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臓器移植について  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  ウィルソン 過去の幾時代にもわたる人間観とは対照的に、現代人は大脳を、人間としての独自の存在の中心点とみなすようになってきていますが、この脳の一部が他人の脳によって置き換えることができるという見通しには、誰しも、いくぶんたじろいでいるのではないでしょうか。
 おそらく腎臓や心臓については、たんなる機能的なものにすぎないと考えているため、必要が生じれば、他人の器官を自分の器官に置き換えることもできるという考えを、かなり容易に受け入れられるかもしれません。しかし、大脳に対しては、誰しも、これと同様の態度をとるのをためらうのも、いまのところ当然のことと思われます。
 私はこのためらいは普遍的なものであると考えていますが、文化の違いによって、それにも強弱があるかもしれないと思います。――たとえば、個人主義が旺盛で顕著な西洋では比較的強く、宗教や伝統によって人々がよりたやすく自分の生活や感じ方を、社会全般の人々のそれに同化させられる東洋では比較的弱いというように――。
3  おそらくまた、現代人の多くは、大脳そのものが問題となる場合、他人の生きた組織を受け取ることによって、人格の独自性が根本的に影響される恐れがあると感じているのかもしれません。いったい誰が、未知の他人とそれほど深く融合してもよいと思うでしょうか。またその場合、その後は自分自身をどのような意識で見るようになるでしょうか。
 この種の手術が成功裡に行われた後で、本人の振る舞いや態度や気質に重大な変化が起こったとすれば、そこに生じる道義上の問題はいったいどのようなものでしょうか。もちろん、こうした推測は、まったくの筋違いかもしれません。そうした可能性については、医学の判定を待つしかありません。
 明らかなことは、情報が不正確であればあるほど、また問題の器官が大脳において、純粋に機能的で運動を統御する部分であることの確証が弱ければ弱いほど、本人は深い懸念を示すだろうということです。そうした懸念自体が、この種の手術の効果に影響を及ぼすことになるのではないでしょうか。
4  池田 大脳移植の可能性については、医学の進展を見守る以外にはありませんが、現在でも種々の試みはなされているようです。
 すでに、サルを使った実験で、脳を頭蓋骨から摘出して、人工血液循環によって生かすことには成功しています。いわゆる分離脳です。分離脳の次の段階は脳移植になるわけですが、中枢神経の接続がほとんど不可能なので、脳移植はやはり幻想ではないかと予測する人もいます。どのように器用な外科医でも、分離脳の切断された神経を、相当する断端に縫いつけることは不可能だからです。しかし一方では、神経細胞の突起を伸ばすことも試みられています。
 また、脳の全体ではなく、特定部分だけを移植するということは、不可能とはいえないようです。将来、たとえ無脳症でも、胎児のときに他人の脳組織を移植して治療する道が開けるかもしれません。
 この脳移植とは別に、頭部移植が試みられ、サルではすでに実験ずみといわれています。しかし、他人の身体を付けた頭部、逆に他人の頭部をつけた身体が動きまわるという光景を、戦慄の感情なしで見ることができるでしょうか。
 脳の部分移植にしても、頭部移植にしても、また脳手術全般についてもいえることですが、大脳への挑戦は、人間自身の人格の独自性を脅かし、その基盤を崩壊させる危険性をはらんでいます。
5  大脳移植へのためらいは、教授の言われるように普遍的なものでしょう。たしかに、東洋には、人間存在も含めてあらゆる事物が宇宙と一体となっているという考え方があります。しかし、東洋でも、個々の人間は独自の人格をもち、個性を発現して生を営んでいると考えていることは当然で、その故に、人間の独自性の肉体的座である大脳領域に侵入し、個性を混乱させ、ついには個性を抹殺させてしまう危険性に対しては、大いなるためらいを感じざるをえないのです。
 脳全体の移植や頭部移植でなくても、脳の部分移植でさえも、脳手術には人格を崩壊させるという危険性が、絶えず付きまとっています。
 そういう意味で、私も、教授と同様に、脳全体の移植や頭部移植には強い懸念を抱かざるをえませんが、たとえ部分移植や脳の一般的手術の場合でも、常に患者の人格の変化を起こさないように、十分に配慮をしてもらいたいと思っています。
6  ウィルソン おそらく最大の懸念は、脳移植によって、患者がますますたんなる「症例」と化してしまうのではないか、ということでしょう。つまり、自然の領域に深く立ち入って、おそらく最も複雑で、しかも可能性としてはたしかに最も芯部に触れる形の臓器移植を、はたして実際に成功させられるかどうかを見極めたいという、医学界全般の欲求の犠牲に、人間がされてしまうのではないかということです。
7  池田 脳移植をはじめとして、今後の医学の進歩には、予断を許さないものがたくさんあります。
 クローン(注2)生物や、さらにはクローン人間、人間と動物とのキメラ(注3)、向精神薬(注4)による脳のコントロール等、一度その領域に踏み込んで実用化に手を付ければ、取り返しのつかないものばかりです。
 これまで医師のとってきた行動や思考は、ともすれば技術中心主義に陥り、医学の進歩だけが至上命令のようになってきた傾向があります。このような技術至上主義や進歩を絶対視する考え方は、患者を教授の指摘される“医学界全般の欲求”の犠牲にする場面が生じ、ひいては人類という種の存続すら、危うくしていくのではないでしょうか。
 技術的に可能であり、その可能性を見極めたいということと、実際にその分野に踏み込んで実用化してもよいということの間には、簡単に越えてはならない一線があるように思います。医学技術の進歩が可能にすることの中には、人間にとってかえって不幸をもたらす事柄もあり、また人類全体にとってもきわめて危険な事柄もあるからです。
 そこで私は、医療関係者だけではなく、医学の恩恵と危険をともに受ける社会全体で、医学の進歩のあり方を考え、ときによってはストップをかけることがあってもよいのではないかと思うのです。医学は、それ自体の進歩のためにあるのでも、医師のためにあるのでもありません。あくまで人間のために医学は存在するのであり、逆に人間が医学のためのたんなる“症例”となり、犠牲になるようなことがあってはなりません。
 “人間のための医学”――そのあり方を再検討すべき時期にさしかかっているのではないでしょうか。
8  (注1)人工心肺
 心臓手術の際に、一時的に心臓と肺の機能を代行させる装置。ポンプと血液酸素化装置をもち、血液を大静脈から導き、酸素を与えて大動脈に送り出すもの。
 (注2)クローン
 遺伝子組成がまったく等しい細胞の生物の集団。受精を経ずに親とまったく同じ個体を作ること。また、こうしてできた個体の集団。
 (注3)キメラ
 動物、植物の世界では系統の異なる二つ以上のまったく別の組織が合して、一つの生物体を形作る現象がしばしば見られる。植物にも接ぎ木の結果、二つの組織が入り混じったキメラが見られる。
 (注4)向精神薬
 中枢神経系に作用して精神状態に影響を与える薬剤。鎮静剤、睡眠剤、覚醒剤、幻覚剤、精神安定剤など。

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