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日蓮大聖人・池田大作

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複雑性か画一性か  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
2  ユイグ 内面的な生命というものは、反対を乗り越えようとすればするほど、つねに豊かになるものです。弱々しい魂は、対立する要素にぶつかったとき、相反する視点の中でも、自分の心を引きつける一つだけをとって妥協してしまいます。その反対に強い魂は、障害にあったとき(こういう魂だけが進んでいくのですが)、こうした歪みによって、かえって、それを乗り越えていこうとする力を得ます。強い魂は、現実の別々の二つの局面のあいだに一つの調和をつくりだそうとします。そしてこの調和がそれを豊かにするのです。
 たぶん、フランスが西洋世界に貢献したものの特質は、そこにあります。フランスは、地理的にも歴史的にも、有利な位置におかれていました。というのは、ヨーロッパとなるべく定められた空間に注ぎ込んできた矛盾する諸要素が、このフランスで一つに収斂したからです。なによりもまず、フランスは、おおざっぱにいって、ロワール川によって、北と南の二つに分けられ、それぞれが、相反する二つの文明と接しています。
3  南フランスは、地中海世界という、とりわけ農業にすぐれた世界に密着しています。この地中海世界は、とりわけエジプトによって最初の推進力を与えられたことから始まり、つぎにギリシャの発達があり、ローマがそれにつづくことによって形成されてきました。そこに体現されている精神的態度は、その安定性と明晰さと合理的普遍性をめざす、農民世界の心理的傾向が支配しています。
 その反対に、北フランスに住みついたのは、つぎつぎと波のように押し寄せたユーラシアの広大な平原から来た流浪の諸民族です。これらの諸民族は、ゲルマン、スカンジナビア、アングロ・サクソン等といった世界を打ち立てましたが、フランスにまで到達し、そこに定着したのはとりわけケルト人とフランク族でした。これらの人びとは、別の精神を受け継いでおり、感覚的な生命の深い衝動に心を動かされる傾向が強く、抽象的な生命には、あまりなじめません。
4  ですから、フランスは、その人種的起源からして、根底から異なった二つの心情を受け入れ、結合しているのです。こういうことは、ヨーロッパの他の国ぐににはありません。たとえばイタリアは、その大部分がラテン人によって占められており、北欧民族やアラブ人の侵略は、その周辺地域を削り取ったにすぎませんでした。それは、基本的に地中海的です。それに対し、スカンジナビア諸国やドイツ、イギリスは、もっぱら北方世界に属しています。
 フランスはこの北方世界の膨張に立ち向かうことを余儀なくされ、その当初から、相反する諸条件を両立させるという、幸運な必然性を迫られることになったのです。それのみならず、フランスは、それぞれの傾向性と伝統と固有の言語をもった極度に異なった諸州を中央政治のもとに従わせながら、何世紀にもわたって機能した君主政体を前進的に形成したことによって、この基本的多様性を、いっそう強めることとなりました。
5  こうした多様性のため、フランスは、ヨーロッパで最もむずかしい事態から出発しなければなりませんでした。というのは、フランスは、まちまちの条件を集めなければならなかったからですが、その忍耐強く実りある努力のおかげで、フランスは他に類をみない成功を遂げることができたのです。なぜなら、フランスは、分割と分散の中にのまれて、それらの矛盾に負けてしまうのでなく、より大きな統一体を鍛えあげることができたからです。フランスの精神的な豊かさは、ここからきているのです。現代でも、ブルターニュ(フランス北西部)やバスク(フランスとスペインにまたがる地域)等にみられるように、分離主義が熱狂的にめざめることによって混乱をひきおこすことがあるのは、このためです。
6  フランスが築かなければならなかった、そしてそれに成功した、このように複雑な統合体の中でこそ、人びとは、男性的と女性的の二重の性向をあらわすことができたのでしょう。その一つは、歴史を通じてずっと、フランスの軍隊が理性的思考によって、輝かしい軍事的卓越性をもってきたことにあらわれています。これは、好戦的な面であり、「兵士」としての面です。もう一つの面は、感性的生活において、社会での女性に与えられた優先性にあらわれています。それは、十三世紀の「愛の宮廷」から、十七世紀初めの教養ある貴婦人たちの閨房を経て、十八世紀のサロンにいたるまで、一貫してみられるものです。
