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人工受精について  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  他人の子宮を借りるという場合は、そこに複雑な倫理的問題が絡んできますし、子宮を貸す側の女性の心情を考えれば、どうしても賛成できません。また、人間的愛情以外の、金銭的問題や、それにまつわる人間のエゴが出てくる恐れがあります。
 私は、人工受精という科学技術を活用するにしても、その基盤に、強い夫婦の愛情がなければならないと思います。そうでなければ、生まれ出る子供を、人間らしく育てることもできなくなってしまうからです。
 あくまで、人工受精は手段であり、夫婦本来の深い愛情を養うことが、すべての根本であろうと思います。もし、愛情が失われていれば、人工受精という科学的恩恵自体が、人間のエゴのために使われるものとなってしまうでしょう。
3  ウィルソン この問題に関しては、私は、あなたが提起して述べられたのとまったく同じ考え方をしています。あなたと同じく、私も、女性が、自分の子供とならない胎児への便宜のために、子宮を貸すようなことがあってはならないと思います。これは、人類の品位を下げることであり、堕落させることですらあると思われます。
 しかし、また一面では、そうした、特殊な生物学的理由から、通常の方法では妊娠できない女性が、医学の助けによって付随的な障害を克服できる見通しが開けてきたことは、一般に歓迎されています。世の人々は、こうしたすべての女性が、社会の助けによって、夫を父とする子供を産めるようになり、通常の親子関係を享受できるようになるかもしれない、と考えたがるものです。倫理上は、こうした人工受精は、帝王切開で子供を産む女性の場合と、多くの点で変わりありませんし、帝王切開手術は、長い間認められてきています。
4  夫以外の男性の精子を人工受精する女性の行為は、今日の西洋社会では珍しくない行為、つまり、結婚しないで同棲している相手の男性や、時によれば、ほんのゆきずりに知り合った男性の子を産む、多くの女性の行為と大差ないということも、たしかにいえるでしょう。
 しかし、道徳上の問題が生じるのは、まさにこの点なのです。女性が夫でない男性といかなる関係に立つかを選ぶのは、その女性の道義心の問題です。一般的に私たちは、まだ今日、男女の結合が法律に則ってなされ、正規に認められれば、そのほうが関係者全員にとって――女性にも、その相手にも、二人の間の子供にも、また社会全体にとっても――総じて好ましいと考えており、そうした認識へ向けて道義心を育むべきだというのが、一般的な考え方です。しかし、だからといって、人々がそうした事柄に関してとる行動を罰することはしませんし、またできません。ただ道徳教育による規制以外には何もできないのです。
 しかしながら、人工受精に関しては、規制できる可能性があります。この場合、科学の手法を用いることが必要ですし、そうした技術は、規制された条件のもとで運用されなければなりません。ここでいえること、また、いうべきだと思うことは、このような手段が、正式に結婚していない両親の子供を増やすのに利用されてしまったら、それは道徳的にも擁護できず、経済的にも認められないことだということです。
5  このことを一般的な原則としたうえで、私には、ただ一つだけ例外が考えられます。それは、夫に生殖能力がないという場合です。ただし、この場合についても、さらに考察が必要となるかもしれません。
 すなわち、生殖能力のない夫が、見知らぬ提供者から妻が精子を受けるのを認めるだけでなく、そうした処置を妻が受けることを承認して署名をするほど協力的であるならば、それによって夫婦関係が脅かされる可能性は、幼い子供を養子に迎える場合とさほど変わらないといえないでしょうか。私は、日本では、さまざまな形で養子を取ることが珍しくないことを知っていますし、父親が妻の産んだ子供を“養子にする”ことのほうが、まったく別な夫婦が産んだ子供を養子として迎える場合よりも、危険であるとは考えがたいのです。
 この場合、夫は、生殖力のある精子をもっていないため、匿名の提供者の精子を貰い受けるわけです。養子縁組の場合と同様、子供ができることは、きっと夫婦関係によい影響をもたらすことでしょう。子供をもつことは決して究極の目標ではないにしても、完全に無視することのできない潜在的な機能をもつものです。
6  しかし、この場合にもなお、問題が起こるかもしれません。それは、情緒的に十分安定していない父親の場合、後になって、子供がわがままであるとか、身体的な欠陥があるとか、道徳上の不品行を犯すとか、あるいは知能の限界などといった兆しが現れた場合、それを子供の父親からの遺伝の結果だとみなすようになる可能性があります。しかし、この場合でも、純然たる養子縁組の場合よりは、悪いとはいえないでしょう。後者の場合でも、危険性はまったく同じなのであり、少なくとも人工受精の場合は、夫は、自分の妻から真の母性の歓びを奪わなかったことに満足を覚えることでしょうし、妻も、このことについては、終生夫に感謝し続けるはずです。
7  池田 日本には「生みの親より育ての親」という諺があり、血のつながりはなくても、一緒に生活していくうちに実の親子以上の愛情で結ばれる例が、古来、少なくありません。ましてや、養子に比べて、第三者の精子提供による人工受精の大きな特徴は、(夫婦の合意のうえでであれば)妻が十分に母なるものの役割を果たし、母性を味わうことができることにあると思います。
 いま指摘されたような、精神的に未熟な夫による悲劇のケースもたしかに起こりうるでしょうが、全般的には、子供が育っていくにつれて、夫も、あたかもほんとうの父であるように、父性を味わうことができるのではないでしょうか。そして、妻も、このような夫に感謝するようになるでしょう。
 このような点からいって、日本でもAID(注2)が行われていますが、今後、養子を迎えるよりも、AIDのほうを選択する人が増えてくるように思われます。日本の現状は、全体としてはまだ十分ではありませんが、ある病院の場合、健康で、遺伝学的欠陥もなく、性格的にも知能的にも問題がなく、しかも、夫の身体的・性格的特徴にできるだけ類似した素質を具えた提供者を、見出すように努力しているということが報じられています。いずれにしても大切なことは、血のつながりを超えた情愛をどう深く培っていくかであり、それは人間としての成長に係っているということでしょう。
8  (注1)試験管ベビー
 卵管不妊で子が得られない人に対し、ガラス容器内で体外受精、培養した受精卵を母体に戻し、妊娠、分娩を行う。その結果、生まれた赤ん坊をさす。
 (注2)AID
 非配偶者間人工受精(artificialinseminationbydonor)。

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