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遺伝子組み換えに対して  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  遺伝子組み換えに対して
 池田 遺伝子工学(注1)の進展を示すものとして大きくクローズ・アップされている遺伝子組み換え(注2)に関する実験も、人間の尊厳に関わる倫理的課題を突きつけてきています。
 遺伝子の組み換え実験が、人間の遺伝子の異常に起因する疾病の治療に大きな役割を果たしうるであろうことは、たしかに考えられます。しかし、それと同時に、危険な遺伝子を作り出してしまうことにならないかと指摘する人もいます。そのため現在の科学界でも、この実験は一時中断すべきであるという意見もあれば、NIH(注3)の作り上げたガイドラインで十分であり、すべての科学者がこの基準を守れば、実験はまったく安全であるという意見もあります。最近では一歩進んで、さらに規制を緩和したり、また撤廃しようとする動きさえ強まっています。
 私は、基本的には、医学・薬学の分野や遺伝性疾患等にも大きく役立つ科学技術である以上、この研究は進めるべきだと考えています。しかし、その危険性も、特に人間に適用された場合には計り知れないほど大きいわけですから、科学者は当然として、さらに哲学者、宗教家、一般市民等をも含めて、十分に検討する場をもつ必要があると考えます。こうして、あらゆる角度から検討し、意見の交換をしながら、特に実際の適用については慎重にしつつ、研究を進めるべきであると考えています。
2  ウィルソン この種の問題に対しては、人は昔からの決まり文句を当てはめて、健康は医者に任せておくにはあまりにも重大な問題だといいがちなものです。あらゆる技術的観点から見て、専門の医師やその補助部門の人々の判断を尊重し、その倫理的規準に頼らなければならないことは明らかです。そのためにこそ、私たちは、そうした専門職の地位に立つことを認めるに当たっては、純粋に医学的・技術的な水準とともに、倫理的・文化的な面においても、最高の水準が保たれるように努めなければならないのです。われわれが必要とするのは、倫理上の感性が人並み優れており、その人格の高潔さが技術的熟練度の水準に合致している人々です。しかし、たとえこの切実な要求が満たされたとしても、現在、問題となっている事柄は、医学とか科学的調査などの狭い関心事だけでは、捉えきれるものではありません。
3  池田 まさにその通りです。遺伝子工学の発達は、人間存在の基盤にまで重大な波紋を投げかけてくるでしょう。
 遺伝子組み換えは、植物や微生物の改良にはすでに応用されている技術です。しかし、人間次元での操作となると、人間にとっては重大事であり、深い関心をもたざるをえません。ここまでくれば、もはや医師や科学者だけで決定できる問題ではなく、社会全体に委ねられなければならないといえましょう。そこでは、他の分野の専門家の協力も必要ですし、また哲学・倫理・宗教等の立場からの意見、判断も尊重されなければならないでしょう。
 ただし、実際に携わり、その知識、情報を人々に提供するのは科学者や医師ですから、教授が言われるように、科学者や医師は、技術的にも倫理的にも最高の水準を保つことが要求されます。安全対策を手抜きしたり、事故処理に責任をもたなかったり、社会の眼の届かないところで人体実験のようなことをする医師や科学者は、人間の尊厳の恐るべき破壊者というべきでしょう。
4  ウィルソン 同感です。医学の専門家団体がこの種の問題を検討していくのは結構なことですが、同時に、社会の各分野から集められた、名が通り地位も確立した実務家からなる専門外の機関が一つの独立した委員会として、この種の問題を委託されて活動することになれば、さらに素晴らしいことでしょう。これはもちろん、政治家たちからなる委員会という意味ではありません。なぜなら政治家たちは(自由主義諸国では)再選される必要があることから、その関心領域が狭くなりがちで、時間的視野も往々にして限られており、自分の出世のことばかり計算しがちだからです。
 理想をいえば、こうした委員会は、自己の職業においてすでに地位を確立し、その関心が利害を超越していると保証できる、公共心に富んだ市民によって構成されるのがよいでしょう。ただし彼らは専門外の人間ですから、必要以上に専門的にならないような形で問題が提出されなければならないでしょう。また、技術の有資格者からなる、独自に選任されたスタッフの援助を必要とするかもしれません。このスタッフは、公務員の最も優れた模範として振る舞い、他の人々が決定を下す事柄についての情報を客観的かつ中立の立場で準備、作成することを自らの義務と考えているような人々でなければなりません。
5  これらの要件を考えると、そうした検討機関を創設し、維持・支援することが、いかに困難であるかが分かります。しかし、私個人としては、技術専門家の委員会よりも、むしろ適正かつ注意深く選任された人々からなるそうした機関のほうを、はるかに信頼したいと思います。技術専門家たちは、あまりにもそれぞれの分野に特有の専門家主義に密着しており、たぶん、より広範な社会生活への関わりが不十分だったり、その価値基準や関心事について無認識であったりするからです。
 しかし、この種の解決を図るうえで、その背景となる問題が一つあります。この問題は日本ではそれほどでもないかもしれませんが、イギリスではかなり一般化しています。それは専門家意識の増大ということで、この傾向が非常に強いため、今日では、私利私欲のない非専門家(アマチュア)として、つまり公平な善意をもち、この種の公共の仕事に献身する時間的余裕のある人間として退いていられるという人はほとんどいないのです。昔はイギリスの階級制度の中に、暮らしにはこと欠かず、教養もあり、公共的意識と市民的善意の強固な倫理を身につけた人々からなる、一つの階層がありました。彼らは快く自ら進んで、しばしば身銭を切ってまで、この種の仕事を引き受けたものです。しかし、今日では、この階層は消滅してしまいました。
