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宗教体験と心理学  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  宗教体験と心理学
 池田 ウィリアム・ジェームズ(注1)の『宗教的経験の諸相』(注2)以来、心理学の立場から宗教の研究が行われるようになり、宗教の祈り・礼拝や宗教経験・宗教的回心を心理学的に扱う道が開かれてきました。
 また、今世紀の中ごろからは、フロイト(注3)やユングによる深層心理学の立場からの研究も盛んになってきました。フロイトの『人間モーゼと一神教(注4)』やユングの『人間心理と宗教(注5)』は、それぞれの角度から宗教心理の深層に分け入った名著とされています。また、それ以後、オールポート(注6)、フロム(注7)、エリクソン、(注8)マスロー(注9)等の心理学者が、宗教体験を人格的側面から解明しようとしております。その他、社会心理学の立場からの研究も行われているようです。
 また、宗教心理学の分野では、今日、多くの立場から、それぞれの研究者が多様な形で研究を行っているようですが、全体としては、総合的な体験像がしだいに浮かび上がってきているようにも思われます。
2  このように、宗教を心理学的に解明することに、教授はいかなる意義を認められますか。また、宗教心理学によって、宗教の究極的な意味が明らかにされると思われますか。私は、宗教体験を取り扱う場合にも、心理学的手法はきわめて有効であると考えております。
 たとえば、ユングの宗教観を用いることによって、さまざまな宗教体験の内容がより明確になりますし、仏法で八識論として形成したものを、心理学的概念によって、ある程度明確化することができましょう。
 また、マスローのいう至高体験(注10)などは、高等宗教に共通している人間心理を分析するのに、きわめて有効であるように思われます。
 しかし、宗教体験がもっている心理的側面は、心理学等によってかなり明らかにされうるにしても、宗教の求める究極的なものそれ自体、およびその意味に関しては、別であることは当然です。
3  ウィルソン 心理学や社会学においてなされている諸事実の究明は、宗教的体験の詳細について、たしかに多くの事柄を解明することになると思います。
 社会科学の研究者は、さまざまな話を比較し、社会的状況を評価し、また、回心を体験したり啓示を受けた人々の、一群の心理状態を集めることによって、それらの宗教的現象に関する、一種の形態論を生み出すことができます。問題によっては、そうした宗教的現象について、研究者のほうが、実際の体験者よりも多くを知ることができます。彼は、自分が吟味することのできる多数の比較例のおかげで、また、そうした諸現象について記述した他の人々の著作を参照することによって、さらには、多種多様な文化における、さまざまな体験に見られる共通の要素を結び付けることによって、多くを知ることができるのです。
 これは、ちょうど中世を扱う歴史家が、ある面では中世の人間よりも、中世の社会について多くを知ることができるようなものです。あるいは、人類学者がある部族の社会構造について、個々の部族民よりもよく知ることができるようなものです。宗教の研究者は、いくつかの点では、一個の神秘主義者や予言者や、回心者や信奉者よりも、深い洞察ができるわけです。
 彼がそのようにできるのは、まさにあなたが提示されたような、比較相対的な方法を用いることができるからです。そうした方法によって、彼は、総合的な分析の手段を開発し、なんらかの広い理論的枠組みを作り出すことができるのです。そして、特定の個々の現象をこの理論的枠組みに当てはめ、また、これを参照することによって、それらの現象を少なくとも部分的に説明することができるわけです。
4  池田 教授のおっしゃることは、よく理解できます。場合によっては、そうした宗教研究者が、その宗教がもつ本質を、宗教者や教団そのものよりも客観的・普遍的に捉えるということも、十分に考えられることだと思います。
 さきにも述べましたように、ユングの説き明かす人間心理の深層を参考にすることによって、仏教の示している宗教体験の内容が一段と明瞭になることがあります。ユング心理学にいう種々の無意識の内容は、仏教の煩悩、業、仏性の顕現等に比較しうるものと思われます。
 また、高等宗教の核心にある宗教体験を至高経験“超越的経験”として捉えるマスローは、至高経験が人格に与える影響を次のように述べております。
 「至高経験にある人は、他の場合以上に精神の統一(合一、全体、一体)を感ずる」「世界と渾然一体と深くつながることができる」「かれの能力は、最善かつ最高度に発揮せられている」「自分を活動や認知の責任ある能動的、創造的主体であると感ずるのである」「『自由な意志』でもって、自己の運命を開拓している」「自発的で、表現に富み、天真爛漫に振舞う」「当意即妙(中略)新奇で斬新」「特定の意味からして『創造的』である」「ひととなりは一層顕著になるのである」「よいユーモアの特性をもつものである。これは容易に、幸福の喜び、みち溢れる陽気さ、あるいは愉しさと呼ぶことができよう」(『完全なる人間〈魂のめざすもの〉』上田吉一訳、誠信書房)等々の特質を列挙しております。
 これらの特質は、いずれも仏教の体験にも当てはまるものです。
