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日蓮大聖人・池田大作

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組織形態のあり方  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
2  ウィルソン 初期のキリスト教会の組織構造に影響を与えた歴史上の偶発事が、おそらく教会の安定性、持続性、弾力性を決定づける要因であったといっても、過言ではないと思います。礼拝者たちの集会形態は、ユダヤ教のシナゴーグ(会堂すなわち集会所)をモデルとしてできたものです(注意すべきは、ユダヤ教の神殿をモデルにしていないということです)。この集会様式は、当時、信徒を顧客のように扱っていた密儀宗教と、常に好対照をなすものでした。それらの密儀宗教は、普通、定期的な集会による信仰活動が欠けていたからです。
 初期の司教や長老が果たした役割は、完全には明確でありません。しかし、キリスト教の創唱者(イエス)は、その後、徐々に初期教会の中に発展していったような、司祭中心的な聖職制は創らなかったのです。
 組織のうえで、より重要な出来事は、おそらくキリスト教が国家に公認されたことでしょう。教会は、帝国に適した形の管理機構を国家から受け継ぎました。こうして教会は、大量の信者を、一つの統合された機構の中に囲い込む能力を得たわけです。後にいくつかの大きな分裂(注1)によって引き裂かれるにいたるまで、キリスト教は、帝国から受け継いだ権力構造のおかげで、永続性、統一性、整合性を確保し、ますますその統合力を強めていきました。
3  ローマ教会は、その設立当初や成長期の社会が制定した権力形態を採用し、やがて、中世ヨーロッパの封建的鋳型の中に定着していきました。司教は、諸侯に相当する聖職となり、司祭は騎士(ナイト)や従士に匹敵するものとなりました。こうして、世俗の封建位階制の形態をそっくりそのまま真似た教会制度を維持していったわけです。これはその時代に適した権力構造であり、組織形態として考えうる他のいかなる構造よりも、教会の役に立ったといっていいでしょう。
 一方、プロテスタントの運動は、総じて全信徒が司祭であること(万人司祭制)を強調していたため、その教義との関係から、さまざまな形態の組織が正当化されたことは確かです。プロテスタンティズムが現れたのは、封建制度がすでに部分的に解体しつつあった時代でした。初期の国民国家がすでにその原型を形成し始めており、個人主義が新たな表現の機会を見出しつつありました。各個人の自己統制の様式にも、社会の統制力の組織化にも変化が起こりつつあり、そのいくつかの要素は、国家の新しい政治機関のもとでますます明確な形をとっていきました。個人的自覚や社会的責任の新しい模範が現れ始めていましたが、プロテスタンティズムは、そのいずれをも大いに強めたのです。
4  プロテスタントの信者は、当時遍く行き渡っていたローマ教会の権威を拒否し、これに反抗したのですから、彼らとしては、これに代わるべき権威体系を正当化するためには、自分たちの急進的な信条に頼らなければなりませんでした。その過程は、必ずしも容易なものではありませんでした。すべての権威を極端に拒絶したことによって、社会不安が生じ、また、最も過激な改革者のグループの間で不祥事が起こるようになりました。結局、宗教改革によって台頭した諸教会は、(英国国教会のように)ローマ教会から引き継いだ教会機構を修正して取り入れるか、もしくはたとえ当初は官僚的になりがちであったにせよ、より民主的な制度を採用することになったのです。
 バプティスト派(注2)やコングレゲーショナリスト(注3)(会衆派)のように最も急進的な民主的グループは一般会衆による運営を強調し、少なくとも地方教会の統治に、一般信徒が大幅に参画できるようにしようとしました。しかしながら、この形態では、一つの会衆と他の会衆との間の効果的な調整が難しかったため、これらの運動は、最上部が下部に比べて弱体なまま存続しました。メソジスト教会(注4)はこれらよりもずっと後に発生したのですが、その創始者は、他の運動と比べて民主的な色合いのずっと薄い構造しか許しませんでした。そして創始者とその後継者たちは、しばしば権威主義的な力をもって振る舞ったのです。
