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日蓮大聖人・池田大作

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全体主義的社会  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
2  本来的に不変で適応性のない集団的な法の統治は、そのうえ、一種の麻痺を生ずるという欠点をもっています。私たちを無情に引き立てていく時間の法則は、また、生命の法則でもあるわけですが、これは、事象の絶えまない発展と変化を要求します。全体主義的社会は、一つの正統理論の中に容赦なく固定化することによって、一つの固定化の殻の役割を演ずる乾燥をもたらすのです。
 このことは、動物の世界をみればわかります。もし、この殻が広がらなければ、個体は、その正常な成長を遂げることは、もはやできず、窒息し、退化し、死滅します。生命の法則に背けば、かならず報いをうけるのです。
3  ところが奇妙なことに、世論というのは、徹底的に二つの方向に対立して物事を考える傾向をもっているようです。右翼がその極端に走ってファシズムと独裁主義になるのに対し、左翼はマルキシズムに傾きます。しかし、そこに基本的な共通点があります。それは、ともに個人を押しつぶすという点です。
 十九世紀に人間の自由のために情熱をもって立った左翼もまた、自ら、その存在理由を否定する袋小路にはまりこんでいるとするなら、いったい、どんな出口が残されているでしょうか?
4  池田 このような状況の中で、あなたはマルクス主義の未来について、どのようにごらんになっていますか?
 私は、マルキシズムの政治は、本質的に全体主義的統制の方法を離れることができないため、民衆の自由への渇望が高まると、根底から動揺をまねくのではないかと考えています。
 それが、民衆の自由を保障しながら、全体主義的統制を維持していくことは、はたして可能でしょうか。
5  ユイグ 事実、マルキシズムは、個人の自由の問題を提起しています。それは、なにをあらわしているでしょうか? 十九世紀には、マルキシズムは、一つの新しい、実り豊かな立場を体現していました。それは、人類のよき前進のために、強者つまり富裕な人びとに対する弱者すなわち貧しい人びとの奴隷的な状態を正すはずでした。
 こうした強者と弱者の関係は、非常に多様なかたちで、ほとんど、いつの時代にも存在した悪だといえます。しかし、ブルジョア階級の台頭によって、かつてないひどいものになっていたのです。ブルジョア階級は、権力を手に入れ、それをカネと富の優越のうえに打ち立てることにより、勝手気ままに、庶民階層の労働とその利益を搾取し、彼らを自分たちのカネもうけの手段にしたのです。この“資本”の脅威をマルクスは見抜き、それを払いのけようとしたのです。
6  しかし、別の点で、彼は自身が明瞭に述べていた法則をまぬかれることはできませんでした。社会環境から受ける力の点で、受けた教育の点で、彼はブルジョアの血を引いていたのです。彼の思想は、ブルジョア的信念がその絶頂期にあり、物質主義がその全重量で物質科学の輝かしい最新の勝利を支えて支配しているときに発展しました。
 そのため、物質より以上に理解できるものはなく、技術による物質の開発以上に価値あるものはなく、そして、社会的現実は、もはや経済学的概念でしかあらわされることができなかったのです。オーギュスト・コントによって、その哲学は過去の諸宗教にかわって、一つの新しい宗教を創出しようとするほどまで、実証主義に傾倒したものでした。
7  マルクスは、社会主義の高貴な飛躍に身をささげることによって、それを人びとの幸福のために適用したにしても、彼の時代と環境の指導的理念からまぬかれることはできませんでした。ブルジョア階級につきまとっていた物質主義的・経済的な物の見方から自由になることはできなかったのです。それは、彼がヘーゲルからその弁証法と矛盾の天才的な理念――矛盾をもはや否定的要素とみなすのではなく推進力とみるこの考え方――を借りたとき、それを本来の観念主義から抜きとって弁証法的物質主義(唯物弁証法)を打ち立てたことにあらわれています。
 マルクスの哲学が生まれたときは、彼が発芽力をもっていたので、その哲学は、当時の諸思想を鋳型の中に入れ、その思想は当時の人びとに対して、より以上の説得力をもっていました。そのため、もはや科学的ではなくなっている概念のうえに立っているのに、なお“科学的”ということばをひけらかしたのです。しかし、そのようにして生じたので、また当時認められていた諸思想に従順であったおかげで、彼の哲学は、その未来の驚くべき運命をもたらす一つの衝撃力をもったわけです。
 その哲学はプロレタリアをめざめさせ、プロレタリアにその興隆と、いくつかの国での勝利を確実にし、社会的進歩を推進させたイデオロギー的武器を与え、それ以来、社会的進歩は一つの優先権をもつ関心事となりました。
