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日蓮大聖人・池田大作

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近代史とキリスト教  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  ウィルソン キリスト教徒は、教皇インノケンティウス三世(注1)がローマ教会の最高権能(注2)(プレニチュード・ポテスタティス)の強化・拡大に成功したことを取り上げて、しばしば、十三世紀の初めが偉大な信仰の時代であったとみなしがちです。インノケンティウス三世は、世俗の君主たちに対して自らの意志を押し通しました。そして、彼らの道徳上の振る舞いの可否を裁定し、その世俗権力の行使に最終的な認定権をもつことが、教皇の義務であると考えました。
 しかし、この時代に、制度化した教会の権能を主張することに成功したからといって、それはそのまま信仰が統一され、遍在化したことを示す証拠とは、決していえません。その当時は、キリスト教自体の中にいくつもの異説がはびこっており、さらに、より広範囲の、根強い前キリスト教的な異教信仰が、ヨーロッパ全体で盛んに行われていました。事実、ヨーロッパのキリスト教化はその後、三世紀を経て、宗教改革がローマ教会の統合的権力を打破した時点ですら、一般大衆の宗教という水準からいえば、まだとても完全といえるようなものではなかったといってよいでしょう。
3  たしかに、宗教改革は、キリスト教信仰の精神のうちの、最も活力に満ちた諸要素を引き出しました。つまり、その最盛期において、ローマ教会の煩わしい位階制による権威主義に比べて、イエスの教えがいかに飾り気のないものであるかを浮き彫りにしたのです。キリスト教の、とりわけ聖職者に関する側面は、すべて、この信仰の創始者(イエス・キリスト)の死後に作り出されたものにすぎず、その多くは、使徒時代や使徒後時代の教会について知られている事柄にさえ、その起源を求めがたいのです。ローマ・カトリックの権威は、素朴な福音主義のキリスト教の基礎的原理に、後代になって付け加えられた付着物に依存していました。そして、ある面ではルター(注3)が、また彼と同時代の何人かがさらに強烈に論証しようとしたのは、まさにこのことだったのです。
4  宗教改革時代にキリスト教の主流にいた人々は、最終的には、教会構造の多くの側面が捨て去りがたいものであることに気付きましたが、それでもやはり、中央集権化の度合いや政治色のより少ない権威構造を目指す急進的な動きは、宗教改革時代の諸教会や諸宗派の流れの中に、歴然と現れたのです。その代価は、いうまでもなく、社会における教会の役割を縮小することでした。人間生活の他部門に対する宗教の卓越性と統轄力は消滅し、やがて世俗国家の権力の台頭とともに、教会は、国家に従属するようになりました。
 宗教改革はまた、ローマ教会の慣例に抵抗する中で、キリスト教伝統の異なる側面を盛んに引き出しました。悪霊の働きや能力についてのイエスやパウロの(注4)信念がどのようなものであったにせよ(事実、彼らが、ともにそうした存在を実際に信じていたという証拠が聖書中に見られますが)、キリスト教は、そのユダヤ的起源から、世俗化を促進する傾向を受け継いでいます。
5  ユダヤ教では、遍在する呪術とか魔術、各地方の神々や精霊の力などという考えを強く排斥し、唯一神の絶対的、超越的な力を主張しています。キリスト教は、種々の点で多神教と妥協したとはいえ、やはり、この、ユダヤ教の方向性を継承していました(多神教との妥協は、最終的には、三位一体の教説とか、聖母マリアの地位が位階制の中でしだいに高められたこととか、あるいは各地方の無数の聖者たちも崇拝されるようになり、その中にはキリスト教の礼装に辛うじて包まれていたにすぎない古来の異教の神々も含まれていたこと、などに見られます)。キリスト教もまた、世俗化を促す宗教だったのです。
 キリスト教は、聖なるものの働きを定義づけようとし、このため、ある意味ではこれに限界を設けて、制約を加えようとしました。そして、ユダヤ教と同様に、世俗的なものと聖なるものの間に明確な境界線を引き、世界そのものやそこでのあらゆる現象が、活力と潜在力を秘めた超自然的な力に満ちているという、異教的な概念を排斥しました。ローマ教会は、各地方に残っていたキリスト教以前の宗教的な民間伝承をときにはあえて同化してまで、異教的な呪術を潰滅しようとしたのです。