5  宗教における改革運動は、常に指導層や組織の伝統的様式を排除する機会をはらんでいるものです。そうしたものを排除する過程で、改革運動は(まさにメソジスト――方法主義者――という名称そのものが暗示するように)宗教の施設や諸活動を組織化するうえで、しばしば、より系統立った、より合理的な取り組み方を示してきました。十九世紀に勃興した新宗教運動は、往々にして伝統主義を非難しました。そして、たとえ合理的組織と聖なる諸価値との間に緊張が存在していても、より合理的な方策や構造を採用することが可能であり、またそうすることによって、個人のより大幅な運動参加の確保、出版活動、基金の調達、伝道活動の規制、宣教師の訓練等々といった、彼らの仕事を最大限に調整することが可能であることを発見しました。
6  私たちはすでに、合理的なシステムを聖なる目的に適用することにともなう困難のいくつかについて論じ合いましたが、やはり発展、秩序、効率等のうえでは、合理的技術のもつ利点の数々は明白です。十九世紀に起こった運動は、それ以前の運動と同じく、その時代に通用していた世俗の組織形態や、世俗の知識を利用していました。
 正統主義や伝統主義を重んじる宗教家たちは、新宗教運動が――情緒主義や狂信性のたんなる媒体ではなく――最新の組織技術の適用から得られる恩恵によって活力を得ている場合が多いということを、往々にして見逃しがちです。古来の儀礼は、しばしば、聖なるものへの過度の感傷に覆われ、神聖さという(ときとして、とても本質的とはいえない)緑青を帯びてくるものですが、これらの新宗教運動は、そうした古来の儀礼を削除し、あるいは切り捨てることによって、はるかに系統立った慣例や、実用的な手続きを採用するための道を開いたのです。
7  しかし、だからといって、伝統主義は宗教にとって常に妨げやハンディキャップになると断言することはできません。すべてが決まり事で動くようになっている近代社会にあっては、伝統は多くの人々にとって、それ自体、特別の魅力をもっています。これは、彼らが、古来の象徴や儀式、神話や修行に、何かしら本物と感じられるものを認めるからです。
 ますますプログラム化されていく社会、多くの無味乾燥で決まりきった活動ばかりの世界にあっては、伝統は、普通の日常生活の枠外にある、いやおそらくそれに勝る、何かしら奇妙に真実性あるものに、つまり、人間生活の他の部門のほとんどすべてにわたってますます支配力を強めるようになった、純然たる合理性を超越している何かであるように、思えるものなのです。したがって、宗教運動の内部にあっても、その運動の究極目的である、独特で、直観的・超越的な諸価値と、その諸価値への献身を促進する効果的な手段としての、新しい技術と合理的企画とを組み合わせるうえで、その両者のバランスを意識的に保つ必要があることは当然でしょう。
8  池田 キリスト教が教会組織の形成にあたって、当時の社会の階級制度を範としたことを、教授は指摘されましたが、私が挙げた教義面での要因とともに、たしかに重要な要素であると思います。
 所詮、宗教者も、その時代の子であることは免れませんから、一つの組織を作る場合、その時代にすでに作られていて機能している組織を、手本とせざるをえないからです。
 もちろん、その宗教が、人間観について、現存の社会一般が採用している考え方――たとえば階級的な差別観――とまったく反する平等観をもっていて、その宗教の実践者が既存の社会を変革しようとしている場合は、時代の主潮とは異なる、その教義から必然的に生ずべき組織のあり方を選ぶでしょう。しかし、その宗教の実践の主として目指すところが、現実の社会を変革することよりも、もっと超越的なところにある場合は、少々、その教義の論理に合致していなくとも、むしろ、現実の社会の中で機能し、人々が違和感をもたない組織形態をとることが多いと思われます。
 したがって、組織のあり方については、特に諸外国の場合、それぞれに伝統もあり、独自の考え方や行き方がありますので、信仰組織のあり方も、それに応じた方向が検討されるべきであると考えています。そうした柔軟な姿勢を取りつつも、教義の正しい理解については、指導性が保たれなければならないところに、宗教独特の難しさがあります。