 こうしてフランスは、各世代の好みによって、これらの相反する天賦の才を、補い合う律動として働かせながら、最も上手に使い、一つの共通の魂を打ち立てたのです。二つの斜面をもった屋根のように、これら相反するものを組み合わせて、一つの全体とすることに成功したわけです。
7  フランスが、克服し利用する準備ができているとつねに自負しているもう一つの二元性は、個人と集団とのそれです。たぶん、フランスは方言においても文化においても、非常に細分化され、きわめて豊かな国であるため、フランス人は、つねにその独自性を強めようとする“分離主義者”でしかありえません。本来の意味で個人主義者です。
 すでにシーザーは、ゴールを征服したとき、この民族的性格と、ゴール人を全体的規律に従わせることのむずかしさとに気づいていました。しかし、この第一の極にもなおその反対の極が対峙して、そなわっています。それは、フランス人が、非常に早くから、この欠点を乗り越える必要性を感じていたからでしょう。この欠点は、同時に長所でもあるのですが、しかし、フランス人は、大革命のさい、教会の中に理性の女神のために祭壇を設けたほど合理主義に礼拝をささげてきたのです。
8  ところで、理性的思考は、感覚的・感情的な特性を軽蔑するものです。それは、生きた複雑性から、法則となるために固有な、一般的理念を引き出すことに専念し、つねに、普遍的な土台の上に立った一つの共通性を打ち立てようとします。この点でもまた、個人の才能の多様性・独立性と、普遍的領域での抽象的思考に対する不変の欲求との結合が、フランスの文化の豊かさに寄与してきたのです。
 フランス文化が、人間の多様性を切り落とし、たくさんある中の一つの側面を具現化するのでなく、すべてに対して愛想がよく、立派に調停者となっているのは見事ではないでしょうか。たぶん、そこに、フランス文化が、とりわけ人間的な容貌をあらわしているゆえんがあります。
9  しかし、フランス人は、もう一つの別の才能をもっています。それは審美眼すなわち、質に対する感覚であり、これはつねに彼らの自発的に欲求してきたものの一つです。このような確信を、国民的うぬぼれだと非難されないように主張することは、フランス人の一人としては、微妙なことです。しかし、人びとが非常にしばしば、フランス人の審美眼のよさをよりどころにしていることをだれが否定するでしょうか。それは、女性ファッション産業にあらわれており、ここにも、世界的にすぐれていることが証明されているのではないでしょうか。
10  フランス人は、その欠点を十分にわきまえているので、こうした優位につくことができたのです。たぶん、この優位が、フランスの文化の中で芸術が一貫して果たしてきた高い役割を説明してくれるでしょう。
 フランスが、芸術においても文学においても、例外的な、まばゆいほどの、際立った天才によってそれほどぬきんでているわけではないことも、注目すべき点です。他の国ぐにには、その民族の非常に特殊な個性があります。たとえば、イギリスはシェークスピア、イタリアではダンテ、スペインではセルバンテス、ドイツではゲーテなどがそれです。ところが、フランスがぬきんでているのは、むしろ、反対に、異なった傾向の芸術家たちの多様性によってです。
11  たとえば、フランスは、模範的な古典主義を練りあげ、しかも、それにもかかわらず、完全にバロック的な段階を経験することのできた、まれな国の一つなのです。この二元性はたくさんの時代の芸術の中に、ほとんど同時的に存在します。たとえば、中世のゴシックがそうで、十三世紀のゴシックは古典主義の一般的な規範に従っています。ところが十五世紀には、火炎式ゴシックはバロック的性格になっています。こうして、同じスタイルが三世紀にわたって廃れることなくつづき、そこに二つの傾向が、交代しながらあらわれているのです。
12  同様にして、十七世紀をみますと、そこにまちがいなく、フランス古典主義の勝利が目撃されます。それでありながら、外国の多くの歴史家たちは、自分の国民的偏見に左右されて、ためらうことなく、十七世紀のフランスをバロックとして位置づけ、そのスタイルに固有の特徴をそこに正当に指摘することができます。
