。自然を愛することによって、人は神に向かい合い、自然を通じて、人は神を愛するのであるからです。彼が遺した「フィオレッティ」という美しい詩の中で、聖フランシスは「我が妹、月」また「我が兄弟、太陽」と呼んでいます。彼は心をこめて、鳥や魚の上に身をかがめ、神の栄光を彼らに説教します。
 彼の生涯を物語る、象徴的な一つのエピソードがあります。グッビオという町がオオカミに脅かされ、襲われました。町をあげて、そのオオカミから身を守り、打ち負かすために、戦いの準備をしていました。このオオカミとは、人間が直面し戦わなければならない自然の力を具現化したものであったとみられるのではないでしょうか。しかし、聖フランシスが仲裁に入りました。それは、どのようにしてでしょうか。“愛”によってだったのです。
6  彼は、そのオオカミの前へ進み寄り、鳥や魚たちと話したのと同じように、ことばの体系や思想の演説によってではなく、その声にあらわれる心の温かさによって、オオカミに話しかけ、彼を静め、穏やかにさせるのです。そして、すっかりおとなしくなり、なついたオオカミを伴って彼は町へ帰ってきます。愛がその心のつながりをつくり、和合の力を打ち立てたのです。
 あなたが西洋について指摘された自然に対する支配的な態度は、以上申し上げたように、キリスト教については事実でなく、厳密にいうと、西洋文明に結合してきてその全体をつくりあげたギリシャ・ローマ文明についていえることなのです。人間の理性的能力の熟練をもたらし、だんだんに、原始人の経験主義や、古い宗教の儀式と呪術と生贄のやり方にかえて、自然と人間との間に情念的な関係でなく理性の関係をもちこんだのは、ギリシャです。
7  それは困難なしではすみませんでした。なぜなら、この哲学は、古くからの宗教を一掃していったからです。そして、まさしくこのために、ソクラテスは、先祖伝来の信仰が崩壊させられるのを見て驚いた伝統的なギリシャの都市によって死刑に処せられたのです。ソクラテスは、これら伝統宗教にかえるに理性的思考をもってし、事実、それは、彼とともに、そしてプラトン、アリストテレスとつづく流れとともに、後戻りできない飛躍的発展を遂げることになりました。
 こうしてギリシャは、多くの色合いと、豊かな感受性と柔軟さをもって、西洋文明の原理的基盤を用意しました。しかし、それは、ローマというその後継者の手を経なければなりませんでした。ローマはギリシャの弟子であり、その合理主義の生徒です。しかし、ずっと実利的な気質をもっており、貪欲と戦いを好む人間です。
 ローマは、敵意と戦いの中で辛うじて共存していたギリシャの共和都市とは尺度の異なる巨大な帝国を漸進的に築きあげます。たった一つの都市が、東洋に接する世界の果てまで支配するにいたったのです。のみならず、ローマの力は、パルティア人やスキタイ人にまで襲いかかります。そこには軍隊は及びませんが、商業は侵入しています。その痕跡はインドにまで残っています。
8  ですから、ローマの精神はギリシャの文化を受け継いでいきますが、この高度に知的な文化から、ローマは本能的に、実践的な道具を引き出そうと努めます。たぶん、理性とその力を利用して外的世界を従わせるという西洋的発想は、ローマ時代に起源を求めるべきです。ずっとのちのことですが、デカルトが、人間は「自然の支配者であり所有者」として自己をあらわそうとする、と述べるのは、ここからなのです。ローマこそ技術者に優位を認めた草分けです。
 ギリシャ人にとって、科学は認識の手段であって、利益とは無関係のものでした。科学とは真理の探究であり、自然とその原理を理解しようとするものでした。学者の発見したものを、ただ実利的で実際的な目的に応用する技師というのは、ある種の軽蔑の対象でした。その反対にローマは、技術者、とくに軍事技術とその戦争機械の技術者に対して、大きい好意を寄せます。ローマの精神は、ギリシャの合理精神をその実際的応用のほうへ曲げることで、一つの大きな進展をみせたわけです。理性とは、本質的に空間の中の物質の世界への適応能力であり、すでにみてきましたように、以後“科学”にまでいたる道に関わっていきました。
9  それに対して、キリスト教的宗教が、安全弁とし、補整的反動として働いていきます。この反動は、生命が必要とするものであり、避けようもなくひきおこされるものです。キリスト教は、それに加えて、ローマの文明の中に東洋の反映をもたらしたのですが、物質主義的な貪欲さと、ますます激しくなる乾燥化に対抗して、愛の精神を育みました。
 とりわけ、すでに問題となっていたのは、貪欲で乾燥した精神が社会全体に入り込み、経済的強欲によって、下層の人びと、弱者の人びとの搾取が行われていたことです。キリスト教は、そうした人びとを“愛”の名において、善意と正義を広め、救済するためにやってきたのです。