9  ウィルソン 運動とその目指す目的に一般信徒が広範に参加し、各人が独特の持ち味を出して貢献できるようにするためには、各人のあらゆる努力を協調させ、動員し、展開させるためのメカニズムが、それに適っていなければなりません。純粋な信心行は、家庭においても地域の集会においても、それぞれの成員が支えているものです。
 しかし、人々の注目を引こうとして競い合う主張があり余るほどある現代の社会で、彼らに耳を傾けようという気持ちにさせるには、宗教は、教義の宣伝、布教や広報その他の、多様な活動に着手しなければなりません。そして、これらの諸活動はすべて、より系統的な組織化と効果的な指導性を必要とします。現代の宗教は、会衆的な静寂主義と官僚制的な効率という、二つの両極端の間のどこかで自らの志向と関心を配置して、バランスをとっていかなければならないのです。
10  池田 教授の言われる意味は、よく分かります。仏教にかぎらず、宗教は全般に、開祖によって示された教えを求めて、自己の内に肉化していくという“求道”の面と、その教えを広く社会の中に弘めていく“弘教”の面との両方を、実践の必須条件としてもっています。各個人において、この両方が共に不可欠であるように、組織そのものにおいても、この両方のいずれをも無視することはできません。
 したがって、この両方を効果的に推進していける組織であるためには、さまざまな可能性と対応性が、要請されるわけです。その意味で「会衆的な静寂主義と官僚制的な効率という、二つの両極端の間のどこかで自らの志向と関心を配置して、バランスをとっていかなければならない」という教授のご指摘は、まさしく的を射ていると思われます。
 このことは、別の表現をすれば、全成員が主体者として参画し、運動を推進していける組織であるとともに、狂いが生じてはならない教義の理解に関しては、それを会員が素直に受け入れていけるような、権威の核がなければならないということになりましょう。もちろん、そうした権威は、力や形式によって築かれるものではなく、それが人々の不明を晴らし、疑問を解消できる説得力を発揮することによって、高まり、確固たるものとなっていくのです。
 結論として、宗教の組織は、ピラミッド型の上下関係と、平等な個人の連帯によるサークル型の関係とが、その目的に応じて組み合わさっており、ちょうど織り物がタテ糸とヨコ糸の組み合わせによって成っているように、そのいずれが欠けてもならないと思います。そして、さまざまな活動の必要性に対して、その組織が有効に機能するのでなければならない、ということができると思います。
11  (注1)大きな分裂キリスト教会では何度も分離・分裂が繰り返され、そのたびに教義、権威、典礼等の異なる教会が生まれた。例としては、五世紀から六世紀にわたって、キリストの本性に関してローマ・カトリック教会に異議を唱えたキリスト単性論者(モノフィサイト)やネストリウス派の離反、一〇五四年に最終的にローマ教会と訣別した東方ギリシャ正教会、十六世紀に離反したルター派や改革派(カルヴァン派)などが挙げられる。
 (注2)バプティスト派十六世紀初期に起こったプロテスタントの主要な教派(デノミネーション)。洗礼の儀式の有効性を(信仰の自覚のない幼児には認めず)成人にのみ認めるべきことを主張する。各地の会衆は自治権と独自の権威をもっている。(無数の教団に分かれている)バプティスト派総体の信徒数は英語圏などに数百万人。
 (注3)コングレゲーショナリスト(会衆派)十六世紀末、イギリスで国家権力の圧迫に抵抗し、英国国教会から独立して形成された。国家権力の教会支配のみならず、各個教会を統制する教会全体の権力をも否定した。独立主義者(インディペンデント)とも称される。
 (注4)メソジスト教会十八世紀イギリスで英国国教会の聖職者ジョン・ウェズリーによって設立されたプロテスタントの教派。個人の信仰的献身と福音主義の信仰の再活性化を目指した。同派は、英国国教会を追放されて後、主として労働者階層に信徒を得て、大きく勢力を伸ばした。「方法主義者」(メソジスト)の名称は「(創立者ウェズリーの出身校オックスフォード大学の)規則に定められた学問の方法(メソッド)を守る」という趣旨の運動に由来しており、元来は宗教とは無関係な名称である。英語圏に数百万人の信徒をもつ。

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