 十八世紀になりますと、ガブリエルとかスフロ(いずれもフランスの建築家)といった名によって、ルイ十六世風といわれる古典的単純さを最も純粋に表現した建築物がそこに並んでいるのが見られます。しかも、反対に、家具には、ロココ式の、錯乱に近いほどの過剰ぶりが、そこには見られるのです。さらに十九世紀には、フランスは、ダヴィドとその弟子であるアングルの新古典主義の流れと、絵画ではドラクロア、音楽ではベルリオーズのロマン主義の流れとに分かれます。
13  池田 フランスが、特別な傑出した芸術家や作家を出すのでなく、つねに多様なものを共存させてきたといわれる点は、私は、芸術のための人間か、人間のための芸術かということを考えるうえで、一つの大事な素材になりうると思います。
 一つの流派が国全体を統一しているような状態というのは、一人の偉大な人物が出るのには好都合です。なぜなら、その芸術での第一人者は、国民全体の尊敬と鑚仰の対象となり、その地位は、神にもなぞらえうるほどの高みに達します。そして、そこに生まれた芸術や文学の作品は、至高の名声を、うることができるでしょう。こうした高い芸術や文学に対すれば、平凡な生きた人間は、低地をうごめく虫けらのように感じられます。人びとは、芸術に仕える奴隷にすぎません。
14  これに対し、つねに多様性を内包している場合は、一つの流派の第一人者であっても、他の流派に好意をもっている人びとにとっては、少しも尊敬や鑚仰の対象ではなく、ときには敵意や嘲笑の的にさえなります。もちろん、芸術や文学の世界に、このような反感は望ましくありません。しかし、少なくとも神格化がなされないことは、かえってよいことであると思います。
 人びとは、多様性の中から、自分の好みに合ったものを選びとります。この選ぶという行為をとおして、人びとの主役としての自覚が維持され、さらには強められるわけです。芸術こそ人間に仕えるものであって、人間が芸術に仕えるのではないのです。いうまでもなく、芸術家や文学者自身は、その芸術や文学に仕える姿勢にならざるをえないでしょう。しかし、一般の人びとは、芸術や文学に仕える必要はないわけです。
15  これは、芸術あるいは文学の一つの流派が圧倒的あるいは独占的な地位を確立したときに、その生ずる結果の面についていえることです。このような事態をもたらす原因の面も、人びとの考え方自体にあるといわなければなりません。
 すなわち、人びとが自分を強く自覚し、それに合わせて芸術や文学を選んでいくなら、おそらく、一つの型の芸術なり文学が独占的な人気を博するということはありえないでしょう。なぜなら、どんな社会でも、それを構成する一人ひとりの人間は、みな、異なった個性と好みをもっているからで、その選ぶ芸術も文学も、必然的に多様になるからです。
 私は、一つの流派が、あるいは一人の芸術家あるいは作家が、国民の人気を独占し、神に近いほどの崇敬を得ているような社会というのは、その社会の人びとは、実際には、自分で芸術なり文学なりの作品を選んでいるのでなく、つねに他の人びとや世論の主張に従う傾向をもっているのではないかと思います。その意味において、単一の芸術なり、文学なりが支配する現象は、その出発点も、その帰着する結果も、人間が中心であり主張であるという自覚の喪失にあるといえると思うのです。
16  たしかに、非常な高みに達した芸術家、芸術作品、あるいは文学者と文学作品を生み出すことは、この国あるいは民族の名声を世界的にするうえで効果的でしょう。そこに、そうした偉大なものを生み出した国民としての誇りを感ずることもできましょう。しかし、私は、あくまで、芸術も文学も、一人ひとりの人間のためにあるのであって、国や国民の誇りのためにあるのではないと考えます。
 その意味でも、多様性がつねにあり、したがって、多様な可能性をもった、できるだけ多くの人が、自らの才能や特質を、希望をもって存分に発揮し、そこに生きることの喜びと満足を味わっていける社会であることが、なによりも大切なのではないでしょうか。
17  ユイグ そうした多様性が、自由性と結びついて、創造的な可能性を豊かにしていくということは、まさに、そのとおりです。このため、フランス人はときとしてその理知主義を満足させてくれる一つの主義、一つの美学に従っていくという観点ではいちじるしく合理的でありながら、しかも、あらゆる経験に心を開くことができたのです。その個人主義は、たしかに多くの人びとの内に深く根をおろしています。しかし、また、それは、彼の質への生来の感覚と“審美眼”への天性といったものの一つの結果であることを知らなければなりません。
