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日蓮大聖人・池田大作

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後記 「池田大作全集」刊行委員会  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  この対談は、一九八五年に、上・下二巻として講談社から出版されたものである。前年秋、イギリスで英語版が刊行されてからちょうど一年を経て発刊された。今回、この上・下二巻を本全集の第六巻として収録しており、対談編の七冊目となる。
 対談当時、今日の激動の芽は、いまだ地中に深く埋もれたままであった。が、両者の透徹したまなざしは、時代や社会の表層を突き抜けて、人間の心の奥底に根差す宗教的な水脈を注視して、来るべき“波乱の季節”を予感する。
 「……そこ(∥社会主義社会)では、宗教が、国家に対する事実上の異議申し立てとまではいかなくとも、国家からの自主独立性をある程度まで表明できる唯一の活動として、政治的反対を代弁するものにすらなりうるでしょう」(ウィルソン=第六部「信教の自由」)
 「私は、共産主義社会においても、宗教に対する考え方は、将来、もっと自由になるであろうと予測しています」(池田=第四部「共産主義と宗教」)
 旧ソ連のその後の動きも、これらの発言を裏書きした。共産主義イデオロギーに代わってロシア正教やイスラム教が民衆パワーの求心力になり、既成権力への異議申し立てを行い、連邦解体からCIS(独立国家共同体)発足への歴史的変革の一つの原動力にもなった。今日では、さまざまな宗教が復活し、自由に活動を展開するにいたっている。
 この間、対談集は順次、フランス語、ポルトガル語、タイ語、中国語、スペイン語の各国語で刊行され、反響の輪を広げてきた。「宗教」が時代のキーワードになった現在、この対談のもつ意義はますます重くなりつつある、といえるのではなかろうか。
3  今日はまた、硬直化した既成宗教の権威そのものが鋭く問われる時代でもある。
 池田SGI会長が「絶え間ない自戒と、人々の意識の啓発、また組織機構の改善が行われるべきであり、それが、生きた宗教としての躍動力を保っていく鍵」(第三部「権威主義解消の道」)と述べているように、これまでの権威に安住する“宗教のための宗教”でなく、民衆の大地に躍動する“人間のための宗教”の命脈を、いかに保ち蘇らせていくか。それが今日の宗教には、強く求められているといえる。
 ウィルソン名誉教授も、一部の聖職者階級にふれ「これらの支配層は往々にして広い精神的ビジョンを犠牲にし、信仰上の秩序の細目に関わることで忙殺されるようになります。いまや彼らは職業的宗教家であり、挑戦よりも安全を、精神の活力よりも型にはまった仕事のほうを好むのです」(第六部「教義的規制の拡大傾向」)と語っている。そうした硬直化した枠組みを打破することが、宗教の時代における重要課題でもある。
 また変貌する現代社会に直面して、宗教も「民主化と普遍化への流れ」にさらされている、とみるのが名誉教授の視点である。在家の信徒団体である創価学会と僧侶集団の日蓮正宗宗門の問題も「創価学会の国際社会・文化に対する広い理解と貢献に対して、宗門は閉じられた宗教的カースト性に内在する醜い偏狭さをもって対応した」(「大白蓮華」一九九二年一月号)ところに発生したと分析する。人類の歴史を踏まえ、該博な知識と公正な見識をもってすれば、勝敗の帰趨はおのずと明らかなのであろう。
 ここで、参考までに、一九九一年八月、アイルランドのダブリンで開催された第二十一回世界宗教社会学者会議で、ウィルソン名誉教授が長年の調査結果をもとに講演したSGIの宗教的特徴を簡単に紹介しておきたい。すなわち、SGIは①日本的閉鎖性を克服②受け身ではなく、自発的な意志と情熱の運動③教条主義ではなく人間主義④現実重視⑤外から人間を拘束しようとする他律的道徳ではなく、自らの人生を自らで選ぼうとする自律性⑥豊かな利他性、という卓越性があると指摘している。
4  さて、「宗教」は未来を拓く基軸たりえるか、新しい世紀へいかなる役割を担いうるか――。
 過去の世紀を振り返り、宗教の“功罪”を比較するなら、“功”より“罪”のほうが多かったのではなかろうか、とするのが池田SGI会長の基本的な認識である(たとえば、米ハーバード大学「世界宗教研究センター」のローレンス・サリバン所長との会談=一九九三年三月二十七日)。
 宗教戦争、聖職者の腐敗、教義の非科学性や現実との遊離……。人類の幸福のためにあるはずの宗教が、逆に多くの不幸をもたらしている。そうした事例をながめるにつけても、宗教のあり方として今日まず要請されるのは“開かれた言葉による対話”である。
 池田SGI会長が、このウィルソン名誉教授との対談をはじめ、世界の多くの識者と語り続けてやまないのも、そうした信念を現実の行動のなかに移しているからであるといってよい。そこに、現代世界に吹き荒れる民族感情といった“閉じた心”を癒し転換していく道も開かれるにちがいない。
 本書のなかでウィルソン名誉教授は「一方に雑多で多様な地方的関心というものがあり、他方に地球的文明と全人類の文化という普遍的で何より重要な目標があり、これら両者を連結する絆が作られ、その溝に橋がかけられることがあるとすれば、それができるのは、おそらく宗教しかないでしょう」(第四部「宗教は文明をリードしうるか」)と語っている。
 その指摘に池田SGI会長は全面的な賛意を表しながら、「宗教が果たすべき根本的な役割は、人間性を豊かに、かつ深く、強くすること」(これを「人間革命」と呼ぶ)であり、「宗教は、この“人間性”の問題に取り組むことによって、まさしく教授が言われるように『その溝に橋をかける』ことができるのです」と応じている。
 「宗教」の光と影が時代を包み、混迷の度を深めている現代であればこそ、読者はこの対談から、未来への多くの示唆と果実を得られるにちがいない。
 一九九四年五月三日
5  〔対談者略歴〕
 ブライアン・ウィルソン(BryanWilson)
 一九二六年、イギリスに生まれる。オックスフォード大学社会学名誉教授、オールソールズ・カレッジ名誉研究員、元・国際宗教社会学会会長。著書は『現代宗教の変容』『唱題すべき時』(カレル・ドベラーレ氏共著)昭和60年9月講談社刊など多数。

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