8  しかし、当時は価値があり有効であったものも、時の法則からまぬかれることはできず、やがて効力を失っていきます。ですから、マルクス主義も、手を加え、発展させられるべきだったでしょう。恐るべきことは、それが一つのドグマになっているということです。それが戦った相手の宗教の固定性と権威性をもつようになったのです。それは、共通の運命をたどり、当初の躍動を失って硬直化し、ドグマティズムが築きあげる合理的構築物の中に閉じこもっています。
 豊かにわきたっている泉は、政治家たちが管理する湯治場の建物の中に消えていき、その湯は、厳格に定められた管の中しかもはやまわらないのです。
 法典化されたマルキシズムは、風と潮に抗して、ということは、世界の発展にさからって、“科学的”物質主義を保持しています。科学的物質主義が、科学とその発達によって問い直されているときにです。ここに、歴史の最も驚くべき逆説の一つがあります。
9  この奇妙な固定化を説明するためには、マルキシズムが、最初に成功したのがロシアであったことを思い起こす必要があります。そこにできあがっていた社会はヨーロッパの最も遅れたもので、その結果、まさに音を立てて崩れようとしていました。ロシアは、ほとんど中世そのままの国だったわけです。ですから、ビザンチンのイコン(聖人像)崇拝から、いきなり、新しいイコン崇拝に移ったわけです。
 ロシアは、新しい統治者の権威主義がツァーの独裁主義の残した手本の中に、まったく同じかたちでまぎれこむあいだに、このイコン崇拝を同じ退嬰主義の中に凍結しました。ロシアは、人間性を拡大へ導く運動が、ビザンチンのイコンと同じやり方で化石化されうるものだと信じていたのです。これが、現代の世界の眼前に展開されているドラマであり、そこから世界がついに解放されることはありません。
10  思想が根を下ろすには、長い年月がかかります。そして、しばしば、その思想は、根づいたときには、すでに死んで過去のものになっているのです。あまりにも革新的で大胆であったために当時の人びとから拒絶されていたマルクス主義の教説が、百年遅れて今は大学の多くの教授によって教育の材料や基盤にさえなっていることは現にみられるとおりです。こうした場合によくあるように、スコラ的精神が大学を占領している以上、それが過去の中によく定着していることのしるしになりうるでしょう。“近代的”ということは最前線にいるということですが、そのように自称している時代も、百年も使い古されれば化石化し、時の流れによって崩壊してしまいます。
11  顕著な兆候が一つあります。何年来、一つの沸騰が感じられます。それは生命の沸騰とさえいえるもので、堤防によって停止させられることを拒んでいます。ロシアの青年は、最も自由で最も勇気ある思想家たちの反乱によって信念を固め、その忍耐できなくなった気持ちを発散させています。彼らに刺激を与えた思想家には、ソルジェニーツィンその他の人びとがいますが、彼らは、自分の独自の見解を表明するために亡命を余儀なくされましたが、そこで初めて抑圧をまぬかれることができたのです。
 ところで、注意しなければならないのは、彼らは社会主義・共産主義ロシアを否認しているのではないということです。そうではなく、抑圧的な管理体制によって強められた教義的化石化に対抗して、生きる権利を守ろうとしているのです。
 いつの時代も、官僚主義は、確立された、したがって停滞した教義に奉仕するための固定化の手段になってきたのではないでしょうか。現代のロシアが始めているドラマは、マルクスがだれよりも信じていた永遠の弁証法の一つの新しい局面にほかなりません。それは、固定化され、虐げられ、窒息させられた力のめざめは、その反対の、満足し、したがって凍結した力に対して、自然な発動を要求するということです。
12  池田 ロシアにおけるマルクス主義について、あなたが、新しいイコン崇拝として説明されているのは、非常に興味ぶかい点です。これは、一つの社会に新しい思想が導入されるときに起こる共通の現象のように思われます。
 大部分の民衆が、これまでの考え方や生き方への深い反省をし、それを変革したうえで新しい思想が浸透するのでないかぎり、新しい、すぐれた思想も、結局、これまでの考え方の骨組みのうえに、置き換えただけになってしまいます。日本における第二次大戦後の民主主義も、同じであったと思います。
 あなたもおっしゃっているように、思想が根を下ろすには、長い年月がかかります。日本に民主主義が根を下ろすのも、私は、まだこれからであろうと考えています。ロシアや中国におけるマルクス主義も、そのほんとうの意味での確立は、まだ、これからなのかもしれません。
 そのためには、旧時代からそのまま受け継がれている根本的なもの、骨組みにあたるものに対する、さまざまな反抗がなされるでしょう。それは、初めは、ごく一部の人びとによる変革の戦いです。しかし、それによってつけられた火は、体制の権力によって一度は消えたようにみえても、人間の心の内部にくすぶりつづけ、やがてまた、時がくると燃え広がります。
 それが人間性の本然的な欲求に合致したものであれば、幾度もこうした変動を繰り返しながら、やがては、社会全体を変えるにいたるはずです。私は、その意味で、人間性の勝利に対して信頼をおき、人類の未来に希望をもっています。