 そこから生じた教会が、その後になって、支配権力と結びついて、その力を強固なものにせずにいられなかったのは事実です。しかし、ときには、福音主義の使命に還ることもあります。こうして、中世において、とくに十三世紀に、あるときはプラトンに、あるときはアリストテレスに結びついた神学者たちの教条主義に対するたぶん、償いとしてでしょう、優しさの精神が発展をみせます。
10  それは、同様にして、世俗の側では“愛の宮廷”を生じさせます。これは、好戦的風潮の対極として、エレオノール・ダキテーヌ(南仏アキテーヌを領し、イギリス王ヘンリ二世に嫁した)のような女性のまわりに集まって、心の問題を議論する洗練された社会です。それはまた、宗教者の側においては、ドミニコ派の知性主義にして、神や自然の事物への愛に沈潜する魂の流出を主張したフランシスコ派の運動としてあらわれてきます。
 西洋は、その大きい要素の一つである合理的精神が実利的で実際的な貪欲さに適用され、それが勝利を収めるのをそのままにするという誤りを犯してきたとしても、そして、現代文明はこの傾向の過度の成果であるにしても、西洋文明が自らのうえに感受性の力、愛の力、自然との対話の力というものを保持していることを忘れるべきではありません。これは、とくにフランスにおいて顕著で、そこでは、これらの力が芸術と同様に文学を豊かなものにしています。十九世紀の中ごろにかかれたコローの絵などは、目のくらむ優しさがそこにあらわれており、フランシスコ的ともいえる絵になっています。それはブルジョア社会が発展させた貪欲と乾燥しきった精神に対する反撃の最も説得力ある証明となっております。
11  私が思うのに、西洋についてのより公正な理解のためにここにあげた細かい点を失礼ながら保留したうえでならば、あなたのご主張は的を射ております。ほかにもいろいろな点がありますが、私が仏教の中に認め敬服していることは、人間の内面的発展の均衡のための戦いとともに、人間と自然とのあいだの連帯と相互依存の関係のための戦いがそこにあるということです。
 仏教は、貪欲と利益追求と支配欲という、西洋にあまりにも重くのしかかってきたこの精神と戦います。これは、まちがいなく大きな魅力の一つです。もし、十九世紀の西洋で、仏教に対する好奇心がめばえていたら、最もめざめた人びとは、科学と工業と技術とがそのころすでに、危険なまでに拡大していたこの功利的な支配に対し、そして、その二十世紀における発展が人類の未来そのものを脅かすこの功利的支配に対して、元へ戻そうとしていたでありましょう。
12  池田 これまでに明らかになったように、キリスト教がヨーロッパ文明の重要な源泉であったことは否定できません。キリスト教が、ヨーロッパの文明、ヨーロッパの人びとの考え方や生き方のうえにもたらした利益と損失について、どのように考えられますか。
13  ユイグ キリスト教の果たした主要な役割については、これまで、その概略は示してきました。キリスト教は、合理主義にあまりにも徹したギリシャ人の世界や、さらに、このギリシャ人によって開かれた道に入りこみ、それに物質主義を加えて一段低下したローマ人の世界に対して、最も高い精神性をもった宗教としてあらわれました。ですから、ローマ時代の末期にすでに、西洋は私たちが生きている現代とよく似た危機の状況にあり、そこから立ち直り、物質的・合理的現実に対し精神的現実を復権させることが不可欠となっていました。この役割をキリスト教が果たしたのです。
14  そのうえ、キリスト教到来の前にこうした精神性を求める声がかすかにあがっていたことが知られています。ローマ時代の終わりに、われわれの現代の世界におけると同じように、多くの人びとがしだいに息苦しくなっていくのに気付いていました。そしてローマ帝政の末期にはオリエントの宗教がローマ人をしだいに幻惑するようになったことは周知の事実です。ローマの合理主義、物質主義に対して、オリエントは精神生活を補う根源としてみられていたのです。そこでとくにジェローム・カルコピーノ(パリ大学歴史学教授)が示したように、ローマに新しい諸宗教がもたらされました。その内のあるものは、オルフェ(古代ギリシャの伝説的詩人・音楽家)崇拝を復活させました。ギリシャ世界は、このオルフェ崇拝を通じて、すでにその神話の中で牧神パンと太陽と音楽・詩の神アポロンを対比させるという二元性を保持していたのです。そのほか、エジプトからきた宗教があります。イシス崇拝などがそれです。
