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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 超越性  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  第一章 超越性
 ユイグ これまで述べたことから、多くの門外漢にとっては外的な世界を写実するだけが尊重に値する点であるかのように考えられている芸術が、反対に、物質的世界を超えて、あるいはそれをとおして、あるいは記号の創造によって、私たちを取り巻き閉じこめている不透明な壁の向こうに不可視の純粋に精神的な広がりがあることを明らかにしてくれるものであることが明瞭になりました。芸術は、可視の世界を超越し、それ自体ではもっていない意味と内容をそれにもたせ、本来それを欠いているものに、感知しうる外観を与えるための一つの巨大な努力なのです。
 それは目に見えるものに、見えないもの、表現できないものを現像する液を加えるためになされるのです。これをパウル・クレー(スイスに生まれドイツで活躍した画家)は、はっきり言っています。「見えないものを、見えるようにすること」が彼の絵の意図したものであったのです。そして、そのことを、アンドレ・マルローはこう確認して言っています。「芸術家は、生きている人びとの目にはどうしてもとらえられないものを、その創造によって示唆する力をもっている」と。
 ですから芸術家は、だれでも経験でき、科学の対象である、知られるものと、孤独な個人の例外的な内的経験によってのみ近づきうる、知られざるものとのあいだの仲介の役を務めることができるわけです。彼は凡人と、ボードレールが“超現実的なもの”と呼び、他の人びとが聖なるものと名づけるものとのあいだの“仲介人”になることができます。そして、それによって、芸術家は、魔術師やシャーマン、あるいは僧との類似を示すわけです。

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