Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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時間における混乱  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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3  それでは、このようにわれわれの過去を勝手気ままに切り落とすことが今日では推奨さえされ、そのあげくが教育で歴史の授業が絶えず減らされるにいたっていることは、なにを意味するのでしょうか。
 だからこそ、また、未来を不当に予断しないようにすることが重要なのです。私は、未来学が主導権をもつことに理論的な意味では賛成ですが、それが度を過ぎることには警戒心をもっています。なぜなら、未来学は、往々にして、未来を現在に強制的に服従させる傾向があるからです。ところが、人間は自由であるべきであり、その人間の最大の自由こそ未来なのです。たしかに、私たちは危険を避けるために未来を予想し、未来に対する自らの義務を果たさねばなりません。しかし、未来のもっている自由は尊重すべきです。なぜなら、それが人間の自由を尊重することになるからです。
 はっきりいって、未来は私たちが存続するためにあるのでもなければ、私たちが自分たちについてもっている理念を継続するためにつくられたものでもありません。未来は私たちを補ってくれるものであり、ときには矯正してくれるでしょう。したがって、多かれ少なかれ一面的で気ままな私たちのドグマを未来に押しつけることはしないようにしましょう。私たちが未来を“計画化”して教え込もうとするよりも、未来がなにを私たちに教えてくれるかに、より以上の注意を払うようにしましょう。

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