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日蓮大聖人・池田大作

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第五部 芸術的創造  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  第五部 芸術的創造
 ユイグ 人間は、もし自らのあり方を正し、その未来を確かなものにしようと望むなら、自らに適した役割を果たさなければなりません。人間は、その存在の中に、動物と同じように、最も日常的な状況にほとんど自動的に対応できるようにすることによって、生き、存続するようにしているもろもろの本能を与えられているだけではありません。また、人間固有のものとして、予知しないこと、偶発事に対してその新しい状況を理解し、それにふさわしい解決を図ることによって対応できる力を与えてくれる理性と自由を付与されているというだけでもありません。
 それは人間の場合、ただその生を確かなものにすることだけに任務を限られていないということです。人間は、自分がまだ到達したことのない、高水準の質へと自分の生を導いていきたいという憧憬をもっています。なぜなら、同じことのたんなる繰り返しである動物たちとちがって、人間は、未経験のもの、まだ存在していないもの、進歩へ向かって開かれた出口をもっているからです。
 変えられない物質的法則に従っている世界の中にあって、そして、同じやり方で、際限なく、その行為を繰り返している世界の中で、創造的な自由性によって、それを、完璧なものにする力を導入したのが人間なのです。理性は、第一の方向の働きに役立っていたように、試験ずみの道具としてこの第二の方向の働きに役立ちます。
2  芸術は、人間に与えられ、人間のみに与えられたこの力の模範です。私たちは、芸術によって、私たちを既知の他の世界と区別する能力を発現します。したがって、その能力を行使することは私たちの責任なのです。
 事実、芸術はなによりも“創造”であり、その価値は創造性のいかんにのみあります。もし、模倣と繰り返しと、原則や方法論の適用のみにとどまっているならば、それは手品か愚弄でしかありません。存在するもの、さらには予見しうるものにさえ、付け加わったものがあってこそ、芸術なのです。
 創造的行為によって、芸術は、現実の中に、もはや繰り返しや結果ではない、新しいもの、いまだだれもふれなかったもの、いわば、なにものも準備しているようにみえなかった付加価値を導入するのです。その作品の制作者自身、その意味に十分気づいていず、完成してみて初めて驚かされることもあります。
3  このことから、芸術もまた“自由性”であり、私たちの自由の主張と表示なのです。なぜなら、その特質は決定論からどれだけまぬかれているかというところにのみ価値があるからです。
 要するに、芸術の存在意義は、現実にあるものに“質”の探究と成就を導入することであり、質とは、いかなるていどにせよ計量に従うのではなく、見る人が制作者の呼びかけにこたえる行動によって初めて証明されうるものなのです。

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