6  宗教改革は、まぎれもなく、呪術を排除する過程を再び活発化させる中から、初期キリスト教の精神を引き出しました(そして、そうすることによって、かつて何人かの初期ローマ・カトリックの神学者たちが唱えたことのある諸々の批判をもう一度取り上げ、これを極点にまで達せしめました)。つまり宗教改革は、カトリックの中にまだ根強く残っていた呪術的な要素を駆除しようとしたものだったのです。
 このことは、(聖人・殉教者などの)聖骨の力を否定したことに最も顕著に示されていますが、同時に、ローマ教会の司祭中心主義を全面的に否定したことにも示されています。儀礼を司る司祭は、もはや、神秘的な奥義を行っているものとはみなされなくなりました。宗教改革は、神秘性を取り除くうえで、大きな力となったのです。
 宗教改革が助長・促進したナショナリズムによって、政治権力の優越性が叫ばれるようになり、かつてそのためにインノケンティウス三世や歴代の教皇が争った、世俗的権威に対する宗教的権威の優越という概念は、全面的に覆されるにいたりました。これ以来、ときにはきわめて緩慢な動きがあったにせよ、教会と宗教が国家に従属していく、着実な過程を見ることができます。宗教は、その後もときとして、国家や地方の政治を支持するため、または文化的少数派の要求に確証を与えるため、もしくは政党の合法性を認めるためにすら頼りにされ続けましたが、終始はっきりしていたことは、キリスト教がたどった全般的なコースは、市民生活や庶民生活において、現世的な関心にキリスト教が従属していった過程であったということです。
7  池田 教会・宗教が、世俗権力に従属するようになっていったことは、近世・近代の一貫した現象であり、これを否定することはできません。その原因はきわめて複雑であり、これをすべて明らかにするなどということは、私にはとうていできることではありませんが、ただ、大きく見て、民衆が、教会の与えてくれる精神的救いよりも、世俗権力が与えてくれる物質的救いのほうに期待をかけるようになっていたことも、一つの要因として挙げられましょう。同時に、民衆の期待を受け止める側からいえば、神の権威は教会のみが独占すべきでなく、国家権力も、その一部を分かちもつことができると考えたのでしょう。
 つまり、キリスト教的精神は教会の独占物ではなく、世俗権力もそれに与りうるという考え方が、そこにあったということができます。もちろん、教会自体、キリスト教の恩寵のみをもって人々に対したのでなく、権威主義と権力的支配をもって民衆に君臨したように、それを受け継いだ国家権力も、キリスト教的恩寵主義だけではなく、むしろ、権威主義・権力主義をもって人々に対しました。しかし、わずかではあれ、キリスト教的恩寵の精神も体現しようとしたことは事実です。国家権力自体もそうでしたし、まして、権力に与った人々はなおのこと、その姿勢に、キリスト教的精神を実践化しようという意識をもっていた例が少なくありません。
 これは、教授が前項で述べられた、キリスト教の個人における内面化という現象の、一つの現れでもありましょう。この意味で、私は、ナショナリズムの発展も、その一つの側面においては、キリスト教的土壌から養分を吸い上げてもたらされたもの、ともいえるのではないかと考えるのです。
8  ウィルソン よりゆっくりとですが、キリスト教信仰を侵蝕する働きをしたのは科学的探究の影響であったといえましょう。もっとも、ローマ教会としても、かなり以前から、その潜在的な危険性を見抜き、人体解剖学や天文学などの経験主義的な探究が、ユダヤ・キリスト教的伝統の創造神話に描かれた宇宙観に挑戦して、これを脅かしていたことから、それに対しては、終始一貫、敵対的な姿勢をとり続けていました。
 たしかに、あなたが示唆されたように、宗教改革以後の科学者たちは、科学的探究を正当化するものとして、ことに世俗内の禁欲主義の理想とか、俗事の習得への要求といったことに関しては、彼ら自身の解釈によるキリスト教の教義を頼りにしていました。十七世紀の多くの科学者たちが敬虔なピューリタンであったことは、まぎれもない事実です。しかも、そのうちの何人かが、自分たちの科学の仕事を、事実上宗教のための仕事とみなしていたことについては、信じるに足る理由があります。
