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親子の間の倫理  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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2  ウィルソン キリスト教では、近年、親孝行そのものは、あまりはっきりと要求しなくなっています。もっとも、キリスト教徒はユダヤ教徒とともに、十戒の第三(注1)の戒律「汝の父と母を敬え」を守ることが期待されてはいます。しかし、儒教が若い人々に植えつけたような絶対的な服従は、西洋の伝統にはまったく見られません。このため、西洋では、親の権威に対する態度は、たぶん日本ほど急激には変化しなかったと思います。
 西洋での変化は、育児の新しい理念や個人主義の強まり、個人の自律への要求の高まり、拡大する共同体に対する責任感の一般的低下などに関連して起こったものです。技術の変革は、若者たちに(オートバイや自動車によってであれ、テレビやディスコを通じてであれ)家庭の影響を逃れる手段を与えました。彼らの社会的経験は変容し、永続的でありながら絶えず変化する若者文化が、彼らの日常生活の一部となりました。彼らは技術的「ノウハウ」を急速に身につけるため、道徳観念が徐々にしか習得できないものであることに気付きません。彼らはまた、両親がしばしば技術面に関して「過去の人」であるというだけの理由で、親のもつ価値をないがしろにする傾向があります。
 今日の親たちは、まぎれもなく、ほんの四、五十年前に自分たちが扱われたのとは非常に違ったやり方で、子供たちを扱っています。親たちは、まだほんの幼い子供でも、すでに道徳的な存在であるという考えから、道徳的訓練を施すという多くは骨の折れる仕事に携わらなくなっており、たとえこのために子供が問題を起こしても、親の責任は問われません。
3  たとえば思春期の子供たちが、疑わしい行動を決意した場合などに、親たちがこのごろよく使う言葉は「自分の人生なのだから」という言葉ですが、その意味するところは「私には責任がない」ということなのです。従順さが期待されることは、以前に比べてはるかに少なくなっており、「従順」という言葉そのものが、権威的な、古くさい響きをもち始めています。
 子供たちへのこうした新しい態度は、子供たちの創造的な資質を発現させ、表現させようという、許容主義に重点を置くものです。この態度は、かつてのビクトリア朝時代の「大人の会話に口をはさんではいけない」という、子供を抑えつける態度への、分別ある反動として始まったものです。この反動が極端に走ってしまったこと、そして、それが精神病理上はるかに悪い結果や、文化的価値の侵蝕を招くかもしれないことは、今日、広く認められています。これは、時流に逆らえずにいる親たちでさえも認めるところです。
 子供たちは、自己主張や自己決定をするようになっています。彼らの多くは、マス・メディアから引き出した価値観を仲間のグループ内に反映させながら、物質面での小さな享楽主義者へと急速に育っていきます。若者たちの、高額で責任をともなわない収入と、製造業者たちの、一時的な、したがって無駄な製品の消費によって、商品回転率を高めようとする要求との経済的な因果関係については、ここでは論じる必要がないでしょう(ただ、一つの結果として、たとえば娯楽の面では、若者たちはますます自分たちの利用しやすい施設や、活動や様式だけにしか赴かなくなっていきます)。彼らは家庭で甘やかされているため、同じ甘えへの欲求が、未熟な彼らの日常生活の広い領分にまで尾を引いています。これこそは、親たちのしつけの厳しさが弱まった結果の一つと考えてよいでしょう。
 年配者を敬い、従うべきだということは、伝統的な諸文化にほとんど普遍的なものです。キリスト教も、こうしたしきたりや習慣を神聖化し、幾世紀にもわたって親孝行の観念を強めてきました。
4  しかし、忘れてならないことは、キリスト教は「息子の」宗教であるということです。キリスト教神話では、家庭は神聖とされていますが、至上の価値をもつものではありません。キリストを真に信ずる者は、家庭を去ることを勧告されます。キリスト教の焦点は息子に当てられており、最近ではたぶん、ますます息子に対する父親の愛に当てられています。こうした方向性を見れば、キリスト教徒が、親子関係の均衡の移り変わりにほとんど抗弁しないというのも、おそらくうなずけることでしょう。
5  池田 前の時代が、あまりにも子供を抑えつけた時代であったために、それへの反動が放縦主義を招いたというイギリスでの例は、日本についてもまったく同様に当てはまります。日本の場合は、特に明治・大正時代(十九世紀末以来の富国強兵の時代)に、国民一人一人が、天皇を中心とする国家の権威に服従することが求められたのと同じく、各家庭において、女性や子供は、夫や父に絶対的に服従することが理想とされました。こうした国内的秩序の確立が、国家として、国際社会の中で存分に力を発揮していくための条件と考えられたからでしょう。
 事実、若者たちを死の危険に満ちた戦場へ赴かせるためには、幼い時期から、権威の命令には絶対的に服従する精神的姿勢をしつけておかなければならないと考えられました。そのために、人間関係の秩序を徹底的に強調した儒教的道徳が、利用されてきました。
 この、国家の威信を高める行き方が、第二次世界大戦の敗北によって挫折し、富国強兵のあらゆる方策が放棄されたとき、儒教的道徳も一緒に捨てられたのは、このようないきさつからいって、当然であったといえましょう。もちろん、戦後の“民主主義”教育が、子供の人格を尊び、権威で縛ったり抑えたりしてはならない、子供の自由を最大限に認めるべきであるという考え方を普及させたことも、一つの大きな要因です。
6  また、さらに現実的な要素としては、戦後の経済的発展が、かつてない物質的豊かさをもたらし、夫婦が作る子供の数の減少と相まって、子供たちの欲求を存分に満たすことができるようになったこと、そして、親たちの多くは、仕事の多忙のために、子供をしつけるゆとりがなくなったこと、その結果、子供が非行に走っていることに気付いても、それに対処する自信も知恵もなくなっていること等々が挙げられましょう。おそらく、これらの諸要因は、日本だけの問題ではなく、現代の先進諸国が共通に抱えているものであり、その意味で、現代の物質主義的文明の本質的欠陥が現れたものであると思います。
 そこで、そうした親子間の関係に豊潤さと本来の愛情をとりもどすには、たんに外側からの規範、道徳教育のみでは不可能であると思われます。それは究極的には人間自身の問題に帰着し、人間の内面より律動するみずみずしい生命力の蘇生、より高度な精神的開化こそが、こうした技術社会にあっても、不変の親子の間の倫理を支えるものであると思うからです。その意味で、このような身近な現代の問題について、新たな人間の能動性を生み出す源泉に宗教がなりうるかどうかが、今後、問われなければならない点であると思います。
7  (注1)
 十戒モーゼ(イスラエルの民族統一者・立法者。紀元前一五〇〇年ごろあるいは紀元前一三〇〇年ごろ)がシナイ山で神の啓示を受けて定めた律法。「我のほか何物も神とすべからず」の他、安息日、殺人・姦淫・盗み・偽証・貪欲等々の十カ条で戒めたもの(『旧約聖書』「出エジプト記」二〇)。

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