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ルネサンスと宗教改革  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  ウィルソン ルネサンスは、近代ヨーロッパの文化・社会の形成に影響を与えた、最初の、そしておそらくは最も重要な潮流でした。その輪郭をはっきりと示すことは、容易ではありません。現存の証拠といえば、そのほとんどが特定の知識階層の著作によるものであり、その多くは、いうまでもなく教会内部のものです。
 われわれは、「ルネサンス」という用語の中に、古典知識の再発見とその普及・拡散の過程とを、併せ含めて使っています。それらの知識の内容自体が、すでに多岐にわたっており、そこにはギリシャ思想の広大なヒューマニスティックな思考法、懐疑主義、エピキュロス派(注5)の哲学などはもとより、当時のあらゆる種類の神秘(オカルト)的・占星術的な考察も含まれています。これらの知識が、有神論にも、新たな芸術にも、科学の探究にも、刺激を与えたのです。
 幾人かのルネサンス作家に代表されるヒューマニスト(人文主義者)の思考の合理性を讃え、これを当時の支配的な影響力と考えるのは、たやすいことでしょう。しかし、われわれは、彼ら自身の記述から、多くのルネサンス知識人が、一方では古来の迷信を、他方では有神論とヒューマニズムの混淆を信じ、この両者の間で彼らの意識が深く分断されていたことを知っています。ただ、そのうちのヒューマニズムによって、彼らは中世キリスト教のドグマに疑いを抱くようになり、中世の教会の知的基盤の狭さに挑戦するようになったのでした。
3  秘術学(オカルティズム)や占星術も広く興隆しましたが、やがて知識人による古典哲学とキリスト教思想の新たな統合への探求と、より開かれた形の学問的探究が、最終的な凱歌をあげました。諸々の異教の残存物が、古代ギリシャ・ラテン語の原文のおかげでより身近なものとなり、そこから新たな勢いを得たにしても、最後に広まったのは、結局、懐疑主義・客観主義の精神でした。
 ルネサンス期を、キリスト教の中世的外観が取り返しのつかないほど砕かれた時代と見る人々がいるのは、おそらくこのことによるのです。といっても、別の面からいえば――おそらくあなたのコメントはこのことを念頭に置かれてのものと思いますが――ルネサンス期における強力な有神論的な方向性は、キリスト教がユダヤ教から相続した、全般的な世俗化の推進を続行したものでした。
 多くの教養人がまだ占星術をかじっており、霊や魔女の存在を信じていましたが、当時の人々にとって、それは当たり前のことだったのです。それが当時の支配的な意識のもち方であり、人々は、その範疇の中で考えを巡らしていた。ですから、新しい合理主義に初めて目覚めたからといって、何世紀にも及ぶ迷信が、直ちに捨て去られたわけではないのです。その後も長い間、人々は、さまざまに異なる事柄、そしてつじつまの合わない事物さえも、信じ続けたのです。
4  しかし、結局はこうした偏見も、より懐疑的な知性、より超然とした考え方に取って代わられました。たしかにルネサンス期の人々は、最終的には、古代ギリシャ・ローマ世界の懐疑主義によって、地方的ないし神秘的な呪術を信じない気質が強固になったということができます。しかし、おそらくもっと重要なのは、科学的探究の基盤としての、より統合された理論構造への認識が増すにつれて、異教の民話や神話が、最初は相容れないものに、そしてやがては誰にも擁護されないものになっていったという事実です。
 これらはすべて、より進んだ人々の考えでは、少なくともしばらくの期間は、ある形のキリスト教と手を取り合っていけるはずでした。この、ある形のキリスト教とは、中世の添加物を剥ぎ取られ、預言的宗教であるユダヤ教から派生した当時の、有神論的・超越論的な方向性を回復していた宗教だったのです。
 内在論(注6)の要素が宗教から排除されるのと並行して、人々は、倫理的な事柄や、より普遍的な倫理原則の再発見に、しだいに心を奪われるようになりました。倫理が呪術を排除したのです。人々は、この世の中は全般的な、いやおそらくは普遍的な原理に従って動いているのであって、そうした原理からの個別的な配分などによって操作されているのではない――これに関わったのが呪術だったわけですが――、としだいに考えるようになったのです。自由意志説と決定論(注7)の混乱した考えが、呪術と占星術の両分野で非常に複雑に絡み合っていましたが、哲学的な素養が深まるにつれてそのことが認識され、絡み合いが解きほぐされるようになりました。
