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超常機能と宗教  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  ウィルソン 各種さまざまなテレパシーによる知覚や超感覚的知覚(注4)については、記録の揃った事例があまりにも多くあって、それらを一概に退けることはできません。それはちょうど、ポルターガイストや類似の現象について多くの記述があり、誰しも独断的な疑いから排除することができないのと同じです。ところが、また一方では、比較的低い精神分析の水準においてさえ、こうした体験や現象を説明するのに十分な理論はないようです。
 これを研究しようとする際、印象づけられるのは、そのような力が実験証明される際のいい加減さと、往々にしてそれらが平凡であること、そしてまた、それらは統御することができず、説明もしきれずにいるという事実です。多くの人々が、時折、何か特別な印象を強く心に焼きつけられたという体験があって、それが後になって、いくつかの出来事から実証されていることを主張しますが、この種の力を、自ら統御できるものとして具えている人は、ほとんどおりません。こうした事象の説明はそれぞれ相違がはなはだしく、しかも、しばしば指摘されるように、そうした未来を見透す力を信じる傾向のある人は、ある未来の出来事についての強力な暗示が実現しないと、それらのことをすべて簡単に忘れてしまうことがあります。
3  私自身の見解は、いまあなたが言われた法華経に説かれる教えに近いものです。たしかにそのような事象は起こりうるかもしれませんし、人によっては鍛錬によって、何らかの方法で高度のテレパシー的な感覚を身につけることも可能かもしれません。
 しかし、これまでのところ、この分野での人間の能力は比較的重要視されていませんでしたし、また、概して瑣末な事柄だけに限定されています。これまでも超感覚的知覚は、それよりはるかに重要で、しかも社会的に報われることの多い、宗教の中心的課題である倫理的な関心からすると、せいぜい一種の気晴らしにしかすぎませんでした。これらの現象は、正常な経験に対抗しようとする、一種の呪術のようなものであると思われます。宗教の有効な救済力が真に発見されるのは、これらよりもはるかに普遍的な恩恵を人類にもたらす、倫理の普及にこそあるはずです。
4  池田 私も教授の意見に賛成です。よき倫理が普及することが重要であり、さらに私どもの信条からいえば、それは慈悲の精神と深い知恵が社会に浸透されていくことにこそあります。
 仏教の中心課題は、あくまで自らの生命の奥底から、仏性という偉大なる生命を顕現することにあります。この仏性開発のための修行の途中で、特殊なケースとして種々の超常機能が具わってくることがたとえありえたとしても、それは仏教の目的でもなければ、期待すべき成果でもありません。超常能力をもったが故にそれを悪用し、悪業を積んでしまうこともありえます。
 仏法の教えによれば、超常機能も、仏性に具わった智慧と慈悲によって駆使されて初めて、人間と社会に貢献することができるのです。
5  (注1)超常機能
 超自然的機能。常人にない特殊な能力。
 (注2)遠隔感応(テレパシー)
 遠隔精神反応。視覚や聴覚など五官を使わずに、直接その人の意志や感情が遠隔地の相手に伝えられること。またその能力。
 (注3)遠隔認知(透視)
 普通では見ることのできない遠くの事物や障壁の内側の事物を、普通の感覚以外の未知の感覚によって感知できるとする。またその能力。
 (注4)超感覚的知覚
 千里眼、透視、精神感応など人間の示す超常知覚。

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