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日蓮大聖人・池田大作

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家庭の保持  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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2  このような代替は、現代社会のこうむっている変異と、それが招いている危険性を特徴的に示しています。今日の人びとは、共通の理念とか行動のうえにしか集団をなしません。家庭は、人びとにとって、生物学的基盤に立った一つの環境を供給し、そこで感情的能力が形成され開花します。現代人は、絶えず“人間関係”ということを口にしますし、それは人間関係を保存し再建することを願ってそうするのですが、彼らは、家庭が本来、人間関係の自然の場であることに気づいていないのでしょうか。
3  池田 最近「ハウス(家)はあるがホーム(家庭)はなくなった」ということばをときおり耳にします。たしかに、かつての家庭のもっていた精神的なものはうすれつつあり、社会的要因もあって家庭の機能が減少してきています。しかし、家庭という形態は人間関係の基本であり、人為的に形成された社会的な組織とは異なり、簡単に改変できるものではありません。それは太古から存在する自然のシステムであり、それだけに人間形成に深い影響力をもち、容易に断ち切るわけにはいかないものです。
 たしかに家庭は、その意味では古い形態であり、ある意味では原始的形態であるともいえます。親子、兄弟という関係は生物学的なものであり、文明的なものではありません。しかし、文明化の中で生まれたルールを基礎とする人為的な新しい人間関係によっては果たすことのできないものが、家庭によって果たされています。
4  私は大きく分けて家庭には二つの機能があると考えます。一つは母親的なもので、いっさいを許し包容してうけとめ、挫折して荒んだり不安に戦く人間の心をなだめ静めてくれる安定機能です。もう一つは父親的なもので、知・情・意の円満な涵養、健全な人間関係の錬磨、人間として生きるうえでの基本的ルールの習得など、一個の人格をつくりあげていく形成機能です。ここで重要な点は、この二つの機能は、前者があって後者が円滑に機能するということです。これは進化の歴史からみても、まず母子関係があり、父子関係はかなり後の時代に確立したこと、したがって夫婦子供という家族形態は比較的新しいということから考えても、前者のうえに後者の機能が加わったことがわかります。いいかえれば前者の機能は生物学的色彩が強く、後者の機能は社会的な要素の濃いものです。この二つの機能のかねあいを考えると、前者を欠いては後者は歪んだものとなり、不安定な人格が形成され、前者のみで後者が欠ければ欠陥をもった人格が形成されることになりますが、後者は現代においては社会的にカバーできますが、前者を欠いては、もはや家庭とはいえません。いうまでもありませんが、これは母親的・父親的機能をいっているのであって、母親や父親そのものの存在について述べているのではないことは当然です。
5  ところが父親的機能は、現代では教育機関等の整備によってあるていどまで代行しうるようになっています。かつては、家風というようなものが代々に受け継がれて教育機能が家庭の中で働いていました。行動範囲が小さく変化の少ない時代にはそれで十分でしたが、行動範囲が拡大し、時代思潮が急速に変化した今日では、それらは過去のものとして捨てさられました。また時代の変化に合わないものが多かったのも事実です。ここに家庭の機能が減少した一つの原因があります。父親の権威の喪失も、こうした状況が背景にあるわけですが、しかし、だからといって家庭の意義そのものが失われたわけではありません。問題はなにを教えるのかということです。父親の権威の喪失をいう場合も、じつはその権威がなにによっていたかということを見落としてはなりません。
6  かつては、父親の権威は、家庭の柱でした。父親の権威は、古い社会制度に支えられた家族制度のもとにあって、その秩序のあり方と、そしてその秩序のもとでのさまざまな問題への処し方などを教えることで成立していたといえます。したがってその背景のものが変化すると、教えるものの価値の多くが失われ、教えるものを失った父親の権威は失墜し、教育機能を失った家庭そのものの価値が軽視されるようになってしまったわけです。しかし、ほんとうに教えるべきものはなんであるかを再検討することによって、家庭の地位を回復することは可能です。
7  つまり、かつて家庭で教えられたものは、秩序自体に価値が認められた時代の生き方にほかならなかったのです。その秩序にしたがって生きることが人生の価値として認められていたからこそ、それを教える家庭、そしてその中核としての父親に権威が認められたわけです。したがって私は、人間としての不変の生き方を教えることができるならば、家庭は現代においても見事に蘇生すると信じています。青少年が家庭に対してもっている不信・不満は、両親の生き方への反発に起因しているのが大半です。父親に対する失望は、父親の学歴や社会的地位や収入に原因があるのではなく、自己に確信がなく、不正にも目を閉ざし、未来への覇気も感じられない父親の日常生活の姿に由来しています。その意味で、家庭を崩壊させつつある諸問題の解決には“内面的生活の変革”“人間の再生”しかないというあなたの考え方に私も全面的に賛成するものです。
 結局、人間をつくるのは人間しかありません。その最も基礎になるのが家庭における幼少期からの親子の人間関係である以上、私は家庭における人間再生の試みが最重要の現代の課題であると考えます。私たちが仏法を根本とした人間革命の運動を推進しているのも、いっさいの問題の根源はそこにあると信じているからです。
8  ところで、家庭のもう一つの機能として安定ということを申し上げましたが、この点について若干述べてみたいと思います。第二の父親的機能が低下した現代には、第一の母親的安定機能だけが家庭を支配し、それが子供を甘やかすこととなり放縦な青少年をつくりだし、家庭そのものさえも否定する若者を生み出してしまいましたが、しかし、結局のところ、この機能を無視はできません。日本では田舎を脱出して都会に出た若者が再び田舎に引き返す、いわゆるUターン現象が起きていますが、これは経済事情だけが原因ではなく、もっと根源的な精神的な安らぎのオアシスを求めているのであり、これは、混沌の時代を反映した現象ではないかと私は考えています。
9  あなたもおっしゃったように、家族は生物学的な存在であり、その意味でも家庭は一人ひとりにとって文字どおり自己を生み出した母体です。人が家庭へ還るのは、たんにそこが住家であるからというだけでなく、いわば自らを生み育んでくれたふるさととして、生命の根源としての意味を無意識のうちにもいだき、期待しているからではないかと考えます。したがって家庭は、根源的な意味において疲れを癒しエネルギーを充填するためにつねに立ち還るべき場所として築きあげられなければならないと思います。そのためには、たんに生物学的関係からなるだけの無為の家庭であってはならず、家庭全体に、安穏の中にも人間的成長への“生命の律動”がなければならないと私は考えています。そこに必然的に全体的な人間形成の機能も生じてくると信じます。

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