 もちろん、最終的には、ローマ教会の古くからの恐れが、的を射ていたことが証明されました。科学的知識が、キリスト教信仰を溶解する作用を果たしたのです。今日では、多くの神学者たち(それに少数の科学者たち)の間で、もはや両者間に相克のないことを論じるのが流行となっていますが、それは多分に、両者間の争いが終結して科学が勝利を収めたことによるのです。キリスト教は、天地創造や、人間の本性、あらゆる現象の物理的・化学的・生物学的な性質などに関して、その想定と主張を次々と放棄せざるをえなかったのです。
9  さらに最近になると、現代の心理学と社会学が、倫理的・社会的な事柄に関する基本的なキリスト教の前提に挑戦して、功を奏しております。もしかりに、中世のキリスト教徒が、現代キリスト教の教説と実践を見聞することができたなら、当時のキリスト教の教説・実践の多くが、いまや見分けもつかないほど変貌してしまっていることに驚くでしょう。中世キリスト教の、たとえば、宇宙学・地球学・生物学・社会学・心理学上の仮説と呼ばれていたものが、いまやほとんどあらゆる分野で権威を失墜していることは確かです。
 本書の、どこか別の箇所でもすでに論じたように、西洋で宗教が凋落したこと、また宗教が私生活を中心とする領域に遠く追いやられたことについては、私は、何にもまして、社会構造の諸変革にその原因があったと信じています。
 社会の運営に関しては、キリスト教は、もはやほとんどの西欧諸国で重きをなさなくなっています。政治的存在としてのキリスト教の凋落は、教会が自ら自由に操作できる財源が先細りしていることと、経済秩序に対する教会の影響力が失われていることに、正比例するものです。あらゆる教会の聖職者は社会的地位を失い、同時に財政的な報酬の面でも、かなり苛酷な困窮に苦しんでいます。これらはすべて、キリスト教の変貌したありさまを明らかに示すものです。
10  では、キリスト教にあって、いまなお生き続けているものは何でしょうか。たしかにヨーロッパでは、少しずつ教会の土地や建物が売り払われて他の目的に使われ、聖職者の数も減ってはいますが、それでもなお、キリスト教は、多くの西欧諸国で、制度上、かなりの位置を占めています。しかし、道徳的な問題について法律が施行されることがなくなるにつれ、キリスト教は、もはや法律の運用には、さして影響力をもたなくなっています。
 教育の面では、いくつかの国々で、専門的な宗教学校の制度の中にまだその存在を示し続けています。しかしこうしたケースでも、やはり技術・技巧を割高に珍重し、宗教的知識を割り引きして評価する昨今の風潮にあっては、“キリスト教教育”の意義も大いに希薄化しています。イギリスでは、学校での宗教教育が法律上必要とされていますが、これも死文化しつつあります。もちろん、アメリカでは、宗教教育は、たとえ最小限のものであっても、公共教育の制度内では禁止されています。
11  教会は、いまなお各種さまざまな社会的・福祉的な行動や活動の発起人になっています。キリスト教は、他の宗教に比べて、常に組織的構造が強力で、教会がほとんど公共施設なみに配置されているため、教会自体が地域共同体における生活での、明らかな中心拠点となっています。このことは特にアメリカについていえることですが、ヨーロッパでも、教会の礼拝式への出席率が低いスウェーデンのような国々においてさえ、当てはまることです。
 しかし、ますます都市化し、工業化し、きわめて流動的になった社会では、多くの人々がもはや勤労区域を居住区としていないため、共同体生活それ自体が大幅に縮小しています。ほんの特定のグループ、特に老人や幼児たちにとってのみ、地域共同体、というよりはその名残ともいうべきものが、生活を営む場となっているわけです。
 しかも、これらの、ほとんど家の中に引き篭りっきりの人たちにとってさえ、テレビという媒体を通じて、より広い世界が、家庭内にも、日常生活の思考構造の中にも、侵入してきています。しかし、教会はいまなおそうした人々の欲求を何とか満たしており、そしてまたおそらくは、共同体生活とはこのようなものだったはずだという証ないしは思い出という形で、郊外から通勤している、より幅広い層の人々の欲求をも、どうにか満たしています。