5  新しい有神論の大胆な輪郭が作られたことによって、キリスト教自体が、異教的迷信という添加物の影響から解き放たれました。この新たな有神論によって、知識人たちもキリスト教を改めて尊敬に値するものと考えるようになったのです。それまでの数世紀にわたるキリスト教は、ルネサンスによって変容し、こうして生まれ変わった新しい形の宗教は、より広範な大衆に、着実に影響を与えました。それはまた、ヨーロッパ社会の知的エリートに対しては、キリスト教の枠の中で(しかし、ときによってはその枠を超えて)知的・芸術的な努力に新たな弾みをつけたのです。
 他のルネサンスの作家たちが、非キリスト教徒をキリスト者の天国に容れることもときにやぶさかでなかったのに対し、ダンテは、そうすることに尻込みしました。にもかかわらず、彼がウェルギリウスを選んだことは、まさに、拡大されたヒューマニズムの象徴であるわけです。
 ルネサンスは、教会がそれまでに伝承してきた遺産よりもさらに広範な文化的継承への権利を、遅ればせながらも求めたものでした。そして教会は、多くの点で、少なくとも一時的に、その拡大され開花した文化の媒介者となりました。
6  池田 ルネサンスの文学や芸術には、本来のキリスト教の信仰体系の中に収まらない神々や人物も、取り上げられています。たとえば、ギリシャ・ローマ神話の神々などがそれです。
 それは、キリスト教以外の、より広い文化的継承を求めた結果であったわけですが、同時に、そうした、本来はキリスト教の枠の外にあった神々やテーマを、キリスト教的体系の中にいかに組み込むかの努力、工夫がそこにともなっていたといえます。ダンテがウェルギリウスを地獄と煉獄の道案内に選んだということは、その一つの試みであったに違いありません。
 このように、本来はキリスト教の枠の外にあった人物や神々を、キリスト教的信仰の中に位置づける作業は、結果として、キリスト教的信仰というものの枠自体を拡げることにもなりました。当然、そこで、キリスト教的信仰を、その芸術家なりの立場で再解釈することが行われたわけです。このことは、キリスト教的信仰についての解釈権を付与されているのは、伝統的な教会の聖職者だけであるとの考え方を、打ち破ることにもなったでしょう。
7  すなわち、「キリスト教信仰の体系や教義の解釈をなしうるのは聖職者のみであって、それ以外の人間は、彼らから教えられる通りに信じ、考えていればよいのだ」というようなあり方から、これらの人々(芸術家等)もその解釈に加わるようになったということです。しかも、彼らの民衆への影響力は、その作品を通じてきわめて直接的であり、持続的であるということを無視するわけにいきません。私がルネサンスを、キリスト教信仰からの離反という側面もあるが、むしろ、その肉化として捉えるべきではないかと申し上げたのは、この意味です。いずれにせよ、ルネサンスは、非常な複雑さを含んだ現象であったということができます。
8  ウィルソン おっしゃる通りです。ルネサンスの影響は、もちろん、多面性をもつものであり、その歴史的な舞台は、ヨーロッパのキリスト教にとって、またヨーロッパ文明の展開にとって、さらに重要な進展をもたらしたと私が考えているもの、すなわち、宗教改革によって、いっそう複雑さを増します。
 ルネサンスは、学問に、再び活性を与えました。また、世界観の再編成と、新たな倫理的ヒューマニズムの編入という点で、中世キリスト教が保持していたよりも、もっと知的に人を引きつける基盤を、当時の知識階層にもたらしました。しかし、宗教改革も、それとは別の、いくつかの変容を生み出しました。ことに、司祭中心的なカトリック主義が大切にしてきた外面的形態を犠牲にして、内面的な確信への必要性を推し進めました。
 もちろん、多くの点において、ルネサンスの影響は、宗教改革に流れ込んでいます。また、新たな学問を身につけたルネサンス後期の人々、たとえばエラスムス(注8)などは、その後に起こるであろうこと(宗教改革)の重要な諸要素を、すでに察知していました。
