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日蓮大聖人・池田大作

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宗教の正統性を決めるもの  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  ウィルソン 宗旨の異なるキリスト教徒がたがいに呪い合い、また暴力に訴えたという歴史的事実の主要な原因は、信仰上の矛盾を全面的になくすことに、強く執着したことにあります。キリスト教の神学には、内部的に矛盾のない、首尾一貫し、系統立った、単一的な教義体系を完成したいという、強力で持続的な動きがありました。
 “啓示”(注3)という考えの勝手気ままさがあったため、そうした努力は、キリスト教諸思想の複雑な源泉をなんとか融和させようとする厄介な仕事でした。この仕事にともなったものに、いくつかの周知の問題があります。たとえば、終末論に関する未調整の理論体系、神秘的な(ということは知的に理解できない)「三位一体」の教義、さらには、聖書についての字義通りの解釈と象徴的な解釈の相違などが、それです。
 キリスト教徒は神の全知全能を主張しますが、この点にすら問題があります。つまり、神がすべてを知っているなら、すでに神は未来の出来事をも、すべて知っていなければなりません。ところが、神が未来についてすでにそのように知っているとすれば、もはや神が考えを変えることの可能性はなくなるのであり、そうするとこれは、全能であるという主張を著しく損ずることになるわけです。
3  このように、未調整の主張がいくつもあるわけですから、キリスト教徒がその奉ずる教えについて大いに論争を繰り広げてきたのも、驚くには当たりません。たった一つの置き間違えられた語句や句読点ですら、時には、争い合う当事者同士を不和にするのに十分だったのです。たがいの強調点が移行するのにともなって、それぞれの教派がもつ全体的な倫理的雰囲気にも、また、それぞれが影響を与えた文化にも、相違が生じていきました。
 このことは、人間には自由意志があるが、神はすでに各人の運命を決定しているとするカルヴァン派の主張と、これに対して、神の予知は否定できないにせよ、主たる問題については救済を選ぶ機会が個人にあるとして、その力点を覆そうとしたアルミニウス主義者(注4)の主張の例によって、説明づけられるでしょう。オランダやスコットランドのようなカルヴァン主義的な文化と、十九世紀のイングランドの労働者階級のように、アルミニウス主義の影響を受けた人々との間には、著しい雰囲気の違いがあります。
 西洋の政治権力は、伝統的に、宗教による正当化や合法化を求めてきました。国王たちはさまざまな要求を出しましたが、そのためには神の超越的な支持が不可欠でした。教皇や司教たちは国王の戴冠を司り、その返礼に、彼らの宗教を支える世俗的強制力の行使を要求しました。教会と国家は密接に結合していたのです。
4  他の宗教的伝統の中では、そうした結合が見られても、宗派間の抗争のために国家が強制力を行使するという結果は生じていません。たとえば、タイでは“仏教”によって国を治めていますが、自身、仏教徒でもある国王の即位式に、ヒンズー教の“バラモン”僧が起用されています。こうして見ると、世俗権力が宗教的目的のために動員されるのは、国家と一神教的・排他的宗教が結合した場合であることが明らかです。
 しかし、キリスト教徒がそうした権力との接触を保っていた時代は、もはや過ぎ去りました。近代西洋の各国政府は、宗教的論争に巻き込まれることを、極端に嫌っています。保護的な特権を享受している“国教”の教会が存在する諸国においてすら、教会当局の政治的影響力は、たとえあってもほんのわずかしかありません。各国政府は宗教問題を避けようとしており、その運動が不法行為をしないかぎり、あらゆる宗教団体に対して、良心の自由、集会の自由の諸権利を保障しています。教会の指導者たちも、力ずくで宗教を押し付けることなどできないことを知っているため、今日では、彼ら自身、国家権力に頼ろうとはしないでしょう。
5  仏教の場合、各派が、たがいに他宗派に対しても、また他の宗教の信徒に対しても、キリスト教徒の特徴であった非寛容性とは比較にならない、はるかに広い寛容性を確かに示してきました。また、さほど世俗権力と一体化せずに存続してきました。インドのアショーカ王や日本の徳川幕府の場合のように、政治権力が仏教を支持した場合でさえ、仏教倫理は排他的信仰として広められたことがなかったという事実が、世俗権力の仏教支持への情熱を緩和したのです。
 釈迦牟尼は、当時の人々が崇拝していた神々を激しく非難せず、こうした宗教上の勤めに関する低い次元の概念を、彼自身のより高次元の体系に編入し、包摂するに止めました。それにまた、仏教は、滅亡したローマ帝国からキリスト教会が引き継いだような、中央集権的な組織の力をもたず、したがって(かりに仏教徒の中にそうした機会を望む者がいたと仮定しても)一つの統合された義務的教条を組織的に奨励するという立場に置かれたこともありませんでした。
