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ガンと心の研究  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  ガンと心の研究
 池田 病気において精神面が占める役割の重要性は広く認識されているところですが、最近はガン患者についても、心理面の問題が重要な課題として注目されるようになっています。
 たとえば、一九七七年の秋、日本で第四回の国際心身医学会(注1)が開かれ、テーマとして“ガンの心身相関の研究”が取り上げられました。そこでは、多くの学者によって、病理免疫学的立場からの経過観察と精神面での関わりについての研究が発表されました。また、第五回国際心身医学会でも、ガンの進行状況と精神面との関係が論議されたと聞いています。また、一九七八年六月号の米国『サイエンス』誌(注2)にも「ガンと心、その結びつきは?」という論説が掲載されています。
 これらの研究成果から判ることは、ガンの進行に精神的条件が密接に関係しているということです。たとえば、ガンの自然退縮が起こる原因の一つとして、本人の精神的環境の好転や人生観の変革が関係する場合もあります。また、生存期間を予知するうえでは、ガンの悪性度よりも、患者の精神的条件の悪さのほうが、より密接な関係をもっているという報告もあります。
 このように、ガンにも心理状態が密接に関連しているとすれば、人生観や死生観を取り扱う立場にある宗教も、重要な役割を担うことになりましょう。もし、宗教の信仰による人生観の変革や精神環境の好転によって、ガンの進行が影響を受けることが明らかになれば、もはや、宗教が医療にもつ重要性を否定することはできなくなるのではないでしょうか。
2  ウィルソン 宗教と治療の密接な結びつきは、往々にして、人間が自分の信頼できる経験的知識の及ばないところでは、超自然的な分野を頼りにすることの証拠と考えられてきました。人間は不確かなことや知識の及ばないことに直面した場合には、魔術や祈祷や呪文、それに純粋に霊的ないし抽象的な理論によってしか正当化されない儀式を頼りにしてきました。その結果、正統医学は、宗教の処方による治療法を非難することが一般化してきたのです。
 医学や実験的方法が知られていなかった社会状況においては、たしかに、よく見ても無用、最悪の場合には有害というような治療法が多く用いられていました。それでもなおかつ、この問題について一概に言い切れないことも事実です。
 ちょうど民間伝承の処方による古来の薬草治療法が効果的なことがたまたま判明したり、また場合によってはそれが医学的薬理の出発点とさえなってきたように、宗教的実践が治療に有益な効果をもたらすことの可能性は、ますます認められるようになってきています。
 もちろん、宗教上の原因とそれがどういう仕組みで(病気の治癒という)身体的な結果をもたらすのかは正確に理解されないままですが――。
3  池田 おっしゃる通り、宗教的信仰が身体面にもたらす作用のメカニズムは、必ずしも明確には理解されていないようです。しかし、あらゆる心身相関的な状態にあって精神的な面が常に重要であることには、疑問の余地がありません。さらに、宗教的信仰には、その内容にもよりますが、人間の心を豊かにし、心の平衡を保つ働きがあり、それが身体上に影響することもありうることは、比較的容易に理解できるのではないでしょうか。
 現在では、いわゆる西洋医学自体も、徐々に新たな展開を遂げているように思われます。二十世紀に入り、特に後半にいたって、先進諸国では疾病の様相が一変しました。伝染性疾患は影をひそめ、ガンや循環器系の疾患等の成人病と、社会的ストレスや人生のうえでの種々のトラブルに起因する心身症や神経症が、激増してきています。また、精神病も増えているようです。
 伝統的な病理解剖学・細胞学・生理学等の身体的側面の解明だけでは治療しえないこうした疾患の増加に対応して、西洋の正統医学自体も、ストレスとの関係や人間の心との相関にも注目するようになり、心身医学という領域を生んだわけです。
 たとえば、強力なストレスが生体の免疫能力を大きく低下させること、逆に、闘病心が旺盛であれば免疫能力の高まることが証明されつつあり、ガンの発病や進行状況にも人間の心が関係することが分かり始めています。ガンと免疫との関係は、現在のガン研究の重要な部門となっていると聞きます。
 そうした中で、人間の心のあり方や人生の生き方・生きがい等は宗教的信仰と深い関係にあり、そこに信仰と治療(医学)との関連を解明する道があると思われます。
4  ウィルソン これは明らかにきわめて複雑な分野であり、そこにはいくつかの問題があると思います。
 第一に、特定の宗教的実践が治療上好結果をもたらすという主張は、往々にして立証することが困難だということです。それは、その宗教の権威当局が医学的診断に反対したり、あるいはそうした治癒例を医学的診断に委託する必要を認めないからです。このため、その特定の宗教上の治療術に関する主張は、いつまでたっても実験医学上の考査によって立証されないのです。
 第二に、宗教の治療師は、時として独特の理論に基づいて、またそれを用いて、自分の成果を説明することがありますが、そうした理論は医師たちにとっては認めがたいものであり、おそらく一般社会で広く通用している想定や概念とも相容れないものです。
