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日蓮大聖人・池田大作

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組織伸長が抱える課題  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  ウィルソン 宗教運動の伸展や衰微に関する私たち社会学者の理論は、とても満足といえるようなものではありません。しかし、あなたがおっしゃるような現象、つまり、伸長の限界という現象は、何人かの社会学者の注目を惹きつけてきました。この過程を理解するのにおそらく最適の雛形は、組織の成長度と規模の相対関係を扱ったものでしょう。
 この理論が示唆しているのは、ある運動がひとたび一定の大きさに到達すると、社会的境遇からして最も改宗しそうな一定比率の人々を加入させ尽くしてしまって、信者になりうる人々の層が枯渇し始める、ということです。こうして、たとえば都市のホワイトカラー労務者を中心とする下層中産階級が信者の大半を占めるような運動は、他の社会的集団、たとえば農村地域に住む人々やブルーカラー労務者の中から、多くの人々を惹きつけるのが、困難になることが考えられます。
 ある運動が、そこに参加しそうな人々の階層に関して、ひとたび一定の社会的イメージを獲得してしまうと、そのこと自体が、異なる社会的階層の人々、つまり教育程度や社会的境遇が異なる人々を加入させるうえで、妨げとなることがあるのです。一つの運動は、その運動が最初に獲得した参加者の社会的階層を反映したスタイルを身につけ、そのスタイルが、他の社会的階層に馴染まないということがあるものです。
3  たとえば、二十世紀初期のペンテコステ運動が取り入れた様式の特徴であった、激しい感情に満ちた礼拝様式、表現の自由奔放さ、どちらかといえば不作法な熱狂性、ジャズ音楽的な旋律などは、これらの運動が事務関係者を募集しようとする段になると、明らかに不利な要素になりました。事務員たちの生活様式はもっと地味なものであり、したがって、そうした人々を養成するうえでは、彼らがもっているかもしれない自由奔放さも、また彼らが秘めているかもしれないどんな激しい感情も、ともに抑制することが必要とされたのです。
 他の運動は、別の社会的障害に直面しました。これらの障害には、人種や地位、教育の違い、さらに人々に二の足を踏ませる効果をもつものとして、(女性会員の数が常にきわめて多かったクリスチャン・サイエンスのように)一般会員の男女の数の割合が一方に偏っているといった問題さえも含まれていました。
4  池田 たしかに、私たち創価学会の運動も、当初、貧しい人や病気で苦しんでいる人が中心となっていました。それは、仏法は、苦しんでいる人をまず救うべきであるとの慈悲の精神を教えており、草創の人々は、これを実践したからです。
 しかし、仏教が取り組んだ人間の苦悩は、病苦や経済苦だけではなく、精神的苦悩、人間関係からくる悩み、さらには戦争と平和といった人類的課題にまで及んでいます。したがって、布教の対象も、物質的には比較的恵まれた生活をしている人々にまでも、さらには、自分の問題については差し迫った悩みのない人々にさえも広がっていったのです。
 苦しんでいる人々をこそ救っていくべきであるという精神と実践は、今日も変わってはいませんが、それ以外のさまざまな人々も創価学会の活動に参加するようになって、現在では、そうした偏見は、かなり薄れてきています。現在、主として入信してきているのは、青年、学生たちで、人生の基盤とすべきものを求めて信仰の道に入ってくる、という傾向が強くなっています。
 しかし、これもまた、一歩誤れば、エリート主義的な傾向を強め、貧しい人々、苦しんでいる人々に救いの手を差し伸べていくという本来の精神が、失われる恐れがないわけではありません。偏った行き方にならないよう、常にバランスを保ちながら布教を進めていくことが、私自身、苦慮してきた点でもあり、これからの指導者たちにとっても、心を配らなければならない課題であると思っています。
5  ウィルソン ある宗教運動の、初期の社会的イメージが、その運動の拡大に制約を加えるという理論は、社会を構成する分野や制度が大きく分化し、しかも、社会の基本的な経済・技術構造のそうした分化から生ずる差異が、人々が自分の考えと一致していると思う世界観に影響を及ぼすだけでなく、彼らの交際の様式とか、彼らが情緒を感じる範囲とか、たがいに情動を抑制したり、表現したりする能力などにも及ぶ、という考えを前提としています。
 たしかに、工業化の進んだ社会におけるそうした差異は、かつては、はっきりしていました。しかし、もちろん高度な技術が社会を動かし、より徹底した経済的・社会的平等が行きわたった社会、そして教育上・文化上の差別が取り除かれた社会になれば、そのような差異も減少するかもしれません。そうした状況の中では、もちろん、この理論はかなり修正する必要があるでしょう。もっとも、この理論が、その中でも生き残るとしての話ですが――。いまのところは、以上に述べた仮説的理論に注目し、この理論がどの辺まで通用するかを見るしかありません。
6  もし、ある運動にとって新たな会員を獲得するための潜在的基盤、社会的階層というものを設定できるものとしてみましょう。すると、ある一定の時点までは、その運動が一人の改宗者を獲得するたびに、新たに他の改宗者を獲得できる展望が開けてくる、ということができます。しかし、その運動も、最後には、潜在的に改宗する可能性のある人々の相当部分を吸収し尽くしてしまう時点に到達します。その後は、新しい改宗者を一人確保することがますます困難になっていきます。この現象が生じる明確な時点を見極めるには、さまざまな要因を検討しなければなりません。それらの要因とは、社会全体の構成員がもつ人種的・文化的・階級的な特徴、それに地位、教育、その他の社会的特徴などにも関わるものです。さらに、一般的な社会風潮(たとえば、宗教的寛容の度合い、世俗的思想の影響範囲など)、宗教的にも世俗的にも競合する諸組織の勢力範囲、その運動の教義の性格が所与の文化またはその歴史的時代にとってどの程度、特殊であるか等々も、これを決定する要因となります。