6  現代は、万人を平等化する体制がますます強まっていますが、これに付随する障害の一つは、すべてのことが否応なくプロ化されてしまうということです。人々は金のために、それもますます金銭のためにのみ、働くようになっています。
 こうした社会の気風を一言でいえば、すべての人の値打ちは、その給料で決まるということです。しかし、世の中にはどんなに給料を払っても払いきれず、しかも、その仕事がうまくなされるには、金銭的報酬を期待しない人々によるのが一番よいといった仕事も存在します。いわゆる素人の委員会を作ったはいいが、それ自体が一つの新たな専門職となってしまい、医学の専門事項にはさっぱり熟達しないけれども委員会での駆け引きでは玄人になったというのでは、情けない話だと思います。イギリスでは、地方政治や国政のさまざまなレベルで、まさにこうした事態が進展しつつある徴候が見られます。日本でも同様の現象が起こっているのでしょうか。
 監視が大事であるというあなたのご見解には、私も賛成です。そして私は、現代社会は、あなたの考えておられる種類の検討機関を構成するにふさわしい、利害を超えた思いやりをもつ、教養ある人々を生み出すことができるし、またそうした機関は、医師たちやその補助的な実験を行う研究員たちの視点よりも、さらに高いところに照準を合わせることができると考えたいのです。
 ただ私が気がかりなのは、専門職化した社会では、この種の倫理的関心を保ち続けることがますます困難になってきているということです。その理由の一つは、私たちが皆、何か別の専門職の専門技術のなすがままにされていることであり、もう一つの理由は、あなたや私が任せたいと思っている仕事を引き受けるのに十分な教養をもち、しかも十分に非専門的な、独立した階層が存在しないことです。
7  池田 日本では、遺伝子工学への関心が急激に高まっていますが、この分野の発達に対する市民の反応は、ようやく盛り上がりを見せ始めたところです。P3施設(注4)を作ろうとした研究所に対して周辺の住民が反対に立ち上がった例や、市民グループとしてDNA(遺伝子)問題研究所を発足させた例があります。現在のところ、参加メンバーは主として主婦、学生、ジャーナリスト、それに少数の科学者たちであり、なかには身体障害児を抱えている人もいます。
 日本にも、教授が英国の状況として指摘されたように、公平なる善意をもち、公職に献身できる時間的余裕のある人々は、ほとんどいないようです。特に、この三十年間の高度経済成長の風潮の中で、教授の言われる専門家意識が伸長してきました。
 それ以前、つまり第二次世界大戦以前には、まったく善意でこの種の仕事を引き受ける余裕のある人もいました。また、医師のなかにも、自分の専門のみならず、社会倫理に関する公共分野に積極的に取り組んだ人もいました。しかし、今日では医師でさえも、金銭のために働いているような人が少なからず見受けられます。私は、時間的余裕の問題は別にしても、自分のエゴや職業意識のみに囚われることなく、人類全体、社会全体のために尽くす使命感が何より大事であり、それを養う源泉は、何よりも宗教に求められると考えています。
8  また私は、たとえ素人の委員会であっても、専門的知識をもった人々の十分な協力があれば、事の是非を判断することは可能であると考えております。たとえば、遺伝子組み換え技術の危険性が問題になったとき、ハーバード大学のあるケンブリッジ市の委員会は、適切な判断を下しました。そのときのメンバーは、ケースワーカー(注5)、看護婦、都市政策学教授、建築技術者、伝染病専門の医師、暖房器具商たちでした。この委員たちは、ほとんど毎週のように専門家を招いて勉強し、そのうえで市民として意見を表明したのでした。
 もちろん、このような素人の委員会も、教授の指摘されるように、新たに専門職化する危険性をもっており、これをどのように防止するかは、きわめて大きな問題です。
9  (注1)遺伝子工学
 ある生物(もしくは細胞)に遺伝子操作を施して増殖させ、病気の治療や有用物質の生産その他の工業技術に応用する学問。
 (注2)遺伝子組み換え
 ある生物の遺伝子(DNA)の断片を別の遺伝子断片に組み込んだり、一部を置き換えたりする技術。一九七三年にアメリカ・スタンフォード大学のスタンリー・コーエン博士によって初めて行われた。
 (注3)NIH
 ナショナル・インスティチューツ・オブ・ヘルス(NationalInstitutesofHealth)国立衛生研究所(米国)。
 (注4)P3施設
 遺伝子組み換え実験等によって動植物に感染させた微生物、細菌等が実験室から漏出する恐れがあることに対して、文部省学術審議会が漏出防止のために設けたガイドラインで、規制度を軽い順からP1~P4の四段階に分けている。P1は普通大学の研究室等に適用されるもので、P3の段階では安全キャビネットの設置を義務づけ、外部へ空気が出ないようにする等かなり厳重な規制があり、このランクの実験所・研究所をP3施設という。Pは、Physical(物理的)の意。
 (注5)ケースワーカー
 精神や肉体、また社会的に欠陥をもつ人々の生活環境などを調べて、診断や治療に役立てようとする社会福祉事業に携わる人々。

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