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日蓮大聖人・池田大作

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汚染  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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8  もし、技術的な事故を確実に防げる手がなく、悪くすると破滅をもたらすかもしれないとするなら、現代社会は、この廃棄物の恐るべくも持続的な作用に対して、少なくとも、どのように用心すればよいでしょうか。たしかに、計画がないわけではありません。地球内部に核爆発でつくったガラス状のポケットの中に捨てるという案もありますし、それがダメなら太陽の中とか、あるいは恒星空間へ発射するというのもあります。
 しかし、そんなことが、いつ実現できるようになるでしょう。現在のところは、この恐ろしく有害な物質をコンクリート詰めにして、毎年何千トンも海中に沈めているのです。この容器が、どれくらいの期間、潮流に耐えられるでしょう。そしてそれが破損したときはどうなるでしょうか?
 注目すべき実例が一つあります。一九七〇年八月、アメリカで、危険な神経性ガスを廃棄しようとして、一万二千五百発がフロリダ沖、五千メートルの海底に沈められました。それが、たちまち腐蝕し破損したのです……。セメントなら、もっと長持ちするでしょうが、それにしても永久的なものではないでしょう。
 これらは、人間が、実利的な発展をもたらしてくれる“進歩”を、坂道を滑り落ちるように、そのなるがままにしておくとき、わが身をさらすことになる重大な危険の、いくつかの例にすぎません。しかも、その滑走は、手の施しようのない墜落になるかもしれないのです。

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