15  キリスト教は、こうした求めに応じるためやってきたのですが、数世代のうちにヨーロッパ全体を、ということはまず帝国内、ついで“蛮族”の辺境地帯をも併合してしまうほどの電撃的な発展を遂げました。ここでもやはり、生命が肉体的にであれ精神的にであれ絶えず対照的なものによってバランスをとって自分の均衡を保とうとする自然の運動が認められます。人間は、平衡のおもりの動きによって自己の可能性の全体を取り戻そうとし、一方的な傾向に押し流されそうになるとすぐ自分の方向を立て直そうとするように、必然的に動かされるのです。現在の状況はキリスト教が出合い、またその求めに応えるためにやってきた状況とよく似ていると考えざるをえません。
16  池田 あなたは、キリスト教がヨーロッパ世界に受け入れられた理由として、物質的・合理的傾向から精神的傾向へ戻ろうとする機運があったことを指摘されましたが、それは、私も正しいご指摘であると思います。
 それとともに、おそらく、もう一つ、人間と人間の関係の中に、キリスト教が提唱した“愛”の教えが、広く人びとの心に共鳴を呼び起こしたこともあげられるべきでしょう。
17  ユイグ それは、理性的な行き方が愛を無視し、物質的な行き方は愛を欲望に還元してしまうのに対し、たぶん、愛が精神的生活の基盤そのものであるということです。
18  池田 深遠で究極的な実在へ自己を結びつけようとする志向は、おのずと物質的・合理的傾向を是正し精神的・神秘的な傾向へ人びとを引っぱります。しかし、それは社会から離れた隠士の生き方になる恐れがあります。あるいは自らが究極的な実在をめざせばめざすほど、物質的な欲求から離れられない人間一般に対してきびしい姿勢で臨むことになりかねません。ところがキリスト教は、この現実社会に生きる人びとに対して、愛の心をもって接すべきことを教えました。そこに、一方で、究極的なものへ向かう、社会から抜けだす方向を示しながら、同時に、それだけで終わるのでなく、他方で、社会へ戻っていく方向を明らかにしているのです。このため、キリスト教は、現実に社会生活を営む人びとのあいだでも、広範に受け入れられ、支配的な宗教になることができたのであろうと私は推測します。
19  その後、教会の成立とその権威主義化、形式主義化とともに、その当初の“飛躍”は煩瑣な行政と醜い権力欲に取って代わられ、それが社会に害を及ぼすものになってしまったわけです。
 これも、もちろん、物質的・合理的なものの支配の復活としてとらえられますが、教会の権威主義化によって、一般世俗の人びと、とくに貧しい人びとへの愛の精神が失われたことが、人びとのキリスト教離れをもたらした大きい原因ではなかったかと私は思います。その意味では、プロテスタンティズムは、儀式や迷信に対抗して合理主義を根拠にしたわけですが、本来の生命である愛を根本的に復興しなかったため、権威主義の枠の中での争いに終始してしまったとはいえないでしょうか。ルターがドイツ農民戦争に対してとった態度は、彼の宗教改革がもっていた限界をおのずから露呈していたものと私は考えます。
20  ユイグ しかし、プロテスタンティズムは「神は愛なり」と教えている聖パウロ書や聖ヨハネ書をつねに強調してきたことを忘れてはなりません。またさらに、プロテスタントが分かれたときの論争点が教会の問題であって、深い信仰の問題ではなかったことも忘れてはならないことです。なおそのうえに、歴史的突発事件が生ずるのは、深い信仰の問題からではなく、人間の政策つまり出来事に対する日和見主義からです。プロテスタンティズムの貢献したものは、こうした歴史の必然である事件と混同されることはできません。それはカトリシズムと宗教裁判についても同じです。
21  池田 宗教と愛とは緊密に結びついていなければなりません。事実、人間は、その生命に本然的な欲求に従って生きていくかぎり、利己的にならざるをえず、強者の前に弱者は打ちひしがれ、犠牲になっていく運命から逃れることはできません。これを根本的に転換し、弱者をも尊重し、その生存の権利を守っていく愛ないし慈悲の精神を打ち立てる唯一の源泉が私は宗教であると思います。それを絶えまなく訴え、人びとに意識させ、愛または慈悲の行為を起こさずにいられないようにしていくところに、宗教が現実社会で、人びとから求められ、尊重されていく基盤があると考えています。
 宗教のもっている究極的な実在との結合という課題は、同時に、現実社会にあっては、人びとへの愛・慈悲の実践化としてあらわれてこなければなりません。この二つが仏教の場合、どのように結びついているかは、先に十界論で、仏界と菩薩界との関係で示したとおりです。私は、日蓮大聖人の仏法を広めていく運動を、私自身の生涯の使命と自覚していますが、その場合、最も大事なことは、仏教の教えている慈悲の精神を、一個の人間としての自身の行動のうえに、どう体現していくか、また、私たちの活動の原理として確立するか、という点であると考えています。
