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日蓮大聖人・池田大作

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幸福感から苦悩へ  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
3  しかし、他の芸術家たちは、この流れの外にとどまっていました。彼らは、ロマン主義以来、ただ物質的で物理的なだけの文明の有効性ということについて、先ぶれとなる不安を表現していたのです。彼らは、反写実主義の自分たちの立場を、ますます明らかにしていきました。この反動は、ロマン主義によって下準備されていたわけですが、印象派の全盛期の最中に、象徴派とともに強まったのです。
 彼らは内的生命とその神秘に目を向け、印象派が賞揚した、目にみえる世界がもたらす物質的よろこびというものから遠ざかっていきました。ギュスターヴ・モローやオディロン・ルドン(ともにフランスの画家)といった人は、重要なものは人びとの目に見えるものでなく、不可視のものであると主張しました。
 こうして、十九世紀の盲目的な楽観主義に対し、一つの退却が始まり、不幸と苦悩の芸術への道が準備されていたのです。現代は幸福への熱望を表現することを放棄してしまったので、印象主義は、この幸福感の夢を表現した最後の人びととなったのです。
4  それ以来、人びとはすべてが逆になったという感じをもっています。表現主義の登場以来、内面の抑えがたい苦悩が、より重要な表現主題となったのです。これは、だいたい一八八〇年ごろ、とくに北欧であらわれました。そのころ、芸術においてと同様に文学においても、スウェーデン、ノルウェーが前衛の国という様相を帯びていました。文学ではイプセン(ノルウェーの詩人・劇作家)とかビョルンソン(ノルウェーのノーベル賞作家)が、芸術ではエドヴァルド・ムンクが、とくにドイツでの表現主義の“苦悩”の運動をひきおこしていきます。
5  一八八二年から八四年ごろムンクの描いた一連の油絵には、この抑圧が生じ、発展していく様子がたどれます。その最初の絵はオスロの街路を描いたもので、日曜日の散歩を楽しむ人びとがおり、その光と明かりの中に軍隊の歌さえあらわされています。それは印象派の絵かとさえ思われるほどです。しかし、ムンクは、その同じ主題で、その意味を変えて、何度も繰り返して描いていきます。街路は薄暗くなります。通行人たちは同じブルジョア的な服装をし、当時流行であった同じシルクハットをかぶっていますが、凶暴な、少し狂気じみた表情に変わっています。この群衆の中で、いいようのない恐慌が生じているのです。その最後のものは「叫び」と呼ばれている絵です。海べりの、一種の防波堤の上で、全体の光景が突如、観客に向かって傾いてきます。不安が増大し、恐怖のために目をみひらき、口を開けて叫び声を発し(そこから、このタイトルがつけられたのですが)、えたいのしれない脅威を聞くまいとするかのように耳をふさいでいる、個性を失った存在をそこに見ることができます。
6  そして事実、背景では、自然が安定性をまったく失い、海の波打ち際は不安げに泡立ち、空は、大きくたなびく煙で血を流したようです。すべてが、まるで宇宙がその平衡を失い、巨大な流れに変わって揺れ動いているといった印象を与えます。平和の世界から暴虐の世界へと移っていくのです。
 同じ前兆的な特質は現代ベルギーの芸術家アンソールの絵画や彫刻にもあらわれています。彼は、仮面の思想、人間存在のあいまいさ(その背後になにがあるか、という)の思想にとりつかれており、また、生きている人の中に骸骨が同居しているという、死の観念にもとりつかれています。
7  二十世紀が開けるやあらわれた〈野獣派フオービズム〉や〈表現主義〉は、これらの前ぶれ現象からつながっているのです。やがて〈立体派キユービズム〉は自然の放棄を強調することになります。事物の形はその整った安定性を失っていきます。事物の形は断片に細かく砕かれ、もはや現実のそれとは違った一つの論理にしたがって再構築されるのです。
 第一次世界大戦後、〈超現実主義シユールレアリズム〉が開花します。ここで伝統と道徳性と合理性に対し荒々しく皮肉をこめた拒絶の運動を展開したのがダダイストです。
 心理学と医学の発展は精神分析にまでいたるわけですが、その反動として、超現実主義もまた、科学的思考によって独占支配を許されてきた理性と外的現実を追放します。そして、無意識、つまり、思考によってまだ秩序だてられないもの、したがって、私たちにとって衝動的で、幻覚としてあらわれてくるものの中にその源泉と真実とを求めます。
8  これらの傾向が西洋の芸術によって顕著化するや、それは日本のような、強力な近代化によって自分たちの伝統芸術を捨ててヨーロッパの衝撃をいちはやく受け入れた国ぐにに達していきました。
 こうして、多かれ少なかれ無意識に、芸術家たちは時代の転換を感知しそれを伝えてきました。それを理屈づけることはできなくても、ほとんど動物的な本能によって、彼らは、もはや現代の芸術は、幸福のイメージを提示することが不可能であり、現代芸術が暗示しうるのは、混乱し病んで、不安と未知の状況に投げ込まれた時代が到来していることだけであることを感じていました。ですから、例によって、芸術は、明確に意識されるより以前に、それをとらえていたのです。

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