 たとえ以上のように、はっきりと限定された階層の範囲内でさえ、どんな運動でも、そのすべての人々を改宗させ尽くすということはないでしょう。いや、おそらくその過半数を捉えることもないでしょう。そこには、加入しない人々もたくさんいることでしょう。すでに他の宗教運動に入っており、親族関係その他の、宗教以外の義理によって、そうした別の宗教内に留まっている人々もいるかもしれません。
7  また、彼ら自身の社会的環境は差し置いても、社会の他の分野の思想や宗教に傾倒しているという人々もいるでしょうし、世俗主義を信奉している人々もおりましょう。宗教に鈍感な人々、その逆に、さまざまな宗教に手を染めている人々、また、無気力で無関心な人々もいることでしょう。これらすべてを考慮に入れると――それが普通のことであると見なければならないのですが――一つの運動としては、限定された階層の中であまり数の多くない少数派となっただけでも、成功した例とみなしていいでしょう。
 支配的な文化的伝統に結びついたほとんどの運動にあっては、最も加入しそうな人々は――日本においても西欧社会においても――既存の会員の親族です。活動を広く宣伝している運動、また、会員を使って比較的馴染みの薄い人々に(戸別訪問により、もしくは往来で見知らぬ人を呼び止めて)教えを伝道している運動でさえ、新会員を獲得するためには、やはり既会員の親族の加入に大幅に頼っています。そのような改宗の可能性の高い人々には、宗教教義の訴える力を補うために、他の忠誠心がもち出されます。
 明らかに、このような領域での伸長には、おのずから限界があります。各会員はすぐにも自分の親族を勧誘しますが、最も感化を受けやすい人々――自分の子供たち――が成人するまでにも長い時間がかかるので、すべての親類縁者に接触し尽くした後は、何らかの形でそれ以外の会員の獲得がなされないと、成長率は着実に下降するでしょう。
8  さらに、右に述べた過程に影響を及ぼすもう一つの傾向があります。それは、宗教運動に所属している人々は、友人を、そしておそらくは結婚の相手を、すでにその運動に入っている人たちの中から選ぶことが次第に多くなっている、ということです。このため、宗教的結束は強まりますが、外部の人々の、したがって改宗者となりそうな人々の範囲は狭まります。外部の人々も、その運動について知るようになり、自分たちとその運動の会員たちとの間に隔壁をつくるために、協力し合うかもしれません。そうなると、社会的影響力は弱まり、運動の外縁が固定し始めます。
 もちろん、宗教の伸長を妨げる組織論的な限界についてのこのようなモデルは、いずれの場合も、偶発的な諸要因を考慮する余地があります。これまで概略的に述べてきた様相の輪郭が、突然崩れるということもあります。それは、たとえば説明しがたい宗教復興の波によって、もしくは政策や方針の画期的な変更によって、または大衆の中で以前には無関心だった人々が、自分たちにその運動が適していることを改めて発見し、それを認知するようになった、などという場合です。
9  こうした偶発的で、まれな発展は、一般的な理論ではもちろん説明できず、それぞれのケースについての詳細な歴史的分析によって、初めて説明可能となります。伸長期もしくは再伸長期の後は、運動は、主として内部からの新加入(つまり会員の子供たちの加入)に依存して、そこに安住してしまうことが考えられます。
 しかも、これがたいていの宗教の、少なくとも“ホーム・テリトリー(自己領域)”内における典型的な発展の姿でした。たいていの宗教は、意図的な外部への布教活動の結果得られる会員増は計算に入れず、むしろ内部における伸長・新加入によって、その寿命の大部分にわたる発展を、通常、期待するようになるものです(ただし、キリスト教の伝道は、その成功の多くを、技術的に進歩した国民の宗教であるという有利さと、帝国の権力に結びついたおかげとによっていました)。
 この考察を抜きにしたとしても、ふつう一つの宗教の歴史における創設時、もしくは初期的段階を特徴づけるエネルギーの突如の噴出を、長期にわたって維持することは困難なのです。
10  池田 創価学会の発展も、戸田城聖第二代会長が、第二次世界大戦後、布教の活動を始めてから、一九六五年ぐらいまでの十数年間は、文字通り爆発的ともいえる伸展を遂げました。しかし、その後は、徐々に速度をゆるめ、着実な伸長を続けています。
 一つには、あまりにも急激な布教活動を展開すると、社会的な摩擦が大きくなるため、もう一つには、個々の会員の生活にしても、組織という点においても、その内部的充実・整備を同時に図りながら進めなければ破綻をきたす恐れがあると考え、私自身が、責任者として、方向を転換したのです。
 その後しばらくの時期、会員増という点では停滞したように見えたことがありましたが、機構整備・理論構築という面では、その間も着々と進展しました。そうした時期を経て、初期のころとは違った階層の中に、私たちの運動に参加してくる人々が出てくるようになりました。
11  もちろん、この第二期の発展速度は、第一期のそれとは違って、はるかにゆっくりしたものですが、広範な賛同者の輪を広げつつ進められています。端的にいえば、第一期の運動は、参加してきた人以外は、むしろ反感を抱いて去っていくという人々も少なくなかったのに対し、第二期のそれは、いまはまだ思いきって参加するまでにはいたらないが、基本的にはその理念や運動に魅力を感じているという人々を、実際の参加者の何倍も生み出しながら行われているということです。
 そのような人々のなかには、何年か経って実際に参加してきている人もいますし、自分は参加しなくても、外側から運動を支援してくださっている人もいます。そうした賛同者が増えてきているということは、今後の発展にとって大きな希望であると考えています。

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