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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 芸術の精神的価値  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  第一章 芸術の精神的価値
 ユイグ 芸術は、動物からすでに始まった知性の行使を超えて、人間に、まさに精神的生命と呼ぶべき人間だけが上りえた領域に到達することを可能にしている活動の一つです。“知性”と“精神”は、あまりにも多くの場合、混同して使われていますが、この二つのことばをはっきり区別するように注意する必要がありましょう。
 合理的知性とは、本質的に、私たちが知覚することを、理解の体系の中に位置づける能力です。人間は知性によって、自分の周りにせよ内にせよ、自らが認める現実の雑然とした要素を、定義づけられた概念の中に引き離します。そしてそれらのあいだに、彼が練りあげて一つの論理の法則に従ってつないだ、原因から結果へという関係をとらえます。彼は、そこから未来にとる行動と、そこに到達する方法を覚知します。ですから、知性は、なによりも外的所与を内的所与として理解し、そこに明敏に向かっていくための一つの手段なのです。
 これに対して、精神は、あえていえば、より高い意味で、現実を超えてさらに彼方へ向かう手段であり、そこに到達するためにそれと交流しようとする推力を考えだす手段です。これは、その意味で“知的である”ということと“精神的である”ということとのあいだにことばが立てている区別を追認することでしかありませんが、精神は、存在するものと自己自身とを超えて人間を達せしめようとし、さらに彼の存在の最良の部分が憧憬するものを成就しようとするうえで、人間のもっている、よりすぐれた道なのです。
 私は、どうしても“最良”ということばを用いないではいられませんでした。それは、精神によってこそ、人びとは、組織化しながら利用している“与えられたもの”から“価値”の増大によって実現しようとする“よりよいもの”へと移るということです。そして、この価値への先天的な直観が、宇宙の中に、いまだかつてなかった“質”の能力を導入するわけです。それまでは、この“質”の能力がないため、知性は理性によって、自ら定義され、測定されるもの、つまり量についてしか認識しようとしなかったのに、“質”の能力は自らを評価します。“事実”によっては提示されないこの観念に対して純粋に実証的な精神は開かれることはありません。
 そこで必要なのは、すべての人に潜在しているこの精神的飛躍のめざめです。人間は、それに自らをゆだね、推進を求めなければなりません。これによって人間は宇宙の進歩に貢献するでしょう。
 この、質への“精神的覚知”は新しい視野の広がりを開きます。その広がりとは、美学の広がりであり、倫理の広がりであり、さらにはあらゆる宗教の源泉である“聖なるもの”の広がりです。
 したがって、芸術は私たちが“事象の彼方”へ進むこと、つまり、ただ合理的知性のみに依存し、認識しうるものに属しているものを超えていくことを可能にしてくれる、重要な精神的活動の一つなのです。

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