 第三に、これは特に信仰治療や精神療法に見られることですが、治療すべき疾病の存在ないし実在を否定することが、信仰療法の一部をなしているという場合があります。その結果、いったいどれが――医学的観点から見て――本当の病気であり、また、患いという点でもその平癒という点でも、どれが初めから錯覚であったかを判定することが困難になります。
 第四の困難は、特定の治療術を提唱したり独特の精神療法の理論をもつ宗教にかかわることではなく、おそらく信仰療法全般に当てはまることですが、この問題の本質として、きわめて個人化されている宗教の影響力を、定型化され非個人的である医学的結果に結びつけることが困難であるということです。
 そこから、たとえば顕著な例として、ある患者の場合は、その宗教的信仰ないし実践の影響が明らかに効能を現しているのに、同じくらい信仰心の篤い別の患者の場合はそうした利益がない、ということがあるわけです。医学の場合は、似かよった治療には、その標準的な結果が得られることが期待されますし、事実、医学的治療は、似たような症例においては同等の効果を示すのが普通です。
5  ところが宗教の影響力は、周知のように非常に多様です。もちろんこれは、部外者の関知できない宗教的帰依の深さの差によって生じるものかもしれません。見た目は同じように信仰心の篤い二人の人間でも、心の奥底ではその帰依の度合いに差があり、信仰の深さも違い、個人としての宗教的実践や献身の経緯も違ってくるということかもしれません。しかし、残念ながら、こうした個人差のデータを手に入れて客観的に考査することができないため、帰依心が深ければ深いほど治療の結果も良いということは、正確には判らないのです。
 この逆説を、宗教指導者たちは見逃しませんでした。イエスは病気を治してやった人々に、「汝の信仰が汝の病を癒したのだ」と言いましたが、ユダヤ・キリスト教の伝統では、ときとして邪悪な者たちも「(生い繁るレバノンの香柏のように)大いに栄える」(注3)ことが認められており、事実上、詩篇作者のダビデは、この明らかな不公平についての説明を神に対して求めています。
 思うに、積極的な気質を身につけ、精神の平衡を保ち、仲間について肯定的志向を保ち、他人や世間に対し開放的で包容的な態度を保つことができる人は、現代世界ではまだ完全に理解されていないやり方で病気に耐え、克服する能力を含めて、まぎれもなく甚大な利益を、その人生において得ることでしょう。問題は、そうした積極的な力はどうすれば発動され活用できるのか、また人間各個に見られる能力の差の原因がはたしてどこにあるのかを――もし知ることができるものであるのなら――知ることにあるのではないでしょうか。
6  池田 教授のご指摘は、まことに正鵠を射たものです。信仰の成果の発表や説明も、今日の医学の言葉でなされなければ、多くの人々を納得させることは難しいでしょう。
 ところで私は、今日では信仰者よりもむしろ医師のほうが、信仰と医学の関連に注目し始めていると思います。つまり、医師が(なかにはある特定の信仰を持つ人もいれば、まったく信仰とは関係のない人もいますが)医学的診断と治療を基盤としたうえで、宗教的信仰の重要性を認め始めているのです。
 医師たち、特に心身医学に関心をもつ医師の中に、当然、現代の代表的な治療法である薬物療法・手術療法・免疫療法・放射線療法等を使用しながら、それと同時に、人間の心の側面の改善のために、種々の心理療法・精神療法や宗教の修行法を導入しようと試みる人々が出始めています。
 たとえば、国際心身医学会や日本の心身医学会では、多くの心理療法とともに、瞑想療法や、仏教の観心という修行法にヒントを得たイメージ療法等の効果が報告されています。もちろん、このような医師の報告は、当然、現代医学の診断・治療を基盤にしており、リポートの言葉も医学用語で語られているわけです。
7  たしかに、教授が指摘されるように、信仰の深さ、帰依度と治療の良否を直接的に結びつける厳格な客観的尺度を作ることは不可能か、そうでなくてもきわめて困難です。しかし、そのことは、信仰ばかりでなく、患者の他の条件についてもいえることです。
 患者は、独自の生活歴の中で、個性ある人格、心を築き上げてきています。遺伝的素質が相似していても、生活歴が変われば、患者の心・精神のあり方も随分違ったものになるでしょう。だからこそ、このような人間の心にまで深く関係し、人生体験そのものと深く関わる医学は、ある程度の普遍的基礎理論はあるにしても、医師と患者の個別的医療の色彩を濃くせざるをえないのではないでしょうか。
 こうして、患者の個性と信仰の度合いという、二重の不確定要素が絡み合ってくるため、信仰と治療の問題はきわめて複雑であり、容易に立証することは望みえないかも知れません。しかし、私は、現在行われているような医師の側からの試みが進めば、ガンと人間心理と宗教の関連も、徐々に解き明かされるようになるのではないかと期待しております。
8  (注1)国際心身医学会
 心身医学に携わる学者・医師が国際間で形成している学会。心身医学とは、心の健康なくして肉体の健康はありえないとして、病気を心身一如の人間の疾病と見る立場から診察・処置していこうとする医学。フロイトの精神分析学の影響を強く受けている。
 (注2)『サイエンス』誌
 アメリカの権威ある週刊科学雑誌。一八八〇年創刊。発行元は財団法人米国科学振興協会。科学の発達段階で必要な出来事・研究の報道や独創的なリサーチの発表などに同誌の特徴がある。
 (注3)日本聖書協会発行一九五五年改訳版『聖書』(詩篇37:35)。(第一部「生命の永遠」の項参照)

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