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日蓮大聖人・池田大作

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ブルジョアの興隆  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
2  城や宮殿の周囲に町をつくったのは商人でした。そして、そうした町(ブルグと呼ばれた)が、ブルジョア階級の源なのです。
 以来、徐々にですが、一つの注目すべき変化が生じたのです。先史時代人や農業人は、本質的に宗教的な人間でした。ブルジョア階級も、これらの教義と礼拝を受け継いでいます。初めのうちは、先祖から受けたためにそれらに影響されています。しかし、ブルジョア階級は新しい精神でそれを鈍化させます。この新しい精神はしだいに宗教と競合するようになり、ついにはこれを破壊してしまうでしょう。
 これが現実主義リアリズムの精神ですが、それはもはや、自然への愛や、自然との兄弟愛といった写実主義リアリズムとは違ったものです。ブルジョアは、自然とのつながりをどのように保持しているでしょうか? ブルジョアは都市をつくり、その城壁の中に閉じこもります。彼は田舎に関係を広げ、それから、それを断ち切って、ただその生産物を受け取るだけにしたのです。それ以後、彼が職業的に必要とする現実主義は、“もの”についてのそれです。なぜなら、彼にとって必要なことは、提供されるものの仕入れ価格を、厳格に、利益になるように評価できることだからです。
3  彼には、羊毛や綿、亜麻を混合する権利はもっていません。彼はそれを自分の感覚機能で鑑定し、視覚的に、要するに経験的に、品物の商品価値がいかほどであるかを判断しなければならないのです。それからつぎに、それを工場へまわして加工し、仕上げさせます(やがて職人にかわって労働者が商人のもとにおかれ、増大していきます)。彼は商品の展示や“需要”と“供給”の関係に気を配り、取り引きを推進して製品をカネや金銭価値に変えるよう配慮します。たしかに貨幣経済は早くからありました。しかし、のちにブルジョアジーが従事することになる銀行の発達と仕組みについては、認識されていなかったのです。
4  池田 そうした実際的精神がもたらした結果は、どのようなものですか?
5  ユイグ エジプトやメソポタミア、あるいは中国で、最初の都市商人が、この精神を導入して以来、その萌芽はありました。この古代からの精神の勝利がブルジョアの精神に結びついているのです。
 ですから、ブルジョアは、ただちに商業的価値、通貨価値に転換されうる、具体的で実際的なものにしか信をおかない“実務的”人間となっていきます。私たちは物質と量の支配下にあります。この物質的・量的領域は抽象の領域との結びつきを強固にしていくのです。事実、ブルジョアは具体的であると同時に合理的になっていきます。この二つは対になっています。というのは、事実と論理は互いに求めあい、補完しあうものだからです。
6  その反対に、深く創造的な感受性から生ずるものはすべて、事物と理性の秩序を乱すものとして排除されます。夢や想像、神話といった精神性への飛躍であるようなものはすべて、“現実性”に背を向ける疑いのあるものとなります。主観的なものは客観的なものの利益のために放棄されます。客観性は外部世界の認識に没頭し、それを生産的で取り引き可能な、つまり、すぐ金銭に転換できる物に還元するのです。このようなものが、一つの厳密な方法で発展し体系化しながら、そこから生じた科学と諸技術を発生させた精神なのです。
 ブルジョアジーは十二、三世紀の西欧で形成されたものです。アッシジの聖フランシス(フランチェスコ修道会の創立者。)の例は、研究される値打ちが十分あります。フランシスは、ラシャ商人の息子です。しかし、神秘主義にまで達する深い信仰が、彼のうちに感受性のばねを保持し高めているのです。
7  フランソワ・シェニク(フランスの経済学者)は最近の著作で、フランシスが“精神的ヨガ”を想起させるほどに“根底的な精神の道”を覚知していたこと、彼の思想は東洋の神秘思想と一致しているとさえ述べています。そのため彼は悪評をかい、父親からも社会からも、そしてなによりも当時の教会から追放をうけたのです。彼が自らの内にもっている感覚的価値、宗教的・神秘的価値を人びとに承認させるのに、彼は驚くべき体力を消耗する戦いを必要とするでしょう。
 けれども、彼は科学につながる発展にも寄与していきます。それは、彼が神を、その物質的創造を通じ、自然を通じて崇め“わが兄弟たる太陽”と呼び、鳥や獣を“われらが兄弟”と呼びかけていることです。ですから、彼が生み出したフランシスコ派の教団は目に見える現実の世界の事物に、だれよりも愛着をいだくのです。“実験科学”ということばがルネサンスによってではなく、中世盛期の十三世紀、フランシスコ派の僧であるロジャー・ベーコンによって創られたのも、このためだったのです。
8  もちろん、この人を、もう一人のベーコンつまりフランシス・ベーコンと混同してはなりません。フランシス・ベーコンのほうは、十六世紀末に、実験的な方法を整備することになるわけですが、この三百年早くあらわれた“実験的”という同じことばが、すでに一つの新しい概念をめざして発展していたことがうかがわれます。
 これと同じ方向の変化が神学の発展の中に認められます。ブルジョアの世紀つまり十三世紀までは思考の師はプラトンでした。十三世紀以後は、アリストテレスの権威が全面的といっていいほどにまで増大します。
 それが問い直されるのがルネサンスです。それまでのあいだ、実験的な確認が観念の絶対性に対し優位をしだいに占めていきます。

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