 この二つは一緒にあるものです。なぜなら個人が他との違いを明らかにするのは質によってであり、一つの共通の規律のもとにおかれているときは、なおさらそうです。
 フランスで人間主義が厚みをもっているのと同じく芸術の豊かさがこのように多様であるのは、たぶん、秩序を破壊するものになるほどの個人の、突発的で創造的な才能と、安定的で組織的な合理的規律の手段とを同時に使い分けることができる、この二元性から出てくるのです。
18  池田 あなたがフランスの特質についていわれたことは、文化の創造と社会的枠組みという問題について深い、豊かな示唆を与えてくれます。社会は、その枠組みとしての力を強めようとしますが、それは、とかく個人のもつ創造性を圧殺しがちです。個人の創造性を豊かにしようとすると、束縛や画一化をゆるめなければならず、それは社会全体の集団組織としての機能と力を弱める恐れを生じます。
 近世以来のナショナリズムは、国家という一つの社会組織の力を高めるために、その内側にある多様な要素を、極力、画一化しようとしてきたように思われます。それは、ここ数百年の歴史が、国家単位の組織同士の激しい競争の繰り返しであったことによると思われます。
19  日本に例をとると、二百数十年にわたる鎖国が、外からはアメリカ、ロシアの圧力、内からは明治政府によって破られ、欧米ナショナリズムに対する遅れを取り戻すために、急激に、国家としての統一的枠組みの強化を進めました。この枠組みの強化策は、諸外国との接触と競争が激化するにつれて、ますます推し進められ、ついには全体主義化を現出したことは、周知のとおりです。
 第二次世界大戦での敗北によって、天皇制や神道、儒教、道徳といった、枠組み強化策の手段に使われた諸理念は排除されたり形骸化されましたが、枠組みを強めるという基本的考え方自体は、まったくといってよいほど変わっていません。今日の経済大国としての日本の“成功”は、まさに、この枠組み強化策が温存され伝えられた結果であるといっても過言ではないでしょう。
20  戦後の日本は、あからさまな権力の行使によってではなく、交通・通信機関の発達、物質的豊かさの拡大という、人びとへの恩恵を通じて、その多様性の消失を、すなわち、生活様式の画一化、伝統文化の消滅を行ってきました。今でも各地の方言を使っているのは、中年層以上の男女で、若い人びとは、少しでも形式ばった場面では、画一的な標準語で話します。都市の繁華街の様相は、全国どこへ行ってもほとんど同じで、かつての、その町独特の味わいはなくなっています。服装も、その地方独特の衣装は、テレビの民謡番組以外では見られなくなりました。
21  私は、このように、国という単位で、その内側にある多様性を消滅し、画一化された土台の上に、社会的枠組みを強め、他の国との競争力を強化する時代は、もはや過ぎたとみるべきであると考えます。それは、軍事力という野蛮な力を信仰した時代の発想でした。文化の創造力という高貴な力を高めていくには、多様性を重んじ、なによりも個人の独自性を尊重する考え方に立たなければなりません。
 フランスが、その理想的典型であるというのは、たぶん、いいすぎでしょう。フランスにも、さまざまな悩みがあることは、私も知っています。しかし、少なくとも、国としての強化を成し遂げ、欧米ナショナリズムの一画を占めながら、諸地方に伝えられた多様性を重んじ、なにより個人の創造的能力を尊重し、その文化的創造によって近代世界に貢献してきた功績は、随一というべきでしょう。その意味で、私は、全体主義的志向性を今日もまだ改めることができないでいる日本にとって、フランスは、学ぶべきものをもっていると考えます。
22  すでに述べた中に含まれていることですが、日本は、非常に多様な文化を本来、包含しています。日本の民族的起源という問題については、まだつまびらかでない点がたくさんありますが、古い原住民と、北方大陸からの移住者、南方諸島からの移住者等の複雑な混淆によることは疑いありません。そして、歴史的に、古くから統一国家を実現しながら、各地方が独自性をもち、独特の文化を生み出し、伝えてきました。
 思想的、宗教的にも、独特の神道に加えて中国の道教や儒教が入り、そこに仏教、さらに近世には、わずかですが、キリスト教も入っています。こうした多様性は、未来のために豊かな文化を生み出していく貴重な要因になりうると思うのです。

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