5  ウィルソン おっしゃる通りです。研究者は、宗教的体験の分析によって、一定の普遍的な基本原則に到達することができるでしょう。しかし、そうした分析者が研究の対象にしているのは、どこまでも間接的なデータだけです。
 彼が構築する概念は、二次的に派生する構成概念であり、彼の理論は、それが導き出されるもととなった、個々の報告そのものよりも上質のものとはなりえません。宗教を持つ個人は、他の誰にもできないほど自分自身の宗教的体験を理解し、熟知する、ある種の勘というものを有しているものです。その人は、そうした宗教的体験を分析する適当な範疇も知らなければ、そうした体験が、自分の宗教的伝統の内部や、他の文化や宗教において、どの程度頻繁に起こるかも知らないでしょう。その人はまた、その体験がもつ社会学上の重要性も、まったく分からないでいるかもしれません。しかし彼は、自分の身に起こったことを、直接の体験によって知っているのであり、この意味では、彼は、どんな研究者が知っているよりも、よく知っているわけです。これは、そうした研究者がいかに該博な知識をもち、その理論がいかに優れていても、変わりありません。
 宗教的体験には、それ以上単純化できない要素というものがあります。心理学や社会学の原則に照らしてそれらの事柄を説明しようとする者は、この要素を尊重しなければなりません。宗教的現象を解釈しようとするための第一歩は、宗教を信じていてそうした体験をもつ人々に、彼らの理解したところを彼ら自身の言葉で表現させる十分な機会を与えることです。
 もちろん、分析者は、信仰者の理論や説明をもって最終的なものとは認めないでしょう。しかし、宗教を持つ人々からデータを得ないかぎり、彼の説明は何の根拠もないことになってしまいます。真の宗教的信念や宗教的献身の核心部分は、いかなる社会科学的な分析によっても、またその他のいかなる外部的見方によっても、解きほぐすことはできないのです。
6  池田 まったく同感です。ジェームズも、神秘体験の特質の第一として、表現不可能であることを挙げています(注11)。つまり、自らの経験の核心は、言葉に表して人に伝えることが、本質的に不可能だというのです。
 宗教体験の核心部分は、まさに心の内奥に位置するものであり、言葉で表現することも、また社会科学的・自然科学的分析も、とうていいたることができない領域だと思われます。
 しかし、体験者は自ら体験し覚知したものを他の人々に伝え、少しでも理解させようと努力することが必要です。それによって、科学者は、分析を通して、その体験の内容を一段と鮮明にすることができるでしょう。ただし、科学者の構成した体験像は、宗教者の体験それ自体でなく、その表現可能な部分を捉えうるだけです。体験者の主観的側面、つまり生命そのものの感動や直観や意志力は、抜け落ちていかざるをえません。
 教授が主張されるように、科学的分析だけでは、本来の宗教的信条や献身の、心の奥底を明確にできないという謙虚さが、科学者の側に要請されるのではないでしょうか。
7  (注1)ウィリアム・ジェームズ(一八四二年―一九一〇年)
 心理学者・哲学者。アメリカにおける現代の心理学の創始者の一人。著書『心理学について』『心理学』『信ずる意志』『宗教的経験の諸相』『プラグマティズム』他。
 (注2)
 『宗教的経験の諸相』TheVarietiesofReligiousExperience,1892.
 (注3)フロイト(シグムント)(一八五六年―一九三九年)オーストリアの心理学者・精神医学者。精神分析学の創始者。潜在意識(下意識)の領域内に抑圧された性欲衝動(リビドー)を仮定して、精神現象を説明した。主著『夢判断』『日常生活の精神病理学』『精神分析入門講義』。
 (注4)『人間モーゼと一神教』
 DerMannMosesunddiemonotheistischeReligion,1938.
 (注5)『人間心理と宗教』
 PsychologieundReligion,1940.
 (注6)オールポート(フロイド・H)(一八九〇年―一九四八年)
 アメリカの心理学者。社会的態度・人格・同調行動などについて研究、精神分析学の立場を取り入れ、社会心理学は個人心理学の一部であると主張。主著『社会心理学』。
 (注7)フロム(エーリッヒ)(一九〇〇年―八〇年)
 アメリカの精神分析学者・社会学者。人間主義的・共同体的社会主義を提唱。主著『自由からの逃走』『正気の社会』『精神分析と宗教』。
 (注8)エリクソン(エリック)(一九〇二年―九四年)
 アメリカの精神分析学者。自我の機能に重点を置くいわゆる自我心理学派の一人。主著『幼年期と社会』『洞察と責任』『アイデンティティー』『ガンジーの真理』。
 (注9)マスロー(エイブラハム)(一九〇八年―七〇年)
 アメリカの心理学者。人間の自己実現の過程・動機、創造性、至高体験を研究、人間性の心理学といわれる独自の人格理論を展開した。著書『動機づけと人格』『可能性の心理学』など。
 (注10)至高体験
 日常生活の中で人間(健康人)が宗教的経験や美的経験などの極致において体験する至福の境地のこと。
 (注11)
 ジェームズ著『宗教的経験の諸相』(桝田啓三郎訳、岩波文庫)。

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