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ガン宣告の問題点  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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2  ウィルソン この点についてあなたの言われていることは、まさに最良の助言であると思われますし、私も、患者自身に関する知識をもとに判断されなければならないと思います。
 なかには最悪の知らせに耐えられる強い精神力と弾力性をもち、死期が近づいていることの自覚と、ガンがもたらすおそろしい苦痛や合併症への知識からくる、最初の激しい苦悩に対処する方法を直ちに習得する人々もいます。しかし、そうでない、もっと弱々しい人々は、もしその病名を知らせなければ、少なくとも残された最後の数カ月間を、折々の慰め、希望、そして喜びさえ感じて生きるかもしれないのに、病名を早い時期に知ってしまったために、その数カ月を絶望状態で生きることになるかもしれません。こうした人々にはショックを和らげるよう、注意して対処しなければならないでしょう。
 しかし、どの人が弱々しく、どの人に弾力性があるかを、それ以前の観察から判定することは必ずしもできないということを、私たちは認める必要があります。健康時にはしっかりしていて機略に富んでいるように見えた人が、病に伏すと精神的に弱々しくなる場合もあります。反対に、日常の生活では折れた葦のように頼りなげに見えた人が、それまで想像すらできなかった内面的強さを見出し、発揮することもあります。
 したがって、私は、どんな場合にも明白に事実を告げるべきだとは考えませんが、個々の場合について、いずれの道を選ぶべきかを決定するのは困難であることを認めざるをえません。人間の生活は、思いやりや愛情を伝える繊細な技術を磨くことによって洗練されたものになるのです。したがって、状況がどうあれ、また伝える相手が誰であれ、事実をはっきりと大胆に伝えるよりも、ときには慎重に考慮し、延期し、静かに自制することのほうが、究極的に価値ある場合もあるのです。しかし、こうした助言が、人を欺く卑怯なことで、絶対的価値を放棄することだと受け取られかねないことも明らかです。
3  私自身としては、この種の判断を単純に正しいと認めることはできないと思います。状況によって、判断は変えなければなりません。そして、たしかにありのままの事実を伝えることが理想であり、他の条件が異ならないかぎり、それがわれわれに課せられた義務であると主張することはできます。しかし同時に、場合によっては、ありのままの事実を伝えることを至上の義務とする考え方の修正を迫るような、別の価値も存在するということを私たちは認める必要があります。
 事実、誰だって、いつでも自分の知っていることを全部話すとは限りません。そうすることは危険でさえあり、ときには無分別であり、往々にして不親切な行為にもなりかねないからです。イギリスの俚諺に「刈りたての小羊には風も穏やか」(弱い者には不幸も軽く訪れる)というのがありますが、私はこれも一理あると考えています。
4  池田 おっしゃるように、ガンであることを告げるか否かは、患者自身や周囲の人々の状況を見ながら、個々に対処すべきであると私も考えますが、その場合、患者自身のことに加えて、次の点も考慮に入れなければならないと思います。
 まず、手術等によって根治が可能である初期ガンか、それとも末期ガンであるかということです。初期ガンの場合は、本人に知らせてもよいでしょう。次に、根治の見込みの大きい種類のガンであるか、それとも現代の医学では治療が困難なガンであるかによっても判断が違ってきます。
 初期ガンとか、治りやすいガンの場合には、そのことを十分に説明することによって、患者にガンと闘う力を湧き出させることもできます。治る見込みがない場合も、患者が最も良き人生の終わりを送れることを願って、誠実に対処することが肝要でしょう。どのように配慮すれば患者が“良き死”を享受し、あるいは、病気と闘う旺盛な精神力を湧き起こすことができるか――この一点を念頭に置いていかなければならないと思います。
5  ところで、このごろでは、ガンに関する知識が一般の人々にも普及しており、たとえ知らせなくても放射線治療を始める段になると隠し切れるものではありませんし、末期に近くなれば、ほとんどの人々は自分の疾患を知ってしまうものです。偶然に知った場合も含めて、ガンであることに気付いている患者にどのように接していくかということも、難しい問題になってきます。
 この死と直面したときにこそ、本人が死の事実や死の恐怖と闘うことができるよう、医師や看護婦や宗教家は、患者を助けてあげなければなりません。そこで起こる“いかに死を迎えるか”という問題は、“いかに生きるか”ということにつながっており、それは、すぐれて宗教的な課題です。
 死生観を確立した患者は、自己の死が迫っていることを知っても、それを源泉にして再び強靭な精神力と身体のエネルギーを奮い起こし、死の不安・恐怖と闘って、みごとな人生の最終章を飾ることができるでしょう。また、おそらく、免疫の機能が高まった結果でしょうが、場合によっては、ガン疾患そのものを乗り越える場合もありうることが、ガンの自然退縮(注1)の例として、注目されるようになっています。
6  (注1)自然退縮
 臓器や組織が何らかの原因により、自然に生理的に萎縮していくこと。退縮とは容積が減じて、機能も低下していくこと。

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