 私が、国連本部を訪問したり、米国、ソ連、中国その他の各国指導者と会談したり、あるいは、いまこうしてあなたと意見を交換しているのも、現代の人びとに、また、未来の人びとのために、世界のあるべき姿、文明の正しいあり方、人間としての生き方を探求するためのなんらかの参考になり、今日の苦悩を解決するための手がかりを提供したいと念ずるからです。
22  ユイグ あなたは、キリスト教が、どのような害をもたらしたかについても、尋ねられました。ほんとうをいいますと、私は、キリスト教は、なんら責任を負うとは考えません。むしろ問題にされなければならないのは教会です。ドストエフスキーの作品の中に強く心を打つ一節があります。地上に戻ってきたキリストが、自分の教会の敵意を買って、刑を宣告されるというものです。教会が組織されるときはいつも起こりがちなことですが、偉大な直観とか、天啓とかそうした本質的なことは、知的註解や教義や正統性の樹立、気むずかしい法規主義などによって取って代わられ窒息させられてしまうのです。
23  最初の飛躍、向上を推進する恩恵は、規則ずくめの管理運営や、術策、権力志向に取って代わられてしまいます。儀式はくだらない瑣事となり、信者がもしこの傾向に抵抗しなかったならば、聖書の本質的な啓示は失われて、よく迷信におちいる煩雑な儀式に取って代わられてしまうのです。財布をなくしたというので、ろうそくを灯してパドワの聖アントワーヌの像に捧げ、彼が財布を戻してくれるよう期待するということは、もはやキリスト教の本質的な恩恵とはなんの関係もありません。ところが、こうした危険性はつねに教会を狙っているのです。
 教会が、その拡大の必要性から、どのように世俗的・財政的権力として組織されていったか、どのようにお偉方を増して、そのために、教会が担い手であるべき深い信仰心を教会自身が押しつぶすことが危惧されるようになるまでになったか、教会の歴史をたどって調べてみなければなりません。
24  そうした危険は十五世紀にあらわれ、その結果、宗教改革が行われ、プロテスタンティズムが誕生しました。しかしプロテスタントの宗教は、儀式とか“迷信”とか呼ばれるものが増大したことに反対して合理主義を根拠にしましたが、その合理主義は中世の終わりに飛躍的発展を遂げたものだったのです。教会を浄化し、その当初の道に戻そうとして、プロテスタンティズムは、教会を分離によってぐらつかせました。しかしそれは、心ならずもキリスト教からすべての情感のおおいをはぎとり、むきだしの思想に戻すことによって、知的な厳正さが支配するような傾向をしだいに準備することになったわけです。この知的厳正さが、科学の台頭と結びついて、物質主義的・実利主義的精神へと到達することになるのです。
25  教会は、権力に拠らざるをえなくなっていましたが、とくにこの分裂が、敵対する二つの流派を創り出したときから、ますます俗界の力と結びついていきました。十九世紀には無条件にブルジョアジー側について、伝統によって認められたいというブルジョアジーの欲求を満足させるようになり、今日では教会は、たとえばマルキシズムのように教会の起源に対してまったく否定的なものでもかまわずに、優勢を占めている新しい思想をますます好むようになっています。周囲に広まっている思想の圧力を受け入れることによって、教会は重大な危機に遭遇しているのです。本来は教会が、その危機に対する治療薬でなければならないのに、その危機がヨーロッパをゆるがしているのです。聖職者がときとして信仰の基本的な啓示から顔をそむけ、教会の中に一種の社会的機関や社会化の機関しかみようとしないという事実は、教会の役割の根本的な堕落を示しています。というのは、もし教会が、当然そうあるべきように、この世俗の権力から弱者や貧者を保護するものであるとしても、それは、迷っている人間を精神的超克と愛の道へ連れ戻すことによって救うという固有の使命を忘れるほどに、物質的要求に与することによってではありません。
26  あなた方の宗教で私がとくに称賛するのは、その二元性だと申し上げたいのです。一方では日蓮正宗が教義や信仰の問題を守り、それを信仰者に託し、他方では、あなたが名誉会長でいらっしゃる創価学会という聖職者でない人びとの組織があって、教義を伝播したり、その建物を増やしたり、日本だけでなく世界各国の社会で重大な役割を果たしています。この二元性こそ、教会にとって大きな危険である精神的なものと世俗的なものの混淆や汚染を除去するのに適していると私には思われます。

1
1