12  知的見地からいえば、神学者たちが活発な論議を続けてきたにもかかわらず、一般大衆も、特定の知的階層も、教会の主張することにはさほど関心を払っていないようです。マス・メディアも、キリスト教についてはせいぜい当たらずさわらずの報道をするだけであり、マス・マーケティング、消費主義、営利企業、金融、都市・社会行政体などのあらゆる分野が、教会の存在など、ほとんど気にしないで機能しています。
 私的生活にあっては、キリスト教は、なおいくぶんかの活力を保っています。教会が最も多く利用されるのは、通過儀礼のためと、悲嘆を和らげたり慰めを与えたりするためですが、これらの面では、身上相談所その他の機関による競合がますます激化し、ますます効率的になっている状況の中でも、なお教会は機能を発揮しています。これは、限定的な役割でしかありません。しかし、国民生活、公共生活の万般にわたってその及ぶ範囲が際立って萎縮しているとはいえ、キリスト教の影響力が、もはや消滅してしまったということはできません。
13  池田 科学の発達によって、伝統的なキリスト教で真理とされてきたことが、偽りであるとされるようになっていったことは、西洋における科学と宗教の闘争史という、一つの歴史を形成しています。科学が発達し始めた一つの出発点は、聖書が述べていることの正しさを証明したいという点であったにもかかわらず、科学が明らかにした事実は、結果的に聖書の虚妄性を証明することになったわけです。
 もちろん、古い時代に立てられた宗教が、すべてについて真理を根拠にしていなければならず、現代の科学的証明によって裏付けられるべきであるなどと要求すること自体、無理なことでしょう。しかし、少なくとも、科学が真実ではないと明らかにしているような問題は、その宗教にとって、根本的なことでないことが必要で、宗教が扱っている根本的なものは、科学的証明や批判の埒外にあるのでなければなりません。
14  仏教の場合、たしかに、その世界観においては科学的に認めがたいものもありますが、それが批判され、否定されたからといって、仏教の宗教としての根本的なものは、少しも傷つきもしませんし、揺らぐこともありません。ですから、仏教は、科学と争う必要を認めないのです。
 仏教が根本的に説いているのは、この世界がいつ、どのように創られたか、とかいったことではないのです。人間の心の世界の問題であり、たとえば、貪りや瞋りなどに囚われて行動すると不幸を招く因になる、といった生命の法理です。これは、世界の歴史や社会形態がどうであるかによって制約を受けるものではありません。
 キリスト教も、もちろん、本質的な人間の生き方についての教えを核としていると思いますが、全智全能の神を立て、その教えの不可謬性を守らなければならないということから、科学がそれに対して否定的な事実を明らかにした場合、人々が神への信頼を揺るがす恐れがあるとして、これと厳しく対決せざるをえなかったのでしょう。そして、その頑なさが、かえって宗教の側への、人々の支持を減少させることになったのではないでしょうか。
15  (注1)教皇インノケンティウス三世(一一六〇年―一二一六年)
 教権を極度に拡大したローマ教皇。在位は一一九八年―一二一六年。第四次十字軍を起こし、イギリス王ジョン、フランス王フィリップとも抗争して屈伏せしめた。
 (注2)ローマ教会の最高権能
 中世教皇権はインノケンティウス三世の時代に帝権をしのぐとともに、教皇への権力集中、典礼教会法のローマ化が徹底され頂点に達した。教会改革、異端審問権も教皇の手に集中した。
 (注3)ルター(マルチン)(一四八三年―一五四六年)
 ドイツの宗教改革者。ローマ教会の免罪符販売を批判し、九十五カ条の抗議書を公表。教皇から破門され、宗教改革に乗り出す。『新約聖書』をドイツ語に訳した。
 (注4)パウロ
 キリスト教の使徒、大伝道者。初め熱心なユダヤ教徒としてキリスト教徒を迫害したが、天啓を受けて回心し、ローマ帝国内の伝道に努めた。六四年ごろローマで殉死。本名サウロ。

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