6  最後に、私たちは、キリスト教が、一貫性のある理論体系を論理的に明確化することを重大な関心事としていたギリシャ人から、その多くを継承したという事実に立ち返らなければなりません。およそ宗教は曖昧な範疇や非経験的な関係概念を必然的に扱いますが、キリスト教神学者や知識人たちがあらゆる知識を包含し、しかも万物の一部分たりとも排除することなく、演繹的な神学の体系を作り出そうと試みたことに、人々は感銘を受けるに違いありません。そこに見られる、融和一致しない要素やうまく調整できない諸問題に知的な妥協を許さない態度は、万人を一つの普遍的教会に組み込もうとするキリスト教徒全般の関心事と、まったく共通の精神を示しています。
 キリスト教徒がすぐに使う「カトリック」(普遍的)、「ユニバーサル」(全世界的)、「エキュメニカル」(全キリスト教会の)といった言葉そのものがすでに、キリスト教こそが全人類に適合している宗教であるという、明らかな主張なのです。つまり、“啓示”を理性に適合させて、一つの確固たる神学体系を提示しようとする努力には、全地球的な意義が込められているのです。
 こうした精神的傾向は、キリスト教にあっては、たんに偶然に表れた症状では決してなく、じつはそれは、知的一元性を信仰上の相違や逸脱への不寛容性に結びつけようとした想定の構造内に潜む、まぎれもない症候群なのです。宗教が正統性を得る方法としては、信仰を統一し、世界を教会内に組み入れようとした中世キリスト教の試みだけがその唯一の方法であるとはいえませんが、ともかくキリスト教が目指したものや、その雰囲気全体の中には、そうした試みが含まれていたわけです。
7  池田 キリスト教やイスラム教の場合、正統性を決めるのに権力や暴力によることが多く、それに対し、仏教の場合、対立者同士の論争に従い、権力等によることが少なかった理由として、これらの宗教の根本的な性格の相違があると私は考えます。キリスト教やイスラム教は、唯一絶対の神による啓示を根本として立てられた宗教であり、したがって、端的にいえば、人間の理性によって論議されるべきものではないということになりましょう。
 神は、人間理性のレベルに降りてきて論議に加わるなどということはありえません。ただ、命令するのみです。この神の命令は、神の恩寵を受けていると考えられる権力者か神の代理人とされる教皇によって伝えられるか、さもなければ戦いの勝者こそ神の支持を得た者とされます。
8  それに対し、仏教は、神といった絶対者の教えではなく、本来、宇宙万物を貫いている法理を覚知した仏陀の教えです。したがって、その覚知は、万人がやがて到達できる可能性をもっていますし、そこまでいたっていない人々でも、その理性によってある程度判断できるはずです。
 ですから、仏教の場合は、経典自体、神の啓示や命令という形ではなく、仏陀と弟子との対話、弟子同士の論議という形式によって書かれていますし、後に種々の問題が出てきた場合も、対立者は自分の主張を裏づける経文や論師の説、また、道理や現実の中に認められる証拠を挙げて論議し合い、それを第三者(多くの場合、権力者や良識ある俗人)が見守るという形で、勝敗が決せられたのです。第三者は、傍らで見守ったり補足質問をする程度であり、勝敗を判定したのではありません。勝敗は、答えに詰まって窮した一方の当事者が敗北を認めることによって決まったのです。
 もちろん、仏教の場合もすべてこの方式で行われ、権力や暴力によることは皆無であったというわけではありません。しかし、対立抗争の多くがこの方式によって解決されるか、あるいは少なくとも暴力的抗争は回避されてきたということはできます。
9  (注1)アタナシウス派
 アタナシウス(二九五年ごろ―三七三年)は初期キリスト教の教父。アリウス説に反対し、教会の正統的信仰を確立、その独立と権威のために努力した。「アタナシウス信条」がある。
 (注2)アリウス派
 アリウスはアレクサンドリアの司祭で、古代キリスト教の異端者とされる。キリストは唯一絶対の神によって造られたとしてキリストの神性を否定し、破門された。アタナシウス派と論争したが、その説は三二五年、ニカイア公会議で弾劾された。
 (注3)“啓示”
 カトリックでは天啓。神が自己を人間に直接的に認識させること。啓示によって伝えられるものには、人間の認識できる真理もしくは神の絶対の証明により認識が容易になるような真理もあるが、人間の悟性を超えた宗教的真理の場合もあるとされる。
 (注4)アルミニウス主義者
 宗教改革者カルヴァンの神学に反対した十七世紀オランダの神学者ヤコブ・アルミニウス(一五六〇年―一六〇九年)の教説に立った一派。アルミニウスはカルヴァンの二重予定説、すなわち、すべての人間はすでに救いか滅びかに定められており、その運命を変えるあらゆる可能性は閉ざされているとの説を否定し、これを大幅に修正。神の救いは特定の一部の人間にではなく全人類に向けられ、これを拒むのは人間の自由意志によるとした。この教説はメソジスト運動の創始者ジョン・ウェズリーに強い影響を与えた。

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