13  現実の生活と取り組んでいる人びとは、現実の推移に対して最も敏感であり、その意味で最も革新的なものです。もちろん、ある思想が、現実を先取りしているときには、あくまで現実に対応して生きなければならない一般庶民は、そのあまりにも革新的な思想にくらべれば保守的に映りますし、事実、そうした思想の革新性に対して反抗もします。しかし、その思想が予見したとおりに現実が推移していったときには、人びとは現実に対応しますから、あるときにはその思想以上に革新的になるはずです。
 その場合、革新的な思想を観念的には理解し、それを大義として掲げていても、実際には旧時代の考え方で行動し、自らの権威を保とうとする指導層や知識人は、民衆の革新性についていけず、ここに種々の相克が生ずることになります。あなたが指摘されているように、共産党指導者に対するソルジェニーツィン等の批判は、共産主義ロシアそのものを否定したものではなく、むしろ、マルキシズムの根本的革新性にめざめた人びとの、旧体制的ドグマティズムに執着する権力層に対する反抗だと思います。今、ソルジェニーツィンは国外での生活を余儀なくされていますが、やがては、ソ連社会全体が、ソルジェニーツィンの考え方を当然とする日がくると私は思っています。
14  ユイグ マルキシズムは、あなたが指摘されたように、二重の意味で凝結するという奇妙な状況にあります。まず一つは、革命前のロシアのイコン崇拝の採用からくるもので、もう一つは十九世紀の思想の刻みついた固定的な体制をつくり、二十世紀のそれに対応できず、ましてや二十一世紀にそなえることなどできない知識人からきているものです。
 科学の分野においてさえも、何年か前に、現実に対応するうえでのこの教義的無能の驚くべき実例があったではありませんか。それは、ルイセンコが一つの科学の学説を、権力に支持されて確立したことです。それは時代遅れのもので、他の国では科学の実験的事実の前に敗れていたものだったのです。ところが、ルイセンコは科学アカデミーの議長であり、スターリンによって称賛され任命されていたので、敵対者たちも、簡単にその抑圧的なやり方によって排除されたわけです。全体主義国家では、科学を息づかせる実験という酸素は、教義に対して盲目的に屈従しなければならないのです。
15  さて、遺伝子によって伝えられた遺伝的因子が私たちの個性の主たる条件を決定づけていることは、あらゆる事例が示しているところです。このことは、しかし、社会が働きかける外的な力によってもっぱら決定されるとするマルクス主義の教義にも、人間の平等性の教義にも反しますから、二重の冒涜になるわけです!最初から他の人びとより天分に恵まれた人びとがいることを認める人びとは、どこへ行ったらよいのでしょうか(同様に、ブロンドに生まれる人や、病気や身体の障害をもつ運命の人もいます)。これはエリート主義の罪であるということになります!人間を形成するのは環境であるということを断言できなくなった人びとは、どこへ行ったらよいのでしょう。
16  そこで、私は、私の友だちで、会議に招かれてソ連へ行ったフランスの学者たちの証言を集めたことがあります。彼らは、ロシア人学者の多くが、この“公認”の学説がいかに時代遅れで無力であるかをはっきり認めていたことを、私に隠さずいってくれました。ロシア人の学者たちは、そこで、内緒でではありますが、外国人の同僚たちに、そのことについて話しましたが、既存の法の権威を考慮して、自らの信念を確言することはあえてしなかったのです。
 しかし、事実の明白さのもつ圧力があまりにも強くなって、この防波堤は屈せざるをえなくなり、ソ連は、ついにはルイセンコの生物学理論を放棄しました。
 同様にして、逆の意味ではありますが、ナチズムは、議論の余地のない遺伝子のこの働きに頼って、人種主義という、一枚岩の、したがって常軌を逸した、しかも矛盾した教義をそこから引き出しました。そして、その正当性を示すために、ヒトラーは何百万の人間を虐殺させたのです。
17  合理的な体系というのは、こうした道をたどるのです。そこでは、その原理と反しているあらゆる事実の明証は隠され、部分的な真理しか認められず、現実の生きた複雑さの中にそれを同化させようとされないため、惨憺たるあやまちとばかげた行為に変わってしまいます。
 私たちは同じあやまちを犯さないようにしましょう。人間が、ただ社会的・歴史的形成によってのみ決定づけられるとする原理を立てることは、あらゆる確かな事実に反しているとしても、私たちは、それにもかかわらず、どのていどまで、それがあてはまるかを見分けるようにしましょう。そして、人間精神を強制し抑圧するためでなく、責任ある自由の感覚と行使を人びとの内に発展させるために、これを活用するようにしましょう。
 マルキシズムが資本主義に戦いをしかけながら、その敵を窒息させている物質主義という同じ鋳型を不用意にそこから借りてしまったのは、同様の歴史のパラドックスによります。マルキシズムも同じ袋小路に迷い込んでいるのです。

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