 おそらく、宗教改革の最も重要な貢献は、司祭に対して行う秘密懺悔をプロテスタント教徒が廃棄したことにきわめて明瞭に示されているように、社会統制の重点を、共同体から個人に転換させたことでしょう。以後、プロテスタント教徒にとっては、個人の良心の声というものが、人間いかに身を処すべきかの判断においてより大きな位置を占めるようになり、教会の諸制度は、人々からの依存度を弱めていったのです。
9  私の個人的な考えでは、宗教改革、そして、それに続いてローマ・カトリックを貫流した諸流は、ヨーロッパ全体にわたって、宗教的思想と倫理的行為の統合に深刻な影響を及ぼしたと思っています。これによって、人々は、呪術による即時的・個別的な結果への期待から引き離され、彼らの信仰が客観的で普遍的な道徳という基準のもとに置かれる状況へと導かれたのです。
 もちろん、ピューリタン革命の段階では、その場所や時期によって違いがありますが、その信仰の内面化の(注9)過程があまりに激しくなったため、少しでもローマ・カトリック的風潮や世俗的風潮に染まった文化的遺産に対して、強烈な反動が生じました。こうしたピューリタン主義の側面には、今日では、ほとんどの人々が消極的な評価を下すことでしょう。しかし、たとえそうであっても、私は、宗教改革が先触れした個人的良心の高揚、より合理的で超然とした物の考え方の触発、そして、宗教的価値と日常生活の同化などは、見逃すことのできないものだと思っていますが、あなたは、この私の考えに賛同されるでしょうか。
10  池田 教授は、私がルネサンスのもたらした一面について指摘したことを、そのルネサンスから、宗教そのものについての変革作業として受け継いだ宗教改革に分析を進められることによって、より明確にされました。
 ルネサンスの文学や芸術がギリシャ・ローマの古典にまで視野を拡げたことは、必然的に、そこに含まれているキリスト教的信条の枠を超えた人間的倫理をも、キリスト教的信仰の反映として位置づける働きをしたわけです。それが宗教改革において、表面的には、ルネサンス芸術の扱った異教的要素を排除する運動になったりはしましたが、本質的には、教授が指摘されたように、個人的良心の高揚とか、宗教的価値と日常生活の同化といった、いわば宗教的信仰の内面化と一般的倫理への反映という形で、さらに発展したのだと私は考えます。この私の考えは、したがって、教授と同じであると思います。
11  (注1)ルネサンス
 十四世紀から十六世紀にかけてイタリアを起点に全ヨーロッパに波及した芸術及び学問を中心とした革新運動。再生の意味。神中心の中世文化から人間中心の近代文化へ転換する端緒となった。
 (注2)ダンテ(一二六五年―一三二一年)
 イタリアの詩人でルネサンス初期の巨匠。フィレンツェの生まれ。早逝したベアトリーチェへの初恋はその文学にとって大きな意味をもつ。政治に加わり、敗北して追放され、半生を放浪しながら文学に精進した。主著『神曲』の他に『新生』『帝政論』など。
 (注3)ウェルギリウス(前七〇年―前一九年)
 ローマの詩人。叙事詩『アエネイス』の他に『牧歌集』『農耕詩』の作品がある。アウグスツス帝などの庇護を受けた。
 (注4)魔女裁判
 中世のヨーロッパ諸国家とローマ教会が、異端者を魔女として処罰するために行った裁判。異端者撲滅と関連して、特定の人物を魔女に仕立てて弾圧、魔女裁判を行って火あぶり等の刑に処した。
 (注5)エピキュロス派
 エピキュロス(前三四一年―前二七〇年)はアテネで原子論を基礎とする実践哲学を唱えた。この派は、哲学の目的は幸福の成就にあり、それは迷信や死の恐怖を脱した「心の平静」にあると主張した。
 (注6)内在論
 キリスト教神学において、神は宇宙のいたるところに内在するという説。
 (注7)決定論
 人間の活動を含むあらゆる事象・現象は、すでに既定の原因によって決定されているという哲学的理論。個人が自らの行動を意志の自由によって選択することはできないとする。
 (注8)エラスムス(一四六六年―一五三六年)
 オランダの人文主義者。宗教に対しては自由思想を抱き、宗教改革に同情した。主著『愚神礼讃』の他に『自由意志論』など。
 (注9)内面化
 個人が、自らの社会における諸価値、思考過程、言語、規範、基本的な社会的カテゴリーなどを取り入れ、「自分のもの」とし、それがあたかも自分の「本質をなすもの」